妖どもの悪戯話
壱、
アタシは見てた。まぁずっと文机の上にいるからねぇ。
何を見てたかって、おあやが文を書くのをずっと見てたのさ。
あの子がもらった手紙は全部アタシが持ってる。アタシは“文車妖妃”、文箱の妖怪だから。漆黒のぴかりと光る、蒔絵の毬が美しい文箱なんだよ。
おあやはもちろん人間さ? 質素な小袖の似合う、人間の小娘だよ。
その時は手紙を書くのにずいぶん時間がかかっていたようだねぇ、小難しい顔をしてさ。珍しくアタシに相談もナシで書いちまった。でもアタシには何を書いてたのかすぐに分かったね。だからアタシはおあやにこう言ったのさ。
何を書いてたんだい。
あててやろうか、恋文だろう? おあや、アンタとアタシ、何年つきあってるというのさ。
緊張しなさんな、しっかりおしよ女は度胸だ。
うんうん、いっておいで、しゃんとおしよ、堂々としていて良いんだからね。
***
僕らは“もくもくれん”だ!
“もくもくれん”だ!
僕らには手も足もない!
鼻も口も耳もない!
あるのは眼だけ!
目玉だけ!
障子にみんなではりついて、人間を脅かして見てやるのさ!
見ててやるのさ!
そして全員おあやの友達!
おあやは人間なんだ!
人間じゃないんだ!
でも妖怪の友達さ!
僕は見たよ!
僕も見た!
おあやが文を渡してた!
渡してた!
あの男に!
あの勝貴って男に!
人間の男だ!
人間の男だ!
でもあいつは受け取らなかった!
おあやが一生懸命書いた手紙なのに!
おあやが書いたのに!
そして何か言っていた!
そして何か見せていた!
書状かな? 上質な紙だった!
でも僕らは聞きとれない!
あるのは目だけ、出来るのは見るだけ!
おあやはどうして泣いていたの?
おあやの所へ行かなくちゃ!
行かなくちゃ!
***
“煙々羅”は聞いてたぜい? 何せ俺は煙なんだ。七輪でくすぶる煙から顔を出したらそれが俺さ、“煙々羅”さ。
おあやがね、手紙を渡していたんだ。え? 人間の小僧にだよ、気に食わないねぇ。
しかもその小僧は手紙を受取らなかったんだ。酷い話だって? 違うんだ、こいつにゃあ続きがあるんだよ。
聞きたいかい、
聞きたいかい?
あの男はねぇ、おあやにこう言ったのさ。
「俺はこれから仇討に行くんだ。死ぬかもしれないのに、君を悲しませたくないんだ」
これがお殿様からもらった仇討の免状だ、奉行所の赦免も受けた、もう、もう引き返せない、と。
―――そうさ、え? 聞いてたろう? 泣かせる話じゃねぇか、あの小僧も身を切られるように辛かったろう、ああ、辛かったろうよ。
その後? 俺ぁ知らねぇよ、何せ俺は“煙々羅”、煙なんだ。
ヒュゥゥと通り過ぎちまってそれで終わりさ、あぁ終わりなのさ。
***
(私は花魁の小袖だった。
私がただの小袖だった頃の持ち主はとうとう落籍してもらえないまま死んだわ。そして私は袖口から白い手を伸ばすだけの妖怪になった。そんな布と手だけの私をおあやは平気で衣桁にかけて眺めて笑ってくれる。
優しい子。
なのにおあやは今日、頬に涙の跡を残して帰ってきたわ。
男が仇討に行くんですって。仇討なんて禁じられて久しい話だのに、あぁ、もう男ってつくづく嫌で意固地で愚かな生き物なのね。でもおあやは泣き顔をくしゃくしゃにして笑っていたわ。
約束したんだ、と言って。
又会うって約束したんですって。
戦が終わったら又あの男と会うんですって。だからおあやは待つんですって。待ってもう一度手紙を渡すの、と言ったらその男は困ったように微笑んだんですって。
ホントに男って最低な生き物ね。)
弐、
その男はあわててたよ。
確か戦帰りの男だったねぇ。
つん、と鉄のにおいがした。血のついた服のまんまだったのさ、だのにあっしをつかんで走り出したのさ、夜中だってのにねぇ。あっしが“提灯お化け”の妖怪だってのに、気づきもしないでねぇ。
あぁ、一雨きそうだ。こんな夜はできれば家に居たいもんだ。
しかしこの男はどこへ駆けるんだ?
結構、遠くまで駆けていくのかい? あんたねぇ、こんな調子で走ってちゃあ続かないよ最後まで。それでも走るのかい?
せわしない男だ。妖の声も聞こえないような男だからねぇ。
走るといいさ、どれ、もう少し照らしててやろうかね。
ところで、アンタ、なんでこんなこと聞くんだい?
***
・・・おいらは“鳴釜”だ。
鈍く黒光りする鉄釜から、剛毛の生えた体が生え出でている。人間でいう頭の位置に釜がある。異形の中でも異形、それでもおあやは恐れずに接してくれる優しい子だ。
けれどおあやはここの所、浮かれない顔のままだ。机の上に置いた手紙をたまに眺めては泣きそうな顔を作る。
―――吉凶でも占うか。
外は雨が降るだろうが勘弁してくれよ。おいらが占うと何で雨が降るんだろうなぁ。まぁこんな夜だ、誰も気にかけたりはしないだろう、そう考えた。
・・・・・・。
「…おあや!」
起きるんだ、おいらはそう言った。残念ながらまだ朝じゃない、でも起きるんだ、外へ出てごらん。あぁ傘を忘れないで、雨が降っているのだからね。
久しぶりの吉、それもとんでもない吉兆だよ。行くんだおあや、きっと奇跡が起こるから。
***
夜更けの雨だった。朝は来るのかと疑いたくなるくらい暗くて、見えない雲の圧迫感で空が息苦しい。不気味な静寂に包まれた江戸の町。
ざぁっと地や部屋をつく小雨が、軽快な音で僕をたたいた。“唐傘小僧”としてはちょっと闘いがいのない雨だったなぁ。もっと激しい雨であってごらん、普通の傘なんかよりずっと立派におあやを守って見せるのに、ってね。
“鳴釜”のおっさんに言われた通り、おあやは僕をさして通りに立っていた。おあやにはこの後、何が起こるのか分かっているのかな、そんな思いがかすめた。
暗く月もない場所で片手に僕、もう片手に小さな灯りを持っておあやはじっと待つ。
ふと、その通りに別の明かりが現れた。
「やれやれこんな所まで、遂に走り切っちまったねぇ」
あぁ女だったのかい、と明かりがそう話すのが聞こえた気がした。しかしその声もすぐに夜に溶け、
「勝貴…様…?」
「おあや!」
あのときはちょっと傷ついた。奴の姿を見つけた瞬間に僕を投げ捨てて駆け寄っていっちまうなんて、いくら親友でもそりゃあないだろう?
二人はひしと抱き合った。闇の中、消えてしまった提灯と、もう一つの“提灯”は何故か消えなかった。
あぁ、二人とも濡れちまう。跳びあがってやろう守ってやろうか、あの男を脅かしちまうかな、畜生、僕はどうしたらよかった?
附、
――――この物語は、
妖怪と縁を持った女と
その少女を信じた男と
ぼく、天狐の好奇心が
生んだ不可思議噂のお噺。
最後に唐傘小僧に聞いたとき、
かれは僕にこういった
「そんなにおあやが気になるなら友達になればいいじゃないか。」
ぼくは一瞬ぽかんとして
それから耳をぴんとたて、
ほほえむ唐傘小僧の後ろを
なぜか震える四肢を抑えて
そっと一脚踏み出した。