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5時間目が終わり、痛めつけの6時間目の数学の時間が終わると、放課後になる。恵を取り巻く仲間の放課後といえば、もっぱら教室で群がって時間をだらだらと過ごす、というものだった。
今日も6,7人で、ある机を中心にして、座るでもなく立つでもなく、男女それぞれがとりとめのない話を展開していた。そういえば、初めての期末テストも何とか無事に終わり、各人は夏休みを心待ちにしていた。
何時間そうしていただろうか。そろそろ解散の空気が漂い始めていた頃だった。
さっきの情報の隣の席のコ、村山くんという。その村山くんが、
「ところでさ、」
会話も途絶えていたころあいだったので、みんなが村山くんの声に反応した。
「このアドレス、知ってるかな。」
そういって彼は、何らかの文字が書かれた白いメモ用紙を前に出した。
「アドレスうぅ?」
みんなが怪訝な顔をしてそのメモ用紙に目を遣った。書かれていたのは、
http://messenger.yahoo.co.jp/index
「なんだ、ヤフーのアドレスじゃん。」
「そのうえは?」
「メッセー…ジ…?」
「メッセンジャー、だね。」
うん、と真面目な顔をして村山くんは頷いた。
中学1年生になりたての英語力でmessengerをメッセンジャーと読めたのも、13歳の社会スキルでその意味を理解できたのも、村山くん以外にはその人くらいしかいなかったようだ。片田舎の中学生に過ぎない残りの私たちは、村山くんが何をいわんとするのか計りかねていた。
「まぁさ、もし時間があったら家のパソコンからアクセスしてみて。僕は暇だからさ。じゃ、そろそろ帰ろうよ。」
村山くんはそういうと、本当に教室からふいと姿を消してしまった。言葉をかける暇さえ与えず。
…? どういうことだろう。時間つぶし? メッセンジャーもゲームの一つ? 恵の頭は疑問だらけになる。
一同も不思議になりながらもそのあと解散になったが、恵は村山くんから教えてもらったそのメッセンジャーとやらのことを、何となく覚えておいた。
帰りは、さっきも一緒だったクラスメイトの杏子と二人。夕方だというのに暑さは容赦なく、アスファルトに照らされた西日の射影が眩しい。
杏子は中学になってからできた友達で、今のところ恵にとって一番仲が良い。杏子はどちらかというと控えめなタイプなのかもしれない。でもその控えめさを一歩突き抜けると、なんともおおらかというかユーモラスな性格があらわれてくる。
杏子も恵と同様、背が低い。髪の毛を巻きにしていることが多く、ショート・ヘアの恵と違って、長くまで伸ばしている。二重瞼はうすめで、大きな目がかわいらしい。これまた恵とは違って、女の子らしい体つきがたくさんあって、ボーイッシュに見られる恵からすれば少々うらやましいところである。
当たり障りのない会話をこうやって学校からの帰り道にする時間が恵は好きで、とても大切なものだと思っている。日常を紡いでいくこと。できれば杏子もそうあってほしいのだが。
「でさぁー、昨日見た○○の番組が、すごくおもしろかったんだよ~。」
「それって、□□□が出てる番組じゃない?もしかして。」
「そうだよー。」
「なら、いいや。」
「いやね、そこがまた違うんだって。」
□□□とは、最近人気が上がっている芸能人のことだ。杏子は多分に恵よりもミーハーな気質が大きい。恵もテレビ番組は好きだが、好きな番組はすごく固定している。だから、こうやって杏子からこんな番組見たよとの情報をもらって、それで面白いかどうかを審議するのだ。00年代の私たちは、おわコンと言われつつも、テレビネタには事欠かない。とりあえずすることがなければ、ぼうっとテレビを見る。それから、その情報が面白いかそうでないか、正しいか正しくないかを判断するのだ。そうやって私たちは世の中に対する理解を深めていく。それ以外のやり方は、実はとても少なくなっている。
さらに付け加えておけば、テレビとは、私たち90年代の生まれからすれば、もうそれだけで世界に等しい存在だった。テレビは、もうそこにあるのだ。テレビが存在しない時代を知らないから、例えば有名な政治家が「テレビのない時代こそ…」と声高らかに唄いあげても、所詮私たちからすればそれは想像の域を超えない。私たちは、テレビがあって初めて世の中に参画できるのだ。その逆ではない。
情報を捨てたければ、まずその情報の源にしっかり浸かっていること。逆説的に聞こえるが、私たちの時代の困難は、まずそういうところにある。
とはいえ、話を元に戻そう。
「**は、意外にカッコいい。」
「えーどこがー。マジでー。」
恵は全力で拒否するが、
「本当だよ! その番組を見るまでは、私もどうかなと思っていたんだけど、何て言うかな、とにかく今度からその番組見てよ! 絶対私のいうことが分かるから。」
杏子は言葉の強さとは裏腹に、優しい微笑を見せている。
「…分かった。また、杏子に一票だね。」
恵も、つられたように笑った。