良い天気
「はいッ!」
そう鋭く声をあげた高瀬美紗がトスするのを、俺は漫然と眺めていた。
体操服から伸びる手足は長い。身長も、クラスの女子の中で一番高かった。
「おい、登川!」
声に振り返ると、同時に真横を同じクラスの橋本翔が抜き去った後――。
「この馬鹿!」
その後ろを先刻の声の主―― 村上聡史がののしり声と共にどたどた走っていった。
そーいやバスケの試合中だったか。
我に返ったのと橋本が3Pを決めるのが一緒。
「あはははは! 何やってんの祐樹」
美紗が隣のバレーコートからわざわざ声を上げた。
「うるせー」
怒鳴り返して、村上のパスを受け取る。すぐさま妨害に入る橋本を抜いて――足は遅いが、ドリブルの腕前は部内一だと自負している――先行していた二年生にパスを出す。二年生がシュートを決めた。
同時に甲高い笛が鳴る。
「ハイそこまでー」
顧問の理科教師、木本茜が声を上げた。
何故顧問が理科教師かというと、ふたりいる体育教師は野球部と水泳部の顧問になっているからだ。
「ンじゃー、今日は職員会議あるからボール片してお終い。女子もその試合が最後ねー」
女子バレー部の顧問も兼任している――練習が同じ体育館だかららしい――木本が、振り返って美紗たちに言う。
俺たちの中学校に女子バスケ部と男子バレー部はない。弱小部なので部員が集まらず、ツブれてしまったのだ。逆に俺の所属する男子バスケ部と、俺の幼馴染、美紗が部長を務める女子バレー部は、毎年県大会まで進む、この辺りではなかなか名の知れた部なのだ。
その内バレー部の試合も終わった。
「ッざい……ッしたァ!」
全員で木本に一礼して、部活は終わりだ。
*
「あ、祐樹帰りちょっと付き合って」
部活が終わって、校門をくぐりかけた時、美紗が駆け寄ってきて言った。
「何だ何だ。デートか?」
耳ざとく聞きつけた村上がどこからともなく寄ってくる。
「そんなんじゃねェよ、キャプテン」
というか耳ざとすぎだぞ、村上。
「うん。明日は希ちゃんの誕生日なのよね」
希は俺の双子の妹だ。ちなみに女子校に通っているので、学校は違う。美紗は毎年、律儀に希にプレゼントを買ってやっている。
俺にはくれないくせにどういう事だ、と言ったら「アンタは私にプレゼントくれないじゃん」というあっさりした回答が返ってきた。そういえば希は、毎年美紗にプレゼントを贈っている。
「お前が勝手に選べばいいだろ?」
鼻の頭にしわを寄せて嫌さ加減を強調するが、美紗はひるまず言い返す。
「何よ、希ちゃんの買い物には付き合う癖に、私の買い物には付き合えないの?」
「希に付き合ってなんか……」
「希ちゃんに、私がアロマテラピーに凝ってるって教えたの祐樹でしょ?」
そういえば、前回美紗の欲しい物をしつこく聞かれて答えた気もする。
「でもそれは買い物に付き合ったんじゃない」
「まぁいいじゃん。アンタの分も一緒に買ったげるよ」
そんなついでのようなプレゼントは嬉しくない。無論、美紗からプレゼントを欲しい訳でもない。
「ほら、行くよ〜」
勝手に行くことに決まっていた。
*
「ねぇ、何がいいと思う?」
美紗が無邪気に――いや、もしかしたら邪気はあるのかもしれない――俺の腕を引っ張る。
「こんなところには入れるか!!」
思わず俺は叫ぶ。
俺が立っているのはストロベリーナントカとか言うファンシーショップの前だった。ピンクと赤と白で統一された店内には、もちろん女しかいない。
冗談じゃない。
こんなイチゴのクッションが山積みされたような店に入れるか。
「祐樹ってそういうの無駄に気にするよねー。意識しすぎだよ〜」
お前が意識しなさすぎなんだ、美紗!
向かいのアロマテラピーショップ――壁にそう書いてあるからそうなんだろう――の方がマシだ。やっぱり女しかいないけど。
「ねーちょっと見てよ〜こっちのにゃんこと、こっちのわんこ。どっちが可愛い?」
頭の大きい犬と猫のぬいぐるみを持って、美紗が訊ねる。
そんなもの知るか!
「あ、やっぱコッチのうさちゃんにしようかな〜? いや〜〜んっコレ可愛い〜〜!!」
嫌なら抱きしめるのを止めろ。矛盾してるぞ。
「それより美紗。希の奴、お前に買ったアロマテラピーグッズ見て、自分もやってみたいような事言ってたぞ」
……確か。うろ覚えだけど。
「本当!? じゃあアッチのお店行こう! 実はね〜オススメのがあるんだぁ」
言いながら美紗が店内に突撃する。あっという間にオススメのブツとやらを抱えて戻ってくる。
「ねーちょっと見てよ〜こっちのお花の香りのと、こっちの海の香り。どっちが可愛い?」
透明感のある、ピンクと青のアロマキャンドルを持って、美紗が訊ねる。
…………そんなもの、知るか!
*
結局美紗は、一時間近くああでもないこうでもないしたあげく、最初に選んだアロマキャンドルのセットを買うことにしたらしい。
「良い買い物したわ」
「……そうか?」
俺はげっそりと言う。外に出ると空の青さが眼に染みた。
「あっそうだ!」
急に美紗が立ち止まった。
「何だよ、まだ何か買うのか? もうつきあわないぞ」
「んーちょっと祐樹ココで待ってて。すぐ戻ってくるわ」
荷物を全部俺に押し付けて、美紗はデパート内に取って返す。俺はとりあえず、そこらのベンチに座った。
空が青い。ぼやっと眺めていると、突然声をかけられた。
「よ、登川。高瀬とデートだって?」
「橋本……お前それどっから聞いた?」
立っていたのは橋本 翔だった。部活が終わったあと、買い物だか暇つぶしだかに来たんだろう。俺や美紗と違って私服だ。
「我らがキャプテンが吹聴してたぞ」
「村上め。違うッつってんのに……」
後でシメてやる……。
「まぁ無理ないだろ。高瀬可愛いし」
「そうか?」
お互いおしめをしていた頃から知っている仲だ。好いた惚れたという感覚がない。恋愛対象として見ていないので、美紗が一般的に可愛いかどうかも考えた事はなかった。
――いやぁでも、十人並みだろ。容姿もスタイルも。
「ホントは、オレちょっと狙ってたんだぜ、高瀬の事」
俺に言ってどうする。
「美紗に言えば良いだろう?」
「負ける勝負はしない主義なんだ」
橋本は顔を上げた。
「良い天気だな」
「俺の天気は土砂降りだけどな。荷物もちやらされたり待たされまくったり、うんざりだ」
「高瀬と付き合ってる幸せの余波だと思えよ」
だから付き合ってないッつーの。
橋本はにやにやしながら立ち去った。
全く、何考えてるんだか。
*
「お待たせ〜〜!」
それからしばらくして、美紗が帰ってきた。
「遅いッ」
「ごめんごめん。ハイこれ」
美紗が何かを放ってよこす。
「なんだよこれ……」
最初に入った店で見た、頭のでかい犬のキーホルダーだ。バスケットのユニフォームを着ている。
「誕生日プレゼント。一日早いけど」
ちっとも可愛くない犬が俺を見ている。
「……コレ綴り間違ってるぞ」
「え!? 嘘!?」
BASKETBALLが、BESKETBALLになっている。マヌケだ。
美紗が犬のユニフォームをのぞき込む。
ふんわりと、何か良いにおいがした。
「あ、まぁ、ありがたく貰ってやる!」
うかつにもドキドキしてしまい、俺は慌てて大声を上げる。
「何それ偉そう!」
美紗が頬を膨らませた。俺は笑う。いつの間にか空模様も快晴だ。
幸せの余波がスペルミスのぬいぐるみなら、こんな関係も悪くない、と俺は思った。