明日
私には年下の、可愛い恋人がいる。
*
私はよーちゃんと呼んでいる。よーちゃんは私をナツキ、と呼び捨てにしていた。それが歳も身長も私に勝てないよーちゃんなりの、精一杯の背伸びらしい。大人ぶりたい年頃なのだろう。無理に私の煙草を吸おうとしてはむせ返るよーちゃんを――実はまだギリギリ未成年だが、他人の事をどうこう言えないので注意しないでいる――、私は心底可愛いと思う。
よーちゃんは専門学校生。私は商社マンだ。
出会ったて間もない頃はまだ、私はよーちゃんを名字で桜井さん、と呼んでいたし、よーちゃんも私を名字で立木さん、と呼んでいた。
それがいつからよーちゃん、とナツキになったかは記憶していないが、私がよーちゃんをよーちゃん、と呼ぶようになったきっかけは、私の悪友、芹澤隆文だった。
そもそも彼が、年甲斐もなくよーちゃん、などと呼び始めたのだ。私もその内つられてよーちゃん、と呼ぶようになってしまった。よーちゃんも「今までそんな風に呼ばれた事がない」と嫌がっていたが、その内慣れてしまったようだった。
私とよーちゃんを引き合わせたのも、同じく隆文だった。よーちゃんは隆文の親戚の友人の親戚の子どもだとかで、隆文自身とは一切関係がなかったが、ちょうどよーちゃんの通う専門学校の近くに居を構えていた隆文が、上京してきたてのよーちゃんの面倒を任されたのだそうだ。
隆文は隆文なりによーちゃんを心配していたらしく、何くれとなく世話を焼いていた。それにしたって、教えてもいないのに「お前よーちゃんとデキたな!?」等と心臓に悪い質問をされた時には心底寿命が縮まると思った。まったく良く見ているものだ。
その内、私とよーちゃんの間で、同棲する事が決まり、やはりひとつ屋根の下で男女が暮らそうというのだからケジメはつかねばなるまい、とよーちゃんの両親に連絡を取る事になった時には、更に寿命が縮まるかと思った。
今だから笑い話で済むが、当時は真剣によーちゃんの両親に殴られるのを覚悟していた。健気にもよーちゃんが「そんな事はさせないから」と言い切った時には不覚にも涙ぐみそうになったものだ。そんな健気なよーちゃんに、夜な夜な、仮想よーちゃん父に「ウチの子をたぶらかしおって!!」と怒鳴られる夢を見ているなどとは言えず、胃に穴が開く日も近いかと悩んでいた。
私の顔色がそんなに悪かったのか、よーちゃんは電話での連絡にしよう、と言ってくれた。
が、すべての予想に反してサバけた性格らしいよーちゃんの両親からの反応は「ご迷惑おかけしますねぇ、ウチの子を宜しく頼みますよ」という私へのメッセージと、「うまくやんなさいよ!」というよーちゃんへの激励の科白――受話器から音が漏れて聴こえたのだ――だけだった。あまりのあっけなさに、夢ではないかと頬をつねったくらいだ。
まがりなりにも、未成年の両親がこんなことでいいのだろうか。
*
「ナツキ! 朝飯できたぞ!!」
煙草をくわえて回想していると、戸口からよーちゃんの顔がのぞいた。
専門学校で男くさい連中に囲まれているからか、はたまたイキがっているのか。近頃よーちゃんは口が悪い。上京したての可愛らしくて初々しいよーちゃんはどこへ行ってしまったのか。私は本当に悲しい。
「ナツキ……聞いてるか? オイ」
「よーちゃん、その話し方やめようよ。可愛くない……」
私が嘆くと、よーちゃんは顔を真っ赤にしてつけていたエプロンをむしりとった。
「か……可愛くなくて良いッ!!! それより飯だ!!」
よーちゃんはいつも赤くなってそういうけれど、もちろん私から見たら可愛い方が良いに決まってる――もう十分可愛いけど。
顔を膨らませてよーちゃんが行ってしまうと、私は苦笑しながら立ち上がり、煙草を灰皿に押し付けた。
リビングに行って、後ろから抱きしめる。耳元にキスすると、あっさりとよーちゃんの機嫌は直ってしまった。……そういう所も可愛い、と言う度に隆文に「彼女のいない奴の前でノロケるな!」と怒鳴られる。
ふたりでご飯を食べ終わると、よーちゃんは慌てて準備をし、専門学校に行ってしまう。隆文の家よりも専門学校から遠い私の家からだと、食事を食べたらすぐ出かけないと一限に間に合わないのだ。引っ越そうか、と言った私を押しとどめたのはよーちゃんである。
よーちゃんが出かけてしまうと、私は大急ぎで食器を片付け始めた。普段の二倍くらいの早さだ。天気予報を見る間も惜しみ、私は家を飛び出し、朝早くから開いている100円均一へ飛び込んだ。
明日はよーちゃんの誕生日なのだ。
三月三日。
よーちゃんは嫌がるけど、ひなまつりが誕生日なんて可愛いと思う。
私は、クラッカーを初めとするパーティグッズを買いあさった。明日、ふたりでパーティをやるつもりなのだ。もちろんよーちゃんには秘密にしてある。こういう事は驚かせたほうが楽しい。
それに、よーちゃんは徹底したワリカン主義者だ。“ナツキに養われているつもりはない”を信条に、食事もデートもみんなワリカン。一応そこそこ収入のある社会人としては実に悲しいが、よーちゃんはとかく私の財布に頼るのが嫌いだった。同棲する時には、家賃も半分払うと言って聞かなかったのだが、バイトをたくさんして無茶をして専門学校生の本分を忘れたり、病気や怪我をしてしまう方が嫌だ、と何とか説得したのだ。それでもよーちゃんは後払いを考えているらしく、こっそり貯金をしているのを知っていた。
もちろん一日デートして、夜景の見えるレストランでのディナーも捨てがたいが、そんな些細なことでよーちゃんと喧嘩をするのも、よーちゃんのプライドを傷つけるのも、よーちゃんの稼いだお金を無駄に浪費させるのもまっぴらだった。場所や金額が問題ではないのだから、別に祝う場所は自宅だって構わない。
一通り必要と思われるものを買うと、私は最後に切り絵でバースディケーキが描かれたグリーティングカードを買い物カゴに入れた。
全てを買い終わると、急いで最寄り駅に向かい、荷物をコインロッカーに放り込む。家に戻っている時間は流石になかった。
*
お昼休み、私はよーちゃんバースディ計画を煮詰めていた。
今日帰る前にプレゼントを選び、パーティグッズと共にそっと家に運び込む。私より帰宅時間の早いよーちゃんには、先にお風呂に入るよう携帯に電話でもしておく事にする。夜中に料理のある程度の下地を作っておき、隠しておく。
翌朝、よーちゃんを送り出したら、即座に飾り付けをし、家をでる。帰宅途中ケーキと追加の料理を買って帰り、パーティをする。
完璧だ。
そう思ってから、ひとつ忘れていた事を思い出す。
朝買ったバースディカードに名前を書き忘れていた。明日の朝はバタバタして、書く時間はないだろうし、このカードは、帰宅したよーちゃん宛にパーティの招待状の形式を取るつもりでいた。
隆文あたりは臭い、と一蹴するかもしれないが、私はこういった演出が大好きなのだ。
カードを前に万年筆を取り出すと、私はカードの白い部分にメッセージを書き込んだ。
明日が楽しみで仕方ない。早く明日にならないだろうか。
早くよーちゃんの驚く顔が見たい。
わくわくと私はカードを折りたたむ。
カードの表に、宛先と差出人の名前欄があった。
――早く、明日になって欲しい。
私はわくわくした気持ちのままそこに筆を走らせる。
『 桜井 陽平さま
愛を込めて 立木 夏紀 』