エピローグ4 海里の果て
数日ぶりの晴天の下で、大竜エクは揺れていた。ちょっと傾いてるのは、浸水してるせいだ。
けれどその体は未だ形を保っている。内部は衝撃でぐちゃぐちゃになっていたが、一月もすれば完全に直ってしまうだろう。大竜エクとしては、まあ、大量の打ち身と内部出血、それに骨折、くらいの気分である。どう考えても重傷だが、今のところ、当人は文句を言っていない。
エクから五十メートル離れた場所で、海が盛り上がった。
銀色のとがった顎が水面を割って現れる。三角形の頭部。太い首が胴体に接続され、大きく広げた翼が水を書き散らして虹を作る。丸く膨らんだ胴体に続いて尻尾が表れ、大きくうねって水面を叩いた。
竜の頭部ハッチがスライドした。そこから二体のCBが出てくる。
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「テストはいい感じだね」
「この子も大分慣れてきたようですね」
きゅい、と鳴き声をこぼすエーギル級大竜、ケケットのコクピットに座ったまま、月の女は頷いた。表情を変えずによしよしと言って肘掛け部のコントローラーをなでる。
僕は前側席から彼女を見上げた。斜めに席がついてるせいで、足の下からみあげてるみたいなポジションになる。
「どうだった?」
「何がですか」
「性能」
「目的のスペックは達成しています。流石シグレですね」
こくりと頷く。ならいいや、と僕はシートに腰掛ける。
鯉の滝登り事件以来、彼女は竜の仮想人格を作れるようになっていた。事件の最後、大竜エクが目覚めたのも彼女の仕業である。
艦内CBの九割がダウンしたあの事件は、僕と彼女の悪名を轟かせている。今も罰ゲームとして新型艦の処女航海と、装置探しのための海底探索を命じられていた。
「あのさ」
「はい」
「どうやって作ったの? 竜の仮想人格」
後部座席から、髪の擦れる音。首を傾げた、のかな。
「誰も聞かないから、誰も興味がないと思ってました」
「そもそも君がやったと睨んでるのは僕だけだと思うよ。何故かログにも残ってなかったし。ケケットだって、エクの子供ということになってるでしょ?」
「エクが隠したんですね。何を考えているのでしょうね」
心底不思議そうだった。
「で、どうやったの?」
「あなたの告白を利用させてもらいました」
「……利用って」
「全員が一つのシステムとして動くために夢を共有する。あなたの作戦は有効でしたから」彼女は言う。「あのときの皆の仮想人格なら、ストレスなく接続させることも可能だと考えたのです。そこで竜のマザーフレームから艦内全てのCBに接続、人格データをクロール、統合したものを作りました」
「竜の仮想人格を作ろうと思ってたわけじゃなかったんだね」
「はい。皆さんの通信がもう少し高速にできるようになれば、と考えただけでしたから」
それが結果としてシールド制御可能なだけの思考回路と計算力を提供することになった、ということらしい。
シートに深くもたれ掛かって、溜息をつく。
「なんか、かなわないなあ……」
「それでいいのです。できないことがあるくらい、不自由の理由にはなりません」
「そうかな……」
「何のために生きていると思っているのですか」
「まあ、そうだよね」
僕は首を傾げた。胸の奥にもやっとしたものがあるんだけど、うまく言葉にできない。該当する言葉を探してくるんだけど見つからない。最近はこういうことがよくある。
「これからどうしよっか」
「色々確認しなくてはならないことがあります」
「なに、それ」
「恋の行き先をわたしはまだ知りません」
空を見上げた。雲一つ無い青空に、目が痛くなるような太陽がかかっている。
月の女は語る。
「確かめてみましょう」
「いいね」
「あなたはどうしますか?」
「そうだなあ」
……僕は首を傾げた。僕は彼女の夢を叶えたいという夢がある。その夢を抱いた理由は何だったか。
「君はなんで恋を語りたかったの? 設計者が仕組んだっていうのは聞いたけど、無視だってできたはずだよね」
「まあ、できなくもなかったんですが」
月の女の声に、初めて色がついた。唇をとがらせているような、かすかないらだちがかいま見える。
「設計者は言ったのです。『わたしには恋なんてわからない。だけど、最近友達がやたら嬉しそうでね、なんというか、腹が立つんだよ』と」
「……はあ」
「不可解きわまります」
「それで?」
「それが理由です。腹が立つのも、喜ぶのも、よくわかりません。なので調べてみようと」
「そっかぁ」
月明かりの下でないと、彼女はずいぶん泥臭い。
なんか新鮮だ。
「僕は君をもっと知りたい。当面はそこかな」
「では手始めに、一緒に行ってみましょうか」
「うん。じゃあそのラインで」
コクピットハッチがスライドして、竜の中が暗くなる。全方向ディスプレイが表示された。画面が浮かび、竜が空を飛ぶ。
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――こうして僕達は、この海里の果てから始まった。




