孤高の月
白亜の髪。青い瞳。
月を射るように見上げている、一人の少女。
「……ほんと、いつまでそうしてるんだか」
ぼやくのは僕。
息をつけば白いもやがふわりと膨らんだ。けれど冬にふさわしい凍てついた空気は瞬く間に白を消し尽くす。その向こうには錆びた線路と、分厚い布を重ねみたいな不格好な海がある。押し寄せる潮騒に塗れた風は、ほんの少し塩辛い。
そんな景色を、ホームの上から眺めているのが僕の日課。……うーん。案外あの娘と大差ないかも。
「……」
電車はこない。来るかどうかは電車次第。彼らにだって気分がある。かつては勤勉の証書のようだった時刻表は、錆びて崩れてずいぶん経つ。
「……はぁ。わかった、降参」
こらえきれず、歩き出す。足下で身繕いをしていた黒猫が、ばかだにゃーと見上げてきた。うるさいバカで何が悪いといいわけを思いつつ、僕は彼女に歩み寄った。
***
「昔、月の美しさを歌うことで、恋を語ったと聞きます。なので、月を見ていれば恋を語れるようになるのかと」
無人の休憩室に招かれた少女は、そう言った。古びた丸い椅子に座ったまま、じっと湯気を上げるカップを見下ろしている。
早く飲めよと内心こぼす。
「今なら、そういうソフトを入れた方が早いのでは?」
「そうですね。よく言われました」
「入れたの?」
「いいえ」
「ふうん」
なら、それが彼女の趣味なのだろう。
現代において、僕たちには無限の暇がある。趣味は時間を結い意義に潰せる唯一の娯楽だ。
まあ。恋の理解に使うなんてのは、ちょっとロマンがすぎるけど。
「何で恋?」
「設計者に言われたので」
「ああ……もしかして、結構おばちゃん?」
「そうですね。作られたのは三百年前になりますか。もう主の子孫も誰も残ってはいませんが」
「仕事はなんだったの?」
「孫のお世話をしろと」
「どうだった?」
「整備士にはよくお世話になりました……」
「うはは」
遠い目をする。彼女の記憶は今はどのあたりをさまよっているのだろう。
「で、何故恋?」
「だから設計者に」
「雇い主とは別?」
「はい。わたしは設計者のいたずらでバグを仕込まれました。命題は一つ」
恋を知りなさい。そう、彼女の創造主は告げて。
まるで、間違えた親を猛進する雛のように、彼女は三百年さまよっているらしい。
「その途中で、雇ってもらったのですが」
「野良ドールは外聞悪いからねえ」
「それに整備も必要でしたし。やすいですよーと言ったらカモンと言われて」
「ファンキーな雇い主だったんだね」
「思えば、なかなかにでたらめな方々でした」
それは、そうだろう。人類生存時の記録をあたっても、仮想人格が人間を教育する事を許可した国はどこにもない。
「最後はどういう別れ方を?」
「一族最後の者とは老衰で。子供はいませんでした。もうあのころの人々は子供をほとんどつくりませんでしたから」
「自然消滅かぁ。それじゃあ、財産として差し押さえられたんじゃ?」
「危ないところでした」
「逃げたか」
「もちろんです。……でも」
もしも、あの子が最後まで一緒にいてと言ったら、わたしは死んでもよかったけれど……。
そう言って少女はココアを含んだ。
***
白く透き通った光の溶けた、凍った空。
星か人類が消えてから、そろそろ二百年。
求められて生まれた僕たちは、求める物がいなくなった世界で生き方を探している。
「にしたって、しぶといよね」
人の種子は絶えてしまったけれど、よもや彼らの作り出した物々がここまで意地汚いなんて、流石に考えていなかったのではないか。
「さて。そろそろ電車がくるみたいですよ。運がいい」
「最近は駅で待っていても電車がこなくなりました」
ホームにでて、遠くからごんごんとレールを震わせる電車の到着を待ちわびる。
僕は空に向けていた眼をおろすと、彼女に向けた。
「恋の正体は見つかりそうですか?」
「実のところ、もうわたしは体験しているのでは無いでしょうか」
「ほう」
「けれども、うまく認識できないようです」
それはまあ、そうだろう。
恋の正体は無意識であり、それはただ自分がどちらを向きたいかしか意味しないと、聞いている。
であるならば。
「まあ、追いかけてみればいいんじゃないですかね。それでよしと思えるまで」
「そうですね」
そうして。追いかけていった軌跡こそが、いずれ彼女の答えとなるだろう。
……そこで終わりにしてもよかったのだけど。
電車はまだ時間がいるようなので、一つ、歌を教えてみた。
ずっとここにいる僕には歌うことに意味がないけど、線路を行く者ならそこそこの余興になるだろう。
「なるほど。ありがとうございます」
「このお礼はいずれください」
「え」
電車が到着する。一人で乗り込む彼女を、僕は黒猫と見送った。
立ち去る電車。どこまでも続く線路の上を歌が行く。
さて。月か死か。どちらもそうとは思わなかった彼女は、恋を何にたとえるだろう。




