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第四幕 悲恋慕情(下)

 それからというもの、俺たちは、人目を盗んで、事あるごとに求めあった。

 いや、求めあった、というのは語弊があるかもしれない。

 求めるのは常に妹の役目だった。それに応えるのは常に兄の役目だった。

 この時から既に、全てがおかしくなりはじめていたのだ。

 妹に向けるこの愛が、男としての愛なのか、それとも兄としての愛なのか。分からず、そして何もかもが分からなくなって、ただ怠惰に妹の求めに応じた。

 思えばこの時、止めておけば良かったのだ。自分は兄で良い、それだけでいいと、そこで踏みとどまっておけば良かったはずだったのだ。

 しかし。

 一度だけ。俺が兄としてではなく、男として楓の体を求めた、その明くる日に。

 全てが、終わりを迎えた。


 ドタタタッ、という幾人かの足音と、誰かの争う音が連続し、俺は自分の部屋から体を覗かせた。――その瞬間。

「兄様、逃げて! 逃げてください――ッ!」

 妹の切迫したその声に、言うまでもなく、俺は逃げるのではなく、妹を助けることを選択した。

 そして、駆けつけたその場所で――見えたのは、あまりにも予想もつかない光景だった。父が血に濡れて倒れ伏し、その横では、刀を血にぬらす一人の男。

 そしてその背後では、男たちに組み伏せられ、「逃げて」と繰り返す妹の姿。

「ようやく来たか……」

 刀を血にぬらした男は、「おい」と周りの男に指示を飛ばした。

 わけがわからず硬直している嘉隆の腕を、二人がかりで押さえつけられ、地面に押し倒される。

「がっ……!」

 空気が肺から吐きだされ、咳込む。その姿に、妹が短く「兄様っ」と叫んだが、それも地面に押し付けられ、それ以上は何も言えなくなった。

「さて……九条嘉隆。俺は、ある罪を裁くためにここに来た」

「罪……?」

 そうだ、と男は笑った。

 瞬間、冷たい汗が背に流れる。

 罪。そう、罪。己の中で、罪と言えるものが、ひとつあったがゆえに。

「九条楓。この女は、ある男と定められた相手がおりながら、他の男と姦通した」

 ああ――罪か。そうかもしれない。

 罪なのだろう。許されないのだろう。しかしならばせめて、せめてどうか――。

「そしてその相手は……」

 せめて、楓。お前だけは、救われてほしい――。

「お前だな。九条嘉隆」

 がっ、と、刀を手に持った男が、嘉隆の頭を踏みつける。

「そういえば自己紹介が遅れたなぁオイ。俺は鬼部宗吾……久しぶりだなあ」

「……ああ。そうか。鬼部の若いのといえば、お前だったな……」

 鬼部宗吾。その名前は知っていた。

 この道場に、四年前まで通っていた門下生だ。しかしあの頃、鬼部は奉行という役割にはなかったこともあり、すっかりと失念していた。

「あん時はさ、アンタに勝てたことなかったよなぁ俺。でも正直どうでも良かったんだよ。俺の目当ては……」

 ちらり、と視線を、押さえつけられ、それでもなお凄絶な美しさを保っている少女に向けた。

「あの女だけだったからよお。まあ、武術ってやつの腕も、そこそこ役に立ったが」

「お前……」

 みなまで言わせず――かちり、と刃が鳴った。

 そのまま、その刃が、嘉隆の首にまで押しあてられ……

「やめなさい!!」

 不意に叫んだのは……楓だった。

 がっともう一度地面に押し付けられ、言葉を封じられても、それでもその目線で、恨み殺すようにこちらを……否、宗吾を睨みつけている。

「……ふん」

 宗吾は刀をどけ、そして楓に向き直った。

「おい、趣向を変えるぞ」

 次は刃を、倒れている女の方に向け、そして――

「そいつを剥け。今から犯す」

 そう、あっさりと宣言した。

「な、に――?」

「おいおい、聞こえなかったのか、オニイサン? 今からアンタの目の前で、こいつがよがり狂うまで延々と犯し続けてやるって言ったんだ」

 ああ、何を言ってるのかわからない。

 わからない。わからない。わからない――わからない。

 しかしその瞬間にも、上にのしかかっていた大男たちが、楓の服を破り、そして引き千切っていく。

「や、めろ……」

 ああ――駄目だ。それは……それは――

「やめろ……やめてくれ! やめろォ!」

 俺のことは殺してくれていい! だから、だからそいつだけは、そいつだけは――

「やめろ、やめろやめろやめろっ、やめろォ――!」

 どれほど叫んでも、絶叫しても、止まらない。

 足掻いても足掻いても、俺の手は届かず。

 そして……そこから先のことは、ろくに覚えていない。


 そして、気がつけば。

 高い丘の上。断崖絶壁の滝の上に、紐で縛られたまま立たされていた。

「俺は残念だよお兄さん。もっとなあ、あっさり殺してやりたかったが」

 ああ――何を言っているのか分からない。

 もうどこか、何もかもが、遠いどこかの話のようで。

「でもよお、しょうがねぇんだ。ガマンがならねぇんだよ。アッサリ死んじまったら」

 父は死んだ。母は死んだ。

 そして、俺も、これから死ぬ。

 ならば――あいつは――

「だからよ……アンタは溺れ死ね」

 あいつは……楓は、無事なのだろうか。

 そう思った瞬間に蹴り落とされ……そして、その直前。

 宗吾が持っているものが、はっきりと眼に入った。

 楓だ・・。髪を引っ張られ、少し濡れているが、それでも分かる。あれは楓だ。……しかし、どこかがおかしい。

 ――ああ。

 ああ、そうか……。

 首から下が、ない・・・・・・・

 首だけになって、眼からは血の涙を垂らして、髪を掴まれて。

 ああ……楓……。お前は、こんな風に……変わり果てて。


 父も、母も、死んだ。

 そして、楓も、死んだ。

 そして――これから、俺も死ぬ。

 ならば皆、同じところに行けるんだろうか?

 落下してゆく、不思議な浮遊感の中。

 俺は、そっと眼を閉じた。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 死んでいれば良かったのだろうか、と今でも思う。

 しかし、俺はなぜか死なず……なぜか、一人の人間に助けられ。

 死の淵から生還し、そして体力を取り戻して、再び自由に歩けるようになるまで、一年という月日を費やした。そしてもう一度、我が屋へと足を運んで……その変わり果てた様に愕然とした。

 燃やし尽くされていたのだ。

 きっと、鬼部宗吾の仕業なのだろう。あれはただの私刑。奉行の息子としてやったことではない。だから、証拠も残さず、全てを焼いた。

 ……否。ひとつだけ……ひとつだけ、残っていた。

 焼け野原の、その真ん中。

 かつて、妹と共にあった、桜の木の下で。

 杭に縛り付けられ、もはや骨だけとなったソレ・・が、あった。

「楓――?」

 一目で、理解した。

 そう。楓だ。これは楓だ。

 それは磔であった。四肢を固定され、焼かれ、骨だけとなっている。ふと……それを見つめていた嘉隆は、あることに気がづいた。

 切断面。骨に……断ち切った跡が、ある。

 彼女は――分断されていたのだ。

 手足を斬り分けられ、首も無く、そして心臓の真上には一本の刀。

「あ、ああ……」

 一体、どれほどの苦しみだったろうか。

 一体、どれほどの悲しみだったろうか。

 犯され、斬り分けられ、心臓に刀を突きたてられて、その上で、炎に焼かれ、焙られ殺された。

 想像できない。想像することすらもできない。その痛み。その苦しみ。その慟哭。

「あ、あぁ……あああぁあああ」

 何が間違っていたのだ。

 あの時、俺が拒否をしていれば。いいや、愛してやれば、男として愛してやれていれば。そのままどこぞへとなり逃げて、今でも二人、一緒に――。

 なのに、俺は生き、彼女は死んだ。地獄の如き責め苦を受けて。

「ぐ……っあああああああああああああああァァアアアアアアアァア――!」

 ああ、もしも、もしも逢えるなら。

 化けて出てくれていい。呪ってくれていい。地獄に堕ちろと、そう罵ってくれていい。俺のこの首を、その手で絞め殺してくれたって構わない!

 お前を、もう一度、この手で抱きしめられるなら――!

 ……しかし。どんないらえも、そこには返らない。

 死者は戻らないのだから。死ねば、待っているのは虚無だけなのだから。

 幽霊だとか亡霊だとか呪いだとか、そんな都合の(・・・・・・)いいものなど・・・・・・ありはしない・・・・・・

 ああ――

「楓……」

 サァ――と、一陣の風が吹いた。

 ぼろぼろと、骨が崩れていく。まるで、もう役目は終えたと言わんばかりに。

「楓――」

 ああ、待ってくれ。待ってくれ――俺は、まだ、お前に……。

 まだ何も、伝えていないのに。

「楓ェェェ――――――!!!」

 彼女は、風に解けるように攫われて、そして消えていった。


 それから一年は、流浪の日々だった。

 ただひたすら、復讐のための牙を研ぎ澄ますために。少しでも強い力を手に入れるために。たとえ百や二百の敵がいようと、それを蹴散らせるだけの強さが欲しかった。

 ……そして、その強さがあれば。

 あの日、最後に見た、楓の首。

 結局どこにも見つからなかったあいつの首。

 きっとまだ、鬼部宗吾が持っているであろうそれを、取り戻すことが、きっと出来るから。 

 斬って、斬って、斬って、斬って、斬り続けた。

 何故俺を生かす。何故あいつを殺した。

 彼女の、何が間違っていたのだ。

 彼女は、俺を愛していると言った。それが間違いだったのか? 優しく、強く、そして文句の一つも口にすることがなかった妹が、たった一つだけ最後に願った……それが罪なのか?

 ならば……俺は、それを憎もう。妹の愛を罪と断じた、その無慈悲な世界。無慈悲な全て。アイツを殺して笑っていた、名も知らぬ男共せかい

 涙はいらぬ。悲しみもいらぬ。愛も友も後悔も幸福も、全てが不要いらぬ

 師の言葉も、恩人の言葉も、その全てが流れ落ちて――灰になり。俺に残ったものは、ただ斬るという、ただ斬りつくしたいという一念だけ。

 ああ……ならば、俺は刀になろう。

 涙を流すことも、誰かを愛することも、俺にもう出来ないけれど。

 ああせめて――お前の為に、全てを斬ることだけは、きっと出来るだろうから。

 だから、俺は全てを斬る。お前を殺した、お前を穢した全てを殺す。

 刀を抜いた時、俺は一本の刀となり――そして刀に出来ることは、お前と同じころ苦しみを味しつわわせるくすことだけなのだから。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 全てを語り終えたとき、もう、陽は沈みかけていた。

 一面を炎のような紅が埋め尽くすその最中――いつしか俺は、その頭を抱かれていた。

 いつからそうなっていたのか分からない。ただ、ゆきの細い腕が、俺の頭を抱いている。もはや瞼が重なり合うほど近く、ただ強く。

「……嘉隆さん」

 何かが変わったわけではない。

 俺の半生を語り終えたところで、それは結局のところ、決意表明に他ならないのだ。

 刀を抜けば、お前を殺す、と。

 ある男が問うた「お前は人間なのか」という問い。あの時は答えなかった。しかし、答えは否だ。

 妹が死んだあの日、俺もまた死んだのだから。ここにあるのは、伊部正九条嘉隆べにざくらという名前の、ただの一本の刀。

 鞘に収まる間は、誰も傷つけることはないだろう。安らぎを与えることも出来るのかもしれない。しかしひとたび抜き放たれれば、与えることが出来るのは、ただ斬人の死。

 もう俺は、お前のために、涙を流してやることは出来ないけれど。せめて、お前を嗤った者を、お前を傷つけた者を、その頭蓋を、お前のところに手向けることだけは――。

 つう、と、頬に雫が落ちた。

 ああ、涙ではない。刀は涙を流さないから。

 見上げれば、それは少女の涙だった。それが、触れあった瞼を伝って、よしたかの頬を滑り落ちていく。

「貴方が涙を流さないなら……私が、涙をあげるから」

 その言葉は、嘉隆には理解できなかった。

「だから――」

 だから……

「……泣くことも出来ないなんて、駄目だよ」

 お前は、泣かなければ、きっと壊れる。

 それはかつて、命を救った恩人の言葉。

 楓……。父さん……。母さん……。

 みんな、いなくなってしまった。

 笑いあった日々。支え合った日々。共に泣いた日々。

 あの優しくて、愛おしくて、大切だった日々は、もうどこにもない。

 ああ……そうか。そうか――これは……とても……

 とても、悲しい。

 つう、と、頬に涙が流れた。

 そして、瞼を重ね合わせた二つの影は、強く、強く、もう一度重なって――


「……すまない。ゆきさん」


 とん、と首筋の裏に落ちた指先が、少女を瞠目させ……そして、意識を奪う。

「待っ――」

 しかし言い終えることもなく、全身から力は失われ、そのまま嘉隆の上に倒れこむ。

 ……少女の優しさは、身に染みて。

 瞼には、長く、長く触れることのなかった潤いがあって。

 ただそれでも……それでも、この身は一本の刀なのだ。

 ――伊部正九条嘉隆は気づく。少女が投げた最後の問い。「なぜ自分を殺さなかったのか」。その答え――至極簡単な答え。

 自分は、この少女には死んでほしくないと、そう思っている。

 彼女に似ている……ああそうだ。楓に似ている貴方を、死なせたくなどない。

 願わくばどうか、俺の届かないどこかで幸せになってほしい――。

 少女をそっと、木の下に寝かしつけ、立てかけた二本の刀を手に取った。

「鬼部宗吾……」

 ああ、その救いは身に染みたけれど。

 それでも俺は一本の刀で。

 この刀を燃やす憎しみは、涙では消せはしない。

「――これより、お前を殺しに行く」

 ああ楓――今から、お前を取り戻しに行くから。

「そこで……待っていろ」

嘉隆、過去編。相変わらずの駆け足ダッシュ。この過去にはまだ明らかになっていない部分がありますが、そのあたりは次幕、明らかになると思いますので。

ただ一人、鬼部家の屋敷を強襲する嘉隆。憎悪と復讐と、そして――。彼の裡に宿るものは何なのか。次回、ついに最終章。第五幕、剣鬼ノ果――どうかお楽しみに。

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