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第四幕 悲恋慕情(上)

 ――三春藩主、秋田肥季あきたともすえが家臣にして園守町奉行、鬼部籐吾朗……兇刃に倒れる。

 その報は、瞬く間に園守町を駆けまわった。しかし、鬼部氏の訃報について、生前のその行いとは裏腹に、町人たちが好意的に受け止めることはなかった。

 それが、剣鬼『血桜べにざくら』によってなされた、殺戮の一環でしかなかったがゆえに。

 そう……殺戮。

 この事件で亡くなった者の数は、六十を越えた。そのうち十は町の人間、何の罪もない町民である。

 その凄惨たる有様は、家にこもることで難を逃れた人々の口伝により、瞬く間に広がった。……かくして園守町は、一人の殺人鬼によって、混乱の渦に巻き込まれたのである。

 それが真昼間の出来事であったこともあり、町並の閑散とした有様は、鬼部氏の生前よりもなお酷いものであった。

 一人の少女が、そんな閑散とした昼の街並みを街道に抜ける。

 少し進み……不意に立ち止まったかと思うと、周囲に誰もいないことを確認して、林の中へと足を踏み入れた。


「……嘉隆さん」

 声に顔を上げると同時、右手を後ろに隠しながら、自分の名を呼んだその娘の姿を見やった。

「はい。これ、水です。あと、これは食べ物」

 ゆきは、水の入った水筒と、竹の皮で握りを包んだ弁当を、確認するように手渡した。

 礼を告げ、ありがたく受け取って、水を少し口に含む。

「……町の様子は、どうなってますか?」

 嘉隆の問いに返ったのは、わずかな沈黙だった。

 しかし、その沈黙そのものですら答えになってしまうことを悟ったのか、ゆきはかぶりを振った。

「昨日のうちに、藩からの応援、三百が町に到着したわ。それと鬼部宗吾が、血眼になって町中を捜索してる」

 剣鬼『血桜』の兇刃によって、鬼部籐吾朗は死んだ。六十の命を共連れに。

 ここに来てようやく、藩もその存在を認めたらしく、重い腰を上げた。都合二百という軍勢が、一両日の間に集結していた。

 その間、嘉隆は何もしなかったわけではない。

 何も、出来なかったのだ。

 鬼部籐吾朗を殺害した後、唐突に意識を失った嘉隆は、ゆきの手によって連れだされ、この林まで連れてこられた。

 連れてくる間、誰にも見つからなかったのは奇蹟と言えるだろう。あるいは、あの惨状を直視する余裕などなく、それゆえに見逃したのかもしれない。

 ともあれ、嘉隆は、およそ一日半もの間眠り続け、今日の昼になってようやく眼を覚ました次第なのだ。

 曰く彼女は、一日の半分以上を彼の傍に居て見守り続けてくれていたらしく、今もこうして、あれやこれやと世話を焼いてくれている。

 恐らく彼女がいなければ、今頃、嘉隆はとっくに死んでいたのだろう。

 それは、ひどくありがたい。ありがたいが、しかし……

「……どうして、ここまで?」

 それは嘉隆が、幾度も繰り返した問いだった。

 あの日のこと……夕方まで続いたあの死闘のことを、嘉隆は覚えている。いや、忘れるはずもないのだ。そもそもにしてあの時、自分は躁状態であったわけでも、狂乱状態にあったわけでもない。ただの正気だった。正気であった伊部正九条嘉隆は、六十人もの命を一刀のもと奪い去った。

 後悔などしていないし、当然ながら、ここで止めるつもりなど毛頭ない。

 だがしかし、なぜ、と思うのだ。

 自分は殺人鬼である。否定はしない。自分から話さなかったのは、自ら窮地に陥る意味などないからだ。殺人に喜悦を感じ、斬人を己が全てと盲信する人斬り。自分など、たったそれだけの存在だ。

 殺人鬼を隣人として、安らぐ人間などどこにもいない。

 当然のこと、当たり前のことだ。しかしその当たり前が、この少女には何故かない。

 眼を背けているということはないだろう。あの時あの場所に、この少女はいたはずだ。惨劇を目の当たりにしたはずだ。

 よもや彼女自身も、そこに喜悦を感じる、血に狂う女なのか。いや、そうは見えない。自分と同じ人種ならばきっと分かると、彼はそう確信していた。

 だから、なぜ、なのだ。なぜ、彼女は自分を庇うのか。自分を助けるのか。殺人鬼を隣人にしようとするのか。

「……そう、ね。それは……知りたいから」

「知りたい?」

「そう……知りたい。貴方がどうして、人を斬るようになったのか。どうして、あそこまで人を憎むのか。どうして、そんなに悲しそうな顔をして……どうして、私を斬らなかったのか」

 その問いのうちいくつかは、嘉隆には良く分からなかった。

 ……だけれど、嘉隆は小さくかぶりを振る。

「それを聞いて、どうしようと言うんです?」

 そう。結局のところ、それが分からないのだ。

 彼女が何を求めているのか。結果、どうなることを望んでいるのかが。

「慰めですか? それとも……復讐などと、浅ましいことはやめろ、と?」

 ああ、それは無理だ。

 自分で言って、そう思う。あの輝かしい日々を、あの優しい日々を、あの美しい日々を、どうやれば、一体どうすれば、否定することなど出来るだろう。

「……いいから。家に帰ってください。お父さんが、心配しているでしょう?」

 その言葉に……少女は、しかしかぶりを振った。

「私の父さんは……本当の父さんは、ずっと前に死にました」

「え……? じゃあ、あの人は……」

「……あの人は、父さんの友達。父さんが死んでから、ずっと私を護ってくれてる」

 その言葉に、嘉隆はじっと少女を見つめた。

 少女は、嘉隆と眼を合わそうとはしない。ただじっと、自分の指先を見ながら、言葉を続けた。

「今の義父さんが、嫌いなわけじゃない。ううん、大好き。でもね……でも。父さんは……」

 もう、いない――。

 その言葉が、ずしりと胸の奥に差さって、嘉隆の呼吸を止めた。

 もういない。その言葉の重さを、意味を、嘉隆はずっと……ずっと噛みしめ続けてきたから。

 それから二人揃って、ただ空を見上げていた。お互いに無言。何を聞くでもなく、何を話すでもなく、ただ空を見つめていた。

 ……そして、一刻ほどが過ぎたころ。ぽつり、と少女がこぼした。

「……父さんは、貴方みたいな人だった」

「私、ですか?」

「うん。剣のために生きて、剣のために死ぬ……。ただそれだけの人だった」

 ――曰く。

 彼女の父親は、恐らく強者の類だったのだろう。

 十人も二十人も、斬って斬って斬って、斬り続けた。己が最強を証明するために。

 やがては藩の指南役にも指名され、妻を娶り、そして娘を設けた。

 しかし、剣士は、家族を持っても剣士のままだった。

 剣士は斬ることをやめなかった。一人、二人、また一人。勝負を挑まれては斬り、勝負を挑んでは人の命を奪った。

 ……しかし、そうであればあるほど。誰かから恨まれるということは、とてもよくあることだ。

 ある日仕合に呼び出され、待ちぼうけを喰らった剣士が家に帰ると、妻が血に沈んでいた。

 よくあることだ。とてもよくあることだ。

 しかし、剣士はそれでも止まらなかった。復讐のために剣を取り、復讐のために殺し、そしてまた殺した。復讐とは関係のないところでも、また殺した。

 殺して、殺して、殺して。

 そして当たり前の話だが、いずれは終わりが来る。

 ――破綻。ある日、その剣士は、流れの浪人にあっけなく敗れ、そして命を落とした。

「父さんは、戦ってる間……ずっと何かを背負ってるようだった。誰かの命、誰かの過去、誰かの死……何かを背負ってるような顔で、背中で戦ってた」

 けれど、妻を失って……そして、何かが変わったのだろう。

 その何かは、復讐が終わっても消えることなく。ただ、ただ男は殺し続けた。

「何も言わなかったし、何も語らなかったけれど。……そう。ちょうど、貴方みたいな……」

「…………」

 そっと、肩が触れた。

「……別に、話してくれなくってもいいの。でも……知りたい。貴方が、どうして戦うのか」

 そして、父が、どうして戦ったのか。

 嘉隆は少女の心の裡にそう付け足して、そして空を見た。それはかつて愛おしみ、そしてかつて憎んだ蒼。

 眼を閉じる。

 そうすれば、あの時の……お前の笑顔も思い出せるだろうか――?


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……ま。……起きてください、兄様あにさま

 うららかな、優しい日差しに眼を開けば、そこはかつて見た桜の庭だった。

 美しく桃色の桜が咲き乱れ、その下で……自分は、少女の膝の上で眼を覚ました。

 呆然と、少女の顔を見つめる。儚げで端正な顔立ち。美しく流れる長い黒の髪。優しげな瞳。そこにあったのは、妹、九条楓くじょうかえでの姿に相違なく――。

 あまりにも呆然と見つめていれば、ふふっ、と小さく少女は笑った。

「どうかしましたか、兄様? 私の顔が綺麗で、見惚れてしまいました?」

「ん、ああ……そうだな」

 ごく普通に返すと、「えっ」と驚いたように少女は眼を見開いて、次の途端、真っ赤に頬を染めた。

「も、もう兄様……。いつもそうやって、楓をからかって……」

「え? いや……そんなつもりはないんだけど」

「嘘ですっ、ありますっ! もう、兄様の馬鹿っ、馬鹿馬鹿っ!」

「い、痛っ!」

 顔を真っ赤にしてぽかぽかと頭を殴られたので、仕方もなく嘉隆は体を起きあがらせて回避。

 さらに、相変わらず真っ赤なまま追撃を仕掛けようとした妹を制し、「うりゃっ」と両腕で抱きとめた。

「わっ、わわっ、兄様……っ! い、いきなりなにを……!」

「何って、可愛い妹を抱きしめてるんだけど」

「か、かわいい……」

 白磁のような頬が、再び、ぼっと茹であがったように真っ赤に染まる。

 しばらくじたばたと暴れていたが、よしよしと頭をなでると、急速に大人しくなっていく。

「そ、そうやって……兄様はいっつも私を弄んで……」

「弄んで……って、ひどいなあ。だから、俺はいつも妹を可愛がっているだけなんだが」

 苦笑すると、妹にもそれが伝わったのか、はあ、と胸の中で溜め息を吐いた。そのついでに、こちらの背へとその細い腕を回す。

「こうやって甘やかされていると……楓は、もう兄様から離れられなくなってしまいます……」

「こらこら。お前にはいつか、い人を見つけて幸せになってもらわないと」

「要りません。必要ないです。大体知っていますか兄様。父上の持ってくる見合い相手と言えば、大抵趣味が悪いか気持ち悪いかのどっちかで……」

「そう言うなよ。父さんも、お前に幸せになってもらいたい一心なんだから。この間の人なんか、結構いいんじゃないかと思ったんだけど」

 いつものことながら、男嫌いというか……どうも異性の前では素直になれないのか、いつも袖にしてしまう。求婚されたことは幾度もあれど、どれもこれもけんもほろろといった風情だ。

 正直本気で心配してしまいもするのだが――

「……私は、兄様さえいればそれだけで十分ですから……」

「ん、なんか言ったか?」

 いえ、と首を振るのを見て、嘉隆は再び苦笑した。

 まあまったくもって、兄にべったりすぎるところを除けば、本当にもったいないほど良い妹で……そう。兄妹仲は、本当に良かったのだ。

 あの日、あの事件が起こるまで。


 それから、三月ほどの時が流れ――。

 夜半。皆が寝静まったころに、こっそりと、妹は嘉隆の部屋へ訪れた。

 最初は驚きこそした嘉隆だったが、妹が、今にも泣き崩れそうな顔でしがみついてくるのを見て、追い返せるはずもなく……

「……どうかしたのか? 楓」

 彼女が落ち着いた頃合いを見て、嘉隆はそう声をかけた。

 ぴくり、と震えた楓は、しばらくの間沈黙していたが……やがて、絞り出すように告げた。

「私の……縁談が、定まった、と。父上に……言われました」

「定まった? ……結納の相手が決まったのか?」

 こくり、と妹は頷いた。

 ならばどうして、そんな怯えているのか。相手はお前の望んだ人なんだろう、と嘉隆が告げると、しかし楓は首を横に振った。

「違う? そんな……じゃあ、お前は承諾していないのか?」

「……はい」

 馬鹿な、と思う。

 父と母の性格は知っている。あの人たちは、楓の幸せを第一に考える人だ。そんな人たちが、と唖然としていた嘉隆に、楓は一層の力を込めて、告げた。

「その相手が……あの、鬼部様なのです」

「鬼部? それは……園守町奉行の?」

「はい。先方がどうしてもと……それで、父上は断り切れず……」

 ならばお前は、お前の愛していない誰かと、人生を添い遂げなければならぬのか。

 震える体でしがみつく妹に……しかし、嘉隆は、何もすることが出来なかった。

 相手は町奉行。いくら名のある門派とはいえ、容易に逆らえる相手ではない。父の苦悩、父の悔しさ……それが分かる。

 彼として出来ることは、ただひとつ。こうして、妹を安心させるため、ずっと抱いていてやることだけ。ただ、兄として――。

 しかし。

「……だから、兄様」

 はらりと、帯が落ちた。

「私は……嫁ぎにいかねばなりません。だから、兄様」

 少女の細い指が、振袖の襟を降ろしていく。少しずつあらわになっていく、白磁のような……しかし朱に染まる少女の肌を、嘉隆は、何も出来ずに唖然と見守った。

「……私を。どうか……私を、抱いてください。兄様」

 ……果たして、このとき、どうすればよかったのだろうか。

 首を横に振り、そんなものどうなると言えば良かったのか。血の繋がった兄妹でなどと、とただ拒否すれば良かったのか。

 しかし、いずれも出来なかった。それが兄としての情なのか、それとも男として情であったのか。今でも、嘉隆には分からない。

 楓は、何度も、兄様を心の底から愛していますと、そう告げて。

 ――そして、俺たちは罪を犯した。

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