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第三幕 血染ノ桜(下)

※グロ描写が御座いますのでご注意ください。

「伊部正、九条、嘉隆よしたか……だと……」

 馬鹿な、まさか、嘘だ、ありえない。

 鬼部籐吾朗は、籠の中で膝を抱えて呟いた。

「あいつが……ありえん……生きていたなど……」

 ありえるはずがない!

 声に出さない絶叫が、狭い籠の中で反響していく。

 しかし今、この眼で見た奴の姿。髪は雪のように白かったが、しかし、あの造形。そして和泉一刀流。そうだ、伊部正……何故気づかなかったのだ、何故……。

 何故、奴が血桜べにざくらであることに。

(馬鹿な! ありえん! 奴は死んだはずだろうが……!」

 亡霊、という言葉が心の中で渦巻いた。

 しかし、奴は肉を持ち、こうして自分を殺しに来た。

 そう……殺しに来た。

「嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……!」

 しかし、権利はある。奴に俺を殺す権利は、確かにある。

 ああ――

 籠の中で、がくがくと震えながら、ひたすらに祈る。

 ああ誰か、俺を助けてくれ。

 俺は何も悪いことなどしていない、だから……。

 ――そして真実、鬼部籐吾朗がこの時点できることは、それが全てであった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 剣戟に次ぐ剣戟が、大気を激しく鳴動させた。

 凄絶の一言で済ませるには、それはあまりにも鮮烈で、そしてあまりにも人の理解からかけ離れていた。

 嘉隆が一瞬において繰り出した斬撃は確かに四つ。しかしその全てを、前園伊織はかわし、弾き、そして時に迎え撃つ。

 空気が軋み、大地が震える。それほどの衝撃を以て激突する二人は、もはや人智の域を超えていた。

「ハハハハ! いいねいいねぇ、アンタ強ぇよ、最高だ……!」

「同感だ――クッ、ククク……ッ!」

 言葉を交わす間にも、見えない斬撃が飛び、そして見えない斬撃が防がれる。一進一退の攻防の最中、その一瞬、嘉隆が圧力に押されるように一歩下がった。

「もらうぜェ――!」

 容赦もなく追撃をしかけた伊織に、嘉隆は薄く嗤った。

 無論、そんなものは罠――。

「和泉一刀流――弧月返こげつがえり」

 追撃すべく大上段から振り下ろされた伊織の刀撃に、嘉隆は逆に踏み込んだ。

 一気に間合いまで踏み込んでの最速の剣撃が、振りおろされる刃の付け根、すなわち指を駆るべく袈裟に弧を描き――

 しかし無理矢理にそれを静止させる形で軌道変更させた伊織は、すんでのところでその刃から逃れ得た。

「てめェ……マジで人間かよオイ……」

 肩で息を吐き、それでも薄く笑う伊織に、同じく薄く嗤った嘉隆は再び刀を構えた。

 それは互いに同様。剣を突きつけ合う形となった二者は、しかしお互いに嗤っている。

「フフ……ハハハ。強いですねえ。楽しいですねえアナタ。やはり殺し合いは、こうでなくっちゃいけない」

「ハッ! なるほど……アンタ、本物の殺人鬼ってやつか、血桜よ」

 かくして、激突――。

「はああああアアアァァッ!」

「うおおおおオオオォォッ!」

 瞬く間、互い繰り出した剣撃は十を越えた。その全てが空中で激突し、こすれ合い、火花を散らしては弾け飛ぶ。

 無論そんな勢いで刀などぶつけ合っては、一合で使いものにならなくなるに違いない。それでもなおぶつけ合うのは、そうはさせない互いの卓越した力量。そして、潰れてしまっても構わない、それでもこいつを殺すというただ執念――!

 袈裟に迫る斬撃を、嘉隆は滑らす形で軌道を変え、返す刃で首を薙いだ。

 しかし弾かれたはずの太刀がいつの間にか伊織の手元に戻っており、刃があっさりと弾かれる。

 圧倒的な重量を持つ大太刀を、ああまで軽々と扱うとは空恐ろしい膂力だ。しかしその反面、力に頼るがゆえの粗削り。そこを突こうと刃を振るえば、しかし圧倒的な力で押し返される。

 力の伊織、技の嘉隆。いや、より正確に言えば、間合いに勝る側と、それを削る側か。その図式の中で、それゆえに状況は硬直していた。

(ならば――)

 振り下ろされる、再びの大上段。

 弾くのではなく体をずらし、今度は詰めるのではなく距離を取った。互いの距離、およそ一間。

 そして、その場で嘉隆は静かに構えを取る。その構えは――突きだ。


(なに……?)

 伊織は困惑した。

 嘉隆のそれは、確かに突きの構えだった。というよりも、突く他に選択肢がない。それが分かっていて、易々と貫かれてやるほど、彼は安くないつもりだった。

(それが分かっていない? いや……)

 そうではない。恐らく……その突きにこそ、絶対の自信があるのだ。

 絶対に避けられない。断言できるほどに圧倒的な速度で突く。奴の狙いはそれか。

 確かに、効果的だろう。最も遠い距離から届くそれは、間合いの差を覆す唯一の方法だ。

 しかし、奴は気づいていない。俺を相手にしたやつは、必ず最後にそこに辿りつくということ。――即ち、それに対する反撃を、俺が最も得意としているということ。

 にやり、と小さく嗤った。

 易々と貫かれてやるほど、俺は安くない。

 対する構えは青眼だ。突きが狙うならば顔面……それか喉。どれほどの速度の突きだろうが、必ず避けてみせる。そしてその時は、返す刃で奴を叩き斬ってやる。

(……そうだ)

 そう、勝利。それだけが、俺の全て。

 ――張り詰めるような、ギリギリの緊張感の中。

 ここに来て、二人は完全に静止した。

 片方は突き、片方はそれを受けて立つ青眼。しかし状況だけ見れば、嘉隆の不利は圧倒的であった。

 そして、ひたすらに沈黙が流れ。

(――ッ!!)

 音もなく――

 しかし圧倒的な速度を以てして、銀光は間合いを駆け抜けた。

(速いッ!)

 その速度に伊織は瞠目した。しかし……もはや捉えているッ!

 停滞する時間の中、全力で首を軌道から逸らす。そして――

「もらったァ――!」

 突きの軌道から外れたと確信した瞬間、返す刃が横に跳ねた。

 染まる鮮血。ここに、両者の闘いは決着し、かくして『血桜』は潰えて――

 しかし。その確信から、返る感触はなかった。

(……っ!?)

 どうなっている。わけがわからない。確かに突進してきた奴を、この刃で貫いて……いた、はず。

 そこで、ようやっと気づく。

 確かに突いてきたはずの刀が、しかしそこには存在しない。いつの間にか消えている。即ち、これは――

「和泉一刀流――奥伝」

 己の下、懐から聞こえてきた声に戦慄する。

(罠、だと……!?)

 即ち。奴は、突きながらも己の体は下へ下へと、そのまま懐へ潜りこんだ。そしてその突きを、頭に届くよりも前に引き戻し、薙ぎ払われた一撃を下へかわした。

 そのために必要だったのが、一間という距離だ。突きを引く余裕を残しつつ、しかし確実に懐に潜り込めるだけの、相手と自分の力量を完全に把握した、絶妙な間合い――。

 俺は奴が突いてくると確信していたがゆえに、奴の突きの先端にだけ集中し、それに気づかず……そして、振り抜いたがゆえにもう反応できない。下から迫る、死を纏った断頭の刃に。

「――揺落ゆらぎおとし」

 宣告と共に、前園伊織と呼ばれた男の意識は、この世から消滅した。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 かくして、凄絶な殺し合いは終わりを告げ。

 前園伊織の首が落ち、そして血が噴水のように噴き出したのを見て、ついに兵士たちは瓦解した。

 腰を抜かすもの、逃げ出すもの、痴呆のように空を見上げる者。

「は、ハハハ……アハハハハハハハハハハハ――!」

 鬼の哄笑の元、その全ての首が落とされていく。

 一人、また一人。

 逃げる者から首が落ち、そしてやがて抵抗する者の首も落ち、かくして心壊した者の首も落ちた。

 殺人鬼。

 その形容しか、もはやそれには存在しない。

 全ては赤に染まっていく。

 狂笑だけの響く深紅の世界。しかし、彼は狂ったわけではない。壊れたわけでもない。ただ(・・)伊部正九条嘉隆は・・・・・・・・最初からこう・・・・・・であっただけの話(・・・・・・・・)

「血、桜……」

 鬼部籐吾朗は、ようやっとその言葉の意味を知った。

 落ちた首は桜の花びらで。

 噴き出す血は、きっと桜の木なのだ。

「あ、ああ、あああああ……」

 でなければ、理解など出来ない。出来るはずもない。

 血が流れ、流れて、死臭ばかりが満ちていく。もう、この大通りには、生きている人間など一人もいない。すべて、すべて死体さくら……首のない、死体さくらの群れだ。

 こんな光景はありえない。こんなことなどありえるはずがない。何故だ。何故、何の関係もない民草まで斬り殺すのだ……?

「決まっていますよ、籐吾朗さん」

 べちゃり、と。

 全身を返り血に染めた剣鬼の足音に、鬼部籐吾朗は心の底まですくみあがった。

「僕は、ただの刀だから。だから、抜けば斬る。ただそれだけのことです」

「なっ……何故だ……何故、……わしを殺せれば、それでいいのでは、ないのか……」

 このとき、鬼部籐吾朗にあったのは、目前の理不尽に対する、ただ単純な疑問だった。

 何故人は死ぬのか。何故、人は死ななければならないのか。それを死神に問いかけるのにも似た、そんな疑問だった。

「もちろん、殺しますとも。まあ順番としてはどちらでもよかったのですが、こちらは少々手間取りそうだったので」

「九、条……」

 ああ、分かってしまった。知ってしまった。気づいてしまった。

 こいつはもう駄目なのだ、と。

 もう終わっている。かつての九条嘉隆と呼ばれた人間は、もうどこにもいない。その髪の色と共に抜け落ちてしまったのだ。

 眼の前にいるのは、ただ鬼。

 怒りと、憎しみと、そして絶望ゆえに堕ちた、それは剣鬼。

 それを理解したがゆえに……鬼部籐吾朗と呼ばれた人間は、誰に言われずとも、己の死というものを確信した。

「すま……な、かった……」

 ゆえに、このとき、鬼部籐吾朗の口から洩れたのは保身ではなく、純粋な……そう、西洋に言う神への祈りにも似た、純粋な懺悔だった。

「すまなかった……。お前の妹の、ことは、本当に……すまなく思っている。ああ、そうだ。本当にどうかしていた。あの時の私は、私たちはっ、本当にどうかしていたんだ……っ!」

 その吐露は本心だった。

 しかしその吐露を見下ろす剣鬼は、何のいらえも返さない。

「ああ……すまなかった。すまなかった! 私は、私はっ――」

「別に、構いませんよ。そんなに謝られなくても」

 くすり、と、剣鬼は嗤って――

「貴方が謝ろうと、楓が帰って来ることはありませんから」

 そうして、ざくり、という音と共に、鬼部籐吾朗の片腕が落ちた。

「あ、が……っぁあああぁあああっ!!」

 激痛が全身を走り抜け、左腕のあった場所を抱えて絶叫する。

 血がぼとぼとと流れ落ち、眼から勝手に涙が滴る。

「あまり啼かないでくれませんか……。豚の鳴き声というのは――耳に障る」

 そして、右足が落ちた。

「あっ、あ、うあああぁあ……っ! う、ああ、うぅぐ……」

 再び激痛にもだえながらも転がって、暴れ回る。

 そしてそれを見下ろす視線は、零度よりもなお冷たい。

「ああ……どうです? 痛いですか? 楓のやつも、こんな風に苦しみましたか?」

 憎悪。

 それは憎悪だ。憎悪以外の何者でもない。

 殺気などよりも遥かに暗く、重く、それゆえに抗いがたい憎悪の闇。

「待て……待ってくれ、私は、私は――」

 その言葉の終わるよりも前に、右手の人差指を、刃が両断した。

「あああぁぁああがっ!」

 再びの悲鳴に、しかし転がることもできない。その体を、剣鬼の血に濡れた足が踏みつけていたからだ。

 ぎしぎしと、骨ごと軋むような音に、鬼部籐吾朗は苦悶の声を上げる。

「ああ痛そうですねえ……痛そうだ。ねえ籐吾朗さん」

「あっ……ああっ、痛いっ、痛いから――もう……」

 その声に、クッ、と剣鬼は嗤った。

 そして、美しい波紋を描く妖剣が、血に濡れたまま男の首へと押し付けられた。

「そうですねえ……僕は優しいから、なんだったら、さっくりと終わらせてあげてもいいんですが」

 その前に――と、剣鬼は足に力を込めた。背骨がさらに音を立てて軋む。

「ひとつ答えてください。妹の……楓の首は(・・・・)どこにある(・・・・・)?」

「っ……!」

 その言葉に込められた途轍もない憎悪の深さに、押しつぶされるようにして籐吾朗は息を詰まらせた。

 さらに背を踏む力はこめられ、骨は軋み――

「しっ、知らない……! 本当だ、本当に、私は知らなっ……あいつが、宗吾が、勝手に……っ!」

 スッ、と目の前を銀線が横切ると同時、中指が宙に飛んだ。

「――っ!!!」

 もはやわめく余力もなく、襲い来る激痛に、脳がショートする。

「知らない……ですか……」

「本当、なんだ……本当なんだ! 本当に私は知らない!! あの女を八つ裂きにしたのだって、私は、何も……!」

「そう、ですか……でも、想像は出来るんじゃないですか?」

 再び銀線が閃いた、薬指が飛ぶ。喉の奥のそれはもはや悲鳴にもならず、痛みがひたすら脳髄に流れこんでくる。

「あいつの痛みはねぇ、こんなもんじゃなかったと思うんですよ。こんな……こんなもんじゃ……」

 言いながら、小指、親指とが続いて落ち、そして最後に手首が丸ごと分断された。

「が――っ! ひっ、――っ」

「こんなね……こんな……こんな、こんな、こんなこんなこんなこんなこんナコンナコンナコンナァッ!」

 ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ。

 刀が振り下ろされる解体作業・・・・は、ただひたすら続いていく。

 男の、狂気に染まった、ただひたすらの慟哭と共に――。

さて、上下編となった第三幕、完結です。

展開が早くて申し訳ない。ただ、今回の作品は一話完結の短編として書いてたはずなので速足です。申し訳ない。

狂気に駆られる剣鬼、伊部正九条嘉隆。描写されているように、狂ったのではなくこの男は最初からこうです。果たして彼は変われるのか……嘉隆の「終わりの始まり」を描いた次回第四幕、悲恋慕情――お楽しみに。

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