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第三幕 血染ノ桜(上)

「帰ったぞ、宗吾そうご

 その声に、男――鬼部きべ宗吾は振り返った。

「……親父か」

 そこにいたのは、己の父、鬼部籐吾朗とうごろうだ。

 正直なところ、この豚と血縁関係があるということを、宗吾はまるで信じられなかった。つきすぎた脂肪は、もはや動きすらも阻害している。

 とはいえ、特別嫌っているわけでもない。一応、好き勝手やらせてくれている本人だ。感謝しないこともないものだ。とはいえ、父自身も好き勝手にやっているのだから、責められる謂われもないが。

 そしてその後ろには、まるで死神のように無表情な男がいた。前園まえぞの匡康ただやす。三春藩で一二を争うと父が言ってはばからない、前園兄弟の兄だ。

 事実、奴らの常識外れの実力は知っていた。並の剣士なら束になっても太刀打ちできないだろう。上物の剣士でも、奴を越える剣士など見たことがない。

 いや……確かに、似たような実力を持つ剣士ならば、一人、記憶の片隅にはあった。

 しかし今となっては、奴はもういない。死んだ人間と生きている人間を比べたところで、意味などあるはずもないだろう。

「留守中、何か変わったことはあったか?」

 父からの問いかけに、「いや」と答えそうになりながら……止めた。

「そういえば……一つ面白い話を聞いたな」

「ん?」

 にやり、と頬を歪め、宗吾は呟くように言った。

「街道で、ごろつきらしい奴らが十人、まとめて斬られてるのが見つかった。あんまりに鮮やかな手口なんでね。例の殺人鬼……なんていったかね?」

「……血桜べにざくら、で御座いますか」

「そうそれ。そいつじゃあないか、って言ってたぜ」

 前園兄の言葉に頷いて、嫌な笑みを崩さないまま宗吾はそう告げた。

 剣鬼『血桜』。そいつ自身はなんとか正と名乗ったらしい。六十人かそこらを一晩でバッサリと殺し尽くし、全員の首を刈り取ったって噂の殺人鬼だ。

 だがコイツのいかれてるところはそこじゃない。ソイツは、自分と殺し合いになった奴だけじゃなく、見学してたなんでもないガキや女まで丸々殺し尽くした、とかいう噂のイカレ野郎だ。

 とはいえ、所詮噂だろうと思っていた。そこまで信用のおける情報じゃあない。全員殺し尽くしたならどうして噂なんてものが出てくる。どうせ尾鰭背鰭のついた眉つばだろう。

 もっとも宗吾としては、父はともあれ、この鉄仮面野郎の動揺した顔でも見られないか、と思って発した話題である。しかし、やはりまったく収穫などないらしい。

「血桜、ねぇ……事実かどうかはともかく、うちの前園兄弟に敵うやつなんぞおらんよ」

 ふん、と籐吾朗は鼻を鳴らし、どしどしと廊下を進んでいく。

 まあ宗吾としてはまったく異論などない。

 ただ思うに……もし血桜とやらがいるのなら、そいつはどんな奴なのだろう、と思いめぐらして。

 自分らしくない、その脈絡のない思考に、宗吾は首を傾げたのだった。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 街道を歩く嘉隆よしたかは、どうしてこうなったのだろう、と首を傾げていた。

 あの後、百鬼夜行のおかげで外は危ないという話になり、結局のところ夕餉を馳走になってしまった挙句、なぜか寝床まで提供されてしまった。

 さすがにそれは申し訳ない、と訴えはした。しかし、ゆきとのいくつかの問答のあと、彼女の父、又兵衛の「俺も酒呑み相手が欲しいねぇ」という一押しに、最終的に押されてしまったのである。

 そして、今。

 昼となった今も、なぜかゆきに連れられ、町の茶屋などに腰かけているのは、まったくもって何故なのか。

 無論せがまれてまたもや仕方なく――なのだが、自分は果たしてここまで押しが弱かっただろうか……などという自問に、思わずため息を吐いてしまう。

「どしたの、嘉隆さん? 溜め息なんか吐いてると幸せ逃げちゃうよ?」

「いえ……」

 根本的に、だ。この女性は、どうしてここまで自分にかまうのだろう。

 目の前で、あれほどの惨劇――と自分で言うのも何だが――が起こったのだ。むしろ怯えてしかるべきのはずではないか。

 しかし、今眼前に映る少女の表情には、幸せそうに団子をぱくついている、以外の表現がまったく思い浮かばない。不思議だ。不思議すぎる。

 まあ、別に怯えてほしいわけではないのだが……。

「ほふかひた?」

 頬張りながら改めて問う少女に、小さくかぶりを振って、嘉隆は疲れたように溜め息を吐いた。

 こういう手合いは本当に困るのだ。恐らく彼女には伝わらないのだろうが、さっさと終わってしまえと思わないでもない。

 まあもっとも、それならそれで、別に構わないのだろうが……。

 ……と。ざわめきと共に、突然人波が割れるようにして、慌てたようにめいめい物影へと姿を隠していく。他人の家に入りこむ人間も見て取れた。誰もが慌てふためいて、一斉に物影へと隠れる。

「まずっ……!」

 そしてそれは、隣の少女も同じだった。

 遅れてばっと立ち上がり、茶屋へと駆けこもうとして……相変わらず動いていない嘉隆の手を引っ張る。

「こっち! いいからこっち来て……!」

「え? ああ……」

 しかし言い争っている間にも――街道の向こう。

 歩いてくる、何人かの列が見えた。

 昨日見た、例の百鬼夜行。それに囲まれるように、中央、煌びやかな籠が見えた。

「っ……」

 しまった、という呻きと共に、少女は嘉隆の手を引いてひれ伏した。

 しかし、嘉隆は反応しない。まったく無反応のまま茶を一啜り。既に平服している少女は、生きている心地もせずに顔を青ざめた。

 大通りの左右には、ゆき達と同じく、逃げ遅れたらしい人々が地面に平服していた。

 そのひとつひとつを、すだれの向こう、籠に乗った男の目が、見定めるように視線が這う。

 ……そして、その目線が、はっきりと嘉隆たちを捉えた。


 クフフ、という笑い声と、そしてすだれの奥から伸びる指先。それが、はっきりとこちらを捉えていることをゆきが知ったとき、確実に恐慌してしまいそうだった。

 ああダメだ。もうダメだ。

 今度のこれは、前の比ではない。確実な終わり。冷たいそれが、背筋を這っていく。

 がしゃがしゃと音を立てて、兵士たちが駆け寄って来る。それが、自分たちの目の前で止まった。

 ああこの感覚。終わりだ、という絶望が、ひそやかに胸を這うこの感覚。

「立たせろ」

 がっ、と強い力で、無理矢理に立ち上がらされた。気がつけば、両側から腕を抱えられている。そして眼下には、変わらず茶を啜る編笠の男。

 ああ、どうして? なぜ? なんなのか?

 恨めばいいのか。それとも罵詈雑言でも飛ばせばいいのか。

 貴方のせいでこうなった。貴方のせいで私は死ぬ。そう告げればいいのか。

 分からない。この男は一体何を考えている?

「……一つだけ聞いておこう」

 気がつけば、周囲は十人ほどの長槍を持った同心たちに包囲されていた。

 もはやどこにも逃げ場はないその只中で、嘉隆は変わらず茶を啜る。

「何故ひれ伏さぬ? それがどういう意味を持つか、分からぬわけではなかろう」

 その問いを発した男は、恐らく足軽大将らしかった。唯一、槍の先に飾りがついている。

 そして、その問いに答えたのは――クク、という、小さなわらい声。

「フッ……クク、ククククッ……」

 茶を盆に置く間も、その笑いは止まらない。

 がしゃり、と周囲の足軽たちが一斉に槍を向けた。

「ひれ伏す、ですか……。フフ……本当に、本当に貴方は変わっていない……変わっていないなァ……」

「貴様――」

 その言葉を、言い終えるよりも早く。

 ころり、と、ゆきのすぐ目の前にあった首が、なくなった。

和泉いずみ一刀流いっとうりゅう

 そして、埋め尽くされる赤。

紅葉くれは落とし――疾風(はやて)ろく

 ――かくして。

 彼を取り囲んでいた十人は、一瞬で首から上を喪失した。

 

「クッ……ハッ、ハハハハ――ッ!」

 響いた哄笑。深紅の血を撒き散らし、くずおれる首無し十体。

 深紅の血が円を描いたその中央で……鬼は、高らかに哄笑した。

 誰も口を開くことの出来ない、濃密な死臭の中で、四十からなる行列もまた沈黙に呑まれていた。

 槍の距離を以て包囲していた十人が、よもや一瞬で、それも刀しか持たないはずの男に殺傷されたのだ。ありえない。ありえるはずがない。

 しかしその只中。全身に血を浴びたゆきは、真っすぐに男の背後へめがけて走っていた。

 あるいは、こうなるかもしれないと思っていたのもある。そして、以前の経験……あの時に学んだもの。この男は恐らく、目の前に立つ全てを敵味方関係なく(・・・・・・・)殺傷するであろう、という確信。

 転がるように殺傷圏から免れた少女は、そのまま物影に身を隠す。

 嘉隆は、だらりと剣を下げて、今もなお空を仰いで哄笑していた。そして一歩、また一歩と、行列に向けて歩を進めていく。

 しかし対する彼ら。彼らもまた、やはり戦闘のプロであった、と賞賛されるべきであろう。

「落ちつけ! 取り囲んで殺せ!」

 慌ただしく言葉が飛ぶや、四十のうち二十が周囲を囲むべく散開し、残る二十が籠を護るように槍を構えた。

 男の歩は止まらない。対する兵たちは、プロとはいえやはり人。一瞬で十人を殺傷した怪物に、恐れがないと言えばそれは否だ。

「かかれェ!」

 合図と共に飛び出した包囲陣形は、たった一人を塵殺おうさつせしめんと詰め寄る。

 男が怪物であればこそ。そこには、遠慮や手加減、躊躇などというものは一切存在しなかった。その点において、まさしく主の護衛を任される練達兵であると賞賛できる。

 しかし、想定外が一つ。

 それは、男の怪物度合いが、まったくもって常軌を逸していたことである。

 四方八方から突き出される槍衾やりぶすま。常人にしてみれば、一片の生存も許されない絶対的な死。しかしそれを、男は地を這うことであっさりと避けた。

 そして――。

「和泉一刀流……蛇土竜へびもぐら

 放たれた斬撃は地を這って、そして正面から槍を突き出していた男の喉を貫いた。男は包囲網から脱出を遂げ、かくして乱戦に突入する。

 しかしそうなってしまえば、もはや彼の独壇場であった。

 音も形もなく舞う斬撃が、腕を斬り、胴を薙ぎ、首を落とす。そこに一切の乱れはない。一瞬きの間に描かれた三つの残影が、対する者を三つに分解した。

 常軌を逸した男の剣舞は、ひどく美しく、しかし圧倒的な惨劇を以て幕を落とす。

 ――かくして、二十人からなる包囲陣は、瞬く数分の間に、細切れの肉塊と化した。

「馬……鹿な……」

 ああ馬鹿馬鹿しい。目の前のこれは現実なのか。

 悪鬼。剣鬼。まだ生ぬるい。それはまさしく天災だ。人の法、人の理で抗えるそれではない。であればどうする。逃げる? しかしそれでは、一族郎党が路頭に迷い、悪くて打首獄門。

 ああ許せるわけがない。そんなものを、許せるはずがない。

「ぐっ……」

 しかし、眼前の剣鬼が放つ殺気は、そんなちっぽけな矜持など丸ごと吹き飛ばしてしまえるほどに濃密であった。

 逃げるわけにはいかない。しかし、足が動かない。

 それは彼だけではなく、周りを囲む全員が同じだった。

 そしてそれゆえに――

「……あーあー、情けないの。全員がビビっちゃってさあ」

 いつもは憎たらしいその声が、まさしく天の声にも聞こえた。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 それまで、一切足を止めなかった嘉隆は、そこに来て初めて足を止めた。

「……ようやく、ですか」

 それは、大通りを囲む家の上。軒につまらなさそうに腰かけていた男は、しかしにやりと笑いを浮かべて、大通りへと降り立った。

 端正な顔立ちと、細身の体。しかし、その手に持つ得物が異様であった。

 それは恐らく、三尺を優に超えるであろう大太刀。男の身長はごく平均的であるがゆえ、あまりにも不釣り合いに見えた。

「いやー、アンタ面白いねえ。まさか、こんな往来のど真ん中でさ、ウチの大将獲っちゃう気?」

 にやにやと笑みを浮かべる男に、同じく、嘉隆は嗤って返した。

「貴方が降りてこないようでしたら、ええ、ばっさりとやってしまおうかと」

「おっ、お、おおお前! 遅、遅いではないかっ!」

 その声は、今の今まで籠の中で縮こまっていた、大将とやら本人である。

 ちらりとそちらを見やるや、男はひらひらと手を振って、再度嘉隆へと視線を戻した。

「つーことはあれだ。最初から気づかれてたわけだ。やーねー怖い怖い」

 そう言いながらも、その表情には余裕の他には見てとれない。

 しかし――

「でも俺嫌いなんだよねぇ。そういう、余裕綽々よゆうしゃくしゃくな奴って」

 ドゥッ、と発せられる殺気が倍化した。

 それは今もなお濃密に発せられている嘉隆のそれと等価であり、籠の中からは「ヒッ」といううめき声が聞こえた。

 無論、それを気にする者など誰もない。今はもう、この二人の男の決着が全て――。

「名乗れや」

 大太刀の鞘を投げ捨てて、不敵に男はそう言った。

 同じく不敵な笑みで返した嘉隆は、緒を緩め、編笠を投げ捨てる。その下から現れた純白の髪に、誰もが瞠目し――

「和泉一刀流……伊部正いべまさ九条くじょう嘉隆よしたか

 その瞬間、その場に居た誰もが、男が何者なのか・・・・・・・を悟り――

 そして、一気に空間を支配した緊張が、物理的な拘束を伴って張り詰めた。

 殺気だ・・・。膨れ上がる殺気同士がぶつかり合い、もはや息をするのさえも苦しい緊張が、その場に張りつめていく。

 その只中で。余裕の笑みを以て応じる男は、大太刀を片手で構え――そして浮かべたものはやはり笑み。

「……伊守神道流いのかみしんとうりゅう、前園伊織いおり

 瀑布と瀑布が大気の裡でぶつかり合い、

「「いざ、尋常に――」」

 大気を震わす声音は、磁力のように惹かれあって、

「「勝ォ負!」」 

 かくして、怪物同士の喧嘩ころしあいが始まった。

続く!

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