第十三話
采白で、暖燃粉の発売が開始されたのが、1311年10月の事であった。
暖燃粉の案内は発売の2ヶ月前の8月から麟商会により行われていた。
その発表前に情報を掴んでいた者がいた。
商十傑筆頭、弐栄商社当主の弐道である。
弐道は、全力で暖燃粉の開発に関する情報を集めていた。
弐栄商社は采白内の商売の3割以上の売上を占めている程の巨大な組織であった。
商十傑の中でも群を抜いた力を持っており、弐栄商社に逆らう商家は采白内での商売を続ける事が出来ないとまで言われていた。
弐道は弐栄商社が収める税は采白を支える程の力があると自負していたので、采白国主が麟商会に与えた特権に対し大変な反感を覚えていたのだ。
さらには、次期国主の最有力候補である吏邦の長男 吏角に取り入っており先々の安泰をも約束されていた事から、老齢な吏邦を軽視する機会が多々生じていた。
そのため、今回の麟商会の特権は、吏邦の弐栄商社に対する報復としてしか受け入れられなかった。
弐道は、弐栄商社内にある自室に、影者である井消を呼んだ。
影者とは、情報収集や操作・暗殺等を主な任務とする特殊能力者の呼び名である。
但し、国により呼称は統一されておらず、任務範囲も異なる場合もあった。
例えば、采白の隣国の楼美では、石下と呼ばれており、戦場にて敵軍への奇襲等の任務なども行っている。
「どうじゃ。暖燃粉とやらの製造方法は分かったか?」弐道は不機嫌な様子で尋ねた。
「申し訳ありません。思ったより警戒が厳しく、未だ製造方法の情報は得られておりません」
井消は無表情で答えた。
「たかだか弱小商家の警備網を、何故破れぬのじゃ。」
「国軍が、原材料の採取場と思われる北原、製造場所、輸送に使用する街道等
の警備に協力をしております故。」
「なるほどな。他国の間者に対しての警戒という所か。
引き続き情報収集に全力で取り掛かれ。何としても情報を持ってこい。
製造方法さえ分かれば、吏角を利用して、弐栄商社への利権移行も不可能ではない。
よいな!!」
井消は無言で頷き、弐道の前から忽然と姿を消した。
井消は影者の中でも優れた技量を持っており、采白最高の影者として恐れられていた。
弐栄商社は20人程の影者を抱えていて、井消がその頭領を任されていた。
しかし井消の名は広く知られていたが、その素顔を知る者は、1人もいなかった。
弐道でさえ素顔を見た事はない。
登用する際に、井消から出された条件であったため容認されていた。
しかし、その井消にさえ気付かれずに弐道の部屋の天井に潜んで、二人の会話を聞いていた影者がいたのであった。