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『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』

婚活アドバイザー成田、スライムに家族になりたいと言われる

掲載日:2026/11/01

「おじさん! わたしも、おじさんの家族になります!」


「……はい?」


 朝食のパンを口に運ぼうとした俺は、そのまま固まった。


 目の前のテーブルには、小さな緑色のスライム。


 ぷるぷると震えながら、なぜか得意げに体を反らしている。


 ……いや、スライムに背中があるのかどうかは知らないけど。


『――今日から、わたしも成田家の一員です!』


「いや、ちょっと待って。そういう大事なことは、家族会議が必要だから」


『――家族会議! じゃあ、今から始めましょう!』


「参加者が俺とミドリしかいない!」


『――二人いれば会議はできます!』


「それはそうなんだけど!」


 異世界の朝は、今日も騒がしい。


 俺の名前は成田和彦。四十六歳。


 日本では、オタク専門の結婚相談所で婚活アドバイザーとして働いていた。


 妻の美咲と、高校二年生の息子・悠斗、中学二年生の娘・結衣がいる。


 ある日、子どもを助けようとして事故に遭い、気がつけば異世界に転生していた。


 女神様から授かったのは、《縁結び》という不思議なスキル。


 人と人とのつながりが、色のついた糸のように見える。


 ただし、心が読めるわけでも、相手の気持ちを操れるわけでもない。


 まして、剣や魔法が強くなるわけでもない。


 冒険者ランクは最低のF。


 四十六歳のおじさんには、なかなか厳しい世界である。


 そんな俺の相棒が、目の前のミドリだ。


 森で出会った緑色のスライムで、俺が名前をつけた。


 《簡易念話》を通して、こうして話ができる。


 女の子で、よく食べ、よく喋り、特にパンが大好き。


 森には、仲のいい青いスライムの相手もいる。


 ……そう。


 ミドリには、俺と出会う前から大切な存在がいるのだ。


「それで、どうして急に家族になりたいなんて?」


『――昨日、女将さんが言ってました!』


「女将さん?」


『――『ミドリちゃんは成田さんの家族みたいなものだねえ』って!』


 ああ。


 宿屋『月見亭』の女将さんか。


 確かに、最近は一緒に食事をすることも多いし、同じ部屋で寝泊まりしている。


 見た目だけなら、ペット連れの中年男性……いや、やめよう。


 俺自身が少し傷つく。


「女将さんは、仲がいいって意味で言ったんじゃないかな」


『――じゃあ、家族になるのはダメですか?』


「ダメってわけじゃないよ」


『――では、決まりです!』


「待って。今の会話に決定の瞬間あった?」


 ミドリが嬉しそうに跳ねる。


 俺は苦笑した。


 日本にいる妻と子どもたちの顔が、ふと浮かぶ。


 俺の最終目標は、あの三人のもとへ帰ることだ。


 だからといって、この世界で誰とも親しくならないつもりはない。


 実際、ミドリには何度も助けられている。


 だけど。


「ミドリ。俺は、いつか日本に帰るつもりなんだよ」


『――知ってます!』


「その時、ミドリも一緒に行けるかどうかはわからない」


『――……え?』


 ミドリの動きが止まった。


『――家族になっても、ですか?』


「……うん」


『――家族なら、一緒にいられるんじゃないんですか?』


 俺は返事に詰まった。


 その問いは、四十六歳の俺にとっても簡単ではなかった。


 なにしろ。


 俺自身が、家族と別々の世界にいるのだから。


 ◇◆◇


 その日の昼。


 俺たちは冒険者ギルドを訪れた。


「魔物との共同生活について、何か規則ってありますか?」


 受付の銀髪のエルフ、リリアさんが顔を上げる。


「成田さん。ミドリちゃんのことですか?」


「はい」


『――家族になります!』


「えっ?」


「いや、まだ決まってません!」


 慌てて否定すると、リリアさんが困ったように微笑んだ。


「ちょうど、その件で新しい通達が来ているんです」


 彼女は棚から一枚の書類を取り出した。


 表題には、こう書かれていた。


『王都内における同行魔物の管理責任に関する暫定指針』


 ……うん。


 日本でも、こういう名前の書類はだいたい面倒な内容だった。


「最近、魔物を連れて暮らす冒険者が増えているんです。それに伴って、事故も起きていまして」


「事故、ですか」


「先週、市場で荷運び用の魔物が暴れて、商品棚を倒したそうです。幸い、大きな怪我はなかったのですが」


 リリアさんは書類を指でなぞった。


「そこで王都では、同行魔物について、責任を持つ人間を明確にしようという話になっています」


「なるほど」


「登録された魔物には、管理責任者を定める案です」


「……管理責任者」


「簡単に言えば、飼い主のような立場ですね」


 俺は、肩のミドリを見た。


『――おじさんが、わたしの飼い主ですか?』


「……いや」


 反射的に答えていた。


「それは、ちょっと違う気がする」


 リリアさんが首を傾げる。


「違う、ですか?」


「ミドリは俺の相棒なんです。俺が一方的に連れ歩いているわけじゃない」


『――そうです! わたしが、おじさんについていくって決めました!』


 ミドリが元気よく跳ねる。


 リリアさんは、その声を聞いて考え込んだ。


「……確かに、ミドリちゃんは普通の魔物とは違いますね」


「本人の意思を確認する仕組みはないんでしょうか?」


「今のところ、ありません。そもそも、会話できる魔物が珍しいので」


「そうですよね」


 俺は頷いた。


 制度を作る側の事情もわかる。


 魔物が人を襲うことのある世界だ。


 安全を考えるなら、責任者を決めたいのは当然だろう。


 だが、その書類には気になる一文があった。


『登録魔物の管理責任者は、当該魔物の移動、譲渡及び処分について責任を負う』


「……リリアさん」


「はい?」


「この『処分』って、どういう意味ですか?」


 リリアさんの表情が曇った。


「……状況によります。危険が生じた場合の隔離や、契約の解除なども含まれます」


「なるほど」


 俺は書類を置いた。


 管理責任者になれば、ミドリを王都に置くための説明はしやすくなる。


 その代わり、ミドリの行き先や扱いを、俺が決める立場になるかもしれない。


 ……それでいいのか?


『――おじさん!』


「ん?」


『――登録したら、家族になれますか?』


 ミドリは期待に満ちた声で聞いた。


 俺は、すぐには答えられなかった。


 ◇◆◇


 ギルドを出ると、ミドリが珍しく黙っていた。


 市場を通っても、パン屋を見つけても、騒がない。


 これは重症だ。


「……ミドリ」


『――はい』


「何か考えてる?」


『――飼い主って、何ですか?』


「……そうだな」


 俺は少し考えた。


「世話をして、責任を持つ人のことかな」


『――家族とは違うんですか?』


「違う場合もあるし、家族みたいに大切にしている人もいるよ」


『――じゃあ、わたしはどっちですか?』


 ……困った。


 結婚相談所で働いていた頃、何百人もの相談を受けてきた。


 結婚したい人。


 結婚するか迷っている人。


 結婚することが正しいと思い込んでいる人。


 そして、結婚したくないのに、周囲から急かされている人。


 そのたびに俺は、同じことを言ってきた。


 大切なのは、本人がどうしたいかですよ、と。


 なのに。


 いざ相手がスライムになると、俺はつい『守ってあげなければ』と考えてしまう。


「……ミドリは、どうしたい?」


『――おじさんと一緒にいたいです!』


「うん」


『――青い子にも会いたいです!』


「うん」


『――それから、パンも食べたいです!』


「……それは知ってる」


『――全部、できますか?』


 俺は答えられなかった。


 全部を約束できるほど、この世界のことを知らなかったからだ。


 ◇◆◇


 翌日、俺はギルドから依頼された小さな話し合いに参加していた。


 王都の住民と、魔物を連れた冒険者の間で揉め事が起きているらしい。


 俺に求められたのは、話を整理すること。


 剣で戦うより、よほど得意な仕事だ。


 集会所には十人ほどの人がいた。


「魔物を町に入れるな!」


 最初に声を上げたのは、パン屋の店主だった。


 五十歳くらいの男性だ。


「先週、うちの店の前で魔物が暴れたんだぞ!」


 向かいの若い冒険者が反論する。


「あれは俺の相棒じゃありません!」


「同じ魔物だろうが!」


「同じじゃない!」


 ……ああ。


 この空気。


 日本の相談所でも、似たような場面は何度もあった。


 双方が自分の言い分を繰り返し、相手の話が耳に入らなくなる。


「すみません。少し、順番にお話を聞かせてもらえますか?」


 俺は間に入った。


「まず店主さん。何が一番心配なんでしょう?」


「決まってるだろ! 魔物が危ないことだ!」


「はい。具体的には?」


「……孫が、あの棚のすぐ横にいたんだ」


 店主の声が小さくなった。


「もし、下敷きになっていたら……」


 ……なるほど。


 怒っているのではなく、怖かったんだ。


「それは心配でしたね」


 俺は頷いた。


「では冒険者さん。あなたは、どうして相棒を町に連れてきたいんですか?」


「……こいつとは、小さい頃から一緒なんです」


 若い冒険者は、足元にいる小型魔物を見た。


「俺が一人で冒険者を始めた時から、ずっと」


 ……そうか。


 こちらにとっても、大切な存在なんだ。


「店主さんは、お孫さんを守りたい。冒険者さんは、相棒と暮らしたい。どちらも大事なことですよね」


 二人は黙った。


「だったら、どちらかを追い出す前に、事故を減らす方法を考えませんか?」


 そこから、長い話し合いが始まった。


 荷運び用魔物の通行経路。


 市場での安全装置。


 事故が起きた場合の連絡先。


 管理者が責任を負う範囲。


 どれも、簡単には決まらなかった。


 それでも最後には、双方がいくつかの対策を試すことで合意した。


 ……よし。


 少しは役に立てたかな。


 そう思った時だった。


「……ところで」


 パン屋の店主が、俺の肩を見た。


「そのスライムも、あんたの魔物か?」


 ミドリが、ぴくりと揺れた。


「……相棒です」


「登録してるのか?」


「ギルドには同行を届けています」


「だったら、ちゃんと責任を持ってくれよ」


 店主は真剣な顔で言った。


「俺は、あんたのスライムが悪い奴だなんて言ってない。ただ、何かあった時に『魔物だから仕方ない』で済まされたくないんだ」


 ……。


 俺は、頭を下げた。


「……おっしゃる通りです」


 それは、間違っていなかった。


 誰かと一緒に暮らすということには、責任が伴う。


 家族でも、友人でも、相棒でも。


 ただ仲がいいだけでは、済まないことがある。


 ◇◆◇


 集会所を出たあと、ミドリがぽつりと言った。


『――おじさん』


「ん?」


『――わたしも、怖がられているんですか?』


 俺は立ち止まった。


 夕方の王都。


 行き交う人々の足音が、石畳に響いている。


「……怖がる人は、いると思う」


『――わたし、人を襲いません』


「知ってるよ」


『――でも、魔物です』


「……そうだね」


 ミドリは、少しだけ縮んだ。


『――わたしが家族になれば、怖くなくなりますか?』


 俺は、息を呑んだ。


 ……そういうことだったのか。


 ミドリは、家族という言葉を、ただ一緒にいられる約束だと思っていた。


 そして今は。


 人間に受け入れてもらうための、証明にもなると思っている。


「……ミドリ」


『――はい』


「家族になったからって、みんなが安心するとは限らないよ」


『――……そうなんですか?』


「うん。怖がる人の気持ちは、名前を変えただけでは消えないからね」


 ミドリは黙った。


「でも、ミドリが悪いことをしたわけでもない」


『――……はい』


「だから、どうすればお互い安心して暮らせるか、考えよう」


『――おじさんと、一緒に?』


「もちろん」


 ミドリが、少しだけ大きくなった。


 ……やれやれ。


 四十六歳にもなって、まだ勉強することばかりだ。


 ◇◆◇


 その夜。


 宿屋『月見亭』の部屋で、俺はスマートフォンを取り出した。


 電波はない。


 充電もできない。


 だから、画面をつけるのは本当にたまにだけだ。


 最後に届いた妻からのメッセージ。


『あと、結衣の塾代、今月から上がったから』


 ……美咲らしい。


 あの時の俺は、たぶん『了解』とだけ返したのだろう。


 今なら、もっといろいろ話したい。


 結衣は勉強を頑張っているのか。


 悠斗は部活を続けているのか。


 美咲は、ちゃんと休めているのか。


 どうでもいいような話を、何時間でもしたい。


「……帰りたいな」


 小さく呟いた。


 すると、枕元のミドリが近づいてきた。


『――おじさん』


「ん?」


『――日本に帰る時、わたしはどうなりますか?』


 ……。


 とうとう、聞かれた。


「……まだ、わからない」


『――一緒に行けないかもしれないんですよね?』


「……うん」


『――じゃあ、家族になっても、お別れするかもしれないんですか?』


 俺は、スマートフォンを握りしめた。


 家族になれば、ずっと一緒にいられる。


 そんな保証は、どこにもない。


 俺自身が、その証拠だった。


「……そうだね」


 俺は答えた。


「お別れする日が来るかもしれない」


 ミドリは、しばらく動かなかった。


『――……じゃあ』


 小さな声がした。


『――家族にならない方が、寂しくないですか?』


 俺は、何も言えなかった。


 その問いは。


 日本で何百件もの婚活相談を受けてきた俺が、まだ答えを出せずにいる問いだった。


 ――前編・終――

後編 大切な相手の未来を、勝手に決めてはいけない


「家族にならない方が、寂しくないですか?」


 ミドリの言葉が、頭から離れなかった。


 ……そうだな。


 最初から大切な相手を作らなければ、別れる時に悲しまずに済む。


 理屈としては、間違っていない。


 日本で婚活相談員をしていた頃にも、似たような言葉を何度も聞いた。


『どうせ振られるなら、好きにならない方がいい』


『いつか別れるなら、結婚する意味がない』


『大切な人ができると、失うのが怖い』


 俺は、そのたびに言ってきた。


 傷つく可能性があるからといって、誰かを大切にすることまで諦めなくてもいいんじゃないでしょうか、と。


 ……でも。


 いざ自分のことになると、難しい。


 日本には妻と子どもたちがいる。


 俺は、いつか必ず帰りたい。


 それが最終目標だ。


 一方で、この世界にも大切な存在が増えている。


 ミドリも、その一人だった。


 ……困ったなぁ。


 婚活相談員が、自分の人間関係で悩んでどうする。


 ◇◆◇


 翌朝。


 ミドリが珍しく早起きしていた。


『――おじさん!』


「……ん?」


『――今日は、森に行きたいです!』


「森?」


『――青い子に会いに行きます!』


 ……なるほど。


 ミドリには、森に大切な相手がいる。


 俺と一緒に王都で過ごしている間も、その関係が消えたわけじゃない。


「いいよ。今日は大きな予定もないし」


『――本当ですか!』


「うん」


『――じゃあ、パンを持っていきましょう!』


「……結局パンか!」


 ◇◆◇


 王都から少し離れた森。


 木々の間を、柔らかな日差しが差し込んでいた。


 ミドリは俺の肩から飛び降り、ぴょんぴょんと跳ねていく。


『――青い子ー!』


 しばらくすると、草むらの向こうから青いスライムが現れた。


 ミドリより少し大きい。


 青いスライムはミドリを見ると、嬉しそうに体を揺らした。


 ミドリが勢いよく飛びつく。


 二匹は、くっついたり離れたりしながら、楽しそうに跳ねていた。


 ……うん。


 いい光景だ。


 俺は少し離れた木の根元に腰を下ろした。


 この森に来るたび、思う。


 ミドリには、俺の知らない時間がある。


 俺と出会う前から生きていて。


 俺がいない場所でも、誰かとつながっている。


 当たり前のことだ。


 でも。


 俺は、どこかで忘れかけていたのかもしれない。


 ◇◆◇


 しばらくして、ミドリが戻ってきた。


『――おじさん!』


「ん?」


『――青い子に相談しました!』


「何を?」


『――家族のことです!』


「……おお」


 ちゃんと相談したのか。


「それで、どうだった?」


『――青い子は、わたしが王都に行くのは寂しいそうです!』


「……そうか」


『――でも、わたしが楽しいなら、嬉しいとも言ってました!』


 ……なるほど。


 俺は、青いスライムを見た。


 少し離れたところで、こちらを見ている。


「……優しい子だね」


『――はい!』


 ミドリは嬉しそうに跳ねた。


 だが、その直後。


『――でも、おじさん』


「ん?」


『――青い子は、森から出たくないそうです』


「……そうなんだ」


『――ここが好きなんですって』


 ……うん。


 それも、大切なことだ。


 ミドリが王都に行きたいからといって、青いスライムまで同じことを望むとは限らない。


 まして、日本という知らない世界へ行くことなど、今の段階では考えられないだろう。


「……ミドリ」


『――はい』


「青い子と離れていて、寂しくない?」


『――寂しいです!』


 即答だった。


『――でも、おじさんと一緒にいるのも楽しいです!』


「……そっか」


『――だから、両方大切にしたいです!』


 俺は、思わず笑った。


「……それでいいと思うよ」


 ◇◆◇


 その時だった。


「おい、そこの冒険者」


 森の奥から男の声がした。


 振り向くと、革鎧を着た二人組が歩いてくる。


 腰には短剣。


 肩には捕獲用らしい網。


 ……嫌な予感がする。


「そのスライム、お前のか?」


 一人がミドリを指さした。


「……相棒ですけど」


「相棒?」


 男は鼻で笑った。


「魔物は魔物だろ。登録してるのか?」


「ギルドには同行を届けています」


「ふうん」


 男は、青いスライムを見た。


「じゃあ、あっちは?」


「……森に住んでいるスライムです」


「野生か」


 男の目が細くなった。


「ちょうどいい。捕まえて売れば、小遣いになる」


 ……え?


 俺は立ち上がった。


「ちょっと待ってください」


「何だ?」


「その子は、人を襲ったりしていませんよ」


「だから何だ?」


 男は肩をすくめた。


「野生の魔物を捕まえるのは、違法じゃない」


 ……。


 俺は、言葉に詰まった。


 法律がどうなっているのか、正確には知らない。


 相手は武装している。


 俺はFランク。


 正面から争えば、まず負ける。


 それでも。


「……少し、話を聞いてもらえませんか?」


 俺は、男たちに向き直った。


 ◇◆◇


「話?」


「はい」


「何を話すんだよ」


「そのスライムを捕まえる理由です」


 男は面倒そうな顔をした。


「売るためだって言っただろ」


「そうですよね」


 俺は頷いた。


「では、今すぐ捕まえないと困る事情があるんですか?」


「……は?」


「例えば、依頼を受けているとか、期限があるとか」


 男は顔をしかめた。


「そんなものはない」


「そうですか」


 ……よし。


 少なくとも、急ぎの依頼ではない。


「でしたら、少しだけ待ってもらえませんか?」


「……何で?」


「この子には、大切な相手がいるんです」


 俺はミドリを見た。


 ミドリは、青いスライムの前に立っていた。


 小さな体をいっぱいに広げて。


 まるで、守ろうとするみたいに。


「……大切な相手?」


 男が笑った。


「スライムにそんなものがあるのかよ」


「あります」


 俺は答えた。


「少なくとも、俺はそう思っています」


 男は、しばらく俺を見つめた。


「……変な奴だな」


「よく言われます」


 ……いや、本当によく言われる。


「でも、野生の魔物を捕まえることが認められているなら、俺がお願いするしかありません」


 俺は頭を下げた。


「どうか、今日は見逃してもらえませんか」


 男たちは顔を見合わせた。


 しばらくして、一人がため息をついた。


「……面倒くせえな」


 もう一人が言った。


「こんな小さいスライム一匹、たいした金にもならねえだろ」


「……まあな」


 二人は肩をすくめた。


「わかったよ。今日はやめとく」


「……ありがとうございます」


「ただし、次も見逃すとは限らねえぞ」


 男たちは、森の奥へ歩いていった。


 ……ふう。


 俺は、その場に座り込んだ。


 心臓が、ものすごい勢いで鳴っている。


 怖かった。


 本当に。


『――おじさん!』


 ミドリが飛びついてきた。


『――大丈夫ですか!?』


「……うん。何とか」


『――ありがとうございます!』


「……いや」


 俺は、青いスライムを見た。


「今日は、たまたま話を聞いてもらえただけだよ」


 もし、相手が聞く耳を持たなかったら。


 もし、もっと危険な相手だったら。


 俺には、守りきれなかったかもしれない。


 ……それが、悔しかった。


 ◇◆◇


 王都へ戻った俺は、すぐにギルドを訪れた。


「リリアさん」


「成田さん? どうされました?」


「野生の魔物を捕まえることについて、規則を教えてください」


 リリアさんは、少し驚いた顔をした。


 俺は、森で起きたことを説明した。


 すると、リリアさんは真剣な表情になった。


「……なるほど」


 棚から資料を取り出し、いくつかの項目を確認する。


「基本的には、指定された保護区域以外で、危険な魔物を捕獲することは認められています」


「……はい」


「ただし、魔物の種類や地域によって、細かい制限があります」


「……なるほど」


「スライムについては、特別な保護対象にはなっていません」


 ……そうか。


 俺は、少し肩を落とした。


 すると、リリアさんが続けた。


「でも、だからといって、何もできないわけではありませんよ」


「……え?」


「例えば、ギルドに生息状況を報告することはできます」


「生息状況?」


「はい。特定の場所に継続して生息している魔物について、調査を依頼することも可能です」


 ……おお。


「それなら、青いスライムのことも?」


「調査対象にはできます。ただし、保護が認められるかどうかは別です」


「……わかりました」


 俺は頷いた。


 すぐに解決するわけじゃない。


 でも。


 できることはある。


 ◇◆◇


 その夜。


 宿屋『月見亭』の部屋で、ミドリは静かだった。


『――おじさん』


「ん?」


『――今日、怖かったです』


「……うん」


『――青い子が、連れていかれるかと思いました』


「……そうだね」


『――でも、おじさんが守ってくれました』


 俺は、少し首を振った。


「……守れたかどうかは、わからないよ」


『――どうしてですか?』


「今日は、相手が話を聞いてくれたから」


 俺は答えた。


「でも、いつもそうとは限らない」


 ミドリは、黙っていた。


「だから、これからどうするか、一緒に考えよう」


『――……一緒に?』


「うん」


 俺は、机に紙を置いた。


「まず、ミドリがどうしたいか、聞かせてほしい」


 ◇◆◇


『――わたしは……』


 ミドリは、少し考えた。


『――おじさんと一緒にいたいです』


「うん」


『――青い子とも、一緒にいたいです』


「うん」


『――でも、青い子は森が好きです』


「そうだね」


『――おじさんは、日本に帰りたいです』


「……うん」


 ミドリは、ゆっくり揺れた。


『――みんな、違う場所が好きなんですね』


「……そうかもしれないね」


『――じゃあ、どうしたらいいんでしょう?』


 俺は、しばらく考えた。


 そして、正直に答えた。


「……まだ、わからない」


『――……』


「でも、無理に一つに決めなくてもいいと思う」


『――一つに?』


「うん」


 俺は紙に、三つの丸を描いた。


 一つは、王都。


 一つは、森。


 そして、もう一つは日本。


「俺は、今は王都にいる」


『――はい』


「ミドリは、王都と森を行き来できる」


『――はい!』


「青い子は、森にいたい」


『――はい』


「そして俺は、いつか日本に帰りたい」


 俺は、丸と丸の間に線を引いた。


「みんなが同じ場所に住まなくても、つながっていられる方法を考えよう」


 ミドリは、紙をじっと見つめた。


『――……それが、家族ですか?』


 俺は少し笑った。


「家族も、友達も、仲間も。そういう形があっていいと思うよ」


 ◇◆◇


 翌日。


 俺たちは再び森へ向かった。


 今度は、リリアさんに相談して作った簡単な調査記録を持っている。


 青いスライムの生息場所。


 周辺の魔物の種類。


 人の通行状況。


 それらを確認して、ギルドへ報告するためだ。


 もちろん、これで青いスライムが必ず守られるわけではない。


 だが、何もしないよりはいい。


 ミドリは、青いスライムの隣で楽しそうに跳ねていた。


『――おじさん!』


「ん?」


『――青い子、喜んでます!』


「……そう?」


『――はい!』


 俺は、少し笑った。


 ……よかった。


 その時、ミドリが言った。


『――おじさん』


「ん?」


『――わたし、決めました!』


「……何を?」


『――家族になるの、やめます!』


「……えっ?」


 俺は、思わず固まった。


 ◇◆◇


『――だって、家族になるために、同じ場所に住まなくてもいいんですよね?』


「……うん」


『――それなら、もう大丈夫です!』


 ミドリは、元気よく跳ねた。


『――わたしは青い子の大切な相手で、おじさんの相棒です!』


「……そうだね」


『――それで、いつかおじさんが日本に帰っても……』


 ミドリは、少しだけ静かになった。


『――おじさんのことを、大切に思っていてもいいんですよね?』


 ……。


 俺は、胸が熱くなるのを感じた。


「……もちろんだよ」


『――じゃあ、家族になる手続きはいりません!』


 ……なるほど。


 そういう結論か。


 俺は、思わず笑ってしまった。


「……ミドリらしいね」


『――はい!』


 ミドリは、嬉しそうに跳ねた。


『――でも、おじさん!』


「ん?」


『――一つだけ、お願いがあります!』


「……何?」


『――日本に帰る方法が見つかったら、ちゃんと教えてください!』


「……うん」


『――急にいなくならないでください!』


 俺は、少し考えた。


 そして、頷いた。


「……約束する」


 もちろん、何が起きるかわからない。


 自分の意思ではどうにもならないことだってある。


 それでも。


「俺が自分で選べる限りは、ちゃんと話すよ」


 ミドリは、静かに揺れた。


『――わかりました!』


 ◇◆◇


 その日の夜。


 俺は、宿屋の部屋でスマートフォンを取り出した。


 画面には、妻からの最後のメッセージ。


『あと、結衣の塾代、今月から上がったから』


 ……美咲。


 悠斗。


 結衣。


 必ず、帰るからな。


 俺は、心の中で呟いた。


 でも。


 今日、少しだけ考え方が変わった。


 日本に帰ることが、俺の最終目標だ。


 それは変わらない。


 けれど。


 帰るまでの時間を、ただの寄り道にしたくはない。


 この世界で出会った人たち。


 助けてもらった人たち。


 そして、俺を必要としてくれる小さな相棒。


 その一つ一つも、大切にしたい。


 俺は、スマートフォンをしまった。


 すると、枕元でミドリが跳ねた。


『――おじさん!』


「ん?」


『――明日は、何をするんですか?』


「……そうだな」


 俺は、少し考えた。


「ギルドに、森の調査記録を出しに行こうか」


『――はい!』


「その後は、何か相談の仕事があれば受けたいな」


『――おじさんは、相談が好きですね!』


「……まあ、それしか取り柄がないからね」


『――そんなことないです!』


「……え?」


『――おじさんは、パンを分けてくれます!』


「……それ?」


『――あと、話を聞いてくれます!』


「……うん」


『――それから、わたしがどうしたいか、聞いてくれます!』


 ……。


 俺は、少しだけ目を伏せた。


 そうか。


 それが、ミドリには大切だったのか。


「……ありがとう」


『――どういたしまして!』


 ミドリは、嬉しそうに揺れた。


『――じゃあ、明日の朝ご飯はパンですね!』


「……結局そこに戻るのか!」


 俺は笑った。


 四十六歳。


 Fランク。


 剣も魔法も苦手。


 日本に帰る方法も、まだ見つからない。


 それでも。


 今日、できることはある。


 誰かの話を聞くこと。


 誰かの選択を尊重すること。


 そして、自分の大切なものを、ちゃんと大切にすること。


 ……まあ。


 俺にできるのは、婚活相談くらいなんだけどなぁ。


 でも、どうやら。


 人と人だけじゃなく、人とスライムの間にも、相談は必要らしい。


 ――完――

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

本作は、『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』シリーズの一話完結短編です。

今回のテーマは「家族とは何か」、そして「大切な相手の選択を尊重すること」。

成田には、日本に妻と二人の子どもがいます。家族のもとへ帰ることが、彼の最終目標です。


けれど、それは異世界で出会った仲間との時間を大切にしないという意味ではありません。


帰るべき場所を持ちながら、今いる場所でも誰かの役に立とうとする。そんな46歳のおじさんの物語を、連載本編でも描いています。


連載本編はこちらです。

『46歳、社畜のオタク婚活アドバイザーですが、異世界転生したらコミュ力だけで無双してしまいました ~妻子持ちのおじさん、帰宅を目指して魔王すら成婚させる~』

https://ncode.syosetu.com/n9705mx/


本編では、成田とミドリの出会いから、騎士団や王宮で巻き起こる婚活相談、王女様の結婚問題、そして日本への帰還につながる謎まで、さまざまな物語が展開していきます。


毎日10時・14時・20時の1日3回更新中です!


成田とミドリの掛け合いを気に入っていただけた方は、ぜひ同じシリーズに登録されている連載本編もご覧ください。

ブックマークや評価、感想をいただけると、とても励みになります。

これからも『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』シリーズをよろしくお願いいたします!

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