第9話 みんなが不幸になるから。
感情の浮かばない鋭い眼差しで、頭を垂れているルルタのことを見つめる。
「ユンカ、キラ、席を外しなさい」
マーリカはルルタから目を離さずに言った。
「マーリカ様、ルルタは……」
思わず口を開いたユンカに、マーリカは冷たい一瞥をくれる。
「ユンカ、私は『席を外せ』と言いましたよ」
なおも何か言おうとするユンカを押さえて、キラが前に進み出た。
「マーリカ様、ルルタは、主である寵妃さまのことを思って……あのかたのお心を少しでもお慰めしたくて、今回のことをしたのです。私とユンカは、ルルタが寵妃さまのために何をしてきたか、ずっと見てきました。その気持ちがわからない、侍女に心など不要だと言うなら、私はそんなかたにお仕えするのはごめんこうむります」
「キラ……」
ルルタは、強い眼差しでマーリカの顔を射貫くキラの顔を見つめる。
「完璧な侍女を演じて、侍女頭を目指す」そう言っていたキラの姿が脳裏に浮かび、目がしらが熱くなる。
キラの言葉に、マーリカは何の反応も示さなかった。
表情をまったく動かさずキラの顔を見つめた後、静かな声で言った。
「あなたがそう言ったことを覚えておきます」
その返答のようにキラは完璧な所作で礼をすると踵を返した。
ユンカはなおも心配そうにちらちらとルルタのほうを見ながらも、キラの後を追い、部屋を出ていった。
扉が閉まる音が響くと、静まり返った部屋の中にはマーリカとルルタ、そして物入れに詰め込まれたルルタがシャナラのために集めた山のような品々だけが残された。
マーリカの厳しい視線を感じ、ルルタは身を縮こまらせる。張りつめた空気が全身に突き刺さり、生きた心地がしなかった。
長い沈黙の後、マーリカが言った。
「ルルタ、私が何を言いに来たかわかっていますね」
いったん言葉を区切ると、マーリカはルルタの返事を待たずに言葉を続ける。
「今のところ、寵妃さまから直接、ご叱責はありません。ですがこの後何かお言葉なりご様子の変化があったら、あなたを寵妃さまのお側付きから外さねばなりません」
マーリカの口調には怒りはなかった。
だが感情が込められていないぶん、その内容の厳しさがルルタの胸に突き刺さった。
主のために働く良い侍女になろうと張り切っていたのに、役に立つどころかシャナラの心を傷つけただけだった。取返しのつかないことをしてしまった。
そう思うと、涙が溢れそうになる。
泣いては駄目だ。
歯を食い縛るルルタを見て、マーリカは淡々とした口調で言った。
「主の心に立ち入ろうとするのはやめなさい」
ルルタは思わず顔を上げる。
目の前には、精巧に作られた仮面のようなマーリカの顔があった。
マーリカはルルタの顔を見ていながら別のものを見ているような、不思議な眼差しで言った。
「私たち侍女は、主にとって人間ではあってはなりません。機能であるべきです」
「きっ……?」
(き……のう?)
「私の言っていることがわかりますか? ルルタ」
何とも言えずにいるルルタを見て、マーリカは微かに吐息した。
再び口を開いた時は、元の抑揚のない口調に戻っていた。
「今後、あなたの処遇をどうするかはこちらで考えます。しばらくは日々の務めにも出ず、部屋で謹慎しているように」
「マーリカ様」
話を終えて踵を返そうとしたマーリカの横顔を、ルルタは見つめる。
「何で……私が寵妃さまの侍女に選ばれたんですか?」
(私より優秀な人がたくさんいるし……みんなシャナラ様のお側付きになりたがっているのに)
言葉にすることが辛く、ルルタは下を向く。
主の影でいること。
自分が人間ではなく、ひとつの機能と考えること。
そうであることが良い侍女ならば、自分は逆立ちしてもそんな風になれるとは思えない。
なぜそんな自分が、シャナラの唯一の側付きに選ばれたのか。
マーリカは足を止めて、顔だけをルルタのほうへ向けた。
「あなたは考え違いをしている」
「えっ?」
「侍女というのは、あなたが考えるようなものではありません」
マーリカは体ごとルルタのほうへ向き直る。
「良く聞きなさい、ルルタ。私たち侍女と主たる人が分かり合うことは決してありません。そんなことがあってはならないのです」
ルルタは驚いて声を上げる。
「何でですか? せっかくお側にいるのに……」
「皆が不幸になるからです」
マーリカのはっきりした言葉が、ルルタの言葉を遮った。
「不幸……? 私がシャナラ様のことを知ろうとすることが、シャナラ様のことも不幸にするのですか?」
マーリカは自分の中で蠢いたものを押さえつけるように、しばし口をつぐむ。
しばらく経つと、マーリカの表情は元の抑制され落ち着いたものに戻った。
「仕える者の分を超えてはならない、ということです。あなたが今回やったことは、明らかに侍女の分を超えています。場合によっては、宮廷から出て行くことになるかもしれない。覚悟はしておきなさい」
ルルタは項垂れる。
シャナラの側付きの役目から外されるどころか、後宮から去らねばならないかもしれない。
今さらながら自分のやったことの重大さが、身に染みる。
マーリカが出て行ったあと、キラとユンカが入って来てあれやこれやと励ましたり慰めてくれた。
二人に礼を言いながらも、ルルタの心には先ほどからずっとシャナラの姿が浮かんでいた。
いつもここではない、どこか遠いところを見つめているシャナラをここに置いたまま、宮廷を去らなければならないかもしれない。
自分がいなくなった後に来る侍女は「良い侍女」で、シャナラがあんなに寂しそうな顔をしていても、何ひとつ聞かず、見ない振りをして日々の勤めを果すのだろう。
ルルタは気付いた。
もしこのまま宮廷を出されたら、二度とシャナラに会えない。
もうあの美しいが寂しげな横顔を見ることもない。
そう思うと、突然目の前が真っ暗になるような心地がした。
「ルルタ……大丈夫?」
「え?」
「泣くことないじゃない。謹慎しろって言ったって、このあとどうなるかわからないんだから」
ユンカとキラの心配そうな眼差しに気付いて、ルルタは反射的に頬に指先を当てた。
「あれ? え? 泣いているの? 私」
ルルタは頬をごしごしとこする。
シャナラにもう会えない。
そう考えると、なぜこんなに苦しく辛い気持ちになるのだろう。
わからなかった。




