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第7話 気持ちが届きますように。

 三人の祖母の年齢に近いリズリラは、ニコニコしながら手に持った籠を卓にのせる。


「ご飯を持ってきたから、ひと息ついたら?」

「え! ご飯?」


 ユンカが顔を輝かせる。

 リズリラは、籠の中から黒パンとジャム、燻製にした肉と温め直したスープを入れた壺、野菜と果物を出して卓に並べた。


「本は脇によけてね。汚したら大変だから」


 キラとユンカが本を片付け始めると、リズリラはまだ書き物を続けているルルタに声をかけた。


「ルルタも少し休んだら? 休まないでやっても進まないわよ」


 確かに疲れてくると、どれだけ頑張ろうと思っても、何ひとつ頭に入ってこない。

 リズリラは、ルルタが書いたノートを覗き込んだ。


「随分調べたわねえ」


 ルルタは、この一刻ほど三人で調べたことをジッと見つめる。


 少し調べただけでも東方は、ルルタが今まで生きてきた世界とはまったく違う。気候も風景も着る物も食べる物も生活の仕方も、何もかもが違う場所だ。

 シャナラは、この世界から人質として遠いこの国にやって来たのだ。

 自分がある日突然、家族や友達から引き離されてたった一人で東方へ連れていかれたら、どれだけ心細く寂しいだろう。


 ルルタは何の感情も浮かばないシャナラの顔を思い浮かべた。

 美しいが人形のように冷たい姿の奥底で、シャナラはいつも何を考えているのだろう。


「私、何も知らなかった、シャナラさまのことを」


 ルルタは俯いて唇を噛み締める。


「自分のことに精一杯で……シャナラさまがどんなお気持ちでいるか、考えたこともなかった」


 自分を認めて欲しい。

 役に立って褒められたい。

 そんな思いばかりで、シャナラ自身を見たことがなかった。知ろうともしなかった。

 ルルタは服の袖で目元をごしごしとこする。


「シャナラさまが、私のことを鬱陶しいとしか思って下さらないのも当たり前ですよね」

 

 リズリラはスープを装った杯をルルタの前に置き、微笑んだ。


「自分が仕えるかたがどんな人かを知ること。それが、いい侍女になるための第一歩よ」

「あんまりやりすぎも良くないんじゃないの」


 黒パンに肉と野菜を挟みながら、キラが言う。


「寵妃さまが何を考えているかなんて、結局、他人なんだからわからないんだし。マーリカさまも、余計なことはするなって言っていたじゃない」

「そうかなあ。私だったら、誰かが自分と仲良くしてくれようとしてくれたら嬉しいけどなあ」


 温かいスープを幸せそうな表情で口に含みながらユンカが言う。


「私だったら、自分の身元を調べてまでなんてうざったいと思う」

「キラ、さっき、相手のことを勉強しろって言っていたのに」

「それは社交辞令でしょ。それ以上、ズカズカ踏み込まれるのはうざいって言っているの」


 言い合う二人を見て、ルルタはリズリラのほうを向いた。


「リズリラさま、マーリカさまは『今まで通りでいい』って言うんです。ただ、求められたことと決められたお世話だけをしろって。でも……私は、少しでいいから、私が来たことでシャナラさまに幸せだなって思っていただきたいんです。こんなことを考えるのは、良くないことなんでしょうか?」


 リズリラは優しい眼差しでルルタを包みながら言う。


「良くないことなんてないわ」

「でも……マーリカさまは、『侍女はあるじの影でいろ』と言われるし」


 不安そうなルルタの顔を、リズリラは覗き込む。


「ルルタ、侍女はね、主にとって何にでもなれるの。影にもなれるし、道具にもなれる。そして友達にもなれる。影になるのは簡単で、友達になるのはとても難しいわ。友達でい続けるのはもっと難しい。主の友達でいられる侍女なんてほとんどいない。

 だから、マーリカさまは『一番簡単なのは、心を殺して影でいること』と言うの。影として仕え続けられたら、それは誰がみてもいい侍女だわ。後宮にとっても、マーリカさまにとっても、同僚たちにとっても。でもね、寵妃さまにとってはどうかしら?」

「寵妃さまにとって?」


 顔を上げたルルタに、リズリラは頷きかける。


「そう、そしてあなたにとって」

「私にとって……?」

「ルルタ、あなたはどんな侍女になろうとしてここに来たの?」


 リズリラの問いかけにルルタは考える。

 後宮に来る前、ルルタは使える寵妃に懸命に尽くすことを望んでいた。そうしてその自分の献身を、寵妃が受け取ってくれることを望んでいた。

 実際にシャナラに会うまでは、そこには「忠義深い自分」という像だけがあり、それを夢見ていただけだった。

 でも、今は……。シャナラに会ってからは……。


「私……シャナラさまに笑っていただきたいんです。少しでいいから、幸せだなって思っていただきたいんです」


 ルルタの呟きにリズリラは微笑む。


「あなたの気持ちが、寵妃さまに届くかは私にもわからないわ。人と人との関係は、とても複雑だから。でもルルタ、もしあなたがあなたにとっていい侍女であろうとしているなら、こうしてあげたい、と思うように寵妃さまにやって差し上げなさい。せっかく出会えたのだから」


 気持ちが届くといいわね、というリズリラの言葉に、ルルタは頷いた。



7.


 シャナラが自らの宮殿に戻ったのは、その五日後のことだった。

 ルルタは緊張した面持ちで、戻って来たシャナラを出迎える。


「お、お帰りなさいませ、寵妃さま」


 シャナラは何も答えずに、青い瞳を微かに見開いて室内を見回した。

 調度類の上に東方の置物が置かれており、壁には草原で遊牧をする民族を描いた絵と東方式に織られた見事な模様のタペストリーが飾られている。


 シャナラは、しばらく緑の草原が果てしなく広がる絵の前で立ち尽くしていた。

 その青い瞳が、僅かに歪む。

 シャナラの様子を息を潜めて見守っていたルルタは、思わず手を差し伸べそうになった。そうしなければ、シャナラのか細い体は空気の中に崩れ落ちてしまいそうに見えた。


 だが、それは一瞬のことだった。


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