第4話 調子に乗るなよ。
視線を感じたキラは、目を伏せた拝礼の姿勢のまま答える。
「はい、マーリカさま。最後の確認を終えて、ご報告に上がるところでした」
「こんなに人数がいて、随分時間がかかるものだな」
芝居がかった、大仰な声がマーリカにかけられる。
聞き慣れた少年の声に、ルルタは思わず小さく肩をすくめる。
こっそり目線を上げると、果たして侍女頭のマーリカの隣りには、自分と同年代の侍従であるレイ・クランスカが小柄な体をそらすようにして立っていた。
黙っていれば少女めいた優しげな顔立ちなのに、喋り出すと途端に嫌味と底意地の悪さで表情が歪む。
レイは、王族の私生活を一手で差配する侍従長を代々務めるクランスカ家の出身であり、母親も有力な貴族の家柄である。
そのことをあからさまに鼻にかけていて、キラなど「高慢が服を着て歩いているような奴」と言っている。
レイは気取った口調で、マーリカに言った。
「マーリカどの、急いでいただかないと。寵妃さまの『渡り』に間に合いません」
抑えきれなかったのか、レイの柔らかそうな口元に薄笑いが浮かぶ。
「困りますね、侍女たちがこのようにたるんでいるのは。侍女頭である、あなたの指導が行き届いていないからではないですか」
「申し訳ございません、レイさま」
マーリカは、自分の息子と言ってもおかしくない年齢の少年に、丁寧に頭を下げる。
侍女は宮廷の貴人の付き人に過ぎないが、侍従は後宮を含めた王族の私生活全てを管理する存在だ。公的な立場や権限は、侍女よりもずっと上である。
しかし後宮の歴史を見ると、侍女の中には付いた主人に対して強い影響力を持ち、侍従長をもしのぐ権勢を持った者も多い。
侍従と侍女は、後宮の中の権力を争う潜在的な政敵である。
年若いレイがマーリカと同席する時は、上から押さえつけ挑発するような言動を取るのはそのためだ。
マーリカのほうはレイの言葉に含まれた嫌味には何ひとつ反応せず、軽く頭を下げる。
「すぐにお見送りの準備をいたします」
「頼みましたよ。ここの侍女たちのせいで、寵妃さまの評判が落ちたり、ましてや後宮全体の規律が乱れていると思われたら、いい迷惑だ」
レイは自分の前で頭を下げるマーリカに、露骨に優越感に満ちた声でそう言い、視線を侍女たちのほうへ動かす。
キラとユンカのあいだで頭を下げているルルタを見つけると、そちらへツカツカと歩み寄った。
「お前がルルタか」
「はい、レイさま」
内心では、レイが自分に声をかけてきたことに驚きながら、ルルタは何とか作法通り返事をする。
緊張のあまり、声が上擦っていた。
レイはしばらくルルタを観察したあと、聞こえがよがしに「はっ」と息を吐いた。それからルルタの顔を覗き込んで囁いた。
「寵妃さまに気に入られているからって、調子に乗るなよ。お前みたいなどうという取り柄のない平民の小娘でも、高貴な方々からすれば、サーカスの珍獣の芸を見ているようで退屈が紛れるのだろう。そこのところを勘違いせずに、せいぜい務めに励むのだな」
「き、気に入られている……?」
ルルタは思わず作法も忘れて、顔を上げる。
寵妃は、気に入っているどころかルルタに何の関心も払っていない。何か思っているとしたら、うざったい侍女をつけられた、程度だろう。
一体、どこをどう見たら「気に入られている」ことになるのだろう?
レイはルルタの反応など毛筋ほどの注意も払わず、もう一度「わかったな」と言いたげにジロリと睨むと、何喰わぬ顔をしてその場から離れた。
「では、マーリカどの。私はこれで失礼する。『渡り』の準備を急ぐように」
「かしこまりました、レイさま」
マーリカがレイを部屋の入口まで送るのを見て、侍女たちはいっせいにほうっと息を吐いて頭を上げる。
「『調子に乗るなよ』って口に出して言う奴って本当にいるのね」
キラはレイの消えたほうを見ながら、呆れを通り越して感心したように言う。
まだ呆気に取られているルルタの顔を、ユンカが心配そうにのぞきこんだ。
「大丈夫? ルルタ」
「びっ……びっくりしたあ」
「レイさまも、寵妃さまに近づけないから必死みたいね」
皮肉げなキラの言葉に、ルルタは首を捻る。
「私、ちっともシャナラさまに気に入られていないんだけどな」
「うるさい、って思われているっぽいって言っていたもんね」
「うん……」
気の毒そうなユンカの言葉に、ルルタは落ち込んだ顔をして頷く。
キラは僅かに眉を寄せて、肩をすくめた。
「寵妃さまがあんたのことを本当はどう思っているか、なんて関係ないわよ。大事なのは、寵妃さまが国王陛下がいま唯一、寵愛されているかたであること。そのかたのお側に近寄れるのは、侍従長のクランスカさまとその側近、侍女頭であるマーリカさま以外はあんただけってことよ。レイさまなんて、侍従長の孫なのに近寄れないのよ。焦って歯噛みしたくなる気持ちもわからなくはないわ」
レイに対する皮肉のこもったキラの言葉に、ユンカも頷く。
「確かに。置物みたいに扱われても、寵妃さまのお世話を出来るだけ名誉で幸せかも」
「そうよ、ルルタ、あんたその辺り、しっかり自覚しなさいよ」
「でも……」
「何?」
ルルタは唇を曲げる。
「寵妃さまのお役に立てるなら嬉しいけれど……」
(私が側にいても、シャナラさまはお寂しそうなままなんだもの)
ルルタは、窓の外に向けられた美しい横顔を思い出す。シャナラの青い瞳は、いつもこの場所ではない、どこか遠くを見ているようだった。
その横顔を見ていると、シャナラの孤独と寂しさが流れ込んできて、胸が詰まりそうな心地がした。
少しでもその気持ちを慰めたい。それなのに、その力がない自分が情けなかった。
(私じゃあ、シャナラさまのお役に立てないのかな)
「ルルタ」
物思いにふけっていたルルタを、キラが肘でつつく。
顔を上げると、目の前に侍女頭のマーリカが、厳めしい顔つきで立っていた。




