第3話 何も知らないのに。
まさかいきなり掴みかかられると思っていなかったのか、飛びかかられた娘は悲鳴を上げる。
「や、やめて! ちょっ……! やめて、止めてよお!」
「謝れ! シャナラさまに! 謝れ!」
ルルタが娘の肩を掴み、これでもかというくらい激しく揺すぶったため、娘は顔を真っ青にさせ、ついには泣き出した。
仲間の二人もルルタの鬼気迫る表情を見て、手を取り合って震えている。
「ちょっ……ルルタ! ルルタ! 止めなよ! 駄目だって……!」
縦にも横にも大柄なユンカが、何とかルルタを泣いている娘から引き剥がした。
腕の中で暴れるルルタを、宥めるように抱き締める。
「ほうら、落ち着いてルルタ。深呼吸して、深呼吸。吸ってえ、吐いてえ。そうそう、いいよお。ほらほら、鎮まってきた」
「ひ、ひどい……っ! こんなことするなんて。お父様に言いつけてやる!」
飛びかかられて、服も髪もグシャグシャにされた娘は、泣きべそをかきながら叫ぶ。
ユンカがそちらにもまあまあという前に、ルルタが叫んだ。
「言えるもんなら言ってみろ! 陰口を叩くしか能がないくせに」
「な、何ですって!」
ユンカが慌てて、宥めるようにルルタに言う。
「ルルタ、駄目よ。そんな本当のことを言っちゃあ……あっ」
ユンカの言葉に、娘は怒りで顔を真っ赤に染めた。
「な、何よ! 何なのよ、あんたたち!」
許せないっ、そう涙ながらに娘が叫ぼうとした時、その声を遮るようにしてキラが叫んだ。
「みんな、静かにして! 侍女頭のマーリカさまがいらっしゃるわ」
キラは髪も衣服も顔もクシャクシャになっている娘とその仲間二人を、冷たい目付きで交互に見る。
「そこのあなた、マーリカさまの前にそんな格好で出るつもり?」
「こ、これはあの子が……っ!」
ルルタを指さそうとした娘の言葉を、キラは厳しい口調で遮った。
「マーリカさまは、いつも『侍女は主の影と心得るべき』とおっしゃられているわ。それなのに、主を陰で笑い者にしているなんて知ったら、あの規律と規範に厳しいかたは何て言うかしら。聞いてみる?」
キラの言葉を聞いた瞬間、今まで怒りと悔しさで真っ赤になっていた娘の顔が真っ青になる。
娘の仲間が、あからさまに動揺しながら言った。
「キ、キラ、あ、あんたまさか……つ、告げ口するつもり?」
キラは落ち着きを払って答える。
「人聞きの悪いことを言わないでよ。侍女としての模範的な態度を学びたいだけ」
「それ、私も聞きたあい」
ユンカがその場の空気にそぐわない、おっとりとした口調で言う。
三人の娘たちの怯えた顔を見て、キラは素っ気なく言った。
「マーリカさまが来た時にあんたたちがそんなみっともない格好でいたら、理由を話さざるえないわよ。さっさと直しに行ったら?」
三人の娘たちは顔を見合せると、申し合わせたように部屋の奥にそそくさと引っ込んだ。
冷たい目付きで三人が消えるまで見送ると、キラは、まだ怒りのこもった眼差しで三人が消えた方角を睨んでいるルルタの頭に拳を軽く当てる。
顔を上げたルルタに、呆れたように言う。
「何やっているのよ。あんなの放っておきなさいよ」
「だって……あいつら、シャナラさまのこと、何も知らないくせに」
ルルタは目にうっすらと涙をためて唇を噛む。
キラはほうっと息を吐いた。黒い瞳には、無関心そうな表情とは裏腹に、優しく柔らかい光がチラチラと瞬いている。
「何も知らないからよ。それが悔しいんでしょ? 野蛮人って見下している相手に王さまの愛情を独占されて、しかもその相手に近寄ることさえできないんだから。憂さ晴らしくらい残しておいてやったら? これから死ぬほどやっかまれるんだから、あんなのまで相手にしていたら身がもたないわよ」
「やっかまれるって……シャナラさまは……」
ちっともお幸せそうじゃないのに、とルルタが抗議の声を上げようとした瞬間、不意に室内の空気が張りつめた。
先ほどまでの賑やかさが嘘のように、侍女たちはいっせいに口をつぐみ、姿勢を伸ばし、身をかがめる。
衣装部屋の中に入って来たのは、四十代半ばほどに見えるスラリとした細身の女性だった。端整な顔立ちに、思わず見とれそうな美しく無駄のない所作が華を添えている。
しかしまだ十分美しい女性の顔に浮かんでいるのは、格調の高さを通り越した「冷厳」とさえ言えそうな無表情だった。
薄い氷のような瞳が、確認するように頭を下げた侍女たちの間を通り抜ける。
形の良い唇から、感情が完璧に抑制された声が紡がれた。
「ずいぶん騒々しかったようですが、仕事は済んだのですか?」
女はニコリともせぬままゆっくりと瞳を動かし、一番手前で頭を下げているキラに目を止めた。




