それでも、俺は
イオリは隣にいる。
いつも通りのことなのに、それが一番おかしい。
カヒュッと喉の奥から歪な呼吸音がひとつ漏れる。
ピースはもう、揃ってしまったような気がする。
ーーー俺はそのまま脇目も振らず、図書室から駆け出した。
イオリの顔は見ていない。
走って、走って、いつの間にか本校舎の裏庭にいた。
木の傍らに腰を下ろして、目を瞑る。
非科学的。
それでも、イオリは恐らく...この世に存在していない。
断定もできない。
それぐらい、俺は彼女のことを知らない。
正確な身長、クラス、誕生日、本当の名前。
目頭が熱くなる。
でも、俺はーー
そんな彼女に、恋をした。
イオリの細い、陶器のような指が好きだ。
仕草のひとつひとつが丁寧で見とれた。
話に耳を傾け、微笑んでくれることが嬉しかった。
頬をなにか熱いものが伝う。
「クソッ...」
彼女がなんだったとしても、
俺は...この気持ちは捨てられない。
よく分からない力に背中を押されたよう、立ち上がり、俺は来た方へと引き返す。
走って、走って、辿り着く。
ーー俺らの居場所に。
「イオリ!!」
扉を開けると共に叫ぶ。
彼女はいつもと同じ場所に腰かけていた。
「慧くん。」
...このよく通る声も好きだ。
もう、気付かないふりはできない。この気持ちにも、この違和感にも。
「イオリ...俺に隠してること、あるよな?」
唾を飲み込む。
イオリは少し伏し目がちに、いつもと違って寂しそうな顔をして笑う。
返事はない。
構わず俺は続ける。
「俺は、」
息が喉の奥で詰まる。
「イオリが何者でもいい。ただ、隣にいたい。これからも。」
勢いよく息を吸う、肺の奥がずんと痛む。
「好きなんだ。イオリが...」
イオリは驚いたように目を見開く。あの日のように。そして、今にでも泣き出してしまいそうな表情を作った。
呟くように彼女は話し始める。
「あのね。私、君にひとつ嘘をついたの。本を持ち出しちゃいけないって。」
俺は静かに続きを待つ。
「意味、わかる?」
彼女は微笑む。
俺も唇を噛み締め、不器用な笑顔をつくる。
返事はいらない。
彼女は俺に歩み寄り、背伸びをする。
手がこちらに伸びてくる。俺は思わず息を止めた。
彼女は頬に手を添え、涙を拭った。
ひんやりしていて不思議と心地よい。
彼女は確かにここに居るように思えた。
そして、俺に触れている。
その感覚が確かなものか知りたい。
彼女の存在を知りたい。
もっと、イオリのことを...!
口を開く。
「話そう。イオリ。これからのこと、これまでのこと。」
イオリの答え合わせを。
「そうだね。話そうか。」
もう、隣にいるだけでは満足できそうにない。
この気持ちが、少し恐ろしく、少し嬉しかった。
【完】




