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【完結】明日がほしいと願った  作者: 四片霞彩
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 初めて母さんと会った日のことを覚えている。アキラと仲良くなった直後の休日、突然父さんが「今からお前の母親に会いに行く」と言って、この山に連れて来られた。

 父さんの急な行動に驚いたものの、それ以上にずっと死んだと思っていた母さんが生きていたことや会えることの驚きと期待の方が大きかった。

 山に到着するまで、父さんが運転する車の助手席で何を話そうか考えていたくらいだった。


(算数のテストが百点満点で先生やクラスメイトから褒められたのと、運動会の徒競走で一位を獲ったことを話そうかな……。それとも、友達の話をしようかな。アキラと一緒に初めてゲームセンターに行って、音楽のゲームで勝った話をしようかな。でもそのためにはアキラについてちゃんと説明しないと……)


 そわそわと落ち着きなく母さんと会えるのを待っていたが、車は何故か住宅街を抜けて山道を登る。途中で道が細くなって、車が立ち入れなくなると、父さんにここからは歩きだと促されたので、不思議に思いながら車から降りた。

 何故か背中に竹刀袋を背負った父さんに手を引かれて山道を少し歩くと、ぽっかりと開いた洞窟に入る。蝙蝠が飛び交い、虫が入り乱れる洞窟内をおっかなびっくり進むと、やがて牢屋の前に辿り着く。

 漫画でしか見たことが無かった頑丈な鉄格子の嵌まった牢屋が目の前に現れたので、恐ろしさから父さんの背中に隠れたような気がする。

 牢屋が悪いことをした犯罪者を閉じ込める場所だというのは知っていたから、今から俺はここに閉じ込められるのかと思った。父さんが仕事でいない時にこっそり冷蔵庫のプリンを食べたことや、勝手にアキラの家に外泊していたことを怒っているんじゃないかと。

 でも全て違った。父さんは牢屋を形作る鉄格子に近づくと、俺も隠れている父さんの背から顔を出した。そうしてさも当然のように言ったのだった。


「祈里、見なさい。あそこにいるのがお前の母親だよ」


 薄暗い座敷牢の奥の方に白い狐がいた。いや、狐のような白い毛の耳と尻尾を生やした着物姿の艶麗な女性だった。見た美しさと妖しさの半々を合わせ持った存在に全身が総毛立つ。こんなに綺麗で、どこか切ない気持ちになる人は初めて見た。なんとなく胸が苦しくなる。

 小さな机の上に置かれた写真立てを愛おしそうに見つめていたが、俺たちがやって来たことに気付いて振り返ったのだった。

 目が合った瞬間、「あっ」と小さく声を漏らしてしまう。自宅に母さんの写真は一枚も無かったが、父さんや親戚は繰り返し話していた。「祈里と母さんはそっくりな顔をしている」と。

 ずっと俺を慰めるために気を遣って言ってくれていると思っていたが、本当に俺そっくりの細長い狐顔をした女性が目の前にいた。それが嬉しくもあり、怖くもあった。

 あまりに狐に似ていたからか、「狐から生まれた狐顔」とクラスメイトからバカにされたこともあったが、冗談ではなかった。俺はアキラや他のクラスメイトたちと違って、白い狐から産まれた異質な存在だと知ってしまったから。


祈緒(いお)、約束通りに祈里を連れて来た」

「ありがとう。祈里、中に入っていいから、顔をよく見せて」


 祈緒というのが母さんの名前だとぼんやり考えていたら、父さんが牢の鍵を解除した。半ば背中を押されるように母さんの元に連れて行かれる。


「こうして会うのは初めてね。大きく育って、お母さんは嬉しいわ」


 目線を合わせるように中腰になった母さんに微笑まれて、会ったら話そうと決めていた内容を全て忘れてしまう。母さんが俺の顔を包むよう両手で頬を包んだというのも関係しているのかもしれない。母さんの手はしっかり血の通った温かい手だったから。

 もじもじと手や身体を揺らしながら、「あの……」や「俺っ……」と口ごもっていると、不意に母さんがさっきまで見つめていた書き物机に置かれた写真立てが目に入る。二、三歳くらいの俺と、俺を抱いた母さんが屈託のない笑みを浮かべて、俺たちを見つめ返していた。その瞬間、頭の中で閃いたのだった。


(そうだ! 父さんに母さんを連れて行って、三人で暮らせないか聞いてみよう)


 父さんには言えずにいたが、いつも授業参加や運動会に母親が来てくれるクラスメイトたちを羨ましいと思っていた。医者という父さんの仕事の都合上、そういった行事関係は誰も来ないことが多く、皆が親子で盛り上がっている中、一人寂しく過ごしていた。アキラのお母さんは無理に休みを作って来てくれるようで、比較的に参加率が高かった。でも父さんは受け持っている患者の容体次第で急に来られなくなることや途中で帰ってしまうことがあった。そんな時に親子で挑戦するような授業や競技種目があると苦痛でしかなかった。

 もしこれから母さんも一緒に暮らせるようになるのなら、父さんか母さんのどちらかが学校行事に参加してくれるかもしれない。そうしたら、もうクラスメイトを恨みがましい目で見ることもない。父さんと母さんと俺の三人で家族旅行に行くことだってできる。旅行先で母さんとお揃いの狐耳のカチューシャを付けて、三人で記念撮影なんてこともあるかも。

 そんなことを考えつつ、今まで離れて暮らしていた分、これからはきっと一緒に暮らせるかもしれないと胸を膨らませていた時だった。冷水を浴びせられるような言葉が両親の間で交わされる。


「身長と体格、何より本人の精神面的にも問題ないだろう。あとは君次第だ。祈緒」

「いつでも大丈夫よ。この子を産んだ時から、もう覚悟は決めていたわ。それよりもこの子の心が耐えられるかが心配よ。きっと生涯に渡って引き摺ることになるわ。貴方と同じように」

「それくらい小邑家の人間なら乗り越えてもらわないと困る。あと十数年後にはもっと身が切られるような想いをするのだからね。愛した女性が息子に裂かれて、それを恨むどころか享受しなければならない苦痛の日々を、ね……」


 何を話しているのか分からなくて、両親を交互に見つめていると、父さんは背負っていた竹刀袋を降ろした。布製の袋の中から漫画やゲームでしか見たことがなかった日本刀が姿を現してますます興奮した。


「かっけ~!! 父さん、これどうしたの?」

「これは我が家に伝わる家宝だよ。これで退治するんだ」


 持ち方を教わりながら父さんから渡された抜き身の日本刀の刀身には、年相応に目を輝かせて、頬を上気させた自分の姿が反射していた。いつの間に手入れしていたのか、白刃の刀身には傷一つ付いていなかった。


「悪い奴を、だろう!! どこに悪い奴がいるんだ!! 俺も悪い奴を退治して、ヒーローになりたい!!」

「そうか。それじゃあ、なりなさい。目の前にいる妖狐が悪い奴だから……」

「なに言っているんだよ! 目の前にいるのは母さんじゃん!! そうだ、これからは母さんも一緒に三人で暮らそうよ! 俺、良い子にするから……」

「その母親を退治するんだ、祈里。目の前に立つ妖狐こそ、祈里を苦しめる悪い奴だ」


 滅多に見せない父さんの真剣な表情から、これが嘘ではなく本当のことだと言われているようで、身体から血の気が引いて行く。急に日本刀が重く感じられるようになって床を引き摺っていると、父さんも日本刀の柄を掴んで、刃先を母さんに向けたのだった。


「今までお母さんがここで暮らしていた理由。それも全てこのためにあったのよ。貴方が私を――お母さんを殺すために」

「いやだ……どういうことだよ。父さん、母さん……」

「祈里、この刀でお前のお母さんを殺しなさい。そうしたら祈里は呪いから解放される。大人になって、ヒーローにもなれるんだよ」

「よく聞きなさい、祈里。貴方は生まれながら二十歳までしか生きられない呪いを掛けられているの。でもね、貴方がその刀を使って自分の手でお母さんを殺すことで、呪いから解放されるのよ。だから私を殺しなさい。重くて一人で持てないなら、お父さんに手伝ってもらってもいいから……」


 後ろだけではなく前からも母さんを殺せという声が執拗に迫ってくる。まるで拷問のように。両親に促される度に、俺は「いやだっ!」と泣き叫んだ。嗚咽を漏らしながら洞窟中に響き渡る号哭を上げつつ、父さんが渡してくる刀を何度も払い落としてた。


「やだやだっ……! なんで父さんも母さんもそんなことを言うんだよっ!! 二人ともおかしいよっ!! 俺、俺っ、良い子にするから……何でもするからっ……!! だから三人で一緒にいようよっ! ねえ、父さん、母さん……ねえってば……っ!!」


 家族三人で暮らすという淡い幻想は砕け散り、そんな悪夢のような日々が何日、何ヶ月、何年も続いた。俺にとっては、二十歳で死ぬ短命の呪いより、母親を殺さなければならないという母親殺しの呪いの方が辛かった。

 結局父さんはそんな俺の姿に呆れたのか、ある時から「好きにしていい」と言ってくれた。本当は呪いを広めないために母さんを殺して欲しかったらしいが、俺が虫さえ殺せないようなひ弱だと知って、愛想を尽かしたのだろう。今は俺が二十歳で死んで、血縁者が途絶えた時に親戚のどこに呪いが飛ぶのかを調べている。その親戚に呪いが継承されることを直接謝罪して、土下座さえしたとも聞いている。

 全ては俺が原因だ。俺が母さんを殺せない軟弱者だから。父さんや祖父さん、そしてこの呪いで犠牲になってきた妖狐のためにも、俺は今日こそ決着をつけなければならない。

 母さんをこの手で殺めると、そう決めて相棒でもある家宝の日本刀と共にやって来たというのに――。




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