第八十五話 暗礁水域の作戦
海図を確認していたダーラが叫んだ。
「アルフレッド殿、まもなく、暗礁水域です」
「暗礁水域か、了解した。ルミアナ、船首で暗礁の見張りを頼む」
「はい、陛下。お任せください」
ルミアナは素早く船首に向かうと見張り用の台の上に立ち、揺れに備えてしっかり手すりを握りしめた。海面からは何も見えない。だが、水面下には鋭い岩の先端が海面に向けて突き出しているのである。敵艦との距離は徐々に詰まっているが、もちろん、これは敵をおびき寄せるためだ。すぐ後ろに迫るガレー船から、こちらへ向かって矢が飛び始めた。火矢も飛んでくる。弓矢の射程内に入ったようだ。
敵艦の甲板上では、トカゲ族の兵士たちが気勢を上げている。
「おらおら、もうすぐ人間の船に追いつくぞ。野郎ども、もっと漕げぇえ」
「うおおお、人間どもを、ぶっ殺してやる」
俺はダーラに言った。
「接近しすぎだ、少し速度を上げてくれ」
「了解」
ダーラが風魔法の魔道具のレバーを倒し、出力を少し強くした。
艦首のルミアナから指示が飛ぶ。
「暗礁に接近します。左へ10度、変針ねがいます」
「左へ10度、とーりかじ・・・」
舵を切ると波しぶきの音とともに、大きく船が傾く。床の上に寝ているアネスが転がる。
「あわわわ」
「暗礁に接近します。右へ15度、変針ねがいます」
「右へ15度、おもーかじ・・・」
「あわわわ」
ルミアナの指示で次々に暗礁をすり抜ける。それでも敵のガレー船は、まっすぐ後ろに食らいついてくる。暗礁にはまったく気が付いていないようだ。しかし今のところ、敵艦が暗礁に衝突する気配はない。思ったほど簡単にはいかないようだ。
海図を確認しながら、ダーラが言った。
「この先が、最も暗礁が多い危険水域になります。気を付けて下さい」
「わかった。おおい、ルミアナ!いよいよ危険水域だ。頼むぞー」
「危険水域ですね、了解でーす」
一同に緊張が走る。もし暗礁をかわし損ねてこちらが座礁すれば、たちまち敵艦に追いつかれ、囲まれてしまう。ガレー船一隻にはおそらく500名以上のトカゲ兵が乗船しているはずだ。そんな人数の敵兵が一斉にこの船に乗り込んで来たら、いくら俺の魔法があっても一巻の終わりである。
「暗礁に接近します。右へ15度、変針ねがいます」
「右へ15度、おもーかじ・・・」
変針の頻度が上がってきた。まさに右に、左に船が揺れる。
ルミアナが大声で叫んだ。
「速度を下げてください!暗礁を避けきれません。ゆっくり進んでください」
「了解した、速度を落としてくれ」
速度を落とすと、後ろからみるみるガレー船が近づいてくる。甲板に詰めかけたトカゲ兵たちが武器を手に、ものすごい形相で叫び声をあげる。
「うおおおお」
「おらああ、ぶっ殺してやる」
ガレー船の船首から、こちらの船尾楼に向けて火矢がどんどん撃ち込まれ始めた。船体に次々に火矢が突き刺さる。火災が発生したらやっかいだ。兵士たちがバケツで海水を掛けて消火に当たる。これはまずいな。俺はサフィーに声をかけた。
「サフィー、船尾にバリアを展開してくれ」
「あっはっは、いよいよ、われの出番じゃな」
俺の側にキャサリンがぶんぶん怒ってやって来た。
「お兄様、このままじゃ敵艦に追いつかれてしまいますわ。どうなってますの?」
「わからない。ぜんぜん敵が暗礁にぶつからないんだ。よほど運がいいんだろう」
キャサリンはムッとすると、後ろに迫ったガレー船を指さして言った。
「なによ、あんたなんか、岩にぶつかって沈んじゃえばいいんですわ」
そう言い終わるか終わらないうちに、ドン、メリメリと大きな音がして先頭を進んでいたガレー船が暗礁に乗り上げた。甲板で身を乗り出していたトカゲ兵が衝撃でバラバラと海面に落ち悲鳴をあげた。
そのすぐ後ろから追ってきたガレー船は、先に座礁したガレー船を避けきれず激しい音をたてて激突。前方の船の船尾にめり込んで停止した。
さすがに当のキャサリンもその様子を見て一瞬驚いたが、すぐに立ち直った。
「ざ、ざまあみろですわ。トカゲがわたくしたちに襲いかかるなんて、百年早いのですわ。どいつもこいつも、みんな海の藻屑になるといいのですわ、おーほほ」
それを見たダルモラの水兵が、目を丸くして顔を見合わせた。
「すげえ、さすがは、聞きしに勝る貧乏神。キャサリンお嬢様だ」
「ああ。敵艦を指さしただけで、たちどころに連中の幸運を全部吸い取ってしまった。まさに運の尽き。あいつらも終わりだな」
それを聞いたキャサリンが水兵に詰め寄った。
「ちょっと、なによ。褒めてるのか貶してるのか、わからないじゃないの。どっちなの?それとも、あんたたちも、わたくしに指さして欲しいのかしら」
「ひえええ、お助け」
たちまち水兵は逃げて行った。俺はキャサリンに言った。
「キャサリン、ありがとう。おかげで魔法石も魔力も節約できた。まだまだ戦闘は始まったばかりだから、この功績は大きいよ。この調子で頼む」
「あーら、わたくしのすごさを再認識したかしら、お兄様。わたくしにかかれば、トカゲなど、ことごとく幸運を失って不幸の中でもがき苦しむのですわ、おーほほほ」
とはいえ、そうそう何度もうまくいくものではない。その後はキャサリンが指差しても、ガレー船は暗礁に乗り上げなかった。再び効果を発揮するには、いわゆる「クールタイム」のような一定時間の間隔を開ける必要があるのだろう。
しかし、俺の船を追いかけてきた他の敵艦は、先頭を進んでいた二隻のガレー船が相次いで座礁・損傷した様子をみて、さすがにここが暗礁水域であることに気付いたようだ。速度を落としてノロノロと動いている。それでも後ろから遅れて来たガレー船が気付かないまま二、三隻、暗礁に乗り上げるのが見えた。最初に座礁した船は、沈みかかっている。
「よし、これで連中はしばらく身動きが取れないだろう」
ダーラが言った。
「そろそろ、暗礁水域を抜けます」
見張り台から報告が入る。
「報告します! 敵艦、四、五十隻ほどが、東海岸へ向けて移動中。上陸を企てていると思われます」
「ちくしょうめ、やはりこの数ですべての敵を同時に相手するのは無理か。敵の上陸を妨害しなければならない。見張り! 近くに僚艦は見えるか?」
「はい、・・・三番艦、十五番艦、二十四番艦が近くに見えます」
「よし、では、三番、十五番、二十四番艦に信号旗で指示を出せ。旗艦に従い、海岸へ向かえと」
「三番、十五番、二十四番艦に信号、了解しました」
ーーー
一方、そのころ、俺の船を追ってきたジャビ艦隊のジルル将軍の乗船する旗艦は、暗礁水域のど真ん中で立往生していた。
「くそ、これが人間どもの罠だったとは腹立たしい・・・。それにしても、なぜアルカナの軍艦は、こんな暗礁水域を無傷で通り抜けられたのだ。あいつらは手品師か?」
その時、不意にジルル将軍の背後で不気味な笑い声が響いた。驚いて将軍が振り返ると、そこには黒いローブを身にまとったエルフの男が立っていた。
「き、貴様、何者だ。どこから入ってきた」
「ふふふ、私の名はガルゾーマ。エルフの大魔導士だ」
「はあ、エルフだと? エルフが我々に何の用だ? 返答次第では、ただでは済まさんぞ」
「ふん、馬鹿なトカゲどもだ。残念ながらお前らのような下等動物ではアルフレッドに勝つことはできんな。代わりに俺様がお前らを使ってやろうというのだ、ありがたく思え」
「はあ? ほざけ、エルフの分際で生意気な。やっちまえ」
指揮所にいたトカゲたちが一斉にガルゾーマに飛び掛かる。その瞬間、ガルゾーマの体から緑色の光がほとばしる。指揮所にいたトカゲたちは、ジルル将軍も含めて全員が一瞬で麻痺してしまった。
「か・・・からだが・・・」
「ふふふ、お前らには、私の忠実なしもべになってもらおうか」
ガルゾーマがそう言うと、光の色が青に変わった。トカゲたちの目から精気が失われた。光が消えると、ガルゾーマはゆっくりとジルル将軍に近づき肩を叩いた。
「ははは、よろしく頼むよ下等動物くん。では、暗礁水域を抜けるとしようか。なあに、私の指示通りに船を進めればよいのだよ」
「・・・はい、仰せのままに・・・」
巨大なガレー船が、ゆっくりと動き始めた。




