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第八十一話 司祭の少女

 ジャビ帝国の大艦隊は着々とアルカナ王国に迫りつつあった。そんなある日のこと、ミックは真剣な表情で俺に進言してきた。


「陛下、ジャビ帝国との決戦を前に、我が国の聖地で必勝祈願をいたしましょう。部下たちを連れ、神官と共に戦いの神に祈るのです」


 必勝祈願か・・・。ここアルカナ王国では神の力が広く信じられている。出陣前に戦いの神に捧げる必勝祈願を何より重視する者が多く、祈願の結果が悪いと本気で戦いに勝てないと信じている兵も少なくなかった。


 本当に戦いの神がいるかは、わからない。しかし、ここは異世界なのだから異世界の慣習に従うことも必要だし、それで兵たちの士気が上がるならそれに越したことはない。


「わかった。早急に準備を進めてくれ」


「はい、陛下」


 二日後、俺はいつものメンバーと共に、アルカナ軍の士官クラス以上の兵士を伴って必勝祈願のため聖地へと向かった。聖地はアルカナの南に広がる火山地帯、アルカソル山脈の山頂付近にある。以前、保養のためにアルカソル山脈にある温泉宿を訪ねたことがあったが、聖地はそれより標高の高い場所にあるらしい。まずはふもとの村にある神殿に立ち寄り、そこから神官が俺たちに同行することになっていた。


 毎度のこととはいえ、キャサリンが怒っている。自分の作ったケーキが、神様へのお供え物として不採用になったからだ。


「おかしいですわ、いったい、どういう基準でお供え物を決めているのかしら。私の作ったケーキがダメというのは失礼にも程があるのですわ」


 もちろん、キャサリンの作る菓子や料理は、この世のものとは思えない味がするためなのだが、キャサリンが国王アルフレッドの妹君であるがゆえに、この事実は公然の秘密として誰も決して口には出さないのである。


 キャサリンは隣を歩いていたトカゲ族のザクとゾクに向かって言った。


「ちょっと、あんたたち。このケーキを食べてみなさい」


 ザクが飛び上がった。


「ええええ、お、俺がこのケーキを食べるんですか? だ、大丈夫なんですかい」


「大丈夫とはどういう意味よ」


 横からサフィーが出てきて言った。


「そうじゃ、失礼じゃぞザク。われは以前にキャサリン様の焼かれたパンを食べたが、実に美味であったのじゃ。まあ、材木のように固かったがな」


 それを聞いて、カザルは苦笑いした。


「それはサフィーが人間ではないからだぜ。なにせ魔族だからな。魔族は味覚がぶっ壊れているから、何でも食えるんだ。もし普通の人間が食べたら・・・」


 カザルの話を聞いていたミックが兵士たちに目配せした。たちまちカザルの周囲に兵士らが集まり、カザルを拘束すると、どこかへ連れていってしまった。その様子を見てザクの目が大きくなった。


「こ、これはやべえ」


 ミックがニッコリとザクに向かって微笑んだ。


「ザク殿・・・キャサリン様のお作りになったケーキですが・・・ザク殿は『当然』召し上がられますよね、『当然』」


「も、もちろん食べます、食べます」


 ゾクがザクの隣でへらへら笑った。


「本当に食べるのかよ、へへへ」


「うるせえ、お前も食べるんだよ、アホ」


 ザクとゾクがケーキを片手で持って口に運び、思い切って一口食べた。噛みしめるとケーキの味が口の中に広がる。突然ザクとゾクの目が見開かれ、手にした食いかけのケーキを地面に落とすと、大声をあげて両腕を天に突き上げた。


「うおおお、来た来た、体の底から、何かがこみ上げてくるぞ・・・」


 一同は驚いてザクとゾクを見た。これはもしかすると、常軌を逸した味覚によってザクの肉体に変化が引き起こされようとしているのだろうか。


「うおお、来る、来る・・・」


「・・・おまえら、もしかして・・・」


 ザクとゾクは泡を吹いて仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。あまりの味覚に気絶しただけだった。二人は担架で後方へ運ばれて行った。ルミアナが治療薬をもって、その後ろを追いかけて行った。


 キャサリンはますます不機嫌になった。


「まあ、失礼ですわね。二人とも晩御飯は抜きですわ」


 そうこうするうち、俺たちは聖地のふもとにある村に着いた。村の神官が聖地に同行して、必勝祈願の儀式を執り行う予定になっていた。


 村の神殿は石造りの小さな建物で、どことなく欧州の教会を思わせる作りだった。肝心の神官の姿は見当たらなかったが、神殿の前には人がよさそうな中年の男が待っていた。村長のようである。


「陛下、ようこそお越しくださいました。私がこの村の村長です」


「お出迎え、痛み入ります。・・・ところで神官様はどちらに?」


「はあ、それが、その・・・神官と言うのがちょっと変わり者でして・・・つい数年前に宗教本部から派遣されてきた少女で、自称『元・天使』だそうです」


「元・天使?」


「嘘か本当か知りませんが、本人がそのように言っております。おまけに、お祈りの時間以外は部屋に引きこもっておりまして。まだ部屋の中にいるようなのです」


「引きこもりの、元・天使か。なんだそれは」


 待っていても埒が明かないので、俺たちは神殿の扉を開いて礼拝堂の中に入った。中は薄暗く、ひんやりした空気に満ちている。正面には石に掘られた質素な神々のレリーフが並んでいる。アルカナは多神教だから、レリーフもたくさんある。礼拝堂の奥へ進み、左にあるドアを開けると廊下があり、その突き当りが神官の部屋のようだ。


 村長がドアに顔を近づけて大声で言った。


「これ、神官殿! 陛下がお見えになりましたぞ、神官殿!」


 返事がない。


「これ、神官殿! いつまでも出てこないと、神官を首にされてしまいますぞ」


 突然ドアが開いて中から少女が飛び出してきた。長い髪の毛はボサボサに乱れていて、急いで着たためか神官の服も半分脱げかかっている。勢い余って神官の帽子が前へ飛んで行った。少女はあわてて帽子を拾って頭にのせたが、向きが横にずれている。


「あわわわ、た、大変なのです。寝坊したのです」


 神官の少女は慌てて間違えたのか、総務大臣のミックに駆け寄ると、言った。


「陛下、こ、これは失礼いたしましたのです。どうか私を首にしないでほしいのです。失業したら行くところがないのです、陛下、お願いしますなのです」


 ミックは苦笑いしながら言った。


「神官様、私は国王様ではありませんよ、国王様はあちらです」


「へ? どこ、どこ。あわわ、メ、メガネが・・・」


 少女の神官は急いで部屋の中へメガネを取りに戻った。何やらガシャガシャと小物をかき回すような音が聞こえる。ちょっと部屋の中を覗いてみた。ゴミ屋敷である。男の部屋がゴミだらけなのは珍しくないが、女性の部屋がゴミ屋敷とは。


 その時、部屋から十数匹の黒っぽい虫が這い出してきた。何気なくそれを見たキャサリンが、突然髪の毛を逆立てて叫んだ。


「きゃあああ、ゴキブリだわ、ゴキブリがいっぱい部屋から出てきたわ」


 部屋が引っ掻き回されたことに驚いたのか、中からゴキブリやら、カマドウマやらがわらわらと出てきたのである。少女はメガネをかけると急いで俺のところに戻ってきた。


「えへへへ、失礼しましたのです陛下、これでもう間違えないのです。私の名前はアネスなのです。この村で神官を務めている者なのです」


 キャサリンが憤然として言った。


「あんた、部屋が汚いわよ。ゴキブリやらカマドウマやらがいっぱい出てきたじゃないの」


「あー、あれは部屋で飼っているのです。食いかすや食べ残しを掃除してくれるパートナーみたいなものなのです。あと、それを餌にしたヤモリとアシダカグモもいっぱい居るのです。かわいいですよ、連れてきますか?」


「じょ、冗談じゃないわよ。部屋をきれいにしなさい。キレイにしないと死刑よ」


「あわわわ、死刑は嫌なのです。あとで掃除するから、許してほしいのです」


 俺はあきれながら言った。


「まあまあ、死刑にはしないから大丈夫だ。ところで村長さんから面白い話を聞いたのだが、アネスが元は天使だったという話は、本当なのか?」


 キャサリンが胡散臭そうに横目でアネスを見た。


「ウソおっしゃい。天使様は天界に住まわれている高貴で可憐で美しい存在なのですわ。そんな天使様が、ゴキブリやカマドウマと仲良くゴミ屋敷で生活しているはずがありませんわ。きっと偽物に違いありません」


「あわわ、本当なのです。私は元は天使だったのです。信じて欲しいのです」


 俺はアネスに尋ねた。


「元、ということは、今は天使じゃないということだな。それは、どういうことだ?」


「それがその・・・天界でいろいろ失敗をやらかしたんです。でも、失敗は誰だってするじゃないですか。それなのに、私の上司の大天使様から『お前は天界始まって以来の問題児だ』なんて言われてしまったのです。あんまりだと思いませんか。そして『お前は勉強のために、地上世界で徳を積んで来い』と命じられて地上界に降りてきたのです」


 キャサリンが突っ込んだ。


「ふ~ん、それって勉強のために地上界に派遣されたんじゃなくて、体よく天界を厄介払いになっただけなのですわ。つまり、この女は、天界を追い出された堕天使なのですわ、アネスは堕天使、落ちこぼれですわ」


「ちち、違うのですぅ! 地上界で徳を積めば、天界へ帰れるのです。本当なのです」


 俺は二人を制した。


「まあまあ、キャサリンは黙っていなさい。ところで、アネスは天界で何をやらかしたんだい? 地上に勉強にこなきゃならないほどの失敗をしたのかい」


「違うのです、聞いてほしいのです。私はある大天使さまのお世話係をしていたのです。そんなある日、大天使さまから、いつもお出ししているお茶に滋養強壮のハーブを入れてくれと言われたのです。そんなこと命じられたのは初めてだったのです。それで、ついあわてて間違ってしまって、ハゲ頭の神様がいつも使っている毛生え薬を、大天使様のお茶に入れちゃったのです。そしたら大天使様のお尻から、もうもうと毛が生えまして。とんでもないドジだと怒られまして・・・お世話係を首になりました」


「・・・う~む、他には?」


「今度は別の大天使さまのペットの飼育係になったのです。大天使様はオウムに似た大きな鳥を飼っていらして、たいそうお気に入りだったのです。天界も地上界と同じように、夏になると暑いのです。その日はとりわけ暑くて、オウムが暑くて苦しそうにしていたので、気を利かせて羽を全部むしってあげたのです。そうしたら、オウムの見た目が鳥の丸焼きみたいになったのです。それで大天使様が激怒されまして、飼育係を首になったのです」


「・・・う~む、他にもあるのか?」


「はい、今度は天界のお庭の世話係をやることになったのです。ある日、大天使さまから、お庭に水を蒔くように言われたのです。といっても、天界のお庭は無茶苦茶広くて、普通に桶に水を汲んで蒔いていたら一日じゃ終わらないのです。それでピーンとひらめいたのです。雷神様の部屋にある『雨を降らせる神器』を使ったら広いお庭にいちどに水を蒔けるんじゃないかと。


 それで、こっそり神器をお借りして使ってみたら、全然雨が降らなかったのです。使い方が悪いのかと思って、何回も何回も神器を使ってみたのに、やっぱり雨が降らないのです。変だと思ったら、お庭じゃなくて、地上にものすごい量の雨が降っていて、大洪水がおきて大騒ぎになっていたのです。そういうのは説明書に書いておいて欲しかったのです。他にもあるのです、例えば・・・」


「いや、もうわかった。かなりヤバイことがわかった。あー、まあ、ともかく、地上界で徳を積んで天界に戻ろうと頑張っているわけだな。それは感心だ」


 ところが、アネスはバツが悪そうに下を向きながら言った。


「それがその・・・地上界に降りてからしばらくは、天界へ戻ろうと必死に頑張っていたのです。そして、地上界に来たからには、地上界の社会に溶け込むことが大切だと思ったのです。それで地上界のことをよく知ろうとして、人間たちと生活していたのですが・・・そのうち、地上界には天界に無い『世俗的な楽しみ』が溢れていることに気が付いたのです」


 なんだか話が怪しくなってきたぞ。


「たしかに天界の生活は清く正しく美しいけど、つまらないのです。それに比べて地上界の生活は刺激に溢れているのです。体に悪いものがいっぱい流行ってるのです。なかでも、お酒はいいのです。お酒を飲めば、天界でさんざん失敗してきたことも一時いっとき忘れられるのです。昨晩も飲みすぎて、今朝はつい寝坊してしまったのです、えへへへ」


「いや、えへへじゃないだろ。そんなことでは、天界に戻れないぞ」


「いやもう、最近は天界に戻らなくてもいいかなと思うのです。このまま地上で腐ってゆくのも天使の道かなと」


 どこが天使の道なんだよ、どーすんだこれ。人間界で徳を積むどころか、どんどん堕落してるじゃないか。大丈夫なのか? 俺は村長を呼んだ。


「村長!」


 村長が飛んできた。


「はいはいはい、陛下。何でございましょう」


「今日の必勝祈願は大丈夫なんだろうな。なんかヤバい予感しか、しないのだが」


「だ、大丈夫です。風は強いですが、天気は上々です。急ぎましょう」


ーーー


 山道を数時間かけて登り続けると徐々に木は少なくなり、やがて巨岩が立ち並ぶ、岩だらけの荒れ地に出た。このあたりは山のほぼ頂上にあたる。


 山頂付近には風を遮るものが少ないため、強い風が音を立てて巨岩の間を吹き抜けている。やがて目前に、神が降り立つとされる幅二十メートルもある巨大な岩の台座が現れた。儀式はこの台座の前で行われるという。一行はその前に整列した。


 神官の少女アネスが、巨大な台座の前に置かれた石のテーブルに分厚い本を置いた。


「そ、それでは祈祷を始めるのです、えへん」


 アネスはお祈りの経文がびっしり書かれたページをゆっくりと開いた。風でページがめくれないように両側に重しの石を載せると、経文を読みながらお祈りを始めた。


 お祈りをはじめてすぐ、強風でアネスの帽子が飛んでしまったので、ルミアナが素早く拾うとアネスに手渡した。アネスは帽子を片手で押さえながらお祈りを続ける。


 すると、台座の周囲に白い光が生じ始めた。さすがは異世界である。本当に神が現れるのかもしれない。神様をこの目で見るのは初めてだ。神様とはどんな見た目なのだろうか。期待しながら儀式の様子を見ていた。


 すると、突然、それまでになく強い突風がドッと吹いてきて、アネスの前に置いてあったお祈りの本が、あっという間に高々と舞い上がり、遥か彼方へ飛んで行ってしまったのである。ルミアナとレイラが慌てて追いかけたが、どこへ飛んで行ったかわからない。


「あわわわ、大変なのです、お祈りの本がなくなってしまったのです。あわわ」


 アネスは大慌てでパニックになっているようだ。


 その様子を見て、カザルが笑った。


「なんでえ、神官のくせに、本を見なきゃお祈りもできないのかよ」


「そそそ、そんなことは無いのです。わたしだって経文くらい、頭の中に入っているのです。いいから、そこで黙って見ていればいいのです」


 アネスは取り乱しながらも、さらにお祈りの言葉を続けた。すると台座の周囲を覆っていた白い光の色がなにやら黒っぽい、もやのような物に変化しはじめた。と思ったら、次の瞬間、台座の上に巨大な人物が現れた。薄汚れたぼろぼろの服を全身にまとい、黒いオーラを漂わせている。


「わっはっは、わしは、貧乏神じゃ。わしを呼び出して何の用じゃ」


 アネスが仰天して腰を抜かした。


「あわわ、本が無いから経文を間違ってしまったのです、間違って貧乏神を呼び出してしまったのです」


「なな、なんだと!」


 同席した将軍や士官たちの間に、たちまち動揺がひろがった。


「やべえぞ。必勝祈願なのに、貧乏神を呼んじまった」


「どうすんだ、これ」


「貧乏神に必勝祈願なんかしたら、戦いに負けること間違いなしだ」


 戦いの神を呼び出す予定が、あろうことか貧乏神を呼びだしてしまったのだ。兵たちは動揺し、もうだめだと頭を抱える者もいる。


 その様子を見ていたゾクが、横から貧乏神に向かってへらへら言った。


「へっへっへ、俺たちがお前に何の用があるのかだって?そんなの、戦争の必勝祈願に決まってるだろ。必勝祈願するんだよ・・・」


 慌ててザクがゾクを殴り倒した。


「バカか、お前は黙ってろ!」


 貧乏神が上から二人を見下ろすと、ニヤッと笑っていった。


「なぁにぃ?必勝祈願だと?」


 ザクが慌てて否定した。


「いえいえいえ、全然違います。こいつの頭がおかしいだけです。もう、いっそのこと、この馬鹿をあなた様の生贄に差し出しますので、今の話は忘れてください」


「わしは、そんな汚いトカゲの男などいらん。そうじゃな、必勝祈願なら、わしが力になってやろうか? もちろん必ず戦いには負けるだろうがな、わははは。ほれ、どうするんだ。必勝祈願をするのか?」


 その場が重苦しい雰囲気に包まれた。


 すると何を思ったのか、キャサリンがつかつかと巨大な台座の前に歩み出た。


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