第七話 大河の痕跡
今日は王国農場の視察である。アルカナの喫緊の課題は農業生産だ。農業は国民たちの空腹を満たすために必要なだけではない。王国政府の収入の大部分は王国農場から納められる穀物などを売って得られるからだ。江戸時代の年貢米のようなものだ。だから農業生産は国家収入を増やすためにも最重要だ。
さすがに農場は広いため、ミックの勧めで馬を使って視察することになった。もちろん生まれてこのかた俺は馬に乗ったことなどない。しかし転生前の国王が馬術の訓練をしていたおかげなのか、からだが勝手に反応して無事に馬を操ることが出来た。
翌朝早く、俺はミックと数名の護衛で農場の視察に向かうことにした。エルフのルミアナも同行する。
王国には近衛騎士隊という国王直属の部隊があり、国王にはお付きのレイラという女性の近衛騎士がいるのだという。しかし、今日は非番だったため実家に帰省しており、この場にはいなかった。
ミックが申し訳なさそうに言った。
「陛下、申し訳ございません。急なお話でしたので、レイラへの連絡が間に合いませんでした。知らせの者を派遣しておりますので、一両日中には合流すると思われます」
「いや、気にしないでくれ。急に視察すると言い出した私が悪いのだから」
キャサリンは妙に上機嫌で、俺の隣ではしゃいでいる。俺の行くところは、どこへでも付いてくるつもりらしい。
「今日は楽しみですわ、お兄様とピクニックに出かけるのは、久しぶりですものね」
「あのなあ、これはピクニックではなくて農場の視察だよ。仕事なんだからな」
「そんなのわたくしには関係ないですわ。今日は料理人にお弁当も用意してもらったのよ」
「お弁当? そのお弁当に・・・イモムシは入ってないだろうな。イモムシは苦手なんだ」
「まあ、変ですわね。イモムシはお兄様の大好物のはずでしょ? だから、イモムシの丸焼きをいっぱい入れてもらいましたわ。しかも特大サイズの。ほら、見て」
弁当箱にはイモムシの姿焼きがずらりと並んでいる。
「うわ、なんで姿焼きにするんだよ。見た目がイモムシのまんまじゃないか。しかも特大サイズだし。せめて肉団子にしろよ肉団子に」
俺は拳を握りしめて料理人を呪った。
「お兄様、好き嫌いはいけませんわ、そんなことだから、いつまでも痩せているのですよ」
「やかましい、大きなお世話だ。ところで、申し訳ないが、そのイモムシは私の代わりにキャサリンが食べてくれないか」
「だめよ。これはお兄様のために、わざわざ最高級のイモムシを仕入れて、王城の主席料理人に直々に作らせた最高級の丸焼きですのよ」
「まいったな・・・しかし・・・それはその・・・そうだ、思い出した、神の啓示だ」
「神の啓示?」
「そ、そうだ。俺が夢で見た神の啓示によると、私がイモムシを食べると王国に不吉なことが起こるらしい。まことに残念だが、食べることができないのだ」
「はあ? 本当ですの? 神様もおかしな啓示をされるのですね。・・・仕方がないですわ、今回はわたくしが食べてあげます。でも、これはお兄様への貸しですからね」
「え? しかし神の啓示だから・・・」
「いいえ、貸しですわ、絶対に貸しですからね」
キャサリンには勝てる気がしない。
俺たちは北大通を経て北門から城壁の外へ出た。北に向かって真っすぐ伸びた街道の両側に、王国農場が広がっている。このあたりの土地は起伏がほとんど無いため、遠くまで見渡すことができる。畑は植林された防風林によって区割りされており、整備も行き届いているようだ。朝日に照らされて馬が農機具を引く様子がところどころに見られる。俺は朝日の眩しい光を避けるため、額に手を当てながらミックに尋ねた。
「この畑では何が栽培されているんだ」
「多いのは小麦などの穀物です。豆類も作っています。今は小麦の種まきのための準備をしているところです。小麦はこれから冬にかけて種を撒いて春に収穫します。小麦を収穫した後はスイカ、かぼちゃ、ネギなど乾燥に強い野菜を栽培しています」
「ここには灌漑ができるような大きな川は流れていないのか」
「このあたりに灌漑に使えるほど大きな川はありません。夏になると小さな川が北の方角から湧き出して流れてくるのですが、冬になると枯れてしまいますし、水量もあまり多くありません。ですから収穫はお天気次第なのです」
街道をさらに行くと、周囲の土地に比べて地面が明らかに窪んでいる場所に行き当たった。このあたりの地形はあまり起伏がない平地なのに、なぜここだけ不自然に地面が窪んでいるのだろう。立ち止まって見渡すと、窪みは谷のように長く南北に伸びており、南は海の方へ向かっている。もしかすると、これは川の跡だろうか。ミックに尋ねてみた。
「この低くなっているところは、川の跡なのか」
「先ほど夏になると水が流れ出すという話をしましたが、それがこのあたりです。しかし冬になると枯れてしまいますし、なにせ細い川なものですからあまり役に立ちません」
夏だけ細い川が現れるのか。細い川にしては谷の幅がずいぶんと広い。向こうの土手までゆうに百メートルはあるだろう。
「ここには昔、もっと大きな川が流れていた、という記録はないのか」
「そうですね、あくまで住民たちに伝わる話ですが、かなり昔、王都の近くを大きな川が流れていたという話はあります。真偽はわかりませんが」
もしかすると昔はもっと大きな川が流れていて、王都に十分な量の水が供給されていたのかも知れない。興味が湧いてきたので、予定を変更してこの川の跡を北に向かって遡ることにした。川筋に沿ってしばらく行くと王国農場は終わり、明るい林に出た。
林と言っても雨が少ないためか背の高い大きな木はなく、横に枝を広げた低木があちこちに生えている程度である。木々の密度がそれほど高くないため、十分な日差しが地面に降り注ぎ、生い茂った草花が穏やかな風にそよいでいる。
馬に揺られて川の跡をどこまでも北へ向かって遡る。空は青く快晴で、のどかな気分である。異世界に来て緊張することが多かったが、自然の中にいると気持ちが癒される。
昼時になったので馬から降りて食事をすることになった。キャサリンはピクニック気分全開で鼻歌を歌いながら歩き回り、倒れて横になった太い倒木を見つけると腰掛けた。
「お兄様、ここがいいわ。私の横にお座りになって。さあ」
「・・・私はここでいいよ」
俺は倒木の近くの切り株に腰かけた。
「なによ、せっかくいい場所を見つけてあげたのに。はいこれ、燻製肉とパン。いまから飲み物をさしあげますわね。自然の中でお弁当をたべるのはいい気分ですわ」
自然の中で食事をするなど何年ぶりだろうか。いい気分だ。小鳥のさえずりがそよ風に乗って聞こえてくる。パンは固くてあまり美味しくないが、貧乏生活で粗食に慣れているので気にならない。
キャサリンが突然立ち上がると叫んだ。
「うわ、クモがいるわ、クモ。気持ち悪いわね。あっちへ行きなさいよ」
キャサリンが腰掛けていた太い倒木の上を、足を広げると十センチほどもある大きいクモがゆっくりと這っている。手で追い払っても動じないようだ。
「ははは、イモムシは平気で食べるくせに、クモはだめなのかい」
「なによ、気持ち悪いものは気持ち悪いの。お兄様だってイモムシはだめなんでしょ。変なこと言うと食事にイモムシを入れるわよ」
しばらくは、イモムシで攻められそうだ。
手で追い払ってもクモが一向に逃げ出さないことに苛立ったキャサリンは、ぎこちない手つきで腰から剣を引き抜くと、倒木をバンバン叩き始めた。
「ちょっとどきなさいよ、じゃまなの、気持ち悪いの。潰すわよ」
おそらく倒木は半分腐っていたのであろう。剣で激しく叩くうちに、突然、木の幹が崩れて真ん中にぽっかりと大きな穴が開いた。開いた穴からは、無数の子クモがわらわらと飛び出し、糸を出しながらキャサリンに飛びかかってきた。どうやら子クモたちは、巣を壊されて怒っているようだ。
「きゃあああ、いや、なにこれ、お兄様助けて」
「うわ、こっちに来るんじゃない」
二人とも無数の子クモにまとわりつかれ、頭と言わず顔と言わず、体中にねばねばしたクモの糸がからみつく。大騒ぎの末になんとかクモを追い払ったものの、全身べたべたで気持ちが悪い。
キャサリンがべたべたの服を指でつまみながら言った。
「気持ち悪いですわ。わたくし、服を着替えますわね。さあ、お兄様も早く服を脱いで」
「え? しかし、私は着替えを持ってきていないのだが」
「大丈夫よ、従者に余分なドレスを持ってこさせてあるから。黄色いドレスよ」
「ハ、バカ言うなよ。この歳になって女物のドレスなど着れるわけがないだろう。私はこのままでいいよ、我慢するから」
「えー、つまらないですわ」
あぶねえ、もう少しで女物のドレスを着せられるところだった。
再び馬に乗ると、さらに枯れ川の上流を目指した。すでに日は傾き、あたりが薄暗くなり始めた。ミックの見立てによれば、川の上流に達するまでに数日を要するとのことだ。今日はこのあたりの林でキャンプを張ることにした。
一行がキャンプの準備を始めると、ルミアナが異変に気付いた。何者かがこちらへ近づいてくるようだ。ルミアナは素早くポーションを取り出すと、隠密の呪文を念じて姿を消し、少し離れたところからあたりの様子をうかがった。
ややおいて、ゆっくりと林の中から武装した盗賊の一団が姿を現した。三十人は居るだろうか、かなりの人数である。
それを見てルミアナが呟いた。
「おかしいわ・・・単なる盗賊にしては人数が多すぎる、しかも統制が取れている」
一方、護衛たちは慌てふためいて剣を抜き、身構えた。




