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第百八話 悪魔の胃袋2

「匂う・・・何か匂うぞ。この匂いは知っている・・・人間の匂いだ。食欲をそそる匂いだ。このあたりに潜んでいるのか」


 闇の中から、巨大なトカゲ族の男が現れた。身の丈は三メートル近くあり、肩幅も広く、筋肉の塊のような体つきだ。トカゲは二人のすぐ目の前まで歩いてきたが、まだこちらには気づいていない。先に会った連中ほど感覚は鋭くないようだ。だが、嗅覚は鋭いらしく、しつこく俺たちの周囲を歩き回っている。俺は全身から冷や汗が流れ落ちた。


 そしてついにトカゲ男がザルカンにぶつかってしまった。気づかれた。巨大なトカゲは驚いたような、嬉しそうな声をあげた。


「うおお、いた、居たぞ。ぐわははは。トカゲと、それに人間もいる。柔らかくて上質な肉だ」


 ザルカンは急いで立ち上がると剣を抜いて構えた。


「近寄るな、あっちへ行け。近寄ると、攻撃するぞ」


 巨大なトカゲ男はまったく動じない。見下したように言った。


「ほう、おまえ、剣を持っているのか。珍しい囚人だな。ここに放り込まれる奴は、たいがいは丸腰だからな。おまえ、いったい何者だ?・・・まあいい、どっちにしろ俺様の食い物になるんだから、誰だろうと知ったことではない」


 ザルカンが俺を振り返って叫んだ。


「アルフレッド様、お逃げ下さい!」


 俺は躊躇した。


「し・・・しかし」


「あなたが殺されては、ゼーラス将軍を助け出すことも、ここから脱出することもできません。こいつは私が相手します」


「くそ、やむを得ないか。わかった、まかせたぞ」


 そう言い残すと、俺は全速力で来た道の方へ逃げ出した。


「ん? 逃がさんぞ。せっかくの人間の肉を、他の奴らに食わせるわけにはいかん」


 トカゲの大男は全力で俺を追ってきた。大きな足音が後ろから迫る。たちまちトカゲは俺に追いつくと腕を伸ばして俺の足を掴み、俺の体をさかさ吊りにした。その様子を見たザルカンが必死に追いかけてきて大男に飛び掛かり、大声で叫びながら背中に一太刀を浴びせた。


「お前の相手はこの俺だ、化け物め! 食らえ」


「うがあああ」


 トカゲ男の分厚い皮に阻まれ、ザルカンの一撃は致命傷を与えることはできなかった。だが、背中の傷から血が噴き出し、男は大きくのけぞると、右腕で掴んでいた俺の足を放した。俺はさかさまに、頭から男の足元に崩れ落ちた。トカゲの化け物は大きく振り返ると、ザルカンに向き直った。


「うるせえ野郎だ。まず貴様から黙らせてやる」


 俺は大トカゲの足元から這って逃げようとしたが、それを横目で見たトカゲは片足で俺の体を思い切り蹴り上げた。俺は三メートルほど向こうへ飛ばされ、壁に激突した。


「ぐは・・・」


 全身に激痛が走り、痛みのために動けなくなった。


 ザルカンは剣を構え、隙を見てトカゲに何度も切りかかるが、そのたびに大男はそのサイズに似合わぬ俊敏な動きで剣先をかわしている。


「ぐぇへへ、そんな程度の腕では俺様の相手などできんぞ。俺様は、元、拳闘士だからな」


 そういうと、怪物は両手の拳を激しく振り回してザルカンを攻撃してきた。ザルカンはなんとか拳をかわしていたが、ついにザルカンの顔に一発が命中した。拳が顔にめり込む。ザルカンは物凄い勢いで横に吹っ飛ばされ、全身が壁に叩きつけられた。衝撃で手から剣が弾かれ、床を転々と転がっていった。ザルカンはよろめきながら立ち上がったが、すかさず大男が駆け寄ると、さながらサンドバッグのようにザルカンの全身をめった打ちにした。ものの三十秒もたたないうちに、ザルカンは意識を失って床に崩れ落ちた。


「なんだ、食前の腹ごなしにもならなかったぜ。さて、どうするか。トカゲの肉は固くてまずいからな、先に人間をいただくとするか」


 トカゲの大男は、振り返ると俺に向かって歩いてきた。俺はからだの痛みをこらえながら、這うようにして逃れようとしたが、逃れ切れるはずもない。トカゲは俺の横に来ると、俺の頭を鷲掴みにしようと右腕を大きく伸ばしてきた。


 これまでか。


 そう思った瞬間、トカゲの右腕は俺の頭を掴む寸前で止まった。よく見ると、トカゲの背後から、同じように巨大な別のトカゲが右腕を掴んでいるのだった。その巨大なトカゲはゼーラス将軍だった。


 トカゲの大男がうめいた。


「ぐうう、てめえ、邪魔する気か。俺様の獲物を奪おうってのか、あ?」


 ゼーラスが静かに言った。


「ああそうだ。お前にこの人間を食わせるわけにはいかんな。ただちにここから立ち去れ、さもなければ容赦しないぞ」


「はあ? やろうってのか。相手になってやるぜ。言っとくが、俺は元、拳闘士だからな」


 そういうが早いか、トカゲは猛烈な速さでゼーラスの顔面めがけて拳を繰り出してきた。だが、ゼーラスはその拳を片手で受け止めた。大トカゲは不敵に笑って見せた。


「ふん、なかなかやるな。だが、これならどうだ」


 トカゲ男はゼーラスの腹部に強烈な拳を叩き込んだ。不意を突かれたゼーラスの腹部に拳が深々と命中した。だが、拳は、まるで岩でも殴ったかのように弾き返されてしまった。これには、さすがの大トカゲも焦ったようだ。大きな口を開けて叫んだ。


「き、貴様・・・素人ではないな。何者だ」


「私は戦場で幾多の死線をくぐり抜けてきた軍人だ。見世物で戦うのと、戦場で殺し合うのでは、わけがちがう。いい加減にあきらめたほういいぞ」


「うがああ、おのれ・・・」


 そう叫ぶとトカゲ男は振り返って駆け出し、床に転がっていたザルカンの剣を拾い上げた。そして剣を握ると、激しく振り回しながらゼーラスに襲い掛かって来た。だが、ゼーラスは軽い体さばきで男の剣先を楽々とかわしてみせた。そして言った。


「拳闘士としては腕が立つようだが、剣はまるで素人だな」


 ゼーラスは剣を握ったトカゲ男の腕を手刀で打って剣を床に叩き落とした。そしてその剣を瞬時に拾い上げると、切っ先をトカゲ男の眼前に突き出した。トカゲはあまりの早業に驚き、うっ、と小さく唸って凍り付いたように体を硬直させた。ゼーラスは剣を突き付けたまま言った。


「なんなら、本当の剣の使い方を、お前の体で試してみようか?」


 トカゲの大男は卑屈な笑みを浮かべながら言った。


「い、いや、勘弁してくれ。あんたはすげえな。よ、よくわかった。その獲物はあんたに譲るから、今回は見逃してくれ・・・じゃあな」


 男は早口でそう言うと、ドシンドシンと大きな足音を響かせながら、通路の暗闇へと逃げて行った。ゼーラスは黙ってそれを見送った。


 それからゼーラスは俺の傍に歩み寄ると心配そうに見下ろした。


「これはアルフレッド殿ではないですか。どうしてこんな場所に。お体は大丈夫ですか?」


 俺は壁に背をもたれて座ったまま、少し咳き込んだ。


「全身を打撲したようですが、大丈夫だと思います。それより、ザルカン殿の方が心配です。あの化け物にめった打ちにされていましたから」


 ザルカンは意識を取り戻し、肘をついて上半身を起こした。


「げほげほ・・・いえ、私は大丈夫です。人間よりもずっと丈夫にできていますからね。これしきのことで死んでしまうようでは、軍人は務まりません」


 ゼーラスがザルカンに声をかけた。


「ザルカン、無理をするな、まだ横になっていろ。骨折しているかもしれん」


 そこへルミアナが血相を変えて戻ってきた。


「陛下! 陛下! ご無事ですか? そこで逃げてゆく巨大なトカゲとすれ違いました・・・」


 そう言いながら、ルミアナは驚いて表情を変えた。俺の横に居る大きなトカゲの男に気が付いたからだ。だが、ロマランの奴隷解放交渉で見たゼーラスの事は覚えていた。


「これは・・・ゼーラス将軍ではありませんか! 何ということ。もしや、陛下を助けていただいたのでしょうか」


 俺は痛みをこらえつつ、苦笑いを浮かべながら言った。


「ああ、その通りだよルミアナ。ゼーラス将軍が偶然ここを通らなければ、私もザルカン殿も大トカゲに食い殺されていただろう。命の恩人だ」


 俺はルミアナから痛み止めと治療薬のポーションを受け取ると、それを口にした。いくぶん痛みが和らぎ、気力が湧いてきた。


 ゼーラス将軍は神妙な面持ちで俺に言った。


「もしかしてアルフレッド殿は、私を救出にここまで来られたのですか? 何ということを。この場所に来たのは間違いです。ここは絶対に脱出できない死の迷宮ですよ」


「いや、御心配には及びません。私は『転送魔法』が使えるのです」


 俺はルミアナの背負っていた魔法陣の描かれた敷物を受け取ると、床に広げて見せた。


「これは転送の魔法陣が描かれた敷物です。この敷物の上に乗って転送魔法を念じますと、監獄の外に脱出できるのです」


 深刻な表情をしていたゼーラス将軍の顔が緩んだ。


「それは素晴らしい。悪魔の胃袋に落とされたときは、もう終わりかと諦念しました。悪魔の胃袋はまさに生き地獄。そこを脱出できるとは夢のようです。あなたには大きな借りができました」


「いえいえ、トカゲ族と人間族の和平のために当然のことをしたまでです。むしろ、これからが私たちの正念場です。我々アルカナ王国と反乱軍でこの戦いに終止符を打ちましょう」


「同感です。今後の作戦に関する詳しいお話は、この監獄を脱出して、我々の前哨基地に戻ってからいたしましょう」


 俺は横で様子を見守っていたルミアナに尋ねた。


「ところで、魔法石のバッグは見つかったか?」


「はい。素材探知の魔法を使って探したところ、やはり通路に捨ててありました。魔法の使えないトカゲ族たちには無用の品物ですからね。中身を確認しましたが無事のようです」


「よし、こんな場所に長居は無用だ。すぐに監獄を脱出しよう」


 ゼーラス将軍が負傷したザルカンに肩を貸して立ち上がると、四人は敷物の上に乗った。


 <転送トランスファー>を俺が唱えると、四人は無事に監獄の外へ転送された。


 光の柱の中から現れた四人の姿を見ると、心配そうな表情で魔法陣を見守っていたレイラが嬉しそうに駆け寄った。


「ご無事でしたか。随分遅いので、心配していました。ゼーラス将軍の救出に成功したのですね・・・陛下! 衣服がボロボロではないですか、大丈夫ですか」


「ああ、全身打撲で体が痛いが、大丈夫だ。それより陽動部隊の方はどうだろう?」


「私はこの場所で敷物をずっと見張っておりましたので、詳しくはわかりません。最初は弓矢や投石機を使って大規模な戦闘が行われていたようですが、今はすっかり静かになりました」


「そうか。早く彼らと合流して、撤収しよう」


 俺たちは崖下から続く林を抜けると監獄の正門へ向かった。そこには陽動部隊のメンバーがいた。みんな座り込んだり、横になったりしていた。ぐったりしている。


 監獄の正門に目を向けると、門の上でも敵兵が倒れたり、しゃがみ込んだり、柱によりかかっている様子が見えた。疲労困憊といった感じだ。一体何が起きたのか。


 俺の姿を見ると、一人だけやたらに元気なキャサリンが駆け寄ってきた。


「ちょっとお兄様! 聞いてほしいのですわ。トカゲ兵ったら、わたくしに向かって全員で石を投げてきたのですわ。なんて失礼なんでしょう、頭に来ましたわ」


「おお、それはひどいな。ところで、みんなどうしたんだ。疲労困憊しているではないか。敵の攻撃がそれほど激しかったのか」


 寝転んでいたカザルがよろよろと立ち上がって言った。


「陛下、ちがうんでさ。キャサリン様が正門の前に歩み出て『わたくしが歌を歌ってあげるから、囚人を開放しなさい』とか言って、大声で歌を歌い始めたんでさあ。そしたらキャサリン様のあまりの音痴に敵兵が怒り狂って、弓矢やら投石機やらでキャサリン様を攻撃し始めたんです」


「キャサリンの歌を聞いた敵兵が発狂したのか。それでどうなった」


 カザルは話を続けた。


「そしたらキャサリン様が逆切れして『あんたたち全員、お仕置きですわ』とか言って、『お腹の痛くなる魔法』をあたりかまわず、ぶちかましたもんだから、敵と言わず味方と言わず、ひどい下痢になり、この有様ですぜ・・・」


 ううむ、やはりキャサリンを野放しにするのは危険だ。何をしでかすか、わかったものではない。


 キャサリンは悪びれずに言った。


「なによ、ちょっとやり過ぎてカザルたちも巻き込んでしまっただけじゃないの。今度からもう少し気を付けますわ。でもわたくしのおかげで陽動作戦が成功したんですからね」


「ははは・・・まあ、そうだな。それじゃあ、敵の新手が来ないうちに撤収しよう」


 俺たちは急ぎ、反乱軍の前哨基地へと向かった。


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