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第百七話 悪魔の胃袋1

 ルミアナは波が激しく打ち寄せる崖下の岩場へ軽快なステップで近づくと、岩の裂け目に手をかけて登り始めた。ルミアナが<隠密ステルス>の魔法で姿をくらませると、その姿は岩の模様に溶け込んで、見えなくなった。そして、しばらくすると、監獄の建物に開いた窓から、白い小さな布が振られるのが見えた。潜入成功の合図だ。


 俺はザルカンに目配せすると、二人で魔法陣の描かれた敷物の上に乗った。


 レイラが心配そうな表情で俺に言った。


「陛下、くれぐれも、お気をつけて」


 俺が転送魔法を念じると白い光が二人を包み、次の瞬間、監獄の一室に移動した。そこは物置のような場所だった。大小さまざまな大きさの木箱、それに、鎖やロープなどが山積みに置かれていた。


 ルミアナは、部屋の出口から廊下を見渡していたが、俺の側に来て言った。


「近くには誰も居ないようです。陽動部隊がうまく兵士たちを引き付けてくれたようですね。念のため、隠密魔法で姿をくらませて行動しましょう」


 ザルカンの案内で俺たち三人は建物の下層へ向かった。ザルカンによると監獄は階層構造になっており、下へ行くほど刑の重い罪人が収監されているという。ゼーラスの量刑は不明だが、かなりの重罪であることは間違いない。おそらく最下層の監獄に捕らえられているだろう。


 下層へ降りる階段は正門の方から見て前後の二か所にあり、俺たちは後ろの階段を使って下へ降りることにした。監獄の建物内部は明かりが少なくかなり暗いため、姿を隠しながら移動するには絶好の環境である。松明の前を横切る際には気付かれやすいので、周囲の人影に注意しながら、時にすばやく、時にゆっくりと階段を降りてゆく。


 正門で騒ぎを起こしてくれたおかげで、見張りの看守の数は少なかった。見つかることなく最下層まで階段を降りることができた。最下層にたどり着くと、俺たちは独房をひとつずつ確認した。


 ザルカンが困惑したように言った。


「おかしい、将軍がどこにも見当たりません」


 もう一度独房を確認してみたが同じだった。ザルカンの表情が厳しくなった。


「この監獄に収監されたのは間違いないのです。いったいどこに・・・」


 俺は嫌な予感がしてザルカンに尋ねた。


「もしかすると、すでに処刑されてしまったのでは・・・」


「いやそんなはずは・・・いや、もしかすると『悪魔の胃袋』に落されたのかもしれません」


「悪魔の胃袋? それは何だ」


「私もこの目で確かめたことはないのですが、死刑よりも恐れられている最悪の刑罰があるらしいのです。デスパイア監獄の地下深くに悪魔の口が開いていて、罪人が穴の中に落とされるそうです。その穴に落とされた罪人は二度と穴から這い上がることはできないと言われています。事実上の死刑ですね」


「それでは、落とされた罪人は、穴の中で餓死するしかないのか」


「聞いた話ですが、穴には毎日数名の罪人が落されるらしいのです。穴の中は迷路のようになっていて、自分が生き延びるために、穴に落とされた罪人が互いに殺し合って肉を食らう、さながら地獄になっているといいます」


「罪人が互いに殺し合って肉を食うとは・・・恐ろしい刑罰だな」


「そこへゼーラス将軍が落されたとすれば、もはや絶望的と言わざるを得ません。仮にまだ生きていたとしても、救い出すことは不可能です。穴に落ちたら、誰も這い上がることはできませんから」


「いや、諦めるのはまだ早い。穴から這い上がることが不可能であっても、この転送の敷物と私の転送魔法を使えば脱出できる」


 ザルカンが驚いたように言った。


「なるほど、魔法で転送するのですね。それは名案です。希望の光が見えてきました」


「それで、その『悪魔の胃袋』へ向かうにはどうすればいい?」


「おそらく、ここよりもさらに下へ向かう通路があると思われます。それを探しましょう」


 ほどなく俺たちは下へ向かう階段を発見した。階段に明かりはなく真っ暗だったが、明かりを使えば隠密がばれてしまうので、手探りでゆっくりと降りた。やがて階段が終わって広い場所に出たので、俺は<灯火球ライト・オーブ>を念じた。オレンジ色の光球が空中に浮かぶと周囲を照らし出した。


 部屋の中央の壁面に、巨大な赤黒い顔のレリーフが浮かび上がった。その顔は醜悪で恐ろしく、おそらく悪魔をイメージしたものであろうことは一目でわかる。その口は大きく開かれており、血の色をした長い舌が飛び出している。そして口の奥には大きな穴があり、漆黒の闇へ続いている。俺たちは、その不気味な光景に圧倒された。


 ルミアナが顔を引きつらせた。


「この口の中に入るのは、かなりの勇気がいりますね」


 ザルカンの目は恐怖で見開かれ、顔の筋肉はこわばっている。


 俺はザルカンに言った。


「大丈夫だ、私の魔法で、必ず脱出してみせる」


 三人は意を決して悪魔の口の中に飛び込んだ。穴の中は急傾斜になっていて、床はぬるぬるした油のような物質で覆われていたため、俺たちはそのまま穴の中を三十メートルほど滑り落ちていった。穴の底は少し広い空間になっていた。


 中は真っ暗だと想像していたのだが、驚いたことに、油を燃やすランプのようなものが、ところどころに灯っており、なんとか視界は確保できた。


 壁は石材のようで表面はざらざらしていたが、床は黒く、指で触れるとべたついており、気持ちが悪い。死体から流れ出た血や油が変質したものかもしれない。


 俺は気配を消すために灯火球を消し、周囲をうかがった。この場所から通路が三方向に続いていたが、そのいずれにも人の気配は無かった。


 俺は言った。


「とりあえず、真ん中の通路をすすんでみよう」


 気配を殺して慎重に進む。ところどころに人骨と思しき骨が落ちている。どれも体の各部分がバラバラになっており、一つとして完全な人骨はなかった。他の罪人に食われたのか、どれも骨だけが残されている。


 通路を進むと、道は再び三方向に分かれた。これだけ頻繁に分岐しているとなれば、道が網の目のような構造になっているに違いない。かなり複雑で迷いやすい作りだ。また、通路に明かりがあると言っても数は少なく、明かりの届かない部分はほとんど真っ暗で、何かが潜んでいたとしても気付かないだろう。


 向こうからトカゲ族の三人組の男が現れた。俺たちは隠密魔法で気配を消していたが、どうやら気付かれたようだ。この極限状態に長く放置された連中は、感覚が異常なほどに鋭く研ぎ澄まされているのだ。


「ぐへへ、見ろよ、新しい獲物が転がり込んできたらしい」


「こいつはめずらしい、エルフの女がいるぞ。魔力を持っているというエルフの肉を食えば、長生きできるにちげえねえ」


 俺は立ち上がると、男たちに向かって言った。


「止まれ、それ以上近づくな。俺たちは人を探している。ゼーラスという、元ジャビ帝国の将軍だった男だ。見かけたことはないか?」


 トカゲ族の男たちは面食らったように驚いていたが、やがて大声で笑いだした。


「バカか、こいつ。二度と戻れない悪魔の胃袋の中で人探しだとよ。そいつを探してどうするつもりだ? 食うのか」


 もう一人の男が言った。


「恐怖で頭がバカになったんじゃねえのか。んじゃあ、まあ、このバカから最初に殺してやるとするか、へへっ」


 そう言うと、男の一人が両腕を大きく振り上げて俺に突っ込んできた。俺は素早く<火炎噴射フレイム・ジェット>を念じ、トカゲ男の正面から炎を浴びせた。通路は強烈な赤い光で満たされた。


「うぎゃあああ」


 男はたちどころに火達磨になり、その場に倒れて動かなくなった。残りの男たちは呆然とその様子を見ている。


 俺は言った。


「お前たちも、こうなりたいのか?」


「と、とんでもねえ。こいつは俺の仲間でも何でもないんだ。・・・そ、そうだ、こいつの死体は、お、お前らにやる。こいつ肉付きがいいから、こいつを食えばしばらくは食いつなげるだろう。な、見逃してくれ」


「ああ、見逃してやる。ところで、もう一度尋ねたい。ゼーラスというトカゲ族の大男を見なかったか?」


「し、知らねえ、本当に知らねえんだ。ウソじゃねえ」


「そうか、知らないなら仕方がない。邪魔したな」


 俺たちはトカゲ族の男たちを後にして、先へ歩き出した。


 ザルカンが俺に言った。


「いやはや、危なかったですね。アルフレッド陛下、聞きしに勝る見事な魔法でした。それにしても、内部はかなり広そうですね。探すには相当な時間がかかるかもしれません。手分けして探しますか?」


「いや、これだけ複雑な迷宮だと間違いなく迷うだろう。バラバラになってしまえば、再び合流することは非常に難しい。このまま一緒に進むしかないだろう」


 しばらく進むと、まだ真新しい人骨が散らばっていた。足や胴体の肉は無残にすべてはぎとられ、あたりには大量の血が流れていた。殺されたばかりのようだ。思わず目をそむけたくなる光景だ。


 ルミアナが口に手を当てながら言った。


「酷いわね・・・こんな場所で死んでいったひとたちは、不憫ですわ」


 あたりをよく見ると、もう一つの死体が転がっていた。比較的小柄なトカゲ族の男だ。こちらは肉をはぎ取られていないようだ。いや、もしかすると、まだ生きているかもしれない。そう思った俺はその死体にゆっくり近づくと、しゃがみ込んで様子を見た。


 すると、死体と思っていた男が突然跳ね起き、俺に飛びかかってきた。俺は驚いて思わず後ろに尻もちをついてしまった。男はその隙に、俺のベルトに紐で結んであった魔法石のバッグを引きちぎり、あっと言う間に通路の暗がりの中へ逃げ去った。くそ、バッグが奪われるとは。ルミアナが俺のそばに飛んできた。


「陛下、大丈夫ですか」


「ああ、私は大丈夫だが、魔法石のバッグを盗まれた。あれが無ければ魔法が使えない。そうなれば、ここから脱出できなくなる」


「わかりました、陛下。私が必ず取り返してきますので、陛下は動かずに、ザルカン殿とここで待機していて下さい」


 そう言い残すと、ルミアナは男の消えた方角へ素早く走って行った。


 ザルカンが急ぎ足で俺のそばにきた。


「アルフレッド陛下、面倒なことになりましたね」


「面目ありません、死んだふりをして待ち伏せしていた事に気付かなかったとは。魔法石のバッグを食い物だと勘違いしたのでしょうか。魔法石は魔法の使えない者にとっては何の役にも立ちませんから、食べ物でないと知れば、そのへんに捨てるだろうとは思います」


「そうですね、必ず見つかると思います。ここで、ルミアナ殿の帰りを待ちましょう」


 二人はその場に座り込んだ。


 俺はすっかり心細くなってしまった。魔法の使えることが俺にとって大きな自信につながっていた。しかし、いざ魔法が使えないとなると、本当に何もできない。いきなり魔法石のバッグを奪われたことで、そのことに改めて気付かされた格好だ。


 ふいにザルカンの顔がこわばった。


「足音が聞こえます・・・」


 俺は固唾を呑んだ。ルミアナの足音ではない。もっと大きくて重い何者かの足音だ。足音はゆっくりと近付いてくる。俺とザルカンは音をたてないよう、這うようにして暗がりへ逃げ込んだ。そして隠密魔法を念じたが、息をひそめた。

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