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新人は静かに笑う

作者: URABE


エリカは焦った。急なアメリカ出張が決まったからだ。


アメリカに本社のある企業で働くエリカは、日本とアメリカを行ったり来たりの生活を送っていた。コロナが始まるまでは--。

だがこの2年、ナパのブドウ畑やサンフランシスコの上り坂が記憶から消えつつある。会議はウェブで事足りるし、本社のCEOたちが日本を訪れることもなくなった。


彼らが来日するとなれば、およそ2か月前から日本本社が大騒ぎとなる。宿泊先からレストラン、日本を満喫できる観光ツアー、そして深夜に引っかけるシャレたバーまで、分刻みでスケジュールを組まなければならない。

今となってはそんな日常が懐かしい。


ところが今朝、アメリカ本社から急な呼び出しがあり、なぜかエリカが抜擢されたのだ。


(どうしよう、まずいわ)


エリカは新型コロナのワクチン接種をしていない。20代で健康体の彼女にとって、コロナに感染して重症化するリスクなど皆無に等しい。さらに命を落とすなど、考えるだけ時間の無駄--。

そう思っていたエリカは、会社が推奨するワクチン接種を無視していた。いや、正確には嘘をついていた。


「わたしも2回、打ちましたぁ」


実際に接種を済ませた同僚らに話を合わせて、彼女もワクチン接種証明を持っていると嘘をついていたのだ。


しかし会社は、まさかエリカが嘘をついているとは夢にも思わない。そこで若手の育成も兼ねてエリカの渡米を決めたのだった。

--出国は11月1日、とにかく時間がない。



「え?10月15日まで予約できないんですか?」


テレワークをいいことに、朝から電話をかけまくるエリカ。個別接種が可能なクリニックを探しているのだ。しかしどこも予約で一杯、早くても2週間後に初回の予約となる人気ぶり。とてもじゃないが、出国までにワクチン2回のノルマは達成できない。


(そうだ、ミッドナイト接種があったわ!)


港区に住むエリカは、最近話題の「週末ミッドナイト接種」を思い出した。予約なしでも100名分の当日枠が用意されているとのこと、これならギリギリ間に合う--。


幸いにも今日は金曜日、渡りに船とはこのことか。




夜22時。東京タワーのお膝元、東京グランドホテルへ到着。


「あの、予約してないんですけど」


「大丈夫ですよ。接種券と身分証明書を確認させてください」


こんな夜遅くに予約なしでも接種できるなら、もっと早く済ませとけばよかったーー。そんなことを考えながら、手渡された問診票へと記入をする。


「次回は10月29日ですが、よろしいですか?」


(・・・え?出国の3日前じゃん)


しかも接種証明を発行する保健所は土日休みのため、金曜日の夜に接種したとしても、証明書を手にするのは月曜日となる。そして月曜日は出国当日。


「あ、あの。もっと早く2回目を打てないんですか?」


「モデルナは4週間あけなければならないんですよ。ファイザーなら3週間でいいんですけど」


その言葉を聞いた瞬間、問診票を突き返すとエリカは叫んだ。


「わたし、ファイザーにします!」




翌朝。エリカはワクチンの個別接種が可能なクリニック、しかもファイザー社のワクチンを持っているところへ、片っ端から電話をかけた。


「え?来週の木曜日が最速ですか?」


恐るべしワクチン人気。いくらファイザーが3週間の間隔で使用できるとはいえ、来週の木曜日が初回では2回目は28日の木曜日となり、接種証明を取得する際に何かあれば出国に間に合わない。


「2回目をほかの曜日に打つことはできないんですか?」


「ごめんなさい、こちらが指定する曜日でないとダメなんです」


なんということだ。初回接種時に2回目もセットで予約する必要があり、その日にちはクリニックに委ねられているのだ。


絶体絶命。会社に本当のことを伝えて謝罪するしかないのか--。震える指で13カ所目のクリニックの番号を押す。


「来週の金曜日にできますよ」


「それじゃダメなんです!今日は?今日はダメですか?」


半狂乱のエリカは電話越しに泣き叫んだ。


「今日はもう予約が入ってるので・・・」


当たり前の返事が返ってくるが、エリカにはもはや後がない。最後の力を振り絞ってこう伝えた。


「今日、キャンセル出してください」


電話の向こうがシーンとなる。向こうも意味が分からず混乱しているのだろう。キャンセルを出してとは、一体どういう意味だ。しかしエリカはすかさず続ける。


「キャンセル出したら連絡ください。番号は・・・」


先方の返事も聞かずに通話終了ボタンを押す。とにかく今日でなければ間に合わないのだ。何とかしてキャンセルを出さなければ--。



30分後、見知らぬ番号からの着信。そして開口一番、


「きゃ、キャンセルが出ました」


と怯えたような声。


キャンセルが出たのかキャンセルを出したのかは、分からないしどっちでもいい。それにしても、アタシの人生捨てたもんじゃないわ--。エリカは静かにほくそ笑む。



(完)


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