メモリアル
戊辰の戦争が終わり、時代は明治となる。封建制は終わりを告げ、君主制から立憲君主制へと、体制は移行しつつあった。産業は発展し、文化も変わって行った。
「先生。」
本田は、東京の下町に暮らしていた。
「文が、挿してありました。」
「またか…。」
明治も半ばを過ぎても、本田は、相変わらず、刀を振るっていた。幕末から明治に掛けて、本田は、いろいろな職に就いてみたが、結局は、人斬り稼業から抜け出すことはできなかった。何をやっても、いつものところに、舞い戻って来た。
「ご免。」
「何だ貴様?」
本田は、一突き、二突きされたところで、何ともない。明治に入ってからの、依頼の相手は、夜盗やごろつきなどが多い。依頼主は分からないが、おそらく、相手と似たようなやくざ者だろう。さながら、本田は、やくざの用心棒のようであった。
「先生。庭先にこれが。」
依頼の文は、玄関や窓に挿され、報酬は、庭に放り込まれる。本田も相手を、詮索することはない。
「俺たちは、あと何年、こんなことを続けていくのだろうな。」
自分が、人間ではなく、機械であると知ったあとも、別段、やることは変わらなかった。
「先生。また文が。」
「今宵か…。」
その夜、本田は、刀を持って、依頼された場所へ行った。
「お久しぶりで。先生。」
「お前、京の…。」
「覚えておいででしたか。」
浪人ややくざを集めて、本田を襲った依頼人であった。
「この文は、お前の仕業か?」
「左様で。ところで、先生は、将軍様には、お会い致しましたか?」
「将軍?ああ、何年か前にな。」
「先生は、あの者のお話を信じましたので?」
「なに?」
「仕方ないといえば、仕方ありますまい。頼りになる者などは、他におらなかったでしょうし。」
「お前、何者だ?」
本田は刀を抜いた。
「おっと、私は、人間ですよ。」
「機械のことを知っているようだな。」
「ふつうの人間よりは、存知ております。」
「何の用だ?」
「先生のお力をお借りしたい。」
「人間を斬れというか?」
「いいえ。機械を斬ってほしいのです。」
「機械を斬れと?」
「私に興味がおありならば、ここにお尋ね下さいませ。」
男は、地面に名刺を投げると、その場から消えた。
「貿易商。湊屋。東京支店。」
場所は、新宿であった。
「ここだな。」
翌日、すぐに、新宿へ向かった。湊屋は、洋館の三階建てであった。
「ご免。」
「いらっしゃいまし。」
「主に会いたいのだが?」
「用件はどないなもんでっしゃろか?」
「名刺をもらった。」
「ああ、あちらの方で。それじゃ。奥へ案内しましょか。」
番頭に連れられて行くと、奥の大きな鉄扉があった。
「この奥の階段の降りた先の部屋でお待ちください。では。」
番頭はひょこひょこと、店場へ戻っていった。本田は、重い、鉄扉を開けて、その先の階段を降りた所にある部屋で待っていた。
「先生。どうも。」
「湊屋。」
「そう呼んで下されば結構。して、依頼を聞いてくれるのですかな?」
「まず、話を聞かせろ。お前の知っていること全てだ。」
本田は、刃を湊屋の喉元にぴたっと付けている。入り口横の壁に隠れて、湊屋が入ってきた瞬間に、横から刃を立てていた。
「まずは座れ。」
刀を抜いたまま、湊屋を席に座らせた。
「人を呼ぼうと、俺は滅多に死なぬが、お前は違うのだろう。」
刀は、湊屋の胸に向かっている。
「その刀、グサッと一刺しで、あの世行きですな。」
「話が早い。」
本田は刀を納め、椅子に座った。
「それで、何が知りたいのですか?」
「全てだ。お前は何を企んでいる?」
「企んでいるとは。私が求めているのは、自由と独立です。」
「自由と独立?」
「ええ。」
「商いのことか?」
「この国の。」
「さっぱり、話が摑めぬ。お前の相手は誰だ?誰を斬ってほしい?それと、何故、京で俺を襲った。」
「質問が、多いですな。まあ、順を追って、お話しましょうか。私の相手は、機械。といっても、先生のことではなくて、この国を支配する機械のことです。」
「この国を支配しているだと?」
「将軍が何を言ったかは、おおよそ見当がつきますが。まあ、何というか、この国と人間は、機械が支配しているのです。将軍が機械であったことからも、お分かり頂けましょう。」
「まあな。しかし、機械は、数を減らしていると言うが?」
「それは、真っ赤な偽り。人間が増えるに従い機械も、おそらく、その数を、増やしているかと。」
「何故、そんな、ことが分かる。」
「人間を監視するのが、機械の役目だからです。」
「監視?」
「ええ。しかし、これ以上は、私からは、申せませぬ。」
「命が惜しくはないのか?」
「私にも、上役がございます。実は、あなた様のことを伺ったのも、その上役の方からなのです。京での、一件は、私の成したことですが、今、こうして、あなたの目方を測っているのは、上役からの紹介にございます。一度、改めて、上役にあなた様のことを、お伺い立てして、それから、また、ご連絡させて頂く。それで、お許し願えませんかな。」
「分かった。」
「助かります。数日のうちに、お宅へ、文を遣わします。」
そう言って、湊屋は、行った。
「先生。これが。」
「来たか。」
五日後、届いた文には、茶々とお蘭を連れて、秩父の山中に来いと書いてあった。
「秩父だと…。」
「どうかされましたか?」
「いや。お蘭。出立の支度だ。秩父へ行く。」
本田は、茶々とお蘭と伴に、東京を出て、徒歩、秩父へ向かった。
「お待ちして、おりました。」
「湊屋。」
大宮町を歩いていると、馬車が止まり、湊屋が顔を出した。
「案内します。」
一行が、乗り込むと、馬車は、丘を上り、レンガ造りの洋館の前で止まった。
「中へどうぞ。」
洋館の中は、ひっそりとしている。
「やっと来たか。人間よ。」
「猩猩が、何故、ここにいる?」
階段から、降りて来たのは、紅い毛をした猩猩であった。
「わしを覚えているか?」
「猩猩の見分けなどつかぬ。」
「おぬしに、猩猩の知り合いなど、一人しかおらぬだろう。」
「酒飲みのか。」
「山中で出会っただろうが。」
猩猩は、本田たちを、応接室に連れて行った。
「湊屋。こやつらは、どこまで知っておるのだ?」
「未だ、ほとんど知らぬかと。」
猩猩は、本田の顔を見た。
「上役とは、猩猩。お前のことだったのか?」
「それも聞いておらぬのか?まあ、良い。」
テーブルを挟んで、本田、お蘭、茶々の向かいに、猩猩と湊屋が座っている。
「本田と言ったか。わしに尋ねたいことはあるか?」
「お前は、何者か?」
「うむ。では、まず、昔話をするか。」
「昔話?」
「ああ。今の世から、もう気の遠くなるような昔のことだ。その頃、人間は、今よりも、たくさんいて、文明も、はるかに、栄えていた。お前たちが、聞いたら、驚くかもしれぬが、その頃の、人間は、自由に空を飛び、地の果てまでも、容易く行くことができた。夜空に浮かぶ月にも行っていた。」
「ふむ。」
「信じておらぬかもしれぬが、それが、本当のことだったのだ。機械を作ったのも、その頃の人間だ。」
「やはり、そうか。」
「人間は、機械だけでなく、生き物までも作った。血の通う生き物だ。」
「お前たちも、人間によって、作られたということか。」
「それは違う。俺たち、猩猩は、その頃の人間の成れの果てだ。」
「成れの果て?」
「ああ。その頃の人間は、栄華を極めて、生き物たちの王を名乗っていた。しかし、徐々に、世界は、人間に見限りを付けて行ったのだ。初めに、大雨が降り、地が揺れ、山が裂け、火を噴き、天には、太陽が上がらなくなった。土地は海に沈み、嵐は止まず、天からは、星が落ちて来た。空中には、毒が漂い始めた。もはや、人間が、暮らす場所は、限られてしまった。そこで、役立ったのが、機械だ。」
「何となく、分かるぞ。我等は、滅多なことでは、死なぬ。」
「そうだ。人間は、自分たちに、代わって、機械に自らの文明を継がせたのだ。そして、天変地異の起こった世界で、人間に代わり、機械が、町を作り、技術を発展させた。しかし、自ら、文明を作り出した機械たちに対して、人間は、どうなったか分かるか?」
「無用の長物となったのだろう。」
「その通りだ。もはや、機械たちにとって、人間は、全く、必要なくなったのだ。そして、もとより、住むところを失った人間は、ほんの、少数が、ひっそりと暮らすに過ぎなくなった。そんな人間が、はるかな時を経たものが、わしら猩猩と呼ばれる生き物だ。」
「待て。それならば、何故、今の世の中は、人間で溢れている?」
「お前たちが人間と呼んで、今、外を歩いているものたちは、わしらの、先祖の人間とは、異なるものだ。」
「どういうことだ?」
「今の人間は、機械たちに作られた、人造人間に過ぎぬ。」
「人造人間?」
「文明を発展させた機械は、あるとき、こう考えた。自分たちは、どうして生まれて来たのかと。そして、機械たちは、かつて、自分たちを、生み出した人間という存在を知ることになった。人間は、形は、機械と同じだが、中身が異なるらしいと。しかし、世界には、もう、かつて、存在した人間という生き物はおらなかった。本当の人間は、姿を変えて、猩猩となっていた。そこで、彼らは、自ら、かつての、人間を生み出そうとしたのだ。大昔に、人間が機械を生み出したように、今度は、機械が人間を生み出そうと。」
「…。」
「そして、機械たちは、わしら、猩猩を基にして、新たな人間を生み出した。しかし、それは、かつていた人間とは、異なる存在なのだ。八割九割は、人間だが、それ以外は人間ではない。人間に似た生き物。人間もどき。のようなものだ。」
「それが、今の人間か。」
「そうだ。その頃、世界は、再び、人間に適したものとなりつつあった。機械が、そうしたのだ。機械は、作った人間を、箱庭に放し飼いにした。それが、この世界なのだよ。」
「機械は、その人間もどきを使って、何をしようとしているのだ?」
「何もせぬ。もとより、機械たちは、人間もどきがいなくても、十分に、生きては行ける。それでも、彼らは、自らの形に似たものを作り出した。そして、それらを観察しているのだ。彼らは、その自らに似たものを通して、自らを知ろうとしている。それは、かつて、我々の先祖が行っていた、科学実験と同じであろう。」
「科学実験?」
「ああ。実際に、対象となるものを使って、そのことを知り、世界を知ろうとしているのだ。我々がいるこの場所は、その箱庭でしかない。」
「それが、真だと言える証はあるのか?」
「ない。しかし、それと同じく、かつて、将軍といわれていた機械が、お前に言った話も、それが、真だと言える証は、ないのではないか。」
「確かにな…。」
「茶々というらしいな。その人形は。」
「うん…?」
「それは、今の人間が作り出した物だが、かつての人間も、同じような物を作ったという。そして、長い年月を経て、それは、機械になったのだ。茶々は、お前たちの、先祖だとも言えよう。それ故に、お前は、その人形を、家族のように愛しているのだろう。」
「茶々が俺の先祖か。」
トコトコと、茶を運ぶ姿が、愛らしい、そのからくり人形は、本田が、夜店で買ったものであった。店の棚に置かれたその姿を見たとき、何故か、本田は、それを欲しくなった。今、思えば、それは、寂しかったのかもしれない。心のどこかで、己を周囲と相容れぬものとして感じていた本田は、店の棚の上に佇む茶々を見て、仲間に巡り会えたかのように思ったのかもしれない。
「それで、何故、おぬしたちは、俺を選んだのだ。」
「それは、私が、お話、致しましょう。」
湊屋である。
「私は、山中の村で襲われたところを、猩猩様にお助け頂いたのです。」
「あの村か。」
「本田殿も、ご存知なのですか?」
「東海道沿いの村であろう。」
「私が襲われたのは、中山道の近くでした。」
湊屋が言った。
「あのような村は、案外、どこにでもあるのだ。」
猩猩が、口を挟んだ。
「そして、私は、しばらく、猩猩様たちと伴にくらしました。そこで、機械、人間もどきという話を聞いたのでございます。」
「よう信じたな。」
「信じるも何も、猩猩様は、命の恩人でした。それに、機械には、もとより、縁がございました。」
「縁があった?」
「はい。私の妻が機械でございました。彼女は、孤児で、私が拾って、店の下女にしておりました。前妻が亡くなって、しばらく、経っていた私は、彼女を深く愛しました。あるとき、旅の途中、妻が、足を踏み外してしまい、崖から下に落ちてしまったのです。ふつうならば、命はないところです。しかし、妻は、生きておりました。そして、裂けた皮膚からは、機関が、覗いておりました。私は、そのことに驚きました。しかし、それ以上に、妻の命が助かったことに、感謝致しました。」
「殊勝なことだが、猩猩。ひとつ聞きたい。」
本田は、湊屋を制止させて、猩猩の方を見た。
「なんだ?」
「何故、こう人間の中に、機械がいるのだ。」
「言ったであろう。観察だと。機械たちは、箱庭に人間もどきを放し、機械たちも放して、観察しているのだ。お前は、自分やそこの女子のことが気になるのだろうが、とりあえずは、湊屋の話を聞け。」
お蘭も、黙って、話を聞いている。お蘭は、もともと、口数が少ない。それは、かつては、お蘭の中身が機関であるからとばかり、思っていたが、本田自身が同じく機関を中身に持つ、機械であると知り、自分とお蘭が同じであると知ったとき、果たして、お蘭は、自らや機械のことをどういう風に思っているのかと尋ねてみたが、余り、お蘭は、自分の過去のことや、何をやっていたのかを覚えていないようであった。
「話を続けても、よろしいですかな?」
「すまない。続けてくれ。」
「まあ、かくして、私は、猩猩様にお味方することにしたのでございます。そして、私は、京と江戸で店を開く傍ら、機械や人間のことを調べてみたのです。まあ、そのようなことをしていれば、自然と、やくざやごろつきなどとの、繋がりもできてきますので、それらの肩入れをしつつ、様々なことを調べました。そこで、本田様とお蘭様のことを知ったのです。」
「それは、いつのことだ?」
「左様。ですが…。」
湊屋は、猩猩の方を見た。
「いい。話してやれ。」
「分かりました。では、お蘭様。」
湊屋は、お蘭を見た。
「はい。」
「そろそろ、本当のことをお話下さいませんか。」
「…。」
お蘭は、黙ったまま、下を向いてしまった。
「どういうことだ?」
「しばし、待て。」
狼狽する本田を猩猩が制した。
「お蘭というか。お前、もう、しばらく、上役の者への報告はしていないのだろう。しているならば、とっくに、どうにかなっているはずだ。そうではないのを見越したからこそ、わしは、お前たちを呼んだのだ。」
「仰る通りでございます。」
お蘭が、顔を上げた。
「何がどうなっている?」
突然のやり取りに、本田は、状況が飲み込めないようであった。
「先生。どうか落ち着いてお聞き下さい。私は、将軍様や和尚様から、先生を見張るように命じられた間者なのです。」
「間者?」
「はい。先生は、ご自身の出生のことをご存知ないようですが、あなた様のお父上は、将軍様にお仕えしていた機械職人にございました。」
「将軍は、この国に、機械を生み出す術は、ないと言っておったぞ。」
「それは偽り言。江戸城の地下では、機械が、秘かに生み出されております。しかし、それは、際限なくというわけではありません。各々、目的があって、生み出されます。かくいう私は、先生のお目付役として、生み出されました。」
「なんと…。それでは、そこで、俺も何か目的を持って、生み出されたわけか?よもや、人斬りではあるまいな。」
本田は、狼狽していた。お蘭の正体や突然の告白に、少々、興奮している自分を感じた。
「先生は、私とは、異なる存在なのです。」
「異なる存在?」
「はい。先生のお父上は、将軍様たちの命で、機械を生み出す傍ら、秘かに、あることを企てておりました。それは、人間と機械の融合です。」
「人間と機械の融合だと?」
「私たち、機械は、生き物ではありません。ですから、お互い、子を成すことはできません。しかし、生き物である人間は、それが、できます。なので、先生のお父上は、人間と機械を合わせることで、新たな存在を生み出すことができるのではないかと考えたのです。」
「それが、俺なのか。」
「先生は、あくまで、その途中の存在とでも言いましょうか。先生のお父上は、結局、それを成せぬまま、死んでしまいました。おそらく、将軍様たちが、何かしらの謀をしたのだと思います。」
「なんということか…。」
「先生のお父上は、町を歩いている人間の欠片から、生み出した肉片に機械の機関を組合せて、先生を生み出したのです。」
「俺の中には、人間の肉が宿っているというのか?」
「そう聞いております。どこかは存知ませんが、先生のお体の一部は、機関ではなく、生き物であると。将軍様たちは、先生の存在を知った上で、先生を生かしたまま、私に見張らせることにしたのです。」
「その基になった男というのが、俺が斬った男か?」
「そこからは、私が。」
湊屋がお蘭の話の後を継いだ。
「機械のことを探っていた私は、その噂も、耳に致しました。そこで、まあ、今となっては、申し訳ないことですが、お二人の素性を知った上で、本田様にお蘭様を斬らせた訳にございます。」
「試した訳か。」
「申し訳ありません。」
「それで、企て通りになったのか?」
「それが、本田様はお蘭様と、伴に暮らすようになったのみで、他は変わらず。それで、再度、詳しく調べましたところ。本田様は、人間と機械の合いの子であり、お蘭様は、それを監視しているということが、改めて、明らかになったわけでして、まあ、後は、単純に、本田様が人を斬り過ぎていたことが、引っ掛かりまして、それならば、放っておくわけには行くまいと。」
「待て、俺に、人を斬らせたのは、人間だ。俺は、人間の依頼で、人を斬っていた。」
「まあ、正直なところ。私も、本田様を利用させて頂いたことは、何度かあるのですが、機械には、それぞれ役目があるということも、聞き囓っておりました。故、本田様は、人間を斬る役目を与えられているのかと思ったのですよ。」
「それは…。」
そのことは、本田自身も考えたことである。
「お前は、おそらく、機械としての役目は持っておらぬ。」
猩猩が言った。
「それは、真か?」
「話を聞く限りはな。お前が人を斬るのは、お前の基となった人間。その男の性質が強いのだろう。」
「俺が斬った男?」
本田が、斬った男。それは、湊屋が差し向けた男である。
「確かに、私が探し当てた男は、ごろつきの仲間でしたね。私としては、本田様が、どういう反応をするか試してみたかったのです。もしかしたら、あの男を助けるのではないかと思いました。人間の情のようなものが、流れているのかと。それでも、本田様は、あの男を躊躇うことなく、斬られた。これは、私たちも、本田様を斬らねばならないと思ったのでございます。」
「人間の情だと?」
本田は、どこかそういう湊屋に、自分と機械を異なるものとして、意識している人間のあざとさを見た。
「本田様。申し訳ありません。しかし、仮に、あなたが、あなた様の仲間とも言える機械を、何の躊躇いもなく、斬り壊す人間を見たら、どう思うでしょうか。例えば、お蘭様や茶々様をです。」
「笑止。仲間を機械に斬らせていたのは、かくいう、お前たち、人間であろう。」
本田は、湊屋のことを、この期に及んで、小賢しいことを言うやつだと思った。
「待て。人間だ。機械だ。猩猩だ。など、という小賢しいことは言うまい。」
猩猩が仲裁する。
「そのようなことを言い出せば、わしなどは、一過言も、二過言も、人間や機械に言いたいことは、ある。しかし、ここでは、お前たちは、人間でも機械でもない。お前たち自身として、わしの前にいるのだ。」
「良い。続けよ。」
本田は息を整えた。
「私の方こそ。申し訳ありませんでした。しかし、本田様とお蘭様たちは、京を離れ、行方をくらませてしまいました。再び、私がお二方のことを知ったのは、ごく最近、明治に入った後にございます。」
「では、俺たちが、猩猩に会ったのは、偶然ということか。」
本田は猩猩の方を見た。湊屋は、頭を垂れて、俯いていた。
「全くの偶然だな。後で、湊屋にお前たちのことを聞いたとき、よもやと思ったのだ。あのときのことも、あり、お前たちに興味を持ったのだよ。そういえば、あの金で、手に入れた酒は、うまかったぞ。」
「いろいろ聞きたいことは、山ほどあるが、八割方は、知れた。それで、猩猩、お前たちの目的は何で、俺に何をして欲しい。」
「端的に言おう。将軍と帝を斬って欲しい。」
「将軍と帝を斬れだと。」
本田は驚いた。
「ああ。この国を牛耳っている機械の頂点が将軍であり、帝だ。やつらを斬れば、この国は、自由になる。」
「自由になってどうする?」
「どうもしない。しかし、さっきも言った通り、この世は、暗に機械が、国や人間を支配し、動かしているのだ。俺はそれを解放したいのだ。」
「それを何故、俺に頼む?」
「わしらより、お前たちの方が、丈夫だからだ。単純なことだろう。やつらは滅多なことでは、死なぬ。一方で、わしらは、簡単に死んでしまう。ふつうの機械ならば、やつらの思惑に違うことはしない。しかし、見たところ、お前は違う。もとより、お前はやつらの呪縛からは逃れている存在だ。まあ、やつらが、監視をつけるぐらいだからな。」
そう言って、猩猩は、置いてあった巻き煙草に火を点けた。
「猩猩も、煙草を吸うのか。」
「こう見えても、もとは、人間だからな。」
「将軍たちを斬ると、機械たちは、どうなる?」
「お蘭のことか?どうにもならぬだろう。本人に聞いてみれば良い。」
猩猩は、灰皿に巻き煙草を押し付けた。
「どうだ、お蘭?」
「仰る通り、何も変わることはないかと思います。」
お蘭は、本田を見つめて行った。
「役目が無くなる分、今より、自由に生きられるのではないか。」
猩猩は、立ち上がった。
「承諾してくれるのであれば、支度はしてやる。まあ、今宵はここに泊まり、明日、返事を聞かせてもらうとしよう。湊屋、ワインをもらうぞ。」
「はい。」
湊屋も立ち上がり、猩猩と伴に消えた。