ドッペルゲンガー
今日も、本田は、人を斬って来た。
「戻ったぞ。」
幕末、尊王だ攘夷だと人は、騒いでいるが、本田には、そのようなことは、どうでも良い。彼はただ、人が斬れれば、それで良いのである。
「今日は、二人斬った。」
相手が、佐幕だろうと勤皇だろうと知ったことではない。彼は、ただ、人を斬るために人を斬っていた。
「刀が錆び付いてしまう。」
京へ来て、3本目である。
「茶をくれないか。」
本田が、湯呑みに茶を汲み、盆の上に乗せた。そのまま、本田は、座布団の上に座る。
「すまない。」
しばらくすると、本田が入れた茶が、本田の下へ、運ばれて来た。
「うまいな。」
茶を飲み干すと、本田は、湯呑みを盆の上に置く。しばらくすると、空の湯呑みは、流しの方へと、運ばれて行く。それは、からくり人形であった。
「お蘭。」
「ただいま。」
「今日は、二人斬った。」
「それは、ようございました。」
お蘭は、下女である。ヒューマノイドの。本田の住むこの六畳半の町屋の中にいるのは、本田とお蘭とからくり人形だけである。彼はお蘭を町で拾った。
「これは、驚いた。」
暗闇で、女子を斬り付けたが、その女子は、血を出さず、倒れている。斬ったときの手応えが違ったので、確かめて見ると、体の中は、よく分からないが、精巧な機関のようであった。本田は、女子を担いで部屋へ連れて行き、お蘭と呼び、下女とした。
「人を斬るのは、野菜を斬るようなものだ。」
と、友人が言った。本田もその通りだと思う。本田の稼ぎは、人斬り稼業である。頼まれた人間を斬る。一人、斬れば、二、三年は、食える。しかし、金のあるなしに、関わらず、本田は稼業を続けていた。
「茶々。お前もこっちへ来い。」
本田が席を立ち、盆の上の湯呑みを取ると、からくり人形は、トコトコと、こちらへ歩いて来る。本田は、その動きが好きであった。
本田は、人間のことが嫌いという訳ではないし、斬る相手が、嫌いという訳でもない。ただ、彼らのことを、人間だとは思っていない。始めから、人間だとは思えないのである。
お蘭は、人間と変わらない。食物も食べるし、水も飲むし、用も足す。しかし、必ずしも、それらをしなければ生きていけないという訳ではないようである。が、そんな、細かいことは、本田には、どうでも良い。本田にとって、彼らと、伴にいることは、心地良いし、本田は、彼らを人間と、何ら変わることなく、接した。
「稲荷寿司を買って来たから、食え。」
「ありがとうございます。」
卓の上に置いた折り詰めを示した。
「俺は、もう寝る。」
本田は、そのまま横になった。
「花見に行こう。」
春になって、本田は、茶々とお蘭を連れて、嵐山に桜を見に行った。
「流石に、混んでいるな。」
食い詰め浪人が、からくり人形を持ち、下女と花見を楽しんでいる。周囲からは、そう見えたであろう。
「先生。」
お蘭は、本田をそう呼ぶ。
「どうした?」
「あそこに先生が…。」
お蘭が指差す方向には、着流し姿の食い詰め浪人風の男が歩いている。その姿、顔貌、本田そっくりである。
「他人の空似だ。めずらしくもない。」
本田は、自分の姿を見ない。見ることもない。
「きやあ!?」
遠くから、叫び声が聞こえる。
「喧嘩か。」
地方から浪人が京都に上って来るに及び、地元のやくざと浪人がいざこざを起こすことが、増えた。
「てめえ。この野郎!!」
「ひえ!?」
喧嘩は抜刀騒ぎになっているようだった。
「行こうか。」
本田は、お蘭と茶々を連れて、家に帰った。
「先生。」
お蘭が指差す方向には、男が立っていた。
「依頼主か。」
本当は、今日はもう疲れたので、このまま、眠りたかったが、しょうがないので、声を掛けた。
「うちまで、来い。」
「いや。ここで、結構。近頃、幕府の蝿共が煩くてかなわないので。」
そう言うと、依頼主は、用件を済ませた。
「行って来る。」
その夜、依頼主に頼まれた場所へ行くと、本田は、己に出会った。真正面から、直に。それは、滅多に鏡を覗かない本田にも、それが、自分であるということが、改めて分かった。
「誰だ?お前は。」
そうして、本田は死んだ。
「お前は、誰なのだ?」
血を流し、倒れている己の姿を見ながら、本田は、家に帰った。
「蘭。彼らに、心はあると思うか?」
「彼らとは、誰のことですか?」
「町を歩いている人たちのことだ。」
「さあ。どうでしょうか。」
「彼らも、我々のようになれるのだろうか。」
布団を並べて、寝る本田とお蘭は、よくこうして語り合う。
「人間らしいとはどういうことなのだろう。」
本田にとって、人間らしいと思えるのは、茶々やお蘭であった。彼らといるときが、一番、自分らしく過ごせる。町を歩いている者たちのことは、分からない。本田からしたら、彼らは、機関仕掛けのように思える。
「彼らは、一体、何がしたいのだろうか。」
「さて。」
そのようなことを言っている内に、二人は眠ってしまう。
「浪士共が蛆の如く、わいてくる。少し、間引いてほしい。」
「そうか。」
次の依頼主に、頼まれた場所へ行くと、この前の依頼主がいた。
「今度は私ですか?」
「そのようだ。」
辺りから、ばらばらと、やくざや浪人たちが、飛び出して来た。
「先生は、少し、人を斬り過ぎたようですね。」
「皆、ぐるだったのか。」
「皆、先生に、お恨みがあるようで。」
「この前、俺が斬った男は、何者なのだ。双子の兄弟か何かか?」
「はて。何のことやら。あれは、先生、ご本人にございますよ。」
乱闘の末、本田は、逃げた。十余人は斬ったが、もう刀が使えない。体にも、大小さまざまな傷を負った。血は流れていないようだった。
「やはり、そうか。」
本田が、自らの脇差で、腹を裂いて見ると、中には、機関が詰まっていた。