夜の駅に二人だけ
「あ~、疲れた」
陽菜が独り言を呟く。
県内某所にある駅のホーム。彼女は椅子に腰かけ、疲れ切ったようにため息を吐く。
「……生徒会なんて、入らなければ良かった」
陽菜は高校の生徒会に所属しており、今は仕事を終え帰宅するところだ。
「なんで、夏休みに生徒会の仕事があるのよ」
陽菜は愚痴を零す。
今日は八月の初旬、彼女の高校は夏休みの真っ最中だ。
「(葵たち、今頃花火を見ているんだろうな……)」
今日は大きな花火大会が行なわれている。少し距離はあるが、この辺りの住人は毎年大勢の人が見に行く。近辺では最大級の花火大会だ。
陽菜も友人に誘われたのだが、生徒会の仕事があるため断ったのだ。今日、学校に行くことは、以前から決まっていた。
「ついてない……」
陽菜は再度ため息を吐く。
当初の予定では、今日の生徒会の仕事と、花火大会の日は違っていた。しかし、花火大会が雨で延期になり、今日にずれてしまった。その上、仕事が予定より大幅に時間が掛かり、今から行っても間に合わない。
愚痴を言っても変わらない。
花火大会を諦め、陽菜は気持ちを切り替える。
「(それにしても……)」
陽菜は駅のホームを見回す。
彼女の視界に、他の人の姿が全くない。
「(ここまで人がいないのは珍しい)」
この駅は陽菜の高校の最寄り駅だが、三路線が重なる乗換駅でもある。その中で、彼女の利用する路線は、利用客数が最も少ない。
「(全員花火? それにしたって……)」
陽菜が不思議に思っていると、構内に駅のアナウンスが流れる。
『先程、○○駅と××駅の間で、人身事故が発生しました。その為、運航に遅延が生じています――』
陽菜が眉を顰める。
アナウンスによると、数十分、あるいは一時間以上の遅延が発生しそうだ。
陽菜の家は郊外にあり、この路線以外に迂回路がない。家族は花火大会に出かけているため、車で迎えに来てもらうことも出来ない。つまり、このまま待つ以外の選択肢がない。
「本当、ついてない……」
陽菜が再び愚痴を零す。
すると、彼女の耳に、「コツ、コツ……」という音が聞こえて来た。
視線を向けると、一人の男性が歩いている姿が目に入る
「(うわっ、怪しい)」
その男性は、真夏だというのに黒いロングコートを着ていた。俯きがちな上に長髪で、顔はほとんど見えない。
「(えっ!?)」
男性の予想外の行動に陽菜が驚く。
彼は陽菜と同じ並びに座ったのだ。
見回せる範囲に駅員はいない。それどころか、人っ子一人いない。次の電車が来るまでには時間が掛かる。その間、この空間には陽菜と男性だけだ。
陽菜の心拍数が上がる。
常識的に考えれば、何かされる可能性は極めて低い。彼女が叫べば、階段の上にいる駅員に聞こえるだろう。そこまで警戒するような状況ではない。
陽菜は恐る恐る、横目で男性を見る。
すると――
「ヒッ!」
男性の顔が見えた。
男性と視線が合った。
男性が――笑っていた。
陽菜は慌てて立ち上がり、階段に向かって走り出す。
後ろから、彼女を追いかけてくる足音が聞こえる。
「誰か! 助けて!」
陽菜が叫ぶ。しかし、応えてくれる声はない。
「待って! 僕だよ、『〇○○〇』だよ!」
男の声が陽菜の耳に聞こえる。
彼女は『〇○○〇』という人物に心当たりがない。
先程の顔も記憶にない。
「何もしないよ! 隣に座ってくれるだけで良いんだ!」
陽菜が恐怖に包まれる。
彼女は必死に走る。
もうすぐ階段に辿りつく。
……
――ガシッ
陽菜の足が止まる。
「陽菜ちゃん、つかまえたぁ」
陽菜の右手首を、男の右手が掴んでいた。
男が彼女を引き寄せる。
彼女はその場に倒れ込んだ。
見上げる彼女の視界に、気味の悪い男の笑顔が映り込む。
「いやっ、放して!」
「なんで、逃げるの?」
「いやぁー!」
「ちゃんと、お金は払うから……」
男は財布を取り出し、怯える陽菜にお金を差し出した。
その金額は――
「ほらぁ2020……円」
~完~
夏のホラー2020 『夜の駅に二人だけ』
最後まで読んでいただきありがとうございます。
夏のホラー2020参加作品です。
如何でしたでしょうか? ホラーになってると良いなと思います。
男性は、この後すぐに駅員さんに捕まりました。即日逮捕です。
当然ですね。女性を怖がらせては駄目です。