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9 兄が連れて帰りました

 だいぶ日が傾いた頃、ノアがもうすぐ到着するという報せが届いた。

 居間に集まっていた私たちは玄関ホールを通り越して外まで迎えに出た。

 ちょうど門を潜ったところだった馬車が、ゆっくりと近づいてきて私たちの前で停まった。


 ところが、次には私たちは一様に驚くことになった。

 開いた扉から顔を覗かせたのが、ノアではなかったのだ。もちろん、ノアが卒業パーティーで見初めた令嬢でもない。


「ああ、やっと着いた。遠かった」


 馬車からポンと飛び降りて伸びをしたのは、メルだった。


「だから言っただろ」


 メルの後ろから、今度こそノアが現れた。

 今までの帰国時よりも疲れた表情のノアが地に足を着ける前に、メルは居並ぶ私たちに気づき、こちらに向かって駆け出した。

 が、すぐにハッとした表情になって、私ではなくお父様とお母様の前に立った。


「久しぶりです。しばらくお世話になります」


 ぺこりと頭を下げたメルに、さすがのお母様が急いで表情を取り繕って答えた。


「ようこそお越しくださいました、メル殿下。我が家だと思ってお寛ぎくださいませ」


 お母様が館の中へとメルを案内していき、お父様とメイ、さらにアリスも大いに戸惑った顔のまま後に続いた。


「まったく、メルのせいで私のことがすっかり忘れられてないか?」


 ノアがムッツリと私を見た。


 確かに、メルがいなければ今頃はお父様が大喜びでノアを抱きしめていたに違いない。

 でも、私を責められても困る。


「お帰りなさい。何の連絡もなしに連れて来たのはノアじゃない」


「突然だったから、連絡できなかったんだよ」


「まさか、あちらの王宮に無断で?」


「まさか。出発日の朝に国王陛下から使いが来たんだ。『メルがロッティに会いに行こうと画策しているようだから、申し訳ないが連れて行ってやってほしい』って。それから、これを渡された」


 ノアが懐から取り出したのは、タズルナの陛下のサインが入った私宛の手紙だった。

 恐る恐る開けてみると、「10日ほどで迎えをやるからそれまでメルをよろしく頼む」というようなことが書かれていた。


「メルは陛下たちに気づかれているとも知らずに、出発直前に『僕も連れて行け』と馬車に乗り込んできたがな」


「もう私のことなんて忘れて、別の令嬢と仲良くなっているだろうと思っていたのに」


「そんなはずないだろ。あいつに何度、留年しろという呪いの手紙を送られたことか。王子でも許可がなければセンティアの門の中には入れないから、まだ良かったが」


「そういえば、卒業試験の成績は?」


「首席だ」


「やっぱり」


「とにかく、後はロッティに任せた」




 溜息を吐きつつノアとともに館の中に入ると、お母様の指示のもと使用人たちが慌ただしく動き出していた。


「ノア、お帰りなさい。卒業おめでとう。それで?」


 ノアは私が聞いたのと同じようなことをさらに詳しくお母様に話し、陛下からお父様とお母様へのお手紙を渡した。

 お母様に対しては、事前に連絡しなかったことを殊勝に謝った。


「せめて先触れくらいは出してほしかったところだけれど、それよりも、ベッキーとコリンにメル殿下のお世話をしてもらうから」


 メルは侍従や護衛騎士を連れていなかった。王子が隣国までひとりで来てしまったのだ。

 もちろんタズルナの陛下はご承知なのだろうけど、そこまで我が家を信頼して良いのかと逆に不安になる。


 ベッキーはお母様付きからメイド長になった人だから、納得の人選だ。

 一方、コリンはノアの乳兄弟であり侍従。コリンを付ける理由は、タズルナ語を理解できるからだろう。


 ノアも頷いた。


「道中もコリンにさせていたので問題ないと思います」


「とにかく、我が家にお迎えしてしまった以上、できるかぎりのことはしましょう」


「お母様、申し訳ありません」


「ロッティが謝ることでもないでしょう」


「そうなのですけど」


「あちらの陛下がこんな無茶を許してしまわれたのだから、メル殿下は余程焦れていたのね」


 お母様はフフと笑った。




 私はメルのいる応接間に向かった。


 扉を開けた時にこちらを振り返ったメルと目が合ったけれど、メルは慌ててそっぽを向いた。


「ノアは?」


 メルの向かいに座ったお父様は落ち着きを取り戻し、大事な嫡男の帰国を思い出したようだ。


「お部屋で着替えています」


 答えながら、私はメルの隣に腰を下ろした。お父様の両脇をアリスとメイが占めていたので仕方なく。

 メルがわずかに身を固くしたのが伝わってきたけれど、私のほうを見ようとはしなかったので、私も彼を見なかった。


「メルはエルウェズを自分の目で見てみたくて来たんだって。勉強熱心で偉いね」


「……そうですね」


「あ、でも、メルを見習ったりしなくていいからね。ロッティもアリスもメイも、ひとりで遠くに行ったら駄目だよ」


 真剣な顔でそんなことを言うお父様の前では、私としてもメルの態度はむしろ都合が良かった。


 その後、お父様は居間にやって来たノアを抱きしめて、嫡男の無事の帰還と首席での卒業を大喜びすることができた。




 翌朝、自室から食堂へ向かう途中でコリンに会ったので、メルの様子を尋ねた。


「正直、若様相手よりもずっと楽ですね。素直で文句を仰ることもありませんし、何より早起きでいらっしゃる」


 私は思わず苦笑した。


 ノアは朝が弱い。夜遅くまで本を読んだり勉強したりするせいだ。

 コリンは遠慮なく叩き起こして構わないとお母様からもノア本人からも言われているが、毎日苦労しているのは間違いない。

 コリンのいないセンティアの寮生活では、どうしていたのだろうか。


 メルが使用人に対して横暴に振る舞ったりしないのは何となく想像していた通りで安堵した。


「メルはやっぱり朝から活動しているの?」


「ええ。今朝は剣術の稽古をしてから厩舎の見学に」


「そのあたりもきちんと用意してきたのね」


「いえ、何もお持ちではなかったので、若様のものをお貸ししました」


「ああ、そうなの」


 メルほど本格的にではないが、ノアも貴族の嗜みとして一通り身につけている。


 だがよくよく聞いてみると、メルは本当に何も持たず身一つでノアの馬車に飛び乗ってきたらしい。

 それならなぜメルの身支度がきちんとしているのかといえば、メルより先に王妃様から届けられたトランクが馬車に積まれていたからだそう。




 朝食を終えてしばらくすると、お父様とお母様、それにノアは視察へと出かけた。


 私とアリスとメイは居間に集まり、思い思いのことをして過ごすのが日常だが、今日はそこにメルが加わった。


 メルはあれから1度も私に話しかけてこないし、視線も向けない。

 今もメルは、本を読んでいるアリスの隣に座って何やら小声で話しかけていた。アリスは困った顔で時々私を見た。

 懐かしい光景ではあるけれど、以前よりも苛々させられる。

 私もそちらから顔を背けて、絵を描くことに集中しようとした。


 そんな中で、もっとも冷静に状況を見つめていたのはメイだった。


「ねえ、メルはロッティに会いに来たんじゃないの?」


 ふいの問いかけに思わず顔を上げると、ギョッとしているメルと目が合ったが、彼はまた勢いよく視線を逸らした。


「違う。エルウェズを見物に来たんだって言っただろ」


「じゃあ何で、母上たちと一緒に視察に行くとか、街に出かけるとかしないの?」


「それは、その、王子が護衛も連れずに出歩いたら危ないだろ」


「護衛を置いて来ちゃったのはメルでしょ。ここにいる間、ずっと館に引きこもってるつもり?」


 言葉に詰まってしまったメルに対し、メイはさらに畳みかけた。


「それならそれで良いけど、ロッティの前でアリスとばっかり仲良くしてみせるのは駄目だと思うよ。ロッティは気分悪いだろうし、アリスだって迷惑。それに、メルだって全然楽しそうに見えない。本当は何がしたいの?」


 メイの真っ直ぐな言葉に、私もドキリとした。


 わざわざエルウェズまでやって来て私に背を向けてみせたメルに同じ態度を返してしまったけれど、彼が馬車に揺られた距離を考えれば最後の1歩くらいはこちらから歩み寄るべきだったかもしれない。


 メルはソファから立ち上がってメイを睨みつけた。


「何だよ。メイのくせに」


「メル」


 思っていたより不機嫌な声が出たせいか、メルの肩がびくっと揺れた。彼はゆっくりと私を振り返った。

 私も立ち上がった。


「いらっしゃい」


 駄目押しとばかりに手を差し出せば、瞬く間にメルが駆けてきてその手をガシッと掴んだ。


「痛いわ」


「ごめん」


 メルが慌てて力を緩めたので、柔らかく繋ぎ直す。メルは泣きそうな顔でそれを見ていた。


「森をお散歩してくるわね」


 アリスとメイに言うと、ふたりはホッとした表情で「行ってらっしゃい」と手を振った。

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