8 王子は泣きませんでした
パーティーから2日後の夕方、私はメルに告げた。
「明日、エルウェズに帰るわ」
今年はきちんとメルに帰国の挨拶をしようと決めていた。
メルは寂しそうな表情ながらコクリと頷いた。さすがに3度目なので、彼も覚悟していたようだ。
「でも、来年も来るんだろ? 僕、待ってるから」
あら、わかっていなかったのね。
「来年は来ないわよ」
「は? 何で?」
「何でって、ノアも来年で卒業だから、帰国したらもう送ってくる必要がなくなるもの」
「それなら、迎えに来れば」
「来ないわ」
「ただ遊びに」
「気軽に来られる距離ではないの」
「だったら、今度はロッティがマリーヌ校に留学して」
マリーヌ校はタズルナにある女子校だ。
毎年、合同で卒業パーティーを開くなどセンティア校との交流もあるそう。
「私はエルウェズの学園に入るわ。だいたい、マリーヌ校はセンティア校とは違ってほとんど留学生を受け入れていないし、寮だってないでしょう」
「ここから通えば良い。ロッティならきっとマリーヌでも大丈夫だ。いや、ロッティもノアみたいにタズルナで学ぶべきだ」
「あのね、確かにタズルナは周辺諸国の中で教育の中心地と言われているし、センティアは名高いけれど、女子教育ならエルウェズも負けていないのよ。それに、芸術に関してはエルウェズのほうが進んでいるわ」
「そう、なのか?」
「そうよ。ああ、でも、音楽と医学はあちらの国が素晴らしいと聞くわね。それから、農業技術なら……」
私は周辺各国の得意分野についてあれこれと並べてみせた。メルは口をパクパクさせて聞いていた。
「わかったかしら? タズルナだって他国から学ぶことはたくさんあるのよ。私の学業に口を出す暇があるなら、あなたももっとお勉強しなさい」
「何だよ。少しくらい考えてくれたって良いだろ」
メルは口を尖らせた。
「私は結婚するまではお父様とお母様の傍にいたいの。だから留学はしません」
何だかんだ言っても、これが最大の理由だ。
そう遠くない将来、ふたりから離れなければならない日が来るのだから、それまでは一緒に暮らして甘えていたい。
「それなら、今度はいつ来るんだよ?」
「そんなこと、私にもわからないわ」
「もういい。もうロッティなんか知らない」
とうとうメルはそう言い捨てて私に背を向けると、駆け去ってしまった。
「まったく、人の気も知らないで」
今年で最後だからきちんとメルの相手をしようと考え、その結果、穏やかな関係を築けていたこともあって、メルと一緒に過ごす時間は心地良かった。
だから、笑って分かれたかったのに。
でも、ついメルにきつい言い方をしてしまう私も悪いのだ。
「やっぱりメルにはもっと可愛げがあって優しい性格の令嬢のほうが良いわね」
次はいつ会えるかわからないけど、その時にはメルの隣には彼に相応しい相手が寄り添っていたら良い。
私は少しだけ胸のあたりに痛みを覚えながら、メルの消えたほうをしばらく眺めていた。
翌朝、私たちの帰国の準備が整って馬車が出発しても、メルは駆けて来なかった。
私は馬車の窓から小さくなっていく王宮を見つめながら、今年はメルの泣き顔を見なかったな、と思った。
エルウェズに帰国した私のもとに、メルからの手紙が届くことはなかった。
それでも私はタズルナ語のお勉強は続けた。
両親に乗馬を習いたいと強請ると少し驚かれたものの、反対はされなかった。
お母様は先生を探してくれ、王宮の衛兵隊の副隊長だった方に教えていただけることになった。
お父様は私にぴったりの乗馬服を揃えてくれた。
元副隊長の丁寧な指導により、私はひとりで馬の背に跨がり、手綱を操れるようになった。
我が家の栗毛に乗りながら、時々ランディを思い出した。
そうして1年がたち、また長期休暇の季節になった。
私たちはいつものように家族で領地へ向かい、後から来るノアを待った。
ノアの到着予定日になると、お父様は朝からソワソワしていた。
「お父様、とても嬉しそうね」
アリスとふたりで領主館近くの森を散歩している時、アリス自身も嬉しそうな顔で言った。
「お父様は今日を待ち望んでいたもの。ノアは嫡男だし王宮に入ることも決まったから、もう離れずに済む。後は良い方と結婚してくれれば言うことなしでしょう」
「ノアが結婚……」
アリスは憂い顔になった。
「ルパートお義兄様は見た目どおりの優しい人だったけど、ノアはどんな人を選ぶのかしら。何年かは同じ家で暮らすことになるのだろうし、仲良くできるか不安だわ」
「ノアだってきちんとした相手を選ぶわよ」
そう答えたものの、ノアがどんな女性を好むのか私もいまいち想像できない。
ただ、アリスやお父様が一緒に暮らせないような相手は選ばないとは思う。
「そうよね。とりあえず優しくて穏やかな人だと良いな」
私は何だか可笑しくなった。
「アリスが誰よりも一緒にいる私が一番きつい性格じゃないかしら?」
アリスは目を瞬いた。
「ロッティは誰よりも優しいわ。いつも私を助けてくれるし」
それがアリスの本心からの言葉だということはわかった。
「アリスは私の可愛い妹だもの」
「そう思っているのは私だけじゃないはずよ」
私は頭の中に浮かんできそうになった面影を、急いで追い払った。
「とにかく、どちらにしてもノアの結婚なんてまだ先よ。今から心配しても仕方ないわ」
「そうかしら? タズルナから相手を連れて帰ったりして」
「そんな相手がいるなら必ず事前にお母様に報せるわよ」
「卒業パーティーで出会ったのかも。相手には婚約者がいるのだけど、一目で恋に落ちてしまったの」
「だとしても、ノアは駆け落ちなんてせずに通すべき筋を通すと思うわ。コーウェン次期公爵の名に賭けてね」
「そうよね」
アリスはつまらなそうな顔をした。
近頃アリスは恋愛小説をよく読んでいた。
人付き合いの苦手なアリスがそういう方面に興味を持てるよう、読書好きなお祖母様が勧めたらしい。
おかげでアリスは恋愛に興味は出てきたけれど、あくまで他人事で、彼女自身には結びつかないようだった。