7 それは私のほうです
メルは家庭教師の先生に私たち家族の滞在に合わせて休暇を取ってもらっていた。
先生は課題をたっぷり出してくださったそうなのだが、メルはいつも朝からカイル殿下のお屋敷に駆けてきて、私の傍でそれをやりたがった。
私は本を読んだり絵を描いたりして過ごし、時々メルの質問に答えた。
お勉強が一段落つくと、一緒にお庭を歩く。
メルが勝手に手を繋いでくるのは相変わらずだけど、握り方は柔らかくなり、ゆっくり歩いてくれるようになった。
腕を組もうと言わないのは、やはり距離が近すぎるせいだろうか。
メルはお勉強ばかりでなく、今でも早朝に剣術や馬術のお稽古をしているというので、私はその見学に行ってみた。
こちらの先生は彼の護衛役の騎士たちだった。
剣術に関して私はよくわからないけれど、メルと騎士が打ち合う様子は、子どもが大人に軽くあしらわれているようにしか見えなかった。
実際にメルはまだ12歳の子どもで、騎士は倍以上の歳の立派な大人なのだけど。
それに、彼が真剣なのは伝わってきた。
傍にいた別の騎士にメルの腕前について尋ねると、飛び抜けた才能はないが根性はある、王子でなければ将来は騎士団に入ることを勧めた、との答えだった。
以前、メルに「騎士になるつもりか」と言ったが、あながち冗談にならないようだ。
以前は気儘に動き回るメルに困らされていたであろうに、護衛騎士たちの彼に向ける視線が温かい理由がわかった。
馬術の見学に行った時には、メルに誘われて私も初めて乗馬を体験した。乗馬服やブーツはメルのものを借りた。
といっても、もちろんひとりでは無理だし、メルが考えていたらしい彼との相乗りは騎士たちから反対されたため、私の後ろに座った騎士が手綱を握る形になった。
最初はその高さにおっかなびっくりだったけど、慣れると楽しくなり、ひとりで馬の背に乗って手綱を操ることのできるメルが羨ましくなった。
私も帰国したら乗馬を習おうかと考え、馬場をのんびり歩く馬上で騎士にあれこれ質問していると、じっとりした視線を感じた。
「メル、馬から意識を逸らしたら危ないわ。絶対に落ちないでよ」
「そんな間抜けじゃない」
メルは不機嫌な顔でそう言って、馬の足を速め離れていってしまった。
私が小さく嘆息すると、頭上からは苦笑が聞こえた。
「殿下が私に嫉妬する必要などありませんのにな」
「ですが、昨年までなら『もう乗せない』と言われていたところですよね」
「そうですね」
厩舎まで戻ると、私は自分の馬に水をあげていたメルのところに向かった。
昨年もメルが私に触らせてくれたこの青鹿毛ランディはメルの馬だ。
基本的には厩舎員が世話をしているが、メルもできることはしているそうだ。
「メル、馬に乗せてくれてどうもありがとう」
チラッとこちらを見たメルは、まだ不貞腐れた顔をしていた。
「ずいぶん楽しそうだったな」
「ええ、メルのおかげでとっても楽しかったわ。ランディに乗れなかったのは残念だけど。ねえ、触っても良い?」
「うん」
私はランディを撫でながら、メルがブラシをかける様子を見守った。
ランディも気持ち良さそうだったけど、メルの表情が徐々に穏やかになっていくので微笑ましかった。
カイル殿下は、今年はパーティーを開かれた。
一昨年よりやや参加者が多くなったそうだ。
開始早々、やはりアリスは子息たちに囲まれた。
それを追い払ってホッとしたのも束の間、今度は数人の令嬢たちがやって来た。
そのうちのひとりが私とアリスの顔を見比べてから、アリスに向かって言った。
「あなた、まるでメルヴィス殿下の婚約者のように振る舞っているそうね。付き纏われて殿下が迷惑されているのがわからないの?」
どうやら彼女たちは、一昨年の私と同じ勘違いをしているようだ。
「それは違います」
反論しようとアリスの前に出た私は、彼女たちに睨まれた。
「あなたは黙っていてくださるかしら」
「黙ってなどいられません。そもそも、あなた方が聞かれたお話は『メルヴィス殿下がエルウェズの公爵の娘に付き纏われて迷惑している』ではなく、『殿下が娘に付き纏っている』でしょう?」
「私が嘘を吐いたと言うの?」
令嬢がさらに眦をきつくした。
「あなたは私たちの顔を見比べてから殿下の相手は妹だと判断しましたよね。先ほどの言葉どおりなら、外見など関係ないはずでしょう?」
「な、何よ。きっとメルヴィス殿下はあなた方がエルウェズからのお客様だからと気を使われているだけよ」
「あら、それをわかっていらっしゃるなら、こんなタズルナの品位を落とすようなことはすべきでないということも理解できるのではありませんか?」
「タズルナの、品位?」
「私たちの父はエルウェズではそれなりの力を持っております。このパーティーにたくさんの方が参加なさっていらっしゃることが証拠です。エルウェズの国王陛下も父からタズルナ滞在中のお話を聞くのを楽しみにしていらっしゃいます」
もちろん外交云々ではなく、従弟の長期休暇の思い出話として、だけど。
「私たちのことをエルウェズの国王陛下に告げ口するつもりなの?」
令嬢は怖気づいた表情を浮かべた。
少し話しただけで理解してくれたのだから、頭の悪い人ではない。王子妃という地位に憧れがあるだけだろう。
「タズルナとエルウェズの友好関係が今後も変わらず続くよう、エルウェズの陛下にはタズルナで歓待されたとご報告したいと思います。陛下に嘘ではなく事実を申し上げたいので、あなた方もご協力をお願いいたしますね」
私がにっこり微笑むと、令嬢は頷いてくれた。
その後はお互いの普段の生活について話したりした。
初めはぎこちなかったものの少しずつ打ち解け、気づけば一緒に笑っていた。
やがて彼女たちとは良い雰囲気のまま分かれた。
私がホッと一息吐くと、アリスも安堵の表情を浮かべていた。
「ありがとう。ロッティはさすがね」
「別にアリスにお礼を言われることではないわ。むしろ私が巻き込んでしまったのだし。でも、ちょっと疲れたから外で休んでくるわ。アリスはノアたちといて」
私が言外にひとりになりたいと言ったのを察し、アリスはノアのいるほうへと歩いていった。
それを見送ってから、私はお庭に出て日陰のベンチに腰を下ろした。
しばらくはここでぼんやりしていようと思ったのに、大して時の経たないうちにもはや耳慣れた足音が聞こえてきた。
「ロッティ、ここにいたのか」
現れたメルは躊躇うことなく私の隣に座った。
「どうしたんだ? パーティーで嫌なことがあったのか?」
そういえば、一昨年のパーティーではメルに助けられたのだっけ。
「いいえ。外の空気を吸いたくなっただけよ」
なかったわけではないけれど、私が感じているモヤモヤはあれだけが原因ではない。
「それなら良いけど、何かあったら僕に言えよ」
「……なぜ、私なの?」
唐突な問いに、メルの顔には困惑が浮かんた。
「え?」
「メルの婚約者になりたい令嬢はいくらでもいるでしょう? もっと可愛らしくて、優しい令嬢のほうが良いと思わないの?」
「思わないよ」
「私に色々と口喧しく言われて、メルこそ嫌な思いをしてるじゃない」
「ロッティは厳しいことも言うけど、僕がちゃんとやれば褒めてくれるだろ。僕に言うだけじゃなくて自分でもやるし。母上もそういう相手は貴重だから大事にしろって言ってた」
確かにあの王妃様なら仰りそうなことだ。
「それに、ロッティは可愛いよ」
メルが少し声を落として口にした言葉に、私は顔を顰めた。
「気を使って慰めてくれなくても良いわ」
「慰めじゃない。本当にロッティは可愛いよ。アリスのほうが目立つから皆気づかないだけだよ」
メルにきっぱりと言いきられて気恥ずかしくなった。家族や親戚以外に「可愛い」なんて言われたのは初めてかもしれない。
でも、おかげで胸にあったモヤモヤが薄らいだ。
「ありがとう。そろそろ中に戻るわ」
私がベンチから立ち上がると、メルも腰を上げ「ほら」と言いながら曲げた肘を差し出してきた。
「パーティーならこっちだろ?」
「そうね」
私はメルの腕に手を置いた。
ふたりで会場の広間に入ると、向こうのほうで先ほどの令嬢たちが目を丸くしているのが見えた。
そういえば、彼女たちに第三王子に付き纏われているのはアリスでなく私だと訂正するのを忘れていた。