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6 王子は少し成長しました

 センティア校へ向かうノアを家族で送るのも3度目になった。


 やはりカイル殿下のお屋敷に落ち着いた私のところに、メルヴィス殿下は駆けつけてこなかった。


「最近は家庭教師から熱心に勉強を教わっているようだから、きっとそのせいだ。ロッティに対する気持ちが変わったわけではないから心配いらない」


 夕食前にカイル殿下がわざわざ私の傍に来てそう囁かれたのは、お父様に聞こえないようにだ。


 でも、私はそんな心配などもちろんしていなかった。

 こちらへ出発する少し前に「早く来て」という手紙を受け取ったばかりでは、心変わりなど期待できない。




 翌日は家族で国王陛下と王妃様にご挨拶するため、王宮を伺った。

 そこに王太子殿下と第二王子殿下が同席されたのはいつもと同じだが、今年はなんと第三王子もいた。


 きちんと身だしなみの整っているメルヴィス殿下は思っていたとおり、なかなか美しい王子っぷりだった。

 ふたりの兄君が陛下に似た男らしい顔立ちなので、余計にそう見えるのかもしれない。

 あれで、始終こちらを見て口元を緩ませていなければ完璧なのに。


 ご挨拶が終わると、私たち兄弟は先に御前を退出した。

 さっさとカイル殿下のお屋敷に戻ろうと歩き出したが、予想どおり彼が追いかけてきた。


「ロッティ、待て」


 まあ、今年くらいはきちんとお相手しよう。

 私はノアに先に戻るよう言ってから立ち止まり、振り返った。


「そうでしたね、メルヴィス殿下」


 私が微笑んで手を出すと、メルヴィス殿下は目を瞠って顔を赤らめ、手を重ねてきた。だが、触れる直前で私はさっと手を退いた。


「違います。ハンカチを返してください」


「ハンカチ……」


「まさか無くしたのですか?」


「いや、部屋にあるから取りに来い」


「殿下のお部屋、ですか?」


 王子の部屋に私が入って良いのかしら?

 私がそう考えているうちに、メルヴィス殿下は今度こそ私の手をぎゅっと握って歩き出した。


 ひとりでお庭を動き回っていた昨年までとは違い、メルヴィス殿下の傍にはお付きらしい侍従や騎士の姿があった。彼らは特に何も言わない。

 さらに、メルヴィス殿下に手を引かれて王宮の奥のほうへと歩く間、何人ものメイドとすれ違ったが、頭を下げるばかりで咎められることはなかった。むしろ、微笑ましそうな表情で私たちを見送っていた。


 そうして、私はすんなりとメルヴィス殿下のお部屋に入った。

 中の雰囲気はノアの部屋とそう変わらない。ただベッドが見当たらないので寝室は別のようだ。


 メルヴィス殿下は私を勉強机の前まで連れて行った。

 さすがにメイドの仕事が行き届いて綺麗に整っているお部屋の中で、机周りはごちゃごちゃしているのがメルヴィス殿下らしいけれど、しっかりお勉強している証拠かもしれない。

 机の前には私が送った本を読むメルヴィス殿下の絵が貼られていたが、それについては触れずにおいた。


 メルヴィス殿下はそのごちゃごちゃの中からシワシワのハンカチを引っ張り出した。何やら染みもついている。

 私が思わず顔を顰めたので、メルヴィス殿下は慌てて言った。


「あの、その、ロッティが刺繍したものだからいつも近くに置いておきたくて、それで……」


「私は刺繍していませんが」


「え? 特別ってそういうことじゃないの?」


「お父様ですわ」


「コーウェン公爵が?」


「はい。だから大切にしていたのです」


「……ちゃんと綺麗にして返す」


「もう結構です。どうぞそのままお使いください」


 お父様が刺繍してくれたハンカチは他にもあるし、メルヴィス殿下が羨ましがったからあげたとでも言えば、お父様も納得するだろう。


 何だかがっかりしているメルヴィス殿下に、私は別の話題を出すことにした。


「それよりも、お勉強のほうはいかがですか?」


「ええと、昨日はこのあたりを習ったんだ」


 気を取り直したらしいメルヴィス殿下は、机の上に置かれていた本やノートを広げた。

 タズルナ語なので少し見ただけでは細かい内容までは理解できないが、以前に比べればわかるようになっていた。


 というのも、私はタズルナ語の読み書きも本格的に学びはじめたのだ。

 先生になってくださったのはお祖父様。お祖父様は長く外交官としてエルウェズの宮廷にお仕えしていた方で、1年間だがセンティア校への留学経験もあった。


 メルヴィス殿下が学んでいる内容は、歳下のアリスよりも遅れていた。

 3年間もお勉強を疎かにしていたのだから仕方ない。いや、それを考慮すれば決して遅れてはいないだろう。


「どうやら、しっかりお勉強しているというのは本当のようですね」


 私がにっこり笑うと、メルヴィス殿下は目を輝かせた。


「もちろん。だから、ロッティ、僕と婚や……」


「ですが、まだまだですね。これからもこの調子で励んで、早く王子に相応しい中身を備えてくださいませ」


「……もちろん」


 顔には不服を浮かべながらも、メルヴィス殿下はそう答えた。


「今日もこれからお勉強ですか?」


「今日は休みにした。その分は昨日、ロッティのところに行かずに頑張ったんだぞ」


「そう言えば、字もずいぶん上達されましたね」


「うん。たくさん練習したから」


「殿下はやればできる方なのですね」


「ああ、そうだ」


 メルヴィス殿下は胸を張った。


「私、できるのにやらない方は好きません」


 しまった。また、こういうことを言ってしまった。

 私はちょっと後悔したが、機嫌の良いメルヴィス殿下は「わかった」と頷いた。




 私はそのまま王宮でメルヴィス殿下と昼食をいただいた。

 ちなみに、メルヴィス殿下の食事作法はとても綺麗だ。きっと幼い頃にきちんと躾けられていたのだろう。


 それから私たちは外に出た。


 メルヴィス殿下は私の手をグイグイ引っ張ってどんどん歩いて行く。食事中に比べて、こういう時の彼はやはり残念。

 メルヴィス殿下に姉妹がいれば自然と身につくものもあったかもしれないけれど、彼の兄弟は兄君ふたりだけだ。


 メルヴィス殿下は池のほとりの木陰で立ち止まった。すっかり汗ばんでしまった肌に、風が心地良い。


「メルヴィス殿下、女性への接し方やエスコートについても学んでおいたほうが良いですよ」


 メルヴィス殿下はムッとした顔になった。


「そんなのできるさ」


「つまり、メルヴィス殿下にとって私はエスコートなどするに値せず、他の令嬢がお相手なら優しくエスコートなさっているのですね」


「僕がロッティ以外の令嬢なんかエスコートするはずないだろ」


 メルヴィス殿下は慌てた様子でそう言ってから、顔を赤らめた。


「手をきつく握って引き摺るように歩くことはエスコートではありません」


 私が繋がれた手を軽く上げてみせると、メルヴィス殿下はシュンとなって手の力も緩んだ。その機に私は手を離した。


「殿下が社交の場に出るのはまだ先なのですから、それまでに身につければ良いのです。私も勉強中ですから、一緒に練習しましょうか」


 私の提案にメルヴィス殿下は再び顔を明るくし、「うん」と頷いた。


「男性が女性をエスコートする姿は見たことありますよね? 腕の形、やってみてください」


「こう?」


 メルヴィス殿下は右肘を曲げ、軽く握った手をお腹の前に当てた。

 私は彼の隣に立って、その肘の上に手を添えた。


「では、歩いてみましょう。速度はこちらに合わせるよう意識してください」


 私がゆっくり足を進めるとメルヴィス殿下も動き出したが、どこかぎこちない。


 声をかけようとメルヴィス殿下のほうを見れば、彼もこちらを見ていた。

 手を繋ぐのでなく腕を組んでいるせいで、先ほどよりさらに赤くなった顔がいつもより近い距離にあった。身長が同じくらいなので、余計にそう感じる。

 昨年までは、メルヴィス殿下の目は私のより下にあったはずなのに。


 何だかこちらまでギクシャクしそうになって、視線を前に戻した。


「殿下はこれからもっと背が伸びて、速く歩けるようになるでしょうが、女性がそれについて行くのは大変です。相手に合わせることを忘れないでくださいね」


「うん。……ねえ、ロッティ」


「何ですか?」


「殿下じゃなくて、メルって呼んで」


 再びメルヴィス殿下を窺うと、彼は前を向いていて、赤くなった耳が見えた。


 私の家族は皆、彼を「メル」と呼ぶ。お母様は「メル殿下」だけど。

 私が何度同じことを言われても頑なに「メルヴィス殿下」と呼んできたのは、最初の彼があれだったことが理由だ。でも、今となってはただの意地かもしれない。


「ロッティに言われたとおり、勉強とか色々頑張ってるんだから、このくらい聞いてくれてもいいだろ」


 私がしばらく黙っていたせいが、彼は少し不貞腐れた様子で言った。


「お勉強は私のためではなく、あなた自身のためにやるものよ、メル」


 勢いよくこちらを向いたメルは嬉しそうに笑って頷いた。

 その後、彼の足取りが比喩でなく弾んだため、エスコートの練習は続けられなかった。

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