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5 望んだ方向へは進みません

 翌日、翌々日とメルヴィス殿下は姿を見せなかった。


 私は王妃様にお会いしたおり、失敗をご報告した。が、王妃様は落胆したご様子もなく、やはり優雅に微笑んだ。


「大丈夫よ。いくらロッティでもすぐにあの子を諭せるとは思っていなかったから。来年もその先もあるのだし、徐々に導いてあげてちょうだい」


 そんな長期計画なのですか、とは口に出せなかった。




 さらに次の日、お父様とアリスと私は帰国の準備を整えてカイル殿下のお屋敷を出た。


 今年はお父様の休暇が通常どおりだったので、ノアがセンティアの寮に戻るのは一週間ほど先になる。

 お父様はカイル殿下に繰り返しノアのことを頼み、それからノアを抱きしめて泣いた。だけど昨年とは違って、しばらくするとノアから離れ涙を拭った。


 そうして、ノアとカイル殿下のご一家に見送られ、私たちが乗り込んだ馬車はゆっくりと出発した。


 カイル殿下のお屋敷が見えなくなった頃、アリスが私を見つめて言った。


「メル、来なかったわね」


「あの王子のことはもう良いわ」


 王妃様にはああ言われたけれど、とりあえずエルウェズに帰国してしまえば1年はメルヴィス殿下と関わらずに済む。


 やがて馬車が王宮の門の手前まで来た時、どこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 いえ、きっと空耳ね。

 そう思い込もうとした私の袖をアリスが引いた。


「ロッティ、ほら、メルよ」


 ああ、やっぱりそうですか。

 窓から覗くと、王宮のほうから必死の形相で走って来るメルヴィス殿下が見えた。


 仕方なく馬車を停めてもらって降り、メルヴィス殿下のほうへ数歩足を進めたところで彼が私の前に辿り着いた。

 メルヴィス殿下は膝に両手をついてゼイゼイと肩で息をしていて、水滴が地面にポタポタと落ちた。


「何で、何で僕に黙って帰るんだよ」


 ようやく顔を上げたメルヴィス殿下の顔は、汗と涙で濡れていた。


「『ロッティなんかもう知らない』と仰ったのはどこのどなたです?」


「だって、それは、ロッティが」


 メルヴィス殿下の目からさらに涙が溢れた。


「まったく、よく泣く王子ね」


「何だよ。王子が泣いたら悪いって言うのかよ」


「いいえ。王子だって誰だって、泣きたい時は泣いたら良いと思います。でも、殿下は泣きすぎですわ。そんなに泣いてばかりでは、いざという時に大切なものを守れませんよ」


 メルヴィス殿下が目を見開いた。


「初めて会った時も、ロッティ、同じこと言った」


「ということは、殿下はやっぱり泣いていたのではないですか」


 メルヴィス殿下は気恥ずかしそうな顔になった。今さらだと思いますけど。

 私は苦笑しながらハンカチをメルヴィス殿下に差し出した。彼はそれで顔を拭いてから尋ねた。


「ねえ、強く大きいって、どういう意味だったの?」


 いつもより少しだけ気弱そうな表情。こちらのほうが彼の本質なのだろう。

 私は手を伸ばしてメルヴィス殿下の胸に指先で触れた。彼が「不敬だ」と腹を立てたりしないと見越して。


「大切なのは心です」


「心?」


「それから、体を鍛えることだけでなく、しっかりお勉強もしてください」


 メルヴィス殿下は口を尖らせた。


「母上みたいなことを言うんだな」


 あら、なかなか鋭いわね。


「殿下はせっかく王子という立派な肩書を持っているのですから、それを最大限に有効活用するために中身を詰め込まないといけません。ノアが留学までして勉強に励んでいるのも同じ理由ですよ」


 メルヴィス殿下は少しの間私を見つめてから、コクリと頷いた。

 私は穏やかに笑んで告げた。


「そろそろ行きますわ」


 メルヴィス殿下はハッとして、私に縋るような目を向けた。


「ロッティ、来年も来るよね?」


「……多分」


「絶対来て。僕のこと、忘れないで」


 メルヴィス殿下がこの上なく真剣な表情で訴えるので、私もきっぱりと撥ねつける気にはなれなかった。


「そのハンカチ、特別なものなんです」


 ハンカチを目の前で広げて、メルヴィス殿下は首を傾げて呟いた。


「普通のハンカチにしか見えないけど」


 確かに、レースの縁取りがある白いハンカチはどこにでもあるものだ。特別なのは、その隅に刺繍されている黄色い小鳥。


「だから、次に会った時に必ず返してください」


 私が口にしたのが再会を約束する言葉だと気づき、メルヴィス殿下の顔に笑みが広がった。


「うん」


 再び私を乗せて走り出した馬車を、メルヴィス殿下はいつまでも手を振って見送っていた。


 その姿が見えなくなった頃、お父様が探るように言った。


「ロッティ、メルはただのお友達だよね?」


 私はにっこり笑って答えた。


「もちろんです、お父様」


 帰国後、旅の疲れとお母様に無事再会できた安堵からお父様は熱を出してしまい、長期休暇を2日延長することになった。




 エルウェズでの元の生活に戻って一月ほどたった頃、メルヴィス殿下から手紙が届いた。


 手紙がタズルナ語で書かれていたのは当然としても、字が汚くてかなり読みにくかった。

 私はお父様に教えてもらったおかげでタズルナ語の日常会話には不自由しないけれど、読み書きはまだ苦手。

 そのため、辞書を片手に悪戦苦闘する羽目になった。


 お父様なら辞書なんてなくても翻訳できるけど、何が書いてあるのかわからないメルヴィス殿下からの手紙を先にお父様に読ませるわけにはいかない。


 そうして、どうにか判読した手紙の内容を要約すれば、「僕はちゃんと勉強してるぞ」だった。はいはい。


 読んでしまったからには返事を書かなければならない。

 再び辞書を手に、私自身が最近勉強したことなどを便箋に綴り、最後には「もっと綺麗な字を書く練習もしてください」と書いた。

 手紙はお父様に添削してもらってからタズルナに送った。




 しばらくして、お姉様が無事に男の子を出産した。

 お父様もお母様も私たちも大喜びした。


 お姉様が嫁いだマクニール家まではそう遠くないし、お義兄様もそのご両親も優しい方々で「いつでも来て」と言ってくださっているけれど、皆で毎日押しかけるわけにはいかない。

 お母様だけでお姉様と、ヴィンセントと名付けられた赤ちゃんに会いに行き、私たちはその様子を聞きながら家族でマクニール家を伺う週末を待ちわびる日々だった。


 そんな中、またタズルナから手紙が届いた。ほんのわずか、字が読みやすくなっていた。


 内容は「ロッティもたくさん勉強してるんだな。僕もやってるぞ」というようなこと。それから「ロッティは字も絵も上手」とあった。

 絵というのは、前回の手紙の余白に描いた花や木のことだろう。


 私は小さい頃から絵を観るのも描くのも好きだった。

 お父様とお母様は私たちをよく美術館に連れて行ってくれたし、若い画家の支援などもしていた。画家が我が家に滞在すれば、私は絵を描く様子を飽きず眺め、時には描き方について教えを請うた。

 画家たちが口にする「なかなかお上手」、「才能がありそう」などの言葉は、公爵の娘に対して気を使っているものだと理解していたが、それでも嬉しかった。


 私はメルヴィス殿下への返信にヴィンスがどんなに可愛いかを書き連ね、さら別の紙にヴィンスの絵を描いて一緒に送った。


 すると、次のメルヴィス殿下からの手紙にも絵が同封されていた。

 男の子と女の子が並んでいて、その上にそれぞれ「僕」、「ロッティ」と書かれている。上手い下手はともかく、何ともメルヴィス殿下らしい絵だった。


 私はふたり並んだ絵を描くのは躊躇い、本を読むメルヴィス殿下の絵を描いた。

 メルヴィス殿下からは「どうせならロッティの絵が良かった」と書いてきたので、自画像は送らないことに決めた。


 そんな風に私たちの文通は続き、気がつけば1年が過ぎていた。

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