3 王子は私が好きなようです
メルヴィス殿下がアリスを好きだというのは私の勘違いで、彼が本当に好きなのは私、らしい。
帰国の道中、最初に泊まった宿のお部屋でアリスからそう聞かされた。
いまいちピンとこないけれど、あの後、私の手を握って泣き続けたメルヴィス殿下の姿を思い出すと、否定もできなかった。
あんまり長いこと強く掴まれていたせいで、私の手には痣ができてしまっていた。
「でも、私に対してあんな態度だったのよ。アリス、よくわかったわね」
「それは今回じゃなくて、前に会った時のことがあるからよ。それに、確かにメルは前とはちょっと感じが違ったけど、ロッティへの態度はロッティがメルを忘れてしまったせいではないかしら」
前回、私たち家族がタズルナを訪れたのは2年前、お姉様がルパートお義兄様と婚約し、学園を卒業した直後の長期休暇中のことだった。
休暇の初めはお義兄様も一緒にコーウェン領で過ごし、後半は今年のようにカイル殿下のお屋敷でお世話になった。
それは私もしっかり覚えているのに。
「前に会った時に、私がメルヴィス殿下に好かれるような何があったの?」
「それは私は知らないけど、前回も分かれる時にメルは泣いて、ロッティは慰めていたわ」
私は心の中で悪態を吐いた。
何が「家族で大泣きするなんて恥ずかしい」よ。
「私があの失礼な王子を慰めた?」
「だから、前は失礼ではなかったの。もっと大人しくて、私もすぐに仲良くなれて」
大人しいメルヴィス殿下を想像できず、私は思いきり顔を顰めた。
そこで扉がノックされて、お母様がお部屋に入ってきた。
就寝前にお母様が私たちの顔を見に来てくれるのは毎日のこと。時々はお父様もついて来る。
「まだベッドに入っていなかったの。明日は長い距離を移動するのだから、早く休みなさい」
私とアリスは揃って「はあい」と返事をして、それぞれのベッドに入った。
でも、私は我慢できず、お母様に尋ねた。
「お母様、メルヴィス殿下が前は大人しかったって本当ですか?」
お母様は少しの間、考えるように視線を動かした。
「そうね。以前はあんな風に元気に走り回ったり、大きな声を出したりする方ではなかったわね」
「2年の間に、メルヴィス殿下の身に何か起こったのかしら?」
「ロッティが原因だと思うけれど」
「私が?」
「ロッティに恋をしたからでしょう」
お母様がサラッと口にした言葉に、私は固まった。
だけど、そういうことなのかもしれない。
そもそも、私とアリスが馬車の中ではこの話題に触れなかったのは、お父様に聞かせたくなかったからだ。
お父様は私の手を握りしめて泣いていた第三王子に同情的だったが、それはあくまで前日にご自分もノア相手に同じことをしたからだ。
もしもお父様が重ね合わせたのが、大好きな幼馴染のクレア姉様と離れたくないと泣いた11歳のご自分だったなら、メルヴィス殿下に同情などしていられなかっただろう。
お父様はその6年後、再会したクレア姉様と結婚したのだから。
「まあ、こういうことはひとりで悩んでいるよりも、本人に直接確かめるのが一番よ」
クレア姉様、もといお母様はそう言って微笑んだ。
直接確かめる、つまりまたメルヴィス殿下に会う機会があるのだろうか。あるんだろうな、きっと。
案の定、翌年も私はタズルナの土を踏むことになった。長期休暇で一時帰国したノアを、センティア校まで送るためだ。
ちなみに、ノアが持ち帰った成績は学年1位というものだった。
ノアが優秀であることは知っていたけれど、隣国の学校で客観的につけられた数字を見て、改めてそれを実感させられた。
この優秀な兄なら別の見解を示してくれるのではないかと縋る気持ちでメルヴィス殿下について訊いてみたのだが、返ってきたのは「メルはロッティが好きだろ」というもので、私を失望させた。
「父上の目を誤魔化すためにメルを忘れたふりをしたわけではないんだな」
「どうしてそんなことをしなくちゃいけないのよ」
「ロッティがメルと婚約なんてことになったら、我が家に嵐が起こりかねないからな。父上に知られるのはできるだけ先のほうが良い」
「私とメルヴィス殿下が婚約なんて、ありえないわ」
私が一蹴しても、ノアの目は私を信じていなかった。
この年、一緒に隣国へ旅したのは、お父様とノアとアリスと私だけ。
お姉様が初めての妊娠中だったため、お母様はメイとともにエルウェズに残ることにしたのだ。
お父様もノアをタズルナまで送るかどうか、かなり悩んでいた。お姉様を心配する気持ちももちろんあったけど、お父様は結婚してからお母様と一晩たりとも離れたことがなかったのだ。
だけど、最終的にはお母様の「メリーには私がついているから、セディはノアのことよろしく」という言葉でお父様は決心した。
私もエルウェズに残ろうかと考えた。主に、あの第三王子に会いたくないという理由で。
でも、お母様から「お父様のこと、どうかお願いね」と頼まれてしまっては断れなかった。
長期休暇の前半を家族皆で領地で過ごした後、都に帰るお母様とメイと分かれ、私たちはタズルナへと向かった。
お父様は馬車の窓から、遠ざかっていくもう1台の馬車をジッと見つめていた。
その日から、私たちはできるかぎりお父様の傍にいた。
特に夜は就寝時間までお父様と一緒に過ごし、お父様が寂しそうなら私かアリスがお父様と同じベッドで眠った。
そのおかげか、お父様は前年とあまり変わりない状態でカイル殿下のお屋敷に到着した。
やはりどこからか駆けてきて私とアリスの前に立ったメルヴィス殿下は、赤い顔でニヤッと笑った。
「やっと来たな」
あまりの既視感に、私もまた「どなた?」と返してあげたほうがいいのだろうかと考えたものの、メルヴィス殿下の瞳がわずかに揺れているように見えたので留まり、淑女の礼をした。
「お久しぶりにございます、メルヴィス殿下」
その途端、メルヴィス殿下の表情が目に見えて緩んだ。私に忘れられていなかったことが、嬉しくてたまらないとでもいうように。
そうして、昨年とは打って変わって、メルヴィス殿下に付き纏われる日々が始まった。
メルヴィス殿下の態度もガラリと変わったならまだ良かったのだか、むしろ傍若無人ぶりが増してしまっていた。
朝から私のところにやって来ては、私がどこへ行くにもついて来る。庭園だろうと、王宮だろうと、美術館だろうと。
遠慮なく私の手を掴み、「ロッティ、ロッティ」と引っ張る。
何度か「シャーロットです」と抵抗してみたものの見事に無視されて早々に諦めた。「おまえ」がなくなっただけ良しとしよう。
その代わり、「メルと呼べ」はのらりくらりと躱してやった。
さすがにカイル殿下のお屋敷の客室までは入って来ないけど、わざわざタズルナまで来たのにお部屋に引き籠るなんてもったいないこと、私にはできなかった。
時には馬に触らせてくれたり、綺麗な夕日が見える塔に連れて行ってくれたりと、悪いことばかりでもないのがまた憎たらしい。
私がちょっときついことを言って、彼が「ロッティなんかもう知らないからな」と駆け去っていったとしても、やっぱり翌朝には現れるのだから、お手上げだった。
まったく、1年前の分かれ際に人の手を握りしめて大泣きなどという恥ずかしい真似をしたことはきれいさっぱり忘れてしまったのだろうか。それとも、開き直っているだけだろうか。あるいは、私から突っ込まれるのを待っているのか。
とりあえず、面倒なのでそれ以上考えることは放棄した。