26 もう少し待っていてください
再びやって来た長期休暇にはマードック先生とサイモン先生も一緒に領地へ行くことになった。
私は休暇中もおふたりの目を気にしなければならないのかと溜息を吐いたけど、おふたりを「是非に」と領地に招いたお母様はにっこり笑って言った。
「あの方たちにはロッティがタズルナに嫁いでから味方になってもらわないといけないんだから、しっかりおもてなししないとね」
なるほど。
そんなわけで、領地への旅はいつもの年より大所帯になった。
もちろん、遅れてメルもコーウェン領にやって来た。
王子は今年も青鹿毛に乗って現れたけど、今年は侍従もついて来た。
ずいぶん疲れた顔をしていたのでやはり乗馬は苦手のようだ。でも、それ以上に侍従としての矜持が勝ったのだろう。
彼とも長い付き合いになるはずだけど、こういう人なら上手くやっていけそうな気がする。
メルが到着した翌日、私たちはさっそく一緒に森を散歩した。もちろん、手を繋いで。
「そんな感じで、おふたりともそれなりに上手くやっているから、心配しなくて大丈夫よ」
「そうか。良かった」
「メルも、4位なんて頑張ったわね」
「ああ。来年はきっと首席をとるから」
「期待しているわ」
お互いの近況を語り合いながら、メルは何となくソワソワしていた。
理由はあれだろうと思っていると、メルが早口で予想どおりのことを言った。
「あのさ、ロッティ、僕たちも腕組もうか? ほら、ロッティをエスコートする機会はほとんどないし、練習しておいたほうが良いかな、なんて」
「そうね」
メルの視線の先には、私たちの少し前を腕を組んで歩く兄夫婦の姿があった。
婚約者どころか女性への興味さえないようだったノアが、この1年の間に出会い、婚約し、結婚まで済ませてしまった。もっと正確に言えば、出会いと婚約が同じ日で、それから半年も経たずに結婚式を挙げた。
しかも、コーウェン次期公爵夫人ーー私の義姉になったのは何を隠そうあのセアラだった。
やはりスウィニー家には色々と問題があったようで、ノアが次期公爵の立場を存分に使って一見無茶に思えることをしたのも、すべてセアラのためだ。
セアラの隣で今まで家族にも見せたことのなかった顔をしているノアを見ると、単に自分の欲求を満たすためだったのかとも思えるけど。
昨年、私にあんなことを言っただけあって、ノアは妻への愛情表現を惜しまなかった。
ノアだって声を出して笑うことを知っている私たち家族はそれを面白がって見ているし、叔父様叔母様方も「やっぱりノアはセディの子だ」と笑っていた。
ちなみに、お父様やアリスもセアラのことは家族としてあっさり受け入れた。
だけど、常に不機嫌な顔をして、自分に寄ってくる令嬢方に愛想の欠片も見せなかったコーウェン次期公爵しか知らない方々には、ずいぶん驚かれているようだ。
まあ、そういう方々のことはどうでも良い。
私が心配だったのはセアラの反応だ。セアラも「こんなの違う」とか「騙された」と思っているのではないか。
だから私は長期休暇の少し前に、セアラにそのあたりのことを訊いてみた。
セアラはかなり悩ましい表情で言った。
「正直に話しても良いかしら?」
「もちろん、正直に」
「誰にも、特にノアには絶対に言わないでね」
真剣な顔のセアラに、私は頷いた。
「言わないわ」
「実は、可愛いくて堪らないの。とても賢くて毛並みも良いのに人には心を開かないはずの大型犬がなぜか私にだけは懐いてくれた、みたいな感じで」
「大型犬……」
私の頭の中に、セアラに向かって千切れんばかりに尻尾を振り、さらにはゴロリとお腹を見せて寝転ぶ大型犬の姿が浮かんだ。
そうか、セアラにはあのノアが可愛く見えてしまうのか。
私が黙ったまま考えていると、セアラが焦った様子で言った。
「ごめんなさい。今言ったことは全部忘れて。いくら夫でも、次期公爵を犬に喩えるなんて失礼この上なかったわ」
それが失礼だと言うなら、ノアだって失礼だ。「セアラは小動物みたいで可愛い」と思っているに違いないのだから。
だって、前に私がそう言った時、「おまえもか」って顔に書いてあったもの。
「いえ、物凄くわかると思っていたところよ。私の場合は、落ち着きがなくてよく吠える小型犬だけど」
一瞬の間があって、セアラがクスリと笑った。
「メルヴィス殿下のこと?」
ずっと家族と、せいぜい親戚までにしか話してこなかったメルとのことを、私はセアラにも打ち明けていた。
「ええ」
「遠くから見たら完璧な王子様にしか見えなかったけど、ロッティの前ではそんな感じでいらっしゃるのね。お会いするのが楽しみだわ。もちろん緊張もするけれど」
「メル相手に緊張なんて、するだけ無駄よ」
とにもかくにも、セアラが幸せそうで私は安堵したのだった。
もちろん、私はセアラと再会できたことや家族になったことをメルへの手紙に書いた。
メルも驚き、喜んでくれた。
「意外だったな」
腕を組む形で歩き出してすぐ、メルがポツリと呟いた。
「メルも、ノアが奥さんを蔑ろにするような人だと思っていたの?」
ノアがメルに見せていたのは家族向けの顔のほうだったのに。
「そうじゃなくて、ノアと結婚したい令嬢はいくらでもいただろ。センティア校の卒業パーティーでも綺麗なマリーヌ生たちに囲まれていたらしいし」
「その中でノアがセアラを選んだのはおかしいって言いたいわけ? メル、私と婚約解消したいの?」
「は? したいはずないだろ。何で急にそんな話になるんだよ」
「セアラのことを貶されて、ノアが黙っていると思う? お父様は私たちの婚約に反対でも部屋に閉じこもるだけだけど、ノアが反対すればどんな手を使っても確実に解消させるわよ」
「別にセアラを貶すつもりはない。まだ会ったばかりだけど、良い人なのはわかったし。だけど、セアラはどちらかと言えば人の前に出てくるよりも、後ろで目立たないようにしてそうな感じだから、ノアはよく見つけたなと思ったんだ」
「何だ、そういうこと」
それは私も同感だ。
ノアとセアラが出会ったのは我が家で開かれた夜会でのことなのだが、詳しい状況についてはふたりとも口を閉ざしている。
わかっているのは、セアラが夜会に参加していたのは例の異母姉だという人に無理矢理連れて来られたからで、お父様なら娘に着せることを泣いて嫌がりそうなドレスを着せられていたということだけ。
私が1年ぶりに再会した時には、セアラはお姉様のドレスを着てノアの隣で微笑んでいて、ノアはそんなセアラを甘い表情で見つめていた。
「というか、ロッティはノアに僕との婚約を解消されても大人しく受け入れるのか?」
「大人しくはできないかもしれないけれど、最後には受け入れるかしら。ノアが特別な理由もなくそんなことするわけないし。ああ、私の家族を貶されたら、私から頼むけど」
「僕はそんなことしないぞ」
「そうよね」
それにしても、夫婦仲が良いのは結構なのだけれど、メルの見ている前で必要以上にくっつくのはやめてほしい。
ふたりはさっきまで腕を組んでいたはずなのに、今はノアがセアラの腰に腕を回していた。
メルは羨ましそうにそれを見ている。
もしもメルが今度はあれを真似たいと言い出したら、きっぱり断ろう。
「ロッティ、お願いがあるんだ」
ほら、来た。
「どんなこと?」
心の中では身構えつつ、メルに微笑を向けた。
「く、口づけしたい」
「……はあ?」
思ってもみなかった言葉に、思わず声が大きくなった。
視界の端でノアとセアラが振り向いたのが見えたけど、そちらを気にしてなどいられない。
「駄目かな?」
「駄目に決まってるでしょ。口づけは結婚式で初めてするものよ」
「でも、クラスメートが婚約者としたって言って……」
「そんなの見栄を張っているだけ」
「だけど、何人もそう言ってたんだぞ」
「どうして皆でそんな話をするのよ。センティアは名門校ではなかったの?」
「男ばかり集まってるんだから、そんな話にもなるさ。口づけで盛り上がれるなんて可愛いものだ」
いつの間にか傍まで来ていたノアが、しれっとした顔で口を挟んだ。
「口づけくらいしてやったらどうだ? 兄として忠告しておくが、初めてが結婚式で2度目が初夜なんて苦労するのはロッティだぞ」
なぜ兄なのに妹に助け舟を出さないのよ。
ノアの隣にいるセアラを窺えば、ほんのりと頬を染めて明後日の方向を見ていた。黙ったままなのはノアと同意見だということだろう。
セアラにまで裏切られた気分。
「私たちは先に帰るが、メル、ロッティの嫌がることはするなよ」
「するわけないだろ」
兄夫婦が領主館のほうへ去ると、メルが物欲しそうに私を見つめた。
メルの背後では、彼の騎士たちがこちらに背を向けた。
私は小さく溜息を吐いた。
「わかったわ。ただし、1回だけよ」
「本当?」
メルの顔がパァッと輝いた。
「少し屈んで、目を閉じて」
そう言うと、すぐにメルの顔が私と同じ高さまで下りてきて、目を閉じた。
私はその顔に両手を添えてクイっと角度を変えると、頬に口づけ、サッと離れた。
メルに「思ってたのと違う」とか「やり直し」とか言われるのは覚悟のうえだったが、メルは何かを噛みしめるように目を閉じたまま拳を握り締めていた。
「メル?」
そっと呼びかけると、メルはようやく目を開けて、赤い顔でニヤニヤと笑った。
かと思うと、突然また屈んで、私の頬に柔らかくて温かいものを押しつけてきた。
しばし私の思考が停止していた間、メルの唇は私の頬に触れたままだった。ちょっと荒い鼻息がかかっているのも感じた。
我に返ってから、慌てて飛び退がった。
「1回だけって言ったでしょ」
「でも、頬だったから、ロッティから1回、僕から1回で平等かなと思って」
「そんなところで平等かどうかなんて気にしないで」
「僕にされるの嫌だった? ノアに謝ったほうがいい?」
「……別に、嫌ではなかったわ」
「本当? 僕はすごく良かった」
メルはまた頬を赤らめてエへへと笑った。
だから、その顔はやめてよ。
可愛いからまたしてあげても良いかなって思ってしまうでしょ。




