2 男の子の好意は妹に向かうものです
私たちのお父様はとても綺麗なお顔をしている。
いつだったか、お母様の妹のレイラ叔母様が「セディは黙っていれば麗しいのよね」と呟いていたので、「麗しいってどういうこと?」と尋ねたら、「教会の天井に描かれている天使様みたいな顔のことよ」と教えてくれた。
私はなるほどと大いに納得した。
お母様も美人なのだけど、社交界にはそれなりにいるくらいの美人なので、麗しいお父様が隣にいるとまったく目立たない。
ちなみに、お母様大好きなお父様は、家の中でも外でもお母様の隣が定位置だ。
そんな両親の間に生まれた私たちはというと、お姉様とアリスはお父様似。ノアと私はお母様に似ている。
でも父方のお祖母様に言わせるとアリスはご自分に似ていて、私は若いうちに亡くなった母方のお祖母様に似ているのだそう。
メイは父方のお祖父様に似ている。
だけど、両親も祖父母も誰に似ているからと言って贔屓することなく、私たちを等しく愛してくれた。
だから、屋敷の外に出てあからさまな態度をとる同じ年頃の子たちと交流するようになるまで、私は気づかなかったのだ。アリスは麗しくて、私は地味だということに。
もっとも、気づいてからも自分を卑下したりはしなかった。
我が家においてお母様の存在は大きい。そのお母様に似ていることはむしろ誇るべきことだった。
それに、男の子たちに囲まれることは、アリスにとっては迷惑この上ないことなのだ。
アリスは引っ込み思案なところがある。家族や仲の良い相手となら笑いながらお喋りもできるけれど、初めて会う人の前では尻込みしてしまう。
だから、私はいつも男の子たちから可愛い妹を庇ってきた。
男の子たちも、地味だろうとアリスの姉であり、コーウェン公爵家の娘である私に敬意を払ってくれた。
何と言っても、私たちはエルウェズ王家の血を引いている。お祖母様は先々代の国王陛下の末姫で、現陛下はお父様の従兄なのだ。エルウェズの貴族の子女なら皆、それを知っている。
だが、タズルナの貴族子息たちにコーウェンの名は通用しなかった。
カイル殿下のお屋敷で、お父様のセンティア校の同級生方が集まりパーティーが開かれた。私たち子どもも参加できるものだ。
そこでアリスは瞬く間に男の子たちに囲まれてしまった。隣にいる私は見向きもされない。
国が変わっても同じなのだなと半ば感心したが、エルウェズとは違って私がアリスを背に隠しても彼らが引いてくれないので困った。
どうしようかと考えていると、私と彼らの間に割り込むように立った人がいた。
「おまえたち、何してるんだ。エルウェズからの大事な客に乱暴な真似をするな」
あなたがそれを言うのかとか、今日のパーティーに第三王子が出席する予定はなかったはずだがとか、言いたいことはあったが口に出すのは控えた。
メルヴィス殿下は私たちを助けに来てくれたのだから。
しかし、貴族子息たちが怯んだのは一瞬だった。
「メルヴィス殿下、アリス嬢をひとり占めするつもりですか?」
「何で僕がそんなことするんだ」
「殿下もアリス嬢が好きなんでしょう」
「な、何を言うんだ。そんなわけないだろ」
メルヴィス殿下は焦ったように後ろを振り返り、私と目が合うと慌ててまた前を向いた。
何、その反応。あんなにアリスにベッタリだったのに、今まで自分の気持ちに気づいていなかったの?
「本当ですか? 抜け駆けして婚約したり……」
「アリスとなんて絶対にないったら、ない」
メルヴィス殿下は強い調子で言い切った。
アリスに対してはメルヴィス殿下も失礼な言動を取らなかったのに、ここでこんな風に否定されてはアリスが傷つかないかと心配になった。
アリスもメルヴィス殿下には尻込みしなかったし、好意を持っているに違いない。
だが、私がそっと振り返ると、アリスはただホッとした表情をしていた。
あら、メルヴィス殿下の片思いだったみたいね。良かった。
そうこうしているうちに、貴族子息たちはようやくアリスと必要以上にお近づきになることを諦めてくれたらしく、渋々ながら離れていった。
「大丈夫か?」
私たちのほうを向いたメルヴィス殿下に、私はきちんと頭を下げた。
「はい。どうもありがとうございました。おかげで助かりました」
顔を上げてメルヴィス殿下を見ると、何だか顔が赤い。
今日も暑いものね。何か冷たい飲み物でもお持ちしたほうが良いだろうか。
「笑った」
ふいにメルヴィス殿下がポツリと溢した。
「それは、アリスだって笑いますよ」
「違う。ロッティだ」
「私、ですか?」
「僕がいるといつも顰めっ面だっただろ」
「そうでしたか?」
あまり自覚はないが、メルヴィス殿下の言うとおりだとしても彼のせいだと思う。
アリスを守れた喜びのためか、その日のメルヴィス殿下はずっと上機嫌で、いつもより私から離れていかず、何度か私のほうを見て話しかけてもきた。
その2日後には、ノアがセンティア校の寮に入った。私たち家族は校門の前で見送った。
お父様はノアを抱きしめて泣いた。お父様があまりに泣くので、そのうちメイまで泣き出してしまった。
とうとうお母様がお父様を宥めてノアから引き剥がし、馬車に乗せた。
校門前で私たちに手を振ったノアはいつもと変わらぬようでいて、少しだけ寂しそうに見えた。
さらに翌日、カイル殿下のお屋敷の前で使用人たちが馬車に荷物を積み込む様子をアリスと一緒に眺めていると、またもメルヴィス殿下が現れた。
なぜかこの日もメルヴィス殿下は私に話しかけた。
「おまえたち、昨日センティアの校門前で家族揃って大泣きしてたらしいな。恥ずかしくないのかよ」
パーティーの時にメルヴィス殿下のことをちょっぴり見直したのに、この言葉で台無しだった。
私の家族を、私のお父様を、貶す人とは絶対に親しくできない。
「大切な人と離れることを哀しむのはいけないことではないと思いますが」
私の声に険があることに気づいたのか、メルヴィス殿下が取り繕うように言った。
「ああ、もちろん、そのとおりだな。で、今日はどこに行くんだ?」
「エルウェズに帰るんです」
「は? そんなの聞いてないぞ」
メルヴィス殿下があまりに大きな声を出したせいで、アリスがビクッと肩を揺らした。
「聞いていなくてもおわかりになるでしょう。ノアのお見送りも済んだし、もう休暇は終わりです」
「まだ良いだろ。もう少しここにいろよ」
「無理です」
きっぱり言うと、メルヴィス殿下の顔が見る見るうちに歪んだ。
「帰るなと、僕が言ってるんだぞ」
駄々をこねて喚くメルヴィス殿下に、私は溜息を吐いた。
「ノアのお見送りのためにお父様は長期休暇を特別に1週間伸ばしていただいたんです。今日帰らなければ、それにも間に合わなくなってしまいます」
私はメイにでも言い聞かせるつもりでできるだけ優しく説いた。
お父様は宮廷で陛下の秘書官という重要なお仕事をしている。
それなのに休暇の延長が認められたのは、やはり陛下と従兄弟同士だからだと思う。
メルヴィス殿下は私の手をがっしり掴んで激しく首を振った。
「嫌だ。ずっとここにいてよ、ロッティ」
声をあげて泣き出したメルヴィス殿下を見つめながら、私はひたすら困惑していた。
なぜ、私?