13 父はもちろん反対です
メルが目を真ん丸くして私を見つめていたけれど、多分、私のほうが驚いていた。
それなのに、私の口は冷静な声で言葉を紡いだ。
「メルがセンティア校をきちんと卒業したら、私もタズルナに行くわ。どうしてもこちらの学園に留学すると言うなら、2度と婚約の話はしない。……どうする?」
私の手のひらの中でメルがもがもがと呻いたので、まだ彼の口を塞いだままだったことに気づいて手を下げた。
「今すぐ帰る」
言うが早いか踵を返したメルを、慌てて捕まえた。
「もう暗くなるわ。それに、今夜、両親に話すから一緒にいてちょうだい」
メルはコクコク頷いた。
ついさっき泣きそうな顔をしたくせに、今は頬を紅潮させている。
「婚約?」
「ええ」
「ロッティが、僕と?」
「そうよ」
メルは「やった」とか「ひゃっほ」とか声をあげながら庭を飛び跳ねだした。
それをどうにか宥めて屋敷の中へ引きずっていった。
本当に大変なのはこれからだ。
夕食後に家族に話すからそれまではいつもどおりにしていてと言ったのに、食堂でのメルは鼻唄でも歌い出しそうなほど上機嫌で、時おり私のほうを見てはデレッと笑った。
これでは私との間に何かあったなと気づかれるのが当然だ。
普段の夕食なら和かなお父様を中心に会話が進むのだけど、この日はお父様の口がどんどん重くなっていき、食堂の空気は微妙なものになってしまった。
いつもより短い時間で夕食が終わり、皆で居間へ移動した。
こんな状況で勿体をつけるつもりはなく、ソファに座るとすぐに口を開いた。
「お父様、お母様、お願いがあります」
お父様は私を見つめて不自然ににっこり笑った。
「また何か習いたいことができた?」
「いえ、違いま……」
「じゃあ、欲しいものがあるの?」
「あの、お父さ……」
「あ、新しいドレスでしょ。長期休暇が明ければロッティも社交界デビューだもんね。大丈夫、ドレスのデザインはもう考えてるよ」
私の言葉を遮って早口で話すお父様を、家族は固唾を飲んで見守っていた。
「ありがとうございます。ですが、今はそうではなくて……」
「ありがとうございます」
今度はメルが声をあげた。
お父様と私の会話はエルウェズ語だったので、理解できる言葉に反応したようだけど、おそらく大きな勘違いをしている。
急いで止めようと「ちょっと、メル」と小声で呼びかけても遅かった。
「これからはロッティの婚約者として、ますます……」
「婚約者?」
お父様もこんな声を出せたのかと思うほど、冷たい声だった。表情からして、お母様も初めて聞いたようだ。
「メルはロッティと結婚したいの?」
タズルナ語での問いに、メルは元気良く答えた。
「はい」
「それなら、エルウェズに婿に来てくれるんだよね?」
今度はメルもキョトンとした。
「ええと、僕は別に構わないけど、父上に訊いてみないと」
私は思わずメルを小突いた。
「何言ってるの。構いなさいよ。あなたは王子としてタズルナに責任があるでしょう」
「あ、うん」
私は小さく息を吐いてから、改めてお父様に視線を向けた。
「お父様、メルは今はまだ頼りないですが、将来はきっとタズルナのために必要な存在になります」
私が再びエルウェズ語に戻したので、メルはキョトンとしている。
まったく、これでよく留学しようなんて考えたものだ。
「私はそんなメルを支えてあげたいんです。だから、彼と婚約させてください」
私が頭を下げると、隣でメルも勢いよく頭を下げた。
「駄目」
簡潔明瞭な答えに顔を上げると、お父様はソファから立ち上がっていた。
「僕、もう寝るから。メルは諦めて早くタズルナに帰って」
お母様が「セディ」と呼び止めるも、お父様は足早に居間を出て行ってしまった。
「義父上はどうしたんだ? 具合が悪かったのか?」
お父様の残していった不穏な空気を感じつつも、メルは当たり前のように「義父上」と呼んだ。
「お父様は私たちの婚約に反対よ」
「え、何で? いつも良くしてもらってるし、嫌われてないよね?」
メルは反対されるなんて微塵も想像していなかったのだろう。
「ごめんなさいね。決してメル殿下が悪いわけではなくて、子どもを手放したくないだけなの」
お母様は困惑の混じった笑顔を浮かべながら立ち上がった。
「様子を見て、私からも説得してみるわ」
「お願いします」
私が再び頭を下げると、メルも真似た。お母様は頷いてみせてから部屋を出ていった。
私はソファの背もたれに寄りかかって嘆息した。メルは不安そうな表情で扉と私の顔とを交互に見た。
「僕たちは行かなくていいのか?」
「今はお母様にお任せしたほうがいいわ」
「ロッティは反対されたのにずいぶん落ち着いてるな」
「こうなることはわかっていたもの」
「わかって……?」
「いつか来るとはわかっていたが、思っていたより早かったな」
ノアはそう言って口角を上げた。
「まあ、色々あって」
思わず婚約を口走ってしまった経緯をここで話す気にはなれなかった。
「メルがセンティアを卒業したらと考えると、あと3年か。それだけあれば父上も心の準備ができるかな」
「良かったわね、メル。ロッティが決心してくれて」
アリスがにっこり微笑むと、メルもまだ戸惑った様子ながら笑って頷いた。
「でも、あんな怖い父上、初めて見たよ」
メイが呟くと、メルの表情が固まった。
「大丈夫よ」
私はメルに向かって敢えて軽い調子で言った。
翌日、お父様は朝食の席に現れなかった。
あの後、お母様もお父様と話すことはできなかったそうだ。
ノア以上に朝が弱いお父様は、いつも朝食の時はほとんど口を開くことなく淡々と手を動かしているけれど、それでも姿があるとないとでは食堂の雰囲気がまったく違う。
お母様は普段と変わらず振る舞っていたものの、原因たる私の気分は重かった。
メルも周囲を窺いつつ、珍しく神妙な面持ちをしていた。
食事が済むと、メルは「もう少しここにいる」と言い出したが、「帰ってすべきことをしなさい」と旅支度をさせた。
とりあえずメルがいないほうが、お父様と話しやすいだろう。
出発の準備が整うとメルがどうしてもと言うので、お母様の許可を得てお父様のお部屋の前まで連れていった。
「お父様、メルが帰国前にご挨拶したいそうなのですが」
中で人の気配はしたものの、しばらく待っても反応はなかった。
「伝えたいことがあれば、私が聞いておくわ」
メルに言うと、彼は悩む様子を見せてから意を決した表情になって扉を睨んだ。
「義父上、僕はこれでタズルナに帰りますが、ロッティとの婚約は絶対に諦めません。お世話になりました。失礼します」
最後にメルはペコリと頭を下げたけど、その姿が見えていないお父様からすれば喧嘩を売られたような挨拶ではないかと不安になった。
後ろ髪を引かれているメルを乗せた馬車が門を出て見えなくなると、見送っていた兄弟たちの空気が少しだけ緩んだように感じた。
屋敷の中へと戻りながら、お母様が言った。
「それにしても、この前いらっしゃったばかりでこんなに慌ただしく帰ってしまうなんて、申し訳なかったわね。セディの気持ちは落ち着くかもしれないけれど」
「あ、実は違うんです」
私はメルに「婚約しよう」と言うに至ったやりとりを皆に打ち明けた。
「まったく、メルらしいな」
ノアが呆れ顔で言った。
「本当、一途ね」
アリスはどこか嬉しそうだ。
「ロッティに言われたから、メルがあんなに浮かれてたんだね」
メイが思い出しているのは、昨日の夕食時のメルのことだろう。
「だけど、大丈夫なのかしら?」
お母様が眉を寄せた理由は、そんな無鉄砲な王子との婚約をお父様が認めてくれるのか、ということではなさそうで私は首を傾げた。
「何がですか?」
私の疑問に答えてくれたのはノアだ。
「センティアの入学申込み期限はこっちの学園より早いんだ。もう終わってる」
「ええ?」
「でも、こうなると見越してメル殿下の知らないところで手続きが済んでいるかもしれないわ」
「そうですよね」
お母様の言葉に急いで賛同したものの、確信は持てなかった。




