1 これが出会いではなかったようです
前作までは「我が国」「隣国」で通していたのですが、今作では国名を付けました。
よろしくお願いいたします。
センティア校へ入学するノアを家族揃って隣国タズルナまで送ったのは、私が11歳の時。
コーウェン公爵家の嫡男である3歳上の兄はとても優秀で向学心があり、自ら留学を希望した。
お父様は自身もセンティア校を卒業していながら、愛する我が子をひとり遠方へ出すことを渋ったものの、結局はノアに言い包めら……、ノアの熱意に負けたのだ。
8歳上の姉メリーはすでに結婚していたので、両親とノアと私、2歳下の妹アリス、6歳下の弟メイが旅の馬車に乗り込んだ。
無事にタズルナの都に着いた私たちは、カイル王弟殿下に迎えられ、王宮の中にある殿下のお屋敷に落ち着いた。
カイル殿下はお父様とセンティア校の寮で同室だったことから親友になった方で、留学中のノアの後見も引き受けてくださっていた。
カイル殿下とリリー妃殿下、そのお子さま方との挨拶を終えると、私たちにあてがわれた客室でお母様の指示のもと、メイドたちが荷解きをはじめた。
お父様はカイル殿下と、ノアはセンティアで1年先輩になるカイル殿下のご長男と、それぞれお話ししていた。メイはお母様にくっついていた。
私はアリスとお庭に出た。
夏の終わり、夕方近い時間でもまだ外は明るく、暑かった。
庭に植えられた木や咲く花は我が母国エルウェズとそれほど変わらないのに、並べ方が違うためか庭園全体の趣は異なるのが面白い。
そんなことを考えながらそぞろ歩いていると、どこからか足音が聞こえてきた。音のほうへ目を向ければ、私やアリスと同じ年頃の男の子が駆けてくる姿が見えた。
彼は私たちの前で足を止めると、ニヤッと笑った。暑い中、走っていたせいで汗をかき、顔が赤らんでいた。
「やっと来たな」
「どなた?」
私が首を傾げると、彼は大仰に目を剥いた。
「おまえ、僕のことを知らないと言うのか?」
私は彼に背を向け、アリスを促した。
「もう戻りましょう」
「おい」
彼の焦ったような声がしたが、私は気にせず歩き出した。アリスも後を追ってくる。
「いいの?」
「いいのよ。初対面で『おまえ』なんて呼ぶ失礼な方は相手にしなくて」
「でも……」
「失礼なのはおまえだ。初対面じゃないだろ」
走って回り込み、私たちの進路に立ち塞がった彼が、私を指差して言った。
「そうでしたか。申し訳ありません。人を指差すような失礼な方、に訂正いたします」
私の言葉に彼は顔を歪めて震えていたかと思うと、ズカズカとこちらに近づいてきた。
「もういい。僕だっておまえなんか知らない。アリス、行くぞ」
彼に強引に手を掴まれて、アリスが短く悲鳴をあげた。私は彼の手をピシャリと叩いた。
「痛っ。何するんだ。僕を叩くなんて、不敬罪で捕まるからな」
「国王陛下にでもカイル殿下にでも、告げ口すれば良ろしいですわ。隣国から遥々やって来た客人の娘に失礼な真似をして手を叩かれました、なんてエルウェズでは恥ずかしくてとても言えませんけれど」
彼はますます顔を歪めた。
「あら、泣かせてしまったかしら?」
大きな声でひとり言を口にすると、彼はキッと私を睨んだ。
「泣くわけないだろ。覚えてろよ、馬鹿ロッティ」
そう言い捨てて、彼は駆け去っていった。
私とアリスの名前を知っていたということは、本当に会ったことがあるようだ。
「あれ、誰?」
遠ざかっていく背中を見送りながら、アリスに尋ねた。
「本当に覚えてないの? メル……、メルヴィス殿下よ」
「ああ、第三王子だったのね」
彼の身形の良さと、王宮の庭園をひとり我が物顔でウロウロしていたことから、王族であろうとは推測していたが、国王陛下の末の王子だったらしい。
メルヴィス殿下なら、確か歳は私より1つ下のはず。
カイル殿下のご一家とは以前にも何度かお会いしたことがあり、そのうちの1度はやはり私たち家族がタズルナを訪れてのことだった。
その時にメルヴィス殿下とも会ったのだろうか。まったく記憶にないけれど。
その夜、私がカイル殿下から不敬罪を咎められることはもちろんなかった。
翌日には国王陛下と王妃様にもお会いしたけれど、ただ歓迎の言葉をいただいただけ。
その場には王太子殿下と第二王子殿下もいらっしゃったのに、第三王子は姿を見せなかった。
「まったく、メルヴィスは何をしているのか」
陛下方は呆れてはいらっしゃってもあまり心配をされてはいなかったので、きっとよくあることなのだろう。
その後、王宮の中を案内してもらったりしているうちに、私はメルヴィス殿下のことなどほとんど忘れていた。
ところが、兄弟だけで両親より一足先にカイル殿下のお屋敷に戻ると、そこでメルヴィス殿下が待ち構えていたのだ。
「どこに行ってたんだよ。待ちくたびれたじゃないか」
苛々した様子のメルヴィス殿下に、怯えたメイが慌ててノアの後ろに隠れた。ノアが冷静に答えた。
「陛下にお招きいただいて王宮に伺っていたんだ。メルもそこにいるはずだったようだけど」
「そんなの聞いてない」
メルヴィス殿下は拗ねたような顔で言った。
もちろん、誰も彼に教えなかったわけではなく、彼がきちんと話を聞かなかったのだろう。
「早くお帰りになったほうが良いのではありませんか?」
私は親切心から言った。
「おまえになんか用はない」
メルヴィス殿下は吠えるように言い、グリンとそっぽを向いた。
ノアがツカツカと彼に近づき、その顎を掴んだ。
「ノア、痛い。放せ」
「いくらメルでも、僕の妹に対してその態度は見過ごせないな。妹の名前を忘れたのか?」
「忘れたのはロッティだ」
「ノア、やめて。申し訳ありません、メルヴィス殿下」
私の言葉でノアがメルヴィス殿下から離れると、メルヴィス殿下は安堵の表情で顎をさすった。
「まあいい。それより、ロッティも畏まらずメルと呼べ」
「それほど親しくないのに愛称で呼ぶなど、それこそ不敬なことはできません」
「前はそう呼んだだろ」
「覚えていません。それから、できれば私のこともシャーロットとお呼びください」
「何でだよ」
「コーウェン嬢ではアリスもいて紛らわしいので」
「そんなこと訊いてない」
やはり「あなたみたいな失礼な方に馴れ馴れしくされたくない」とはっきり言ったほうが良かったのかしら。一応、相手は王子殿下だからと遠慮したのだけど。
「おまえなんかもう知らないからな」
前日にも聞いた覚えのある台詞を残し、この日もメルヴィス殿下は駆け去っていった。
「王子殿下にあんなことしたら駄目でしょう」
ノアに苦言を呈すると、兄は眉を寄せた。
「メルからすればロッティに言われたことのほうが余程痛かったと思うぞ」
「どうして?」
私が首を傾げると、ノアはアリスに尋ねた。
「ロッティは本当に覚えてないのか?」
「そうみたい」
「それは気の毒に」
ノアはメルヴィス殿下が去ったほうへ憐むような目を向けた。
タズルナ滞在中、私たち家族は都にある大聖堂を訪れたり、美術館や植物園を見学したりした。
カイル殿下のお屋敷や庭園で過ごしている時には、必ずメルヴィス殿下がやって来た。王子なのだから暇ではないだろうに、まめな方だ。
どうやらメルヴィス殿下は私とは関わらないことに決めたらしく、現れると私には目もくれずさっさとアリスのもとに向かうようになった。
アリスの手を取って私から少し離れたところまで引っ張っていき、ふたりで何やら話をしている。
アリスは時々チラチラとこちらを見るけれど、メルヴィス殿下のことを嫌がっているわけではないようなので、そのままにしておいた。
以前に会ったことを忘れてしまったのを謝るべきかと考えたけれど、少しも思い出せないままでは無駄な気がしてやめた。
お読みいただきありがとうございます。