オタク「人生はクソゲー」 人生「は?」
以下は私の個人的な解釈です
「人生はクソゲーだ」
ユーザーネームもキャラクターの容姿や能力も全てがランダムな《ガチャ》で決まるクソゲーだ。なんて、人生をゲームに例えることがたまにある。
その場合は、多くが自分自身の不遇を嘆く自嘲的な意味合いを持っている。
だが、私たちは少し勘違いをしていた。
確かに、私たちの人生はゲームなのかもしれない。しかし、どうして自分自身がプレイヤーだと無意識に思い込んでいるのだろうか。
そもそも、自分自身がプレイヤーでないからこそ、ユーザーネームもキャラクターの容姿も自分自身で決定することが出来ないのではないだろうか。
では、私たちは一体何であるのかを考える。
その答えは簡単だ。ゲーム内に存在して、プレイヤー以外であるもの。
そう、それはNPC。俗に言う村人Aである。
このゲームの世界にプレイヤーが存在しているのかはわからないが、少なくとも「人生をクソゲー」扱いする者はNPCのひとつに過ぎないのである。
私たちは、この世界というゲームにプログラムされたシステムの一部に過ぎない。
私たちはこの世界で、ただ人生を人生として過ごすだけなのだ。
「……たら、……れば」と仮定の話ばかりしていないで、現実を見、地に足をつけて生きるしかないのだ。
とは言え、自分自身の人生がプログラムされているからといって、怖がったり悲しんだりする必要は無い。
要は、成るようにしか成らないのだ。
なぜなら、全てはプログラムされているのだから。自分を信じて生きていれば、成るように成る。
かく言う私も、プログラムに従って、この情報を与えt w