エピソード・ゼロ
クリスタル。
別名で魔水晶とも呼ばれ、美しい輝きを持つ結晶。
魔力を吸い上げ、閉じ込める働きを持つ。
とある大森林がクリスタルに浸食されていた。
その中心には白く大きな城がある。
以前は王の居城として使われていたが、その城を支配する者は誰もいない。
何故なら氷漬けにされたようにクリスタルに覆われているからだ。
魔力が完全に枯渇すると、生物は死ぬ。
クリスタルはこの城を中心に広がり、周囲を死の森へと変えていた。
その城の最奥。
巨大な樹木が祀られているその場所で、二人の人物が戦っていた。
黒と紫の光が明滅する。
漆黒をその身に纏う金髪金眼。
紫紺の輝きを放つプラチナブロンドの女性。
金髪金眼の方は中性的な顔立ちをしていて、十代後半のような背格好だ。
黒と金に装飾されたマントを羽織っている。
こちらの性別は判断がつかない。
それに対して、プラチナブロンドの女性は二十歳前後に見えた。
白いドレスに雪のような肌が眩しい。
美しくバランスのとれた身体がドレスの下からでもはっきりとわかる。
二人に武器は必要なかった。
手に魔力を纏わせて作られた刃。
接近戦の後に行われる、小規模魔弾の撃ち合い。
魔力による揺らぎを利用した幻影。
両者は幾度もぶつかり合い、あらゆる業を駆使して殺し合いをしている。
――いや、正確には違う。
黒の閃光が宙空に軌跡を残しながら襲いかかる。
紫の輝きはそれを幾度も打ち落とし、払い、いなす。
上下、左右の揺さぶり。
すかさず叩き込まれる魔力弾の連射。
急接近からの急上昇。
黒が背後をとった。
首筋を狙って繰り出される魔力の刃。
それを視線も向けずに紫は叩き落とす。
全てが高速で行われているにも関わらず、紫の女性は涼しい顔をしていた。
均衡が取れているようで取れていない。
紫が黒を蹂躙していた。
金髪金眼の人物が押されている。
まるで子供のワガママを押さえつけるかのようだ。
そして、終わりが訪れた。
「おぉおおお!!」
金髪金眼が魔力の刃による突貫を仕掛けた。
その速度は凄まじく、二人の距離があっという間に無くなる。
真横に刃を振りぬこうとしたその一瞬。
それよりも速く彼女からカウンターの蹴りが繰り出された。
「―――ッ、ぐうぅっ!?」
黒い服の腹に蹴りが突き刺さる。
慣性で身体がくの字に折れ曲がり、苦悶の表情が浮かび上がった。
身体が蹴りの衝撃で吹き飛ばされる。
金髪の人物は空中で体勢を制御し、地に足をつけた。
踏みとどまろうとするが、勢いは止まらない。
かなりの距離を蹴り飛ばされ、ようやく勢いが止まると膝をついた。
あたりに咲いていたクリスタルの花が踏み散らされ、その跡が勢いを物語っている。
眼前にピタリと紫魔力の刃が突きつけられた。
「満足したかしら、魔王様」
「くっ……! 貴様、その魔力は一体……!!」
白いドレスの女性はその問いかけを無視して、くすりと笑う。
「見逃してあげるわ」
彼女はつまらなさそうに言い放つと紫の輝きを消して踵を返した。
魔王と呼ばれた金髪金眼の顔が憤怒に歪む。
「おのれ……! おのれぇっ……! ルベドォオオオオオオオオオッ!」
金髪の魔王が人の頭ほどもある黒色魔力の弾丸を撃ち出した。
その弾は女性ではなく、この場所に祀られている大樹へと激突する。
大樹の周囲に咲いていたクリスタルの花が舞う。
しかし、大樹には傷一つ付いていない。
魔王は憎々しげにその様子を睨みつけていた。
視線の先には、大樹に埋もれた巨大なクリスタルが静かに輝いている。
「無駄よ。貴方の魔力では破壊はおろか、同調すらできないでしょうね。その人間の身体では」
「――ッ! 貴様、どこまで知って……!?」
魔王が金色の目を見開き、驚愕する。
彼の目的は初めからこの巨大なクリスタルにあった。
彼女は事もなげに返答した。
「――全てよ」
その様子に魔王は苦々しい表情を浮かべた。
二人の実力差は誰が見ても明らかだろう。
「今は、退く。必ずこの報いを受けさせてやる……!!」
絞り出された声音は悔しさに満ちていた。
魔王が黒と金のマントを翻し、己の身体を隠す。
するとマントに隠された身体が黒い影にぼやけて消えていく。
やがて黒い霧となって魔王と呼ばれた人物はこの場から姿を消した。
あたりが静寂に包まれる。
大樹とクリスタルの花が咲くこの場に、プラチナブロンドの女性だけが残った。
彼女は歩みを進めた。
戦いによってこの場は荒らされ、あちこちに瓦礫が散乱している。
花や柱の破片が踏み砕かれ、小気味よい音を鳴らした。
彼女の視線の先には城の中心に生える巨大な樹木がある。
五階層の吹き抜けになったホールにこの大樹は生えていた。
この大きな城の天井まで届かんとする高さ。
人が六人、両手を広げてようやく両端に並ぶ幹の太さ。
間違いなく、世界樹と言っていいほどの大きさを誇っている。
大樹の中ほどには件の巨大なクリスタルが埋もれていた。
周囲には大樹に寄りそう様に同じ材質の花が咲き乱れている。
クリスタル達は自ら淡く輝き、幻想的な気配を漂わせていた。
彼女が巨大なクリスタルに辿り着いた。
プラチナブロンドの髪をなびかせつつ、感慨深そうに手を伸ばす。
「魂の封印を解けば、全てが始まる……。取り返しはつかない……」
彼女がクリスタルに触れ、頭を横に振る。
「でも、彼にしかできない。彼を救うにはこれしか――」
彼女が触れたクリスタルの中には二人の人物が閉じ込められていた。
赤毛の男性が先程の金髪金眼、魔王にそっくりな人物に大剣を突き刺している。
彼の年齢は彼女と同じ二十歳前後のようだ。
彼の顔は穏やかで、大剣が突き刺さった魔王は憤怒に顔を染めている。
二人の結末を切り取ったクリスタルの前で彼女は悩んでいた。
彼女は愛した男の事を振り返った。
彼と共に歩んだ数々の思い出を。
彼と共に乗り越えた苦難の数々を。
――そしてこれから降りかかる幾多の災いと、悲劇の数々に思いをはせる。
逡巡の後、彼女はクリスタルに触れた手を淡い紫色の魔力で輝かせた。
「今、ここに全ての始まりを告げましょう。数多の犠牲は、今これより始まる物語の為に」
身体から魔力の輝きが大きくなり、クリスタルの輝きと呼応し始める。
「勇猛な魂よ。叡智の魂よ。ここに解放を告げましょう。其は全てを巡る者なり。巡り、巡り、旅をする者なり。旅の末に、安らかなる終着を迎えん事を我は祈る。我と共に往かん――」
彼女が祈りを告げると、クリスタルから虹色の光が溢れた。
光は二つの球体へと姿を変えていき、あたりを漂い始める。
彼女はその二つの光球を見て、一筋の涙を流した。
その涙に呼応したかのように光の球は動き始め、ゆっくりと空へと昇っていく。
光の球は高く上り続け、ここではないどこかへと飛んでいった。
「ごめんなさい」
彼女がぽつりと呟いた。
その顔はひどく、悲しそうな表情をしている。
光の球が見えなくなるまで、彼女はずっと見上げ続けていた。
「もう、後戻りはできない。すべては始まったのだから」
クリスタルに触れていた手で涙を拭い、彼女はそう口にした。
既に彼女から悲しみの表情は消えている。
その顔は凛としていて、瞳には決意が宿っていた。
彼女は右手に紫色の魔力を纏った。
その手を横へと突きだすと、紫の輝きが掌から放たれる。
パキリと何かが割れる音が響くと、その輝きが何もない空間に大きな亀裂を生み出した。
手が紫の輝きを増すと更に空間にヒビが入り、亀裂が大きくなっていく。
バキリ、バキリと音を立ててガラス板が割れるように空間が壊れていった。
やがて人が一人通れるような穴が出来上がると、そこには紫色の空間が覗いていた。
「ルーファス、貴方だけを孤独になんてさせない。させるものですか――」
彼女はそう呟き、紫色の空間へと消えていく。
姿が見えなくなると壊れた空間は塞がりはじめ、何事もなかったように消えてしまった。
静寂が辺りに訪れる。
誰も居なくなったその場所には、巨大なクリスタルだけが淡く輝いていた。