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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

答えのないミステリー(掌編)

マラーの微笑

作者: 檸檬 絵郎

私主催の「アートの借景」企画 参加作品です。


映画のように、シーンがころころと変わります。




「あれ、夕貴子(ゆきこ)じゃん。久しぶり」



 嫌な感覚。やっぱりそうだ。やっぱり? そう、やっぱり彼女以外ありえない。昨日まで、いや、今この瞬間まで、彼女の小さくて聖人のような白い顔を目にするまで、私は彼女のことを忘れていた。だとしても、だ。……こんな顔を向けてくるのは ――



実紗(みさ)……」



 ―― 彼女しかいない……。
















 私は実紗の腕をつかみ、強引に引き倒した。薄汚れた桃色のタイルの上に、紺のブレザーを身につけた実紗が膝をつく。

 実紗は素早く振り返ると、立ち上がり、個室のドアを開けて中へと逃げ込んだ。私は実紗を追いかけて、ドアが閉じられるのを荒々しく(はば)み、その前に立ちはだかった。

 実紗は諦めの(こも)った表情を見せたかと思うと、私の名前を呟いた。


「夕貴子……」
















「夕貴子……?」

「え」


 ティーカップを載せたトレーを持って、実紗が立っていた。軽く微笑み、椅子を勧めてくる。


「あ、ドア、閉めてくれるとありがたい」

「ごめん」

「ううん、大丈夫。でも、寒くなかった? ずっと開けっぱで突っ立ってて。座って待ってれば良かったのに」

「……」


 実紗の言葉を聴いて、私は少しずつ、自分の記憶を手繰り寄せていく。そう、駅前で偶然会ってしまって、今いるのは実紗の家。私はリビングに案内されて、それで……。



 目の前には、なみなみと()がれた真っ赤な紅茶。白い湯気に、視界が曇る……。
















 浴室のドアを引くと、実紗がシャワーを浴びていた。鼻歌が途切れ、実紗がこちらを向く。口許くちもとに笑みを残したまま、茶色い瞳を凍りつかせる。


「夕貴子……」


 映画のシーンが頭をよぎる。ヒロイン女優の壮絶な悲鳴……。

 見ると、私はナイフを握っていた。それを振り上げ、降り下ろす。白い肌が切り裂かれ、赤いものが飛び散る。熱いシャワーの湯に絡まり、排水口へと渦巻いていく……。
















「夕貴子」

「ひ……」


 目の前には、茶色く染まったフレンチトースト。チョコレートソースの渦に、すっかり飲み込まれてしまっていた。


「ごめん。夕貴子、ストップ言わないから」

「あ……」


 またね、と実紗は言っていた。そうか、それで私はまたこの部屋へ……。


「夕貴子?」

「実紗……」


 私が名前を口にすると、実紗は軽く微笑んだ。




「こないだテレビで知ったんだけど、白黒の外国映画で血を表現するときに、チョコソースを使った監督がいるんだって。考えてみれば、映画なんてみんな偽物だけど、人間って本当に(だま)されちゃうんだなあって。……あ、食事中にごめんね。血の味になっちゃうね」


 実紗の笑う顔が、私ののどに張りついた淀みを余計に気持ちの悪いものへと変えていく……。
















「夕貴子……」


 赤い泥に(まみ)れた実紗が、私に腕を伸ばしてくる……。



 ―― どうしたの、夕貴子。ねえ、どうして? どうしてあんなことしたの? 私たち、友達だった……、でしょ? なのに、なんで? 私を裏切ったの? 初めからそのつもりだったの? 私が馬鹿だった? ねえ、夕貴子……。
















 ばたり。











 実紗の腕がれ、頭も脱力して傾いた。美しく(しお)れたその身体は、勝ち誇ったような、毒々しい微笑みを浮かべていた……。
















「はい、お水」

「……」


 私は黙ってコップを受け取った。


「ごめんね、調子悪いときにうちに誘っちゃったみたいで。でも、言ってくれたら別の日にしたのに」


 実紗は団扇(うちわ)で、私に風を送ってくれていた。





「……実紗……」

「ん?」











 ―― あんた、あのときのこと……。











「どうしたの?」

「……いや、なんでも……」

「……そう……」



 そう言うと実紗は、私に軽く微笑んだ。













ジャック・ルイ・ダヴィッド作『マラーの死』1793年

ベルギー王立美術館所蔵



少し、この絵画について解説。

この絵画は、フランス革命時代の急進派(ジャコバン派)のジャン・ポール・マラーの死を描いたものです。

王政を廃止した革命派にも、急進派と穏健派(ジロンド派)があり、急進派に属するマラーは、反対派を容赦なく弾圧する、いわゆる恐怖政治というものを断行していました。

そんななか、彼のやり方に憤慨した穏健派支持者の女性シャルロット・コルデーが仲間を装って彼を訪ねます。当時皮膚炎の治療のために浴槽に浸かりきりだった彼は彼女を快く招き入れ、浴槽へ入ったまま、刺し殺されてしまうのです。

その後、コルデーは処刑され、ジャコバン派の画家ダヴィッドによって美化されたマラーの絵が製作され、プロパガンダとして利用されたのでした。


というわけで、ダヴィッドの描いた『マラーの死』は、理想的なマラーの姿であって、皮膚炎の欠片もないような、美しい遺体として描かれているのです。マラーに関しては現在でも評価が別れる人物らしいですが、とにかく、この絵の勝ち誇ったようなマラーの微笑みは、美しく歪められた結果ともいえるわけですね。



ちなみに、この絵画は彼とその工房の弟子たちによって複数描かれており、私は以前東京へやってきたランス美術館所蔵のバージョンを生で観ました。その時から、「この微笑みは使えるな」と睨んでおり、今回ようやく、作品のモティーフにすることができました。



そうそう、コルデーのエピソードをモティーフに書いた拙作『エレーナの肖像』というものもあります。

もしよろしければ、そちらもご覧くださいませ。


檸檬 絵郎


あ、スクロールしていただくと出てくる絵は、ダヴィッドの絵ではなく……




私の描いたイメージ……





























挿絵(By みてみん)


















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― 新着の感想 ―
[一言] いやあ、読ませていただきました。 擬人化の方はある一定まで考えて断念しました。 ただこの話とつながりがあるかのように思えて、まあそれは勘繰りすぎとして。 これも難しかったです。 どこかに現…
2019/02/05 15:11 退会済み
管理
[一言] 試みというか趣向というか、やろうとしている事は面白みを感じます。 ただ、自分が頭に像を描くには、情報量が少なすぎる。 「何が起こっているのか」を把握するのに忙しくて、何かを感じる余裕が無い…
[一言] うーん。率直に難しいですね。 理解がなかなかできませんでした。 この作品を読む前に「マラーの死」の絵を見てしまったのですね。そちらに意識を持って行かれてしまったのだと思います。 演者がマラ…
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