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銀の宵の終わり  作者: 妃宮咲梗
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Ⅰ.出会い



 すっかり日が暮れて星一つない、真っ暗な闇夜。

 馬車一台がようやく通れるくらいの細い荒削りな岩山の道を、四輪で一頭の馬が引く荷馬車が降りしきる雨の中、走行していた。

 本来、鬱蒼と生い茂る森が足元から見渡せるのだが、濃い霧がその姿をすっかり覆い隠していた。

 馬車の御者は、無精髭のある中年の男だ。

 帽子を目深にかぶり、降りつける雨から視界を守りながら荷台の粗末な屋根から下げたランタンの灯りだけを頼りに、馬をむち打ちつつ慎重に馬車を走らせる。

「全く。参ったな。街まで母さんの薬を買いに行ったまではいいが、まさか帰りに雨に降られるとは……」

 雨の音と車輪の音で手綱を持つ男の声はくぐもっている。

 すると荷台にいたうら若き少女の声がこれに答えた。

「お父さん何だか怖いわ。外はこんなに真っ暗よ。それに崖の下は“銀の森”……。気をつけて走ってね」

 左右に三つ編みをした金髪で碧眼の彼女は、荷台からまるで呑み込まれそうに暗く、それでいて霧に包まれている崖の下を覗き込んでいる。

 どうやら二人は父娘の親子のようだ。

 服装は二人とも粗末なものだ。

 娘の言葉に、父親は答える。

「ああ。分かっているとも。しかし急がなくては母さんの命も危ない」

 父親は重い病にかかっている妻の身を案じる。

 すると進行方向から一頭の鹿が死に物狂いで走って来るのを、その後ろから一頭の狼が追いかけてきているが、それにまだ彼は気付かない。

 雨と車輪の音、それでいて崖の下にある森を包む霧が山道に溢れてきていて、発見を遅らせていた。

「だがこの大雨のせいで本来一度も晴れることなく、この森を濃い霧が包んでいることから呼ばれるようになった“銀の森”の霧が、更に範囲を広げてこの山道まで流れ込んでいて前が見えにく……」

 男が言いかけている時、山道のカーブから不意に姿を現した鹿に先に気付いて、驚きを露わにしたのは荷台を引いて走る馬の方だった。

「ヒーヒヒヒヒン!!」

挿絵(By みてみん)

 馬は嘶きとともに前足を持ち上げて頭をひねりながら、後ろ足で立ち上がり仰け反った。

 この反動で荷台の片車輪が山道から外れ、崖の方へと落ちてしまった。

 馬の前足が鹿の頭を蹴り上げる。

 荷台はガクンと大きく傾き、御者台に座っていた父親はバランスを崩し、娘は荷台から悲鳴を上げる。

「キャアアアァァァー!!」

 事態に気付いて足を止める鹿を追いかけていた狼は、山道から森が茂る崖に下へと落ちていく荷馬車の様子を目の前にする。

 雨の中、派手な音とともに落下するそれを、狼は崖から覗き込む。

 そのまま森の中へと姿を消した鹿と荷馬車を、狼は無言で見届けて頭を巡らせ身を翻すと、その場を後にした。




 “銀の森”――。

 それは今から七百余年も昔に、一人の魔女が長き孤独に耐え切れず人恋しさから造り上げた呪いの森。

 魔女という主を失くした今も尚、森を包む白銀の霧がその呪いの効力を失うことなく、足を踏み入れた生ける命へそれぞれに相応しい呪いを与え続ける。


 そこには、その魔女の呪いに魅入られた生命達の最後の末裔が、静かに住んでいた。




 どれだけの時間が経過したことだろうか。

 あれほど降り続いていた雨はすっかり上がって、雨水を葉の上に蓄えていた雫が重みで地面へと滴り落ちる。

 これを合図のように、娘の指先がピクリと動く。

「……ぅ……」

 小さく呻き声を上げて、娘は薄っすらと目を開けた。

 あちこちに傷を作って、額からも流血している。

 娘は半ば無意識に、父親を求めて声を振り絞った。

「お……父さ……ん」

 しかしこれに応える者はいない。

 いや、姿はあったが巨大な岩の上で荷馬車に挟まれて、血だまりの中で既に息絶えていたのだ。

 そのすぐ横では、同じく馬の悲惨な姿もあった。

 少し離れた場所では、一緒に崖から落下した鹿も死んでいた。

「お父さん。お父さん。うっ、うっ、うえっ、お父さ……ううっ」

 娘は泣き声をしゃくりあげながら、力を振り絞ってゆっくりと上半身を起こす。

「……けて……」

 娘は薄暗く霧が立ち込め視界の悪い周囲を見渡す。

「助けて……誰か……助け……」

 よろめきながらそう口にしていると、不意に地を踏みしめる音がしてそちらへと顔を向ける。

 そこにいたのは、一匹の狼の姿だった。

 娘の頭に恐怖から電流が走る。

 狼は、娘を見据えたまま小さく唸り声を上げた。

「ぐるる……っ」

 これに娘は顔面蒼白で思いつく限りの言葉を口にしながら、必死で後退る。

「ヤダヤダ嘘っ! あたしを食べてもおいしくないわよっ! 来ないでよ! あたし今すんごく忙しいんだから!!」

 しかし狼は無言のまま娘を見つめると、ズイと足を踏み出した。

 娘は両腕で顔を覆い涙ながらに叫ぶ。

「助けてっ! 助けてっ! フレッドお兄ちゃん!!」

 直後、指先に湿った温もりを感じた。

 これに娘は一瞬状況を理解できずにいたが、狼は身を乗り出して彼女の傷だらけの手を優しく舐める。

「あ……」

 娘は顔を覆っていた手を静かに下ろす。


 もしかして、痛みを……和らげてくれようとしてる……?


 狼は舐めるのをやめると、申し訳なさそうに鼻を鳴らす。

「クーン……」

「お前……」

 娘は状況を把握すると、不安と恐怖感も鎮まり思わず微笑みを見せた。

 その時。

「おい! 一体どこまで狩りに行っているんだ!! いい加減戻って来い!!」

 茂みを掻き分ける音とともに大声がした。

 この声に狼が素早く反応して声の方へと頭を巡らせ、一声吠える。

「グオン!」

 人……? 人間だわ……!!

 娘は一気に希望を抱く。

 声の主は狼の声に、こちらへとやって来た。

「何だ。そこにいたのか。全く、何で動物ってのはこういう茂みに行きたがるんだろうな。レノ……――」

 ブツブツとぼやきながら茂みから、黒髪で長身の男が姿を現してから、娘に気付いてハッとする。

 だが娘は男の様子を気にすることなく、助けを求めた。

「た……すけ……」

 男は彼女の状況に息を飲みながら、ゆっくりと近付く。

「――て……」

 娘は人がいた安心感からか、ふと力が抜けそのまま地面にドサッと倒れ込み、意識を失ってしまった。

 それを確認してから男は、無言で狼を怒りのこもった双眸で睨みつけた。

 彼からの睥睨に、狼は気まずそうに視線をそらし、心臓を早打させていた。




 ――五日後――

「いっやー! 元気になって何より! 一時はマジでビビちゃったよ!! 脅かすんじゃねぇこのバカ。ぬわっはっはっはっは!!」

 部屋のドアの前で銀髪の若い男が、ベッドの上で意識を取り戻した娘に対して、わひゃわひゃしながら哄笑した。

「……!? バカ!? あっ、あなた誰?!」

 全裸に包帯を巻かれた彼女は、目覚め早々息巻いてきた彼の存在にびっくりしながら、上半身を起こし掛け布団で胸元を隠しつつ確認する。

 これに若い男は両腕を組んだ姿勢で、笑顔を見せる。

「あ、俺? 俺ァあの後、あいつと一緒に気絶しちまったあんたをここまで運んできた、レ――」

 直後、勢い良くドアが開きそれに男は叩きつけられる。

「きゃいんっ」

 咄嗟に彼はこれに悲鳴を上げる。

 するとドアに凭れ掛かるようにして、気絶する直前に見た黒髪長身の青年が青白い顔をしながら、ヨロリと姿を現した。

「やぁ……気分はどうです……? 見たところ顔色は良さそうで安心しました……」

「……っ??」

 弱々しいその青年に、一瞬理解できなかったがすぐに思い出した。

「あっ、あなたはあの時の……! この度は助けてくださいまして大変ありがとうございます!!」

 娘は慌てて頭を下げてから、自分の中の疑問を口にする。

「ところでそちらこそ顔色が……」

「ああ、お気になさらずに……極度の低血圧なもので朝には弱くて……」

 青年はクラクラしながら室内に入ってくる。

 そんな彼に、先に部屋にいた男が声を荒げてきた。

「おいコラてめぇっ!! いきなりドアを開けるんじゃ……!」

 ガン!!

 彼の言葉が言い終わらない内に、突如その頭に黒髪の青年のエルボーがお見舞いされる。

 銀髪の男はこれに壁に貼り付けになる中、何事もないように青年は改めて自己紹介をした。

「ちなみに私はジェラルド。そしてこちらがレオンと申します」

「はぁ……」

 目の前の展開に、彼女は口元を引き攣らせる。

 しかしすぐに気を取り直して彼女も自己紹介をした。

「あたしはシエル……」

 言いかけている時、銀髪の男が壁から振り返って抗議を口にする。

「待てコラ俺はレ――」

 だがすぐにどこからともなく取り出した短剣を、黒髪の男は彼の鼻先に向けながら首肯する。

「そう……シエルと言うのですか……」

 短剣の切っ先を前に、彼女には聞こえない声で黙ってろと口走る黒髪の男、ジェラルドに銀髪の男レオンは顔を青ざめながらヒイと声を上げて同じく小さく答える。

「分かりました、すんませんっ」

 このやり取りにシエルは気付くことなく口を開いた。

「はい……あ、そういえばあの“犬”はどこに? レノと言う名の……ジェラルドさんの犬なんでしょう?」

「あ……」

 シエルの言葉に、ジェラルドの言わんとすることにようやく気付いたレオンは、小さく声を上げる。

 そしてジェラルドの代わりにレオンが答える。

「あいつは……たまにしか姿を見せねぇんだ……」

 レオンは下で拳を握り締めると、急におとなしくなる。

「――ごめん……っ!」

 吐き捨てるように口にしつつ顔を伏せると、レオンはドアを開けて部屋の外へと姿を消してしまった。

「? あの犬にお礼言いたかったんだけど……」

 レオンの態度の急変に理解できないまま、シエルは彼を見送った。



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