がくもん
さかんに「学際」なるものが喧伝されて久しいころ、N大学のZ教授が、学術史の変革をもたらしうる、新たな学問分野を開拓しようとしていた。その学問の名はのちに〈Я学〉といわれるようになるのだが、その当時はまだ名前などなかったし、とうのZ教授ですら、自身の研究にそれほどの影響力があるとはつゆにも思っていなかった。
Z教授は〈Я学〉の萌芽ともいえるある学術論文をまとめると、まず親しい友人にそれを見せた。彼らは口をそろえて「これは大変なことになるぞ」と真面目な面持ちで云った。Z教授は単なる阿諛だと思って、はじめこそ「御世辞はけっこうだよ」と応じていたが、友人たちは学会で発表すべきだと勧めてきたので、その気になったZ教授は、意を決して発表にのりだした。
N大学大学院総合科学研究科主催のシンポジウムでZ教授は自身の研究成果についての概要をおずおずと公表した。この時にはじめて〈Я学〉という名を便宜的に使用した。当時のZ教授は周囲の反応をかなり恐れており、罵倒覚悟でこのシンポジウムに臨んだのだが、良い意味でその期待は裏切られた。
「Z教授がなぜ今まで名を馳せていなかったのか理解できない」と、ある修士課程の学生はシンポジウムのあとにZ教授に駆けつけて来て云った。「いままで僕は哲学なんてものを学んできましたが、はっきりいって、画竜点睛を欠く思いがあったのです。今日をもって僕は哲学をやめにします。ぜひともZ先生の弟子にしてください。転籍届はもうだしております」
Z教授はいままでこれほどの称賛をあびたことがなかったので、愛想笑いをしながら、「転籍は止めたほうがいい」と断ったが、とうとうその学生の熱意に負けてしまった。
そのあともZ教授のもとには各方面から「Я学」についての問い合わせが次々ともたらされた。当初こそ人文科学領域からの問い合わせが多かったが、次第に自然科学や社会科学関係者のそれも増えていった。Z教授はこの状況を、まるで夢の中にいるような心地で捉えていた。だが、ついに国外の研究機関からの訪問を受けるはこびとなると、ちょっとした戦慄が彼の中に走った。「これは何かの悪戯じゃないか」Z教授はふと感じた。「この戦慄は尋常じゃない。まるで悪魔が滅びの旋律を奏でているようだ」
このZ教授の提唱した〈Я学〉が一世を風靡したことが影響し、それに眼をつけたN大学の学長は、理事会の理解のもと、Я学部という新学部を大学に創設することにした。Z教授は初代Я学部長に就任することとなった。Я学部の入学志願者は初年度から膨大な数となり、あっという間に国内の大学でも有数の難関と化した。これに気分を良くした学長は、すぐに大学院のほうでもЯ学研究科を創設し、さらに文部科学省からの助成金もほとんど審査を経ることなく受けられることになった。
そんなさなか、とある進歩的知識人がインターネット上でこのような文言を発した――「諸学問が集結し、諸学問が終結するもの。それが〈Я学〉である」。この文言に対する反応は文字通り賛否両論となった。否定的な反応はおもに既存の学問の重要性を説くものであり、これらもまた進歩的知識人が発したものが多かった。進歩的知識人という人種ほど、自己を信じ、また、自己に酔っている者はいない。あっという間にあちこちで〈Я学〉と〈反Я学〉の争いが生じ、当初こそいわゆる「紳士的」な争いであったのだが、すぐに互いを貶めあうそれへと堕落していった。とりわけインターネット上での「Я学論争」の争いはすさまじく、大学教員、政治家、医師、ジャーナリストといった面々が、中学生かと見間違うような罵倒言葉を駆使して、互いの心を傷つけあっていった。いっぽう、とうのZ教授は自分の能力に怖気づいたのか、メディアへの露出は控えるようになってしまった。
ある日、Z教授のもとに憲法学を主専攻とするD教授が訪れた。身体中からたばこの匂いをもたらしていたが、それよりも彼の血の気を失った顔の衝撃のほうが、Z教授にとり鮮烈なものであった。〈反Я学〉の急先鋒たるD教授は、Z教授に対座すると、まず口汚くZ教授を罵った。〈Я学〉は似非科学であり、Z教授の責任のもと一刻でも早く〈Я学〉が誤りであると認めるよう迫ったのだ。生まれつき権威や蔑みを好まないZ教授は、D教授がインターネット上でこてんぱんに叩かれていたのを知っていたので、なんとかしてD教授と対等な話しあいができるように努めた。それでもなかなか事態は好転せず、D教授が一方的に話しあいを辞退しようとする素振りまで見せはじめたので、Z教授は作戦を変えることにした。すなわち、D教授の肥大化した自己愛を尊重することにしたのである。すると一気にD教授は態度を軟化させていった。「私は怖いのですよ」D教授はいきなり弱音を吐いた。「この私が、これまでの人生をなげうってきた憲法学が、じつは無意味であるということを恐れたのです」
「コンコルドの誤謬ですか」Z教授は優しく語りかけた。「なあに心配はご無用ですよ。皆さんは自分の信ずることに一生を費やせばいいのです。人生に失敗などありません。この世に生まれてきた時点でみんなが勝ち組なのです。そもそも、なにが正しいか、なにが間違っているか、そのようなものは不完全な人間がわかるわけないのですから。それがわかるのは完全なる存在……神だけでしょう」
「しかしながら」少しD教授は語気を強めた。「たとえば戦争は誤りであり、軍国主義も間違いです。原発も国旗も国歌も世襲も間違いです。右翼思想や人種・男女差別、排外主義が正しいということもありえません。憲法もまた正しく、完全なるものでしょう」
「あなたは本当に幸せな人生を送っていらっしゃる」Z教授は決して嫌味ではなく、まごころを込めてそう云った。「あなたには自己の内に打ち立てられた軸があり、それにしたがって生きていけることは、本当にすばらしいことであると思います。ぜひともそれを貫いて、これからも生きていってください。なにせ『法は自殺をしません』から。なかなか軸として相応しいものだと思いませんか。私もぜひ、この〈Я学〉を、私の軸にしたいものです」
ついに〈Я学〉は市井の人びとにまで浸透していった。それにともなって各地の大学――私立大学が中心――も〈Я学〉を称する学部を乱立するようになっていった。これらは名目こそ「Я学の普及」を謳っていたのだが、その実は「学生集め」によることは明白であった。すなわち学校経営の観点によるものである。しかしそれでも、〈Я学〉の人気は衰えなかった。各地の〈Я学〉系学部の入試はつねに高倍率を維持し、それに反してその他の学部の人気には陰りがみえはじめた。これを「Я学系のストロー現象による志願者減少」と各地の有力予備校が騒ぎはじめると、よりいっそう〈Я学〉人気に拍車がかかっていった。この影響で文学部が相次いで廃止され、次に時流に阿って設立されてきた看護系学部、国際系学部、福祉系学部、教育系学部、スポーツ科学系学部が各地で募集停止に追い込まれていった。そしてついには伝統的な学部――法学部、経済学部、理工学部、医学部――といったものまで廃止する大学まであらわれ、果てには〈Я学〉系の学部に一本化する大学も現れた。しかし意外にも宗教系大学における宗教系学部は根強く残りつづけた。
時代を経るとこの現象はもはや日本だけの話ではくなった。たとえば哲学はまっさきに消滅した。ニュートン力学・量子力学・新ニュートン力学・時元子力学と変遷をたどった物理学、普遍史観・進歩史観・唯物史観・実証史観・精神史観・無為史観と経て来た歴史学なども、Я力学や Я学史観という緩衝段階のあと〈Я学〉へ統合された。経済学は形骸化し自然消滅した。法学は〈Я学〉によって終局的な結論が導出され、研究領域はなくなった。またそれにやや先だってノーベルЯ学 賞に一元化されていたノーベル賞も、学問に賞を設ける意義がなくなったことにより、その歴史的役割を終えた。「〈Я学〉こそ人類の唯一の人権である」国際連邦事務総長は拍手喝采のもとそう宣言した。「生存、幸福、平等はまやかしであった」
しかしながらいまだ〈Я学〉を認めない勢力が世界中にいた。彼らは唯一神を奉ずる諸宗教と連携して、徹底的な〈反Я学〉闘争を展開していった。――他方〈Я学〉派は、そういった動きに関して楽観的な態度をとった。その理由は、〈Я学〉に基づけば、〈反Я学〉が「偽」であることは定理かつ必然かつ明白だからである。〈Я学〉派は〈反Я学〉派が存在している理由を人間の不完全性に求めていた。人間が完全ならば、〈反Я学〉派は生じ得ない。「蓋し、人は不完全たるゆえ、〈Я学〉を完成せしめること能わず。しかれども〈Я学〉に身を委ねれば、自ずから其れ完成せん」と、ある学者は云った。〈Я学〉派は思考を止め、〈Я学〉に諸事の解決を諮った。すると関数から導出されるように解が判明した。――「自ずから然る」。彼らに焦りはなかった。文字通りの「学問戦争」が勃発し、あまたの戦闘が各地で生じ、多くの死が生まれても、彼らの思考に変わりはなかった。それらの「死」もまた〈Я学〉に依るものであるからだった。最終的にこの学問戦争は批判的に〈Я学〉を探究していた神学者連が、図らずも、〈唯一神=唯一真=Я学〉という定理を発見してしまったことにより収束を迎えた。これはまた「最後の学問」と称せられていた神学が〈Я学〉に吸収された瞬間でもあった。
そしてとうとうその日はやってきてしまった。世界の学問がひとつに統一される時代がやってきた。もちろんそれは、いうまでもなく、〈Я学〉への統一である。
真とはなにか――〈Я学〉である。
美とはなにか――〈Я学〉である。
善とはなにか――〈Я学〉である。
ここにきて人類の歴史は終わった。人類に残されたものはもう何もない。すべての答えが〈Я学〉にある。
聖とはなにか――〈Я学〉である。
人類の進化の終焉だった。〈Я学〉から神羅万象が演繹され、神羅万象が〈Я学〉に帰納された。『〈Я学〉は「真」である』という絶対的命題のもとに存する三つの関数――審真関数、審美関数、審善関数が〈Я学〉の根幹にあり、さらに〈Я学〉が人類に賜った神聖関数がその上位にあった。真、美、善は、すべて三つの関数によって「判明」する。そしてその三要素を統合するかたちで審聖関数が「最後の審判」をおこなう。この時点で〈Я学〉は「学問」ではなくなった。〈Я学〉は「究極目的」となった。弁証法における止揚は終わった。パラダイムなるものが存在するならば終わりの段階に至った。〈Я学〉の完成は人々に生きる意味を喪失させた。真を追及する意味も、美を追求する意味も、善を追及する意味も、そして聖を追及する意味も、〈Я学〉によって答えがでた。もはや〈Я学〉という名称そのものが無意味となり、空白の言葉たる〈 〉がそれに取って代わった。
そしてこの世は消滅することになった。それもまた〈 〉により導出されていた。〈 〉が「この世」の意思から離れ、ひとつの「格」を有するまでに至った。人類にすべきことは何も残らない。ただ〈 〉に委ねることこそ、それが「真」であり「美」であり「善」であり、なおかつ「聖」であった――。
ところが、〈 〉が、「自殺」をした。
人類でなく〈 〉のほうが消滅してしまった。反命題もなく消滅してしまった。――この世は残された。それは神羅万象の「無限の無」を意味したが、この人為的な「表現」にどのような意味があるのだろうか。翻って考えてみれば〈 〉は「有限の有」に近いものであり、いわば対極をなしていると見做しても間違いではない。
(了)