ヨメとババアと天使
通院していると1カ月に一度は血液検査を受けますが、結果が出ると足りない
栄養素例えば鉄分が少ないと鉄剤を点滴しました。
ジジイとババアは足りない栄養素沢山あると思いますが、ビタミンK等も点滴で補っていいるのがジジイの現状です。ビタミンKは太陽に当たると自然に体の内に増えると新聞に、いや本に、待てよ TVで、太陽に当たるとビタミンKが増える事だけは記憶にある、媒体だけ記憶から消去されていた。
それで家に居る柴犬のしんべえは何時も日向ぼっこをしてる謎が解けた、動物的感でビタミンKを増やしていた。
明日からしんべえの横で日向ぼっこをさせてもらうことに決めた。
ビタミンKが沢山取れるようにすれば病院でビタミンKは点滴しなくてよくなると勝手に思い込んで日向ぼっこを決めた。
次の日、柴犬のシンベエが早くも素晴らしい太陽が降り注ぐ縁側で腹ばいになって寝ていた。起こすことも可哀そうだし、シンベエが先に場所を取ったので仕方なくシンベエの後ろでで横になって太陽を浴びた。シンベエはほとんど動かないで、気持ちよさそうだった。病院に行かないでよく晴れた寒くない、熱くない、風の吹かない日はシンベエと健康のために1時間ほど散歩することにした。
しかし、ビタミンKが増えたと病院で言わないでビタミンKの点滴は今も続いてる。
話は又病院に戻る、強い雨が降っている日のこと、妻の運転する車で何時ものように病院に向かい病院に着いて待合室に入った。
デブのおばさんが座っている席に何時もは一番端に座っている関西弁のジジイがチョコと気取って座っていた。関西弁のジジイはデブのおばさんは入院したと教えてくれた。
唐突に、何時も病院の送り迎えをしてくれる妻のことを尋ねられた。
関西弁のジジイが私の顔を見ていきなり「オクサンとナンボ、トシ離れトル?」
違和感のあるイントネーションで聞きました。至極無礼である。このような無礼者に会ったことは過去に思い浮かばない。
他の人たちも呆気にとらわれた様子だった。
私は「10歳位」ぶっきらぼうに質問に答えた、すると何を思ったか自分の話を始めた。
少し離れた山の方に畑がありそこに野菜を作っていてる、ヨメと一緒に畑に行って自分は買ったばかりの軽四輪を洗っていると言った。そしてある時ヨメを置いて自分だけ車で帰って来たがヨメは2時間歩いて帰って来たと普通に話した。
私には理解することは難しい、第一に自分の妻のことを「ヨメ」と呼ぶこと、第二に畑仕事はヨメがやって山で車を洗うこと、第三をヨメを山に置いて自分だけ帰って来た、理解に苦しんだが、結論として他人のことだから考えない、ことにした。
今日は点滴の日だ、一つの部屋に据え付けられているベッドは3床でそれぞれ
ビニールのカーテンで仕切られていて3人ずつ点滴を受けるが点滴の針を刺す時は何時も3人だとは限らなく一人のときも二人のときもあった。
何時も同じメンバーが一緒ではないが、「早くしろ」等と言うジジイ「痛い、痛いよう」泣くババアと一緒になることは疎ましい限りでした。
泣くのはジジイよりババアの方が多いように感じますが、威張るのはジジイが圧倒的に多かったがババアはやたら泣きます。
点滴は腕に針を刺します、だから痛いに決まっています、一度だけ知性も教養もないジジイと一緒に点滴室に入ったことがありました。何を思ったかジジイが「おまえは点滴が痛くないのか?」と言われましたがあまりの愚問に答える事は止めました。
すると、看護婦さんに「隣の人は点滴されても痛くないんだと」今度は答えが見つかりませんでした。知性のない教養もないジジイに二度とお会いしないように、神に祈らずに居られない40分間でした。
点滴が始まると看護婦さんが部屋に残るのは一人だけになります。
看護婦さんはいかなる場合も患者に優しく接します「痛い、痛い」と喚くババアにも優しく「ごめんね」謝るばかりでした。
看護婦さんも忙しいわけですから、直ぐに来れない場合もありますがババアは
「痛いよう~痛いよ~」に変わりそして声が大きくなって丈夫な人でも、かなわない力強い声で喚き全く死にそうではありません。
看護婦さんは何時でも患者の言うことを否定しません。自分が悪いわけではないのに、看護婦さんは本当は天使ではないかと思いました。
私は自分自身が天使になることは絶望的だとすぐに気が付きました。
絶望的な看護師さんになることはあきらめましたが、「看護師さん」と言う呼び方は何処かの政治家がそう呼ぶように決めたようですが、女性はやはり看護婦さんと呼んで男性を看護師と呼べばいいと今でも思っている。
他の人がどう思っているか考えたこともなかった。
点滴は40分位かかり最後に血液検査のため採血をする。
点滴を始める時に大騒ぎする顔に意地悪と書いてあるジジイも点滴室の前で待っていた。
顔に意地悪と書いてあるジジイは点滴室に入る前から「早くやらないと悪たれてやるぞ!」当然顔に似合って早くも意地悪を言っていた。
そして実際に看護婦さんにむかって暴言を吐いたジジイだと、看護婦さん同士で小声で話をしていた。それでも耐えられる心って凄い、やはりナイチンゲールなのだ、強く思った。
看護婦さんに何時も自分の所だけに着いていてほしいジジイともお会いした。
あまり傍若無人なので「そんなに似付き添いをしてほしいなら、看護婦さんを個人的にお雇いになられたらどうでしょうか?」と言ってやりました。そしたら私の奥側のベットのババアが賛同して「そうだねいい方法よ」と言ったが天使のささやきとは程遠い声だった。
ジジイの方はそれから挨拶もしなくなった。よかった!話もしなくてもいいんだ。
私は非常に喜んだ。この手のジジイと話をすることは非常に疲れる、始末が悪いことは話してからだいぶ経過してから怒られたりすることはやりきれない。
私の方はどのように話したか、はっきりしなときもあるし、その時の雰囲気というものが大事だと思った過去の話でした。
突然!一番右側のベットで待っていたジジイが大声で「早くしろ、俺は出掛けなくてはならない、まったくしょうがねえ」と言った。
私が「モンスターペアレント」と呟いたら左側で点滴を待っていたババアがカーテンを開けてまるで悪魔でも見るように眺められた。天使だと思って眺められるよりはましだと思った。
バカほど利口ぶる、本当に賢い奴は賢さなんて出さない、ジジイとババアはやたら知ったかぶりをしてバカがばれる、誰もうるさいジジイとババアに注意したり、教えたりはしない、ジジイとババアは耳が遠くなるので自分の話す声も自然と
ボリュームが上がって内緒の話が内緒でなくなる。少し離れた席の二人のババアが、口に手を当てて大きなボリュームの内緒話は筒抜けだった。若い人は、激しく知ったかぶりをするジジイ、ババアと係わりたくない、もしくは既にいろんなことでジジイかババアに痛い目に会っていると思う、でも最近の若い人は学習能力があり非常に賢いと思いました。
質問ですがジジイとババアって違う人種ではないでしょうか?それとも、歳をとるとジジイ、ババアと言う人種に自然に変わるのでしょうか?若い人たちと違いが
有ると「思うこと沢山でありました」くどいジジイ言葉が出てきました。
やはり、ジジイと言う人種になったんでしょうか?心配です。