余分なこととジジイ
病院は車椅子の老人が多い、全く歩けない人、歩くと転んでしまう人などが車椅子で来院していた。 車椅子ごと乗れる専用の小さいバスで来ます。
最近一人のババアが車椅子ごと乗れる専用のバスで通院して来た。
車椅子のババアは私と通院日が同じらしかった。
待合室には何時ものデブのおばさんと綺麗好きの手袋とマスクをしたジジイ、車椅子のババア、その隣に只のジジイ(知性のない無教養の)と関西弁(京都訛り)を話すジジイと私が普通に一緒になった。
だいたい話題がないメンバーであることは見ればすぐ分かった。
只のジジイが少し悲しそうな顔をして妻が一昨日なくなったと話した。
他の人は「大変だったね」とお悔やみを言った。
病院で又会った時、只のジジイが車椅子のババアに「ありがとう」お礼を言った。
デブのおばさんの情報では、車椅子のババアが出した香典は千円だったと教えてくれた。私は出しません、すぐにでも死にそうなジジイとババアばかりなのに、香典を出していたら切りがない。
雨の日は車椅子で来るジジイやババアは大変だと思う。
そんな事を思っていた雨の日、車椅子で通院してくるババアが雨合羽を着てバスから降りてきた。
運転手が車椅子を押して待合室まで連れて来た。
車椅子のババアは雨合羽を脱ごういとゴソゴソしていたら、デブのおばさんが駆け寄って雨合羽を脱ぐのを親切に手伝ってあげた。
それを見ていた只のジジイが「家では誰が着せてくれるんだ」と車椅子のババアに上から目線で質問をした。
車椅子のババアは「私はお父さんと二人だから」と答えた。
只のジジイは「それじゃあ、お父さんが雨合羽も着せてくれるのか?」再び上から目線で質問をした。
車椅子のババアは「そうですよ」と答えた。
「それじゃあ、お父さんに感謝しなくちゃ」只のジジイはよせばいいのにお節介を焼いた。
車椅子のババアは無言だった。只のジジイは再びお父さんに感謝してるのかと聞いた。
車椅子のババアは無言だった。只のジジイは「お父さんに感謝しなさい」と怒ったように言った。車椅子のババアは「はい、してますよ」と言うと明らかに迷惑そうだった。
只のジジイは「感謝しなければだめだ」とくどくどとお説教じみたことを再び言った。
車椅子のババアは「感謝してます。」と強い口調で答えると、只のジジイは「それならいいんだよ」余分なことを言って黙った。
それ以来車椅子のババアは知性も教養もない只のジジイとは口も利かないが、車椅子のババアも感謝と関係ない只のジジイに感謝を強要されて気分が悪かったであろうことはヒシヒシと私にまで伝わって来た。
どうしてジジイになると余分なことを上から目線で言うのだろうか?どうしても理由が分からなかった。
私は上から目線にならないように注意しなければと思った。
しかし、今度は私が同じような目に会うなど想像も出来なかった。
やはり、知性も教養もないジジイは危険だと後で気づいたが後の祭りだった。
あとの祭りの第二幕が切って落とされた。
只のジジイが私に向かって「おまえは何時も奥さんが送ってくるのか?」
と聞いてきた。私は「そうですよ」と普通に答えた。
すると、只のジジイは「なぜバスで来ないんだ」私に質問をした。
私はうるさいと思ったが取りあえず「バスが苦手です」又普通に答えた。
只のジジイは「奥さんが迎えに来ない時はどうするんだ」と高飛車に質問をした。
「歩いて帰るし、天気の良い日にも歩いて帰るようにしている」
それを聞いた只のジジイは「送って行ってやらないからな」訳の分からない話になった。
頼みもしないことをお断りされた。初めてです。
只のジジイの言うことは何が目的なのか分かりません。
「送り迎えは奥さんが忙しいじゃないか」と只のジジイがおっしゃった。
私は「えっ」としか言えませんでした。
只のジジイは続けて「奥さんが可愛そうじゃないか」人の奥さんの心配までして
くださった。
「余分なことだ」私は只のジジイに向かって一生に一度しか出せないような思いっきり気分の悪い声で言い返した。
只のジジイは「心配してやったのに何だ!」と再び頼みもしないことを御親切に心配までしてくれた。
私はもう面倒くさいので看護婦さんに言い付けに行こうと立ち上がった、そこに看護婦長が「どうしたの?」もめ事らしい声を聞いて出て来ました。
私は看護婦長に一部始終を早口で報告をした。看護婦長は本当?という顔で只の
ジジイを見つめました。
何も言うことが出来ないでモゾモゾしている只のジジイに向かって「あなたは向こうに行って座っていなさい」と指示をしました。
只のジジイは席を少し離れたところに移りました。
しかし、相変わらず小奇麗なババアを呼んだり、他の人のところをウロウロしている知性も教養もない只のジジイでした。
歳をとると寂しくなる、自慢話をしたい、知ったかぶりたい、自分の見方をしてほしい、等など、若い人には考えられないようなことが人間を変えていくようです。
特にここに登場した只のジジイのように奥さんに先立たれたジジイほどのさびしさは想像できるものではないことが分かって、妻をを大事にしようとひそかに思い長生きをしてほしいと祈るわがままな自分がいた。
人間は年齢を重ねるごとに成長していくものではない、と確信するにはあまり時間を必要としなかった。