病院と威張(いば)るジジイ
私もジジイになって病院通いが始まった。
他のジジイとババアも通院しているようで、お会いする患者はおなじみ様です。
言えることはジジイの患者もババアの患者も、一応に綺麗に着飾ってのご来院でした。薄汚れたジジもババアは一人もおりませんでした。
それぞれ気が合う仲間たちと、固まって話をしていました。
ジジイとババアの固まりは決して気持ちいいものではありませんが、固まりを必ず観られるは場所は病院です。
病院の待合室にはどこの病院でも同じようにTVが備え付けられていました。
でも・・勝手にTVのチャンネルを変えて知らん顔をしているジジイ
TVは自分の物だと思っているのか?何も考えていないのか?
私には不明そのものだったが、スマホをいじり、耳は音楽のイヤホン、をしてTVを見ている子供が我が家にも一人いる。
TVを見ていないと思いチャンネルを変えたら「見てる!」と叱られた。
最近TVを観ていて気が付いたことがある。
キャスターや司会者の劣化が激しいと思うことが再三ある、理由にお笑い芸人の進出が多いことが原因の一つかと思った。
まず気が付くことはアナウンサーのイントネーションが違うことが多い。アナウンサー、司会、キャスター、はもっと日本語の勉強をしてほしいと思った。
お笑い芸人は出演料が安いのかな?と番組作りにカネをかけなくなったTV局を心配している。あまりくだらない番組作りをしていると、既に追いつかれているインターネットに追い越されはしないか? 昔 隣の家までTVを観に行って育った私は大変心配をしている。
病院の待合室では本日もジジイとババアが固まっていた。
ヨチヨチ歩きの子供をを連れたお母さんが、来ると「やだ可愛い」と子供を優しそうに見ているババアがいる。
ジジイは同じような行動は取らない「何故か?」は考えたことが無かった。
私は座席の隣に座ったデブのババアと言うにはオバサンの女性と隣同士から、
自然と話をするようになった。
そのうちに一人増え二人増えて、6人ほどの固まりが出来上がった。
そのなかの75、6歳位のジジイが出来上がったばかりの、ジジイ4人のババア2人の乾いたような固まりの内で一人が威張り出した。理由は分からないが固まりにいた一人のババアはすぐに席を遠い方に移動した。
病院に行って待合室のいすに座ると既に来ていたジジイが私に聞いた。
「あんたの家は何処だ」
何と、とても威張って明らかに高飛車に質問をした。
なんとなくムカついたが「自動車部品工場の近く」言うと
「工場のどの付近だ」聞いてきます。
「工場の正門を反対側に入ったところだよ」と答える
「それからどちら側に行くんだ」と。
私は「右側に入る」とだけ答えました。
するとまた「どの辺まで入るんだ」くどく聞いてきました。
「右側に入ったその辺ですよ」と答えた。
何故、人の自宅を事細かに調査するのかまったく以て分からなかった。
気味の悪いジジだと強く思ったが番号を呼ばれたので、診察室に入る。
診察後知性も教養もないジジイにまた又お会いした。
知性と教養のないジジイとはよくお会いした。
神様のいたずら?神にお願いした。何時もは神を信じていないが困ったときだけ、神頼みをする。
5人のになった群れに知性と教養のないジジイが勝手に加わってきた。
それから、知性と教養のないジジイは威張って何でも自分の言うことを、聞かせようと張り切り始めた。
知性と教養のないジジイ「俺は観光バスの運転手を長年やっていた」偉そうにいった。
誰も聞きもしないことを自慢げに話した。
名前も知らなかった。
知性も教養もないジジイは病院に来て待合室を回って歩いて誰彼なく自慢話を
して歩いてる。隣にいつも座っている、デブのおばさんがつぶやいた。
知性と教養のないジジイはひと回りして帰ってくると、「あの人は何処が悪い、こういう病気だ、腎臓が悪くて小便が出ない」得意になって話していたと。
ジジイは個人情報保護法は知らなかった。もちろんババアも知る由もないだろう。
ジジイは奥さんもなくして今は一人で住んでいて娘が時々来てくれると嬉しそうに説明をした。誰もいない家に居るので病院の待合室がジジイが団らんの場にして、朝かなり早く来て威張って病院で寂しさ紛らわせていたと分かった。
無礼は相変わらずでした。
他の席に行って、痩せた人に向かって「痩せっこけたなあ!どうしたんだ!」
等と神経を逆なでして歩いていた。
ある日病院に新しい患者が来た。
小奇麗にしたババアでしたが飲み屋の女性の匂いがした。
すると知性も教養もないジジイが立ち上がって別の席に移動した。
移動した知性も教養もないジジイが、小奇麗にしたババアを自分の横に来いとそっと手招きをした。
手招きされた小奇麗なババアはソロソロと歩いて知性も教養もない男の横にすり寄るように座った。
隣に居るデブのおばさんが小声で「見てごらん」と指をさした。
指をさしたほうを見ると知性も教養もないジジイの膝に、手を置いているのが見えた。「ここはキャバレーじゃないよね」隣のデブのおばさんがポツリと言った。
飲み屋の匂いのするババアを見ていたら、思い出がズーと古い時代の映画のようによみがえった。昔、クラブに通って友達と飲んだくれていた頃、何回か行くうちにホステスとも親しくなり、ババア一歩手前ぐらいのホステスが、
「ねえ~お店がはねたら何処かに飲みに連れて行ってぇ~」甘えてきた。
私は思わず「うちの奥さんの・方・が・」と遠慮がちに言いました。
ホステスは「あれ・まあ!」と言い残すと立ち上がって後ろを向いて2~3歩進むと、突然振り向いて戻って来ると、レミーマルタンで作った飲み残しの水割りを立ったままグーと一気飲み干すと黙って奥のカウンターに向かって行きました。
思い出はモノクロでよみがえりましたが、長生き出来ると今度は思い出がフルカラーの3Dで、よみがえるのか?やや期待しています。
思い出に酔っていると、隣のデブのおばさんに「どうしたの」と尋ねられたので、私は思わず作り笑いをした。
若い女性の作り笑いは可愛いが、ジジイの作り笑いは、顔の皮が強張ってまるで
痩せた悪魔が泣いているように見える、天使の微笑みには程遠い。
いずれにしても、作り笑いで顔の皮が強張たら、ジジイもしくはババアになったと思って間違いありません。
そんなことで知性も教養もないジジイは私たちの固まりに移って来た。
ジジイはTVを見ながらいろんな事を私に聞きました。
あんたはパソコンも出来る様だから解説しろ、と私を見て自分の顎をシャクリ上げた。TPS細胞のことをTVで放映していた。
何時パソコン話をしたのか分からなかった。
知性も教養もないジジイが顎をしゃくって説明しろと促した。
五月蝿い奴と思いながら「IPS細胞から臓器が出来たり、薬もできるようになる」
と答えておいた。知性も教養もないジジイは「何時までにできるのだ」と偉そうに吠えた。私は「それが分かれば出来ていますよ」と答えた。
ジジイの知ったかぶりをしたいがよく分かった。但し知ったかぶりだけでは長生きは出来ない、ジジイ達も何時までも元気でいられない、病院で見なくなったと思ったら入院か?葬式です。
自然に群れになった6人の一人が見えないと思ったら、入院していると隣に居るデブのおばさんが言った。
人間歳を重ねれば病気にもなるし、お迎えも来る当然のことだと思った。
何日かして知性も教養もないジジイが、珍しく少し離れた場所に座っていた。
そして手招きをして隣の隣に座っている人の良さそうなジジイを呼んだ。
何と無礼なやり方だ、やはり知性も教養もないジジイだと深く思いこむ。
呼ばれた人の良さそうなジジイは、ヨロヨロと歩いて呼んだ知性も教養もないジジイの隣に座って、知性も教養もないジジイが口に手を当ててボソボソと話をしていた。話が終ったらしく人の良さそうなジジイは再び元の席に着席し、隣のデブのおばさんに小さな声で何か話していた。
すると、デブのおばさんは今度は私に向かって小さい声で話し始めた。
人良さそうなジジイが言うには、「入院した人のお見舞いに行って来た」とても得意げに「お前は行ったか?」と言われたとを伝えてきた。
デブのおばさんはつまり通訳をしてくれた。
人の良さそうなジジイはお見舞いに行ったほうがよいか?行かなくてもよいか?
いかにも迷惑そうなそぶりで、デブのおばさんに聞いてきたのでデブのおばさんが
私に意見を求めた。
私は自分の考えに従ってお答えした。
「見舞には行かない」
デブのおばさんは「そう」と一言。
仕方がないので自分の意見を解説することにした。
「病院に来ている人が入院したり、お亡くなりになっても誰の場合は行って、誰の場合は行かないか、線引きが難しいからお付き合いはしない」と解説した。
後から考えてみたら私も人に解説することはやはりジジイになったことを痛感した。でも、デブのおばさんが「そうだ」バッシャン!とあまり良い音ではなかったが手を打って賛同してくれたことは私の心を和ませたが、今後は余分なことを
知ったかぶって話さないようにと反省もした。何故ならジジイになっていくことが恐ろしく感じる今日この頃である。どうしても笑えない・・・