試着
しゃがんでいる状態から首を反転して後方を見ると店員と思われる細身の男の人。
ダークブルーのシャツにグレーのコーデュロイベスト、細身の黒いパンツに黒の革靴。
長い首の上に乗っている顔は、全体的にクセが無く整った造形で切れ長だけどしっかり二重の目元が印象的だ。
黒髪はスタイリング剤で後ろに撫でつけられ、耳のあたりから下はすっきり短くカットされていて小さな顔が協調されている。
清潔感がありながらおしゃれな姿は、シックでアンティーク調にまとめられたこのお店の雰囲気に激しく合致している。
うん、とっても好み。
素敵なお店は店員さんも素敵である確率が高いと感じるのはわたしだけではないだろう。
「はい、困ってます」
なんともマヌケな返答が飛び出た。でも本当のことだからしょうがない。
靴を悩んでることについての問いかけであるのは明らかだが、わたしの返答には「どタイプの店員さんが突如現れて困ってます」というもうひとつの理由も含まれている。
友だちからはよく「クール」だの「ポーカーフェイス」などと言われるが、確かに日常において感情がすぐ表に出ることは少ない。
今のような状況、つまり好みの男性を前にしたときなどは、顔が赤らんで緊張してしまうということもないので助かると思う反面、無関心だと解釈されて、かわいげのない女だと思われるような気がして少し残念にも思う。
クスリと笑って店員さんが一歩こちらに歩み寄ったので、わたしは反射的に立ち上がった。と、その瞬間視界が暗転した。立ちくらみ。世界が回るような不快感が襲う。
(あ、倒れる・・・)
そう思った瞬間、背中にトンっというほんの少しの衝撃を感じた。
どうやら後ろに傾いたわたしを店員さんが受け止めてくれたようだ。わたしの背中は店員さんの胸に支えられ、左手は店員さんの左手の上に乗っている。まるでエスコートされるように。
なんて素晴らしいフォローなのだろう。
しかし幾分問題が。店員さんの右手。どこにいるかというとわたしの右腰に置かれている、というより絡まっている。
突然の密着にさすがに動揺する。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。ありがとうございます」
わたしは前方を向いているため、声の主の表情は窺えないが、声色は柔らかさを感じる。
答えながら背後に感じる体温に少し焦る。
大丈夫だと言っているのに密着度は変わらず。
何気なくわたしの左手の受け皿となっている手に視線を向ける。感触からもわかったが顔に似合わず無骨な手をしている。
そんなことを考えていると後方から声が降ってくる。
「この二足でお悩みですか?」
声のする方へ顔を向けると見上げることになる。そこには素敵な笑顔が。
わたしの身長は平均より少し高めの163センチだ。そして今はヒールを履いているため170センチくらいある。
そんなわたしが見上げるということは180センチはあるのだろう。ますます好みだ・・・。
「どちらもお客様の雰囲気にとてもお似合いですね。お試しになられましたか?」
「いいえ、まだです・・・」
ようやく離れた身体を自立させる。だが左手はまだ皿の上。
「では是非お試しください。どうぞそちらへお掛けください。」
言われるがままにわたしは近くのスツールに案内され腰掛ける。そしてようやく左手が解放された。ちゃんとしたお店って手を取ってエスコートまでしてくれるのかなどと感心。
「どちらから試されますか?」
「えっと・・・じゃあ猫の方から」
そう答えると彼は私の前に膝を折った。なんだか跪かせているようで妙な気分になってしまう。
「では右足からどうぞ」
美しい所作で足元にロシアンブルーが置かれた。
履いてきたショートブーツから足を抜き、どきどきしながらそっと靴に足を滑り込ませる。
その瞬間、彼の表情が変わったような気がした。うまく言えないけれど驚いたような嬉しそうな。
疑問を感じながらも、特段気にせず左足も履きストラップを留めようと手を伸ばした。が、わたしの手より先に彼の手が目的の場所に到着した。その動作は明らかにストラップを留めようとしている。
(え、ちょっと!それはなんだか恥ずかしい!)
女性の店員に服のファスナーを閉めてもらうなどはよくあるが、男性に、しかも足元を預けるということに激しく羞恥した。
しかしここで拒否して場慣れしていないお子様だと思われるのが嫌で必死に平静を装った。
幸いにも彼は足元に目線を落としている。今のうちに平常心を取り戻そう。
「っ!!」
予期せぬ刺激に身体が小さく跳ねた。
「失礼しました、手が当たってしまいました。」
にこやかに答える彼。
足の甲から土踏まずにかけて撫でられたような気がしたが、彼の言う通りストラップを付ける際に誤って当たってしまったのだろう。それくらいよくあることだろう。
彼は何事もなかったかのように左足の作業へと移る。
「っっ!?!?」
「ああ、度々申し訳ありません。お客様の御御足があまりにも華奢で手元が狂ってしまいました」
今度はやや眉を下げて申し訳なさそうに見上げてくる。
ストラップを付け終え、手が離れる瞬間、きゅっと足首を包まれたのだ。
彼の言葉にいろいろと疑問を感じながらも、動揺でうまい切り替えしが浮かばない。
まずその顔は反則だ。それに”おみあし”って。
ひとりであたふたとしていると、彼の顔がこちらに向いた。どきり。
「ではどうぞ履き心地などをご確認ください。」
彼は瞬時にわたしの左側に並び立ち、目の前に左手を差し出す。わたしの認識に誤りがなければここにわたしの左手を乗せるのだ。
様子を窺いながらそろそろと左手を出すときゅっと握られる。どうやら正解だったようだ。ふわっという浮遊感を感じながら立ち上がる。
彼に腰を支えられていたようだ。
まただ。また彼の右手がわたしの腰に手を置いているのだ。立ち上がる補助をしてくれたらしい。
どこまでもサービスの行き届いたお店だ。でもやっぱり慣れない接触は恥ずかしい。
「いかがでしょうか?」
いつの間にかわたしは大きな姿見の前に誘導されており、彼は鏡に映らないよう一歩離れた場所へ移動している。
彼の言葉で我に返り、鏡に映る自分の姿を見る。
わたしの今日の服装は黒のワンピース。どんな靴にも似合うようにこれを選んだ。
袖は七分丈で袖口はフリル状、スカート丈は膝上でちょっと短め。
胸あたりまであるアッシュブラウンの髪はゆるくウェーブしていて、アクセサリーを付けなくてもそれだけで十分華やかに見える(と思っている)。ストッキングは薄い黒。
そんな装いのわたしの足元には今、ロシアンブルーが二匹。
「か、かわいい~!」
予想外に大きな声が出てしまった。だってとんでもなくかわいいんだもん。
普段は感情のふり幅は広くないが、素敵なものに巡り合えたときはテンションが上がってしまう。
女の子ってそういうものだよね。
「お気に召していただけて光栄です。とてもお似合いです。」
接客の常套句を聞き流しながらわたしは夢中で鏡を見つめる。
いい男よりも今は猫の方が重要である。
「他のデザインもお試しになりますか?アメリカンショートヘアやスコティッシュフォールド、ラグドールなどもございますが」
「大丈夫です!黒猫を目当てにお店に来たんですけど、この子たちに一目惚れしちゃったんです!毛並とか耳の感じとか最高です!」
言いながら自分でもテンションの急上昇を感じ恥ずかしくなる。
だって彼もフフフって笑ってるし。
「サイズや履き心地はいかがですか?お買い上げいただく際は、お客様に合わせ微調整を行いますのでなんなりとお申し付けください。
このシリーズはやや細身に作っておりまして、ほとんどの方が横幅をお直しされるんですよ。」
そんな説明を受け、履き心地を確かめるように数歩進み小さくターンしてみる。
足を入れた瞬間から感じていたが、信じられないほど自分の足になじむのだ。
「いえ、調整は必要なさそうです。なんというか驚くほどフィットするというか・・・。まったく違和感なく履けます。」
そんなわたしの言葉を聞き、彼の顔が驚きに包まれる。
いい男って驚いてもかっこいいんだななどと冷静に考える。
しばしの沈黙のあと、彼が口を開く。
「そう、ですか。お直しが不要だというお客様は初めてだったもので驚いてしまいました。」
と、先ほどよりさらに柔和な表情で笑い掛ける。その笑顔に含みを感じたが何かはわからなかった。
それよりも、そんなに直しが必要なら最初から広めに作ったらいいのにという考えが頭を占拠していた。口には出さなかったけれども。