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初恋  作者: 雨月 雪花
4/9

04



 情けないって、思った。

 悲しんでいる君に何も言えない俺が。君の涙を拭えない、俺が。

 ありふれた言葉を君に告げるのはおかしい気がして、ただ、俺は、君の傍に居て、君を抱きしめることしか出来ない。

 ――初めてかな、理解したいって思った。

 君の悲しさを。君の苦しさを。君の寂しさを。君の辛さを。……君が抱えている想い全てを、理解したい、って。


 でも、どれだけ理解したくても、俺は分からない。

 分かりたいと強く願っても、どう頑張ったって理解出来ない。

 だからかな。不謹慎かも知れないけど、ほんの少しだけ君を、羨ましくも思ってしまった。

 羨ましくて、憧れて……でも、それでも、やっぱり君の気持ちを理解してあげられないことに、胸の奥が痛くて。

 ……俺は、その″痛さ″が何を示すのかが分からなかった。




04




 リズが泣きやむまでの間、シアンはずっと抱き締めたままの状態でいながらそっと寂しげに目を伏せる。

 胸が痛い。痛くて、痛くて仕方がないのに胸が痛い理由が理解出来ずにいた。今はリズの方が辛いだろうに、それでもシアンは、リズに縋るかのように抱き締める力を強くした時だったろうか。

 躊躇いがちにそっと、抱き締めているシアンの腕にリズの手が触れる。


「……あ」

「シアン、ありがとう。……もう、大丈夫」

「……うん」


 どこか気まずそうに声を漏らすものの、リズは気にした様子はなく泣き過ぎて僅かに枯れた声で礼を述べながら言うと、はっとしたように慌ててシアンはリズを離す。

 今更かもしれないが、出逢って間もない男に抱き締められるのは女の子としては嫌だったかも知れない。謝るべきだろうか考えているシアンをよそに、リズはごしごしと涙の跡を拭き取る。


 ――あの日以来かも知れない、こんなにも泣いたのは。


 でも沢山泣いたおかげか今まであったわだかまりが流れていったような、そんな感じもする。確かに思い出せば胸は痛む。それでも、忘れる良いきっかけにはなるかも知れない。腫れてしまっている目を一旦閉じて、心を落ち着かせるようにうん、と頷きながら未だに考えているシアンへと視線を向ける。


「シアン?」

「あ……、えっと、リズ? その、ごめん、ね?」

「……? 何でシアンが謝るの? どっちかと言うと謝らなきゃいけないのは私なのに」

「いや……、だって。その、不可抗力だったとしても抱き締めちゃったのは事実だし」


 そこでようやくシアンの様子に気付いたのか訝しげに名前を呼ぶと、シアンはしどろもどろとどこか気まずそうに視線を彷徨わせながら謝罪の言葉を口にする。

 だが謝られる理由が見付からなかったのかリズは不思議そうな表情で首を傾げると、説明するのは若干照れ臭そうに、シアンがぽつりと呟くように答えればリズは今更ながら気がついたように目を見開く。

 そう言えば確かに抱き締められていた、後ろから。

 自覚してしまうとぼっと顔を赤らめながらも、気にしなくていい、とばかりにふるふると首を横に振る。悪いのは自分だと思っているし、シアンは自分を慰めるために抱き締めてくれたのであって下心があった訳ではないというのは重々承知している。

 しばしの間、少々気まずい空気が流れたがふとシアンは考える仕草を見せるもゆっくりとリズへと視線を向ける。


「リズ。……良ければ俺の家に、来ない?」

「……え?」

「聞いて欲しい話が、あるんだ。……リズには知って欲しい気がするから」

「う、うん?」


 意を決したようにシアンは提案するように言葉を告げると、リズは予想外の言葉に驚いたように目を瞬かせる。

 どう言うべきか悩みながらも一つ一つ言葉を選びながら言うと、良く分からなそうにしつつもシアンの真剣な様子に躊躇いながらもこくりと小さく頷いて了承をする。

 ほっと安堵した表情を浮かべたシアンは先程、リズが落とした道具を元の場所に戻しながら気遣うようにリズへと視線を向ける。


「大丈夫? ……歩ける?」

「あ……、うん、大丈夫。その、シアンの家に行ったら冷やすものを貸してくれると、嬉しい、かな。このまま戻ったらエミリーさんが心配するだろうし」

「ああ、そうだね。構わないよ」


 確認するように聞くとリズは慌てたように頷きつつも、腫れている瞼を思い出したかのようにおずおずと言い難そうにしながら言うと、シアンは気付いたように微笑みながら頷くとゆっくりと歩き出す。

 頷いてくれたシアンに対しては感謝の言葉を述べてから、歩き出したシアンの後を追うように歩き出す。

 ――聞いて欲しい話とは、何だろうか。

 出逢ったばかりの自分が聞いても大丈夫な話だろうか。そう思いながらも、その出逢ったばかりのシアンに対して自分の抱えていたモノの全てを話してしまった自分に対して僅かに苦笑を零す。

 本当は、誰かに聞いて欲しかったのかも知れない。誰かに聞いて欲しくて、でも忘れなければいけないから、誰かに話すことが出来なかったけれど、シアンの優しい言葉に背を押されて考えることもせずに、堰が切れてしまったかのように話してしまった。

 そう言えば、シアンは自分の話を聞いた後、何も言ってはこないし聞いてもこなかった。そっと様子を窺うように視線を向けてみても、今は背中しか見えないので何を考えているかは全く分からない。

 もちろん、彼が自分のことを考えてくれて何も聞かずに居てくれているような、そんな感じもするがそれ以外の理由もあるような気がして。でもやっぱり、それを聞くの憚られて、リズは黙ってシアンの後を着いて行くことにしたのだった。

 シアンの家に行くまでの間、二人は特に会話をすることもなく、沈黙したままの状態で程なくしてシアンの家へと着いた。


「どうぞ、上がって? 少し散らかってるかも知れないけど」

「あ、うん。気にしないよ」

「ありがとう」


 鍵を開けたシアンは振り向き、扉を開けながらリズへと声を掛ければはっとしたように頷き、リズの心遣いに感謝して礼を述べた後に、先に入るように手で促す。

 促されるままにリズはシアンの家へと足を踏み入れると最初に思った感想は、殺風景、という感じだろうか。生活感は感じられるが本当に必要なモノしか置いていない感じで。

 散らかっていると言っていた通りに床にはいくつかの紙が散らばっており、物書きだと言っていたからその類かも知れない。

 触れない方がいいのかな、と思いつつもどこに行けばいいか分からずに結局は玄関先で立ち止まってしまったリズを見て、扉を閉めて中へと入って来たシアンはざっと見回す。


「んー……、あそこにあるソファーにでも座ってて? お茶でも用意するよ」

「う、うん」

「……あれ、緊張してる?」

「あの人以外の男の人の部屋って入ったことないからちょっとだけ……」

「ああ、そっか。まぁ、緊張しないで。何かするつもりじゃないから」


 困っているだろうリズを見て、シアンはソファーを指差しながら声を掛けるとリズは、少々緊張気味に頷く。

 それに気付いたのかシアンは苦笑を浮かべながら首を傾げて問い掛ければ、リズは素直に返事を返せば、確かに、と頷きつつも一応は安心させるように言葉を掛けるとキッチンへと向かう。

 その様子を眺めていたリズであったが、言われた通りにソファーまで向かい、ちょこんと座ると、ふぅ、と小さく息を吐く。


 ――ようやく一息つける気がした。


 シアンが戻って来るまですることもなかったためにきょろきょろと家の中を見ていたリズであったが、一人で住むには少し広い感じがして僅かに首を傾げる。

 もしかしたら誰かと住んでいるのかも知れない。でも、そんな気配が感じられないために益々不思議に思ってしきりに首を傾げていた所にシアンはトレーに二つのカップと一枚のタオルを乗せて戻ってきた。


「お待たせ。目冷やしたいって言ってたからとりあえず、タオルを濡らして持ってきたんだけど」

「あ、ありがと」

「どういたしまして」


 近くにあったテーブルにトレーを置き、お茶をリズの前とその隣に一つずつ置けば、トレーの上に乗っていたタオルを、はい、と差しだす。

 それを受け取ってからひんやりとした感触を確かめながら礼を述べれば、シアンは微笑みながら礼を受け取る。

 そのまま、腫れたままの瞼を冷やすようにタオルを当てるとそっと目を閉じる。その様子を見ながらシアンは、リズの隣へと腰を下ろす。


「そう言えば、私に話したいことって?」

「え? ああ……、うん。リズの過去だけ聞いて俺が話さないのもどうかと思って。……この家、広いと思ったでしょう?」

「シアン一人で住むには大きいかな? とは思ったけど」

「元々、二人で住んでたんだ。……弟と、ね」

「弟さんが居るの?」

「正確には居た。……数年前に死んでしまって、ね」

「……」


 リズは冷やしながらも本題に入ろうと思って問い掛けると、シアンはゆっくりと上を見上げながら話そうと思った理由を簡単にだけ告げると、まずは、とばかりに聞く。

 聞かれたことにはリズは素直に返しながら当たり前の反応にシアンは頷きつつも、説明するように話せば少々予想外だったのか思わず聞き返す。

 聞き返された内容にシアンはそっと目を伏せながらゆっくりと話せば、無神経なことを問い掛けたとリズは思わず口を閉じてしまう。

 今は目を開けられない状態なのでシアンがどんな表情をしているかが分からない。それだけが不安になりつつも、シアンは伏せていた目をもう一度、天井へと向ける。


「両親は小さい頃に亡くなってね、それからはずっと弟と二人、支え合いながら生きてきた」


 たった二人、血の繋がった兄弟として。両親のことは恨んではいない。もっと一緒に居たかったっていう気持ちはあったけど、仕方ないということも分かってる。

 それに一人じゃないだけで、随分と心が軽かったような気がした。


「……優しい子でね。いつだって俺のことを気遣っていたし、自分のことは二の次のような子だった。だから、かな? 好かれることも多かったけど、嫌われることも多かったみたい」


 優し過ぎる子だったのかも知れない。他人の痛みすらも感じ取ってしまい、全部抱え込んでしまうような、そんな子。

 他の人の目から見ればあの子の姿は、人の捉え方によって違うように見えたに違いない。だから、好かれることも多い反面、やっぱり気に食わない人も多かった。


「あの頃、俺は物書きとしての仕事が忙しくて弟を気遣ってやれなかった。放って置いてしまったんだ……、でも、あの時。少しでも弟のことを見ていれば違う未来があったのかも知れないとすら思ってる、今でも」


 余裕がなかった、っていうのは言い訳かも知れない。でも締め切りが近かったのも事実で、あの頃、自分のことしか考えられずにいた。

 でも、もしも、ほんの少しでも良かったから。些細な変化に気付けていたら、今も笑っていただろうか。


「……。弟は自殺、したんだ。崖から飛び降りて、そのまま」

「……え……?」

「理由は今も分からない。でも、優しい子だったから誰かと何かしらのことがあったのは事実だと思ってる」


 ぎゅっと手を強く握りしめながら、震える声を必死に抑えてシアンがゆっくりと言葉を紡ぐと、今まで黙って聞いていたリズは、予想さえもしなかった言葉に驚きの声を思わず漏らす。

 それに気付きつつも、シアンはゆっくりと分かる範囲のことを話せば涙を堪えるように更に手を握り締める。


「それから俺は出来うる限り、人と関わるのを止めたんだ。誰かに興味を持つことも、信じることも」

「……シアン」

「リズ。……君の抱えている苦しみを分かってあげたいのに、俺は、どうしても分からない。……他人を愛したことのない俺には、理解出来ないんだ」


 ――正確には、理解したくない、というのが事実かも知れない。


 弟を追い詰めて死に至らしめた他人を、愛したいという気持ちを。

 でも、今は、そんな自分が嫌だと思った。今の自分ではリズが流す涙を拭う資格がないとさえ思ってしまうから。

 少しだけ憧れる気持ちだってある。誰かをただ一途に愛したことがあるリズを。

 そっとリズは瞼に乗せていたタオルをゆっくりと取ると、シアンへ視線を向ける。向けられたことにさえ気付かないシアンを見ながら何て声を掛けるべきだろうと思う。

 そう思いながらもリズは一つ疑問があった。どうして彼は、見ず知らずの自分に声を掛けたのだろう。


「シアン……」

「……うん?」

「シアンは、どうして私に、声を掛けたの?」

「え?」

「見た事のない人だった、から? この街の人じゃなかったから?」

「それは、あるかも知れない。でもそれ以上に……」

「?」

「……」


 しばらくの沈黙の後、躊躇いがちにリズが名前を呼ぶとそっと目を見開き、シアンは僅かに微笑みながら首を傾げる。

 リズは言葉を選びながら気になったことを問い掛けると、シアンは小さく頷いて答えるように言葉を紡いだのだがその途中で口を閉じる。


 ――それ以上に?


 それ以上に、何だと言うのだろうか。シアンは自分の紡いだ言葉を不思議に思いながらリズへと視線を向けると、きょとん、と首を傾げながら自分をじっと見ているリズがいて慌てて目を逸らす。

 僅かに高鳴る鼓動。初めての感覚に戸惑いながらも不意に何かに気付く。それは突然に理解したような気がして、シアンは立ち上がる。


「シ、シアン?」

「……ちょっと待ってて?」

「う、うん?」


 突然立ち上がったシアンに驚いて慌てて声を掛ければ、シアンはそれだけ声を掛ければ奥の部屋へと向かってしまう。

 意味が分からずにリズは目を瞬かせるものの、待つしかないと思ったのかシアンが持ってきてくれたカップに手を伸ばし、一口お茶を飲む。

 優しい味にほっと小さく息を漏らしながらそっと目を伏せる。シアンに比べれば自分の辛さなど、小さなものかも知れない。

 忘れようとしている自分。でもきっとシアンは忘れないようにしているんだろうと思う。だからこそ今も尚、辛いだろうにずっとここに住んでいる。


 ――強いな。


 心の中で感心しながらも羨ましくもあった。それだけの強さがあれば、自分も新たな一歩が踏み出せるだろうか。

 お茶を飲みながらそんな事を考えていると奥の部屋に行っていたシアンが戻って来たのが分かり、リズは振り返れば僅かに目を見開かせる。

 戻って来たシアンの手には、ヴァイオリンが抱えられていた。


「シアンってヴァイオリン、弾けるの?」

「趣味程度、だけどね? 弟にしか聴かせた事ないから下手かも知れない」

「へぇ……。……聴かせて、くれるの?」

「聴いて欲しいから、持って来たんだよ」


 驚いたような表情を浮かべながらリズは確認するように問い掛ければ、シアンはどこか恥ずかしそうに苦笑交じりに答える。

 素直にすごいと思いながらも、ふと気になったことを聞けばシアンは苦笑を深めてもちろん、というように頷くとゆっくりとヴァイオリンを構える。

 そしてゆっくりと、音が、紡がれる。

 リズは音楽にはあまり詳しくは無い。立ち寄った街で耳に聞こえてきた程度で自ら聴きたいと思った事はほとんどない。

 だけど、シアンの指で奏でられるヴァイオリンの音はとても優しかった。聴き入るようにそっと目を閉じながら、心が暖かくなるような、そんな感覚だった。

 だからか、リズは純粋に、好きだな、と思った。ただ直感的に、シアンの奏でる音楽は好きだと、思ったのだった。


 


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