まとめ
『お土産? そうね~お菓子を買ってきてちょうだい』
勉強の休憩も兼ねて一人リビングで夕食を食べていたとき、隣のお母さんの部屋から話し声が聞こえた。今家には私とお母さんの二人しかいない。おそらく電話をしているのだろう。相手はきっとお兄ちゃんだ。
『千春? 今いるわよ。ちょっと待ってて』
私の名前が聞こえたと思ったら、お母さんがこっちに来て私に受話器を渡した。
「なに?」
「お兄ちゃんがお土産になにが欲しいかって」
「私別にいらないんだけど」
「そういったことはお兄ちゃんに直接いいなさい」
そう言って、お母さんは自分の部屋に戻っていった。私は手渡された受話器の保留を解除した。受話器からは聞き慣れたお兄ちゃんの声が聞こえた。
『もしもし、千春か?』
『そうだけど……』
『明日にはそっちに帰るんだけどさ、土産でなんか欲しいものあるか?』
『別に買わなくてもいいから。ていうか私土産いらないし』
『なんだよ、やけに機嫌悪いな』
『あのさ、私受験生なんだからこんなことでいちいち電話してこないでよ。忙しいんだからさ』
受験まで残り二ヶ月を切り、毎日勉強に明け暮れていた私。人の気も知らないで友人達と旅行に行っている兄が私には腹立たしく、勉強などで溜まったストレスをぶつけてしまった。
『せっかく合格祈願のお守りでも買ってやろうと思ってたのに……』
受話器越しに聞こえるお兄ちゃんの声がほんの少し硬くなる。
その言葉にまた私はイライラしてしまい、ついに気持ちが爆発してしまった。
『いらないって言ってるでしょ! 同じ事を何度も言わせないでよ。お土産、お土産って……。お兄ちゃんなんか帰ってきても私の勉強の邪魔になるだけだから、もう帰ってこないで!』
受話器の電源ボタンを押して通話を切る。怒りが収まらない。二階の自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。自分の中にあるドロドロとした暗い感情を持て余す。もう勉強をする気にもならない。眠気に誘われるまま意識を預けた。
聞き慣れた携帯電話のアラームが鳴り、目が覚めた。時刻は午前七時。今日は夕方まで図書館で勉強する予定だ。教科書やテキストをカバンにつめて家を出た。
図書館は私と同じように受験生がたくさん利用していた。既に席はほとんど埋まっている。僅かに空いている席に座り勉強を始めた。
昼までは苦手科目の数学を重点的に復習する。
一通り進めたところで昼食を買いに近くのコンビニに行くことにした。
昼食を買い、コンビニを出ると遠くで救急車のサイレンが鳴るのが聞こえた。
コンビニから戻り、昼食を取る。買ってきたサンドイッチやおにぎりはあまりおいしくなかった。
昼食を食べ終わり、勉強を再開しようとしたとき、携帯電話から電話の着信音が流れた。
しまった! 電源を切るのを忘れてた。
勉強に集中していた周りの人たちの冷ややかな視線が突き刺さる。私は着信相手が誰かも確かめずに急いで電源を切った。
夕方になり図書館の閉館時間が近づいたため、私は荷物を持って図書館を後にした。
図書館を出てしばらくしたとき、私は昼に着信があったのを思い出した。電話をしてきたのは多分お母さんだろう。内容はきっと夕食を家で食べるのかどうかとかに違いない。
一応確認のために携帯電話の電源をいれる。ディスプレイに不在着信のマークが映し出される。相手を確かめると、予想通りお母さんからだった。
全部予想通り。そう思った私だったけどそこであることに気がついた。
あれ……? 着信履歴が全部お母さんで埋まってる。
最初の連絡の履歴がなくなるほどの着信がそこには映し出されていた。
何か、あったのかな?
私はリダイヤルをした。二、三回のコールの後にようやく電話が繋がる。
『もしもし? お母さん?』
話しかけるが返事がない。しばらく返事を待っているとお母さんのすすり泣く声が聞こえた。
――何かあった。私はすぐに理解した。大抵のことでは動じないお母さんが泣くほどの事態。よほど大きな何かがあったのだろう。
『お母さん、大丈夫? どうしたの』
『ちはる……あのね……お兄ちゃんが、佳祐が……死んじゃった……』
……えっ?
今お母さんはなんて言った?
『家に……帰ってくる途中で……事故にあって……病院に運ばれて……私が着いた時はまだ意識があったのよ……返事をしてくれたのよ』
お母さんが何か言っているが、頭に入ってこない。
死んだ? お兄ちゃんが?
嘘だ。だって昨日の夜には私と電話して、喧嘩して……。それで……それで!!
『お兄ちゃんなんか帰ってきても私の勉強の邪魔になるだけだから、もう帰ってこないで!』
私があんなこと言ったから?
どうしよう? 帰ってきたら謝ろうと思ってたのに……。心配してくれてありがとうって、言おうって……。
涙がジワリと瞳に滲みだす。それが溢れるのに一秒もかからなかった。
「う、うわああぁぁぁ」
人目もはばからず大声をあげて泣いた。周りの人が自分をどう思うかなんて気にもならなかった。
お兄ちゃんが死んだ。もう話せない、謝れない。あの温かい手で私の頭を撫でながら「よくやったな」ってほめてくれることもない。
後悔しても、もう遅い。お兄ちゃんはもう……いないんだ。
罪悪感と後悔に襲われながら私は涙を流し続けた。
「それじゃあ、千春。お母さん行ってくるから」
「うん。気をつけて」
大きく膨れ上がったボストンバックを持ったお母さんを玄関で見送る。
今日からお母さんは単身赴任をしているお父さんのところに数日泊まる。そのため、私は今日から数日の間、一人で留守番をすることになった。
玄関の鍵を閉めて私はリビングに向かった。カーテンを開けると朝日が部屋を明るく照らす。
「おはよう、お兄ちゃん」
部屋の隅にある仏壇に挨拶をする。仏壇にはお兄ちゃんの写真が飾られている。
あの日、お兄ちゃんが死んでから三年が経った。あの後、私は罪悪感や後悔からノイローゼになってしまい受験に失敗した。第一、第二志望校は両方とも落ちて、滑り止めの高校になんとか入れた。
高校に入学した後も、しばらくの間はふさぎ込んでいたけど、時間が経つに連れて少しずつ以前のように戻れた。
元に戻れたのは友達や家族の助けがあったのもあるけれど、一番の理由はいつまでもふさぎ込んでたらお兄ちゃんに怒られそうな気がしたからだ。
高校三年の今、本来なら皆受験に勤しみ、焦っている。だけど私は彼らの中にはいない。
先月に公務員採用試験の面接を受けてきた。結果は一次試験を合格して二次試験の候補に入った。後は次の試験まで待つだけだ。
「お兄ちゃん。私もう十八歳だよ。来年にはお兄ちゃんと同い年だよ。四つも離れてたのにね?」
仏壇に置かれてるお兄ちゃんの写真に話しかける。こうやって毎日写真に話しかけるのがお兄ちゃんが死んでからの日課になった。
「そういえばお父さんってばまた別の場所に単身赴任するんだって。今度は飛行機使わないと行けないところみたい。お母さんは毎日浮気してないかって心配してるし……。まあ、だから今日からお父さんのところに泊まりに行ったんだけどね」
当たり前だが返事はない。
最初の頃はこうやって話しかけるだけで涙が流れたが、今では普通に話せる。教会で懺悔をするのと似たような感じだ。
一通りの報告を済ませた私はリビングに置いてあるこたつの中に入った。お母さんを見送るために早く起きたため、まだ眠い。幸いすぐに眠気が来て私は眠りについた。
「……ぃ。……きろ。」
耳元でなにやら声がする。意識がはっきりしてないため、何を言ってるか聞き取れない。
「……お~い。起きろ~」
そういえばこの声は誰の声だろう? お母さんはもう出たし、私の他には誰もいないはず。そう自覚すると意識が徐々に鮮明になっていく。それにしてもこの声……。
目を開けた私は凍りついた。目の前の光景を理解できない。だって、こんなのあり得ない。
「おい、なんだよ。まだ怒ってるのか? 髪なんか染めて、お前学校どうするんだよ。俺が悪かったって。だから返事してくれよ、千春」
三年前と変わらない姿のお兄ちゃんが目の前にいた。
これは夢だ。現実じゃない。だから、泣いたって問題ない。
「おにい、おにいちゃ……おにいちゃ~ん」
ポロポロと涙がこぼれる。私が急に泣きだしたためお兄ちゃんは慌てだした。
「え、えっ? なに? どうした、千春。なんかあったのか?」
お兄ちゃんはしばらく私が泣くのを見ていたが、やがて私の頭に手を乗せて撫で、慰め始めてくれた。
あぁ、温かい。この感じはお兄ちゃんだ。本物だ……。
頭に触れる手の平の温かさを感じながら、私はお兄ちゃんを抱きしめた。もう二度と目の前から消えないように。
おかえりなさい、お兄ちゃん。
*2*
「それじゃあ、お疲れ。また大学でな」
一緒に旅行をした友人たちと別れて、俺は電車に乗った。
車内は満員とまでは行かないが、座る場所がほとんどないため、肩にかけていた旅行用のボストンバックを床に置き、手摺りに捕まる。
空いている片方の手には家族へのお土産が入った大きな袋がある。中には母さんへ渡す旅行先の名物の菓子と、受験生の妹、千春へ買った合格祈願のお守りが入っている。
……にしても千春のやつ結構怒ってたな。
昨日の電話でのやり取りを思い出して俺はため息を吐いた。
受験前という大事な時期。それも、受験まで日が余りないため、千春もストレスが溜まってたに違いない。
そんな中、旅行先から土産の電話をするなんてことは少々軽率なことだった。千春が怒るのも無理はない。
やっぱ、帰ったらちゃんと謝らないとな。
車内で揺れに身を任せること一時間。目的の駅に着いたため、荷物を持って電車を降りる。
改札口を抜けて駅の外に出る。太陽の陽射しが眩しい。旅行から帰って来たのを祝ってくれているかのようだ。
家に帰るためのバスに乗ろうとバス停へ向かおうとすると、お腹がきゅ~と可愛らしい音を立てた。
そういえば朝から何も食べていない。どこか近くにある店にでも行って飯でも食べよう。
今いる場所から周りを見渡す。少し離れた場所にうどん屋が見えた。よし、あそこにしよう。
横断歩道を歩き、うどん屋までの道の間にある公園を抜ける。
公園を抜けるとうどん屋のすぐ近くにある横断歩道に着いた。ここを通れば終わりだ。
信号は赤、行き交う車が止まるのを待つ。
一応母さんにもうすぐ帰るって連絡入れとくか。
ポケットに入っている携帯電話を取り出す。ちょうどその時、信号が青に変わることを告げる音が鳴った。
携帯電話のディスプレイを見ながら横断歩道を渡る。
……一瞬。
世界が止まった。
背中に強い衝撃。あ、空飛んでる。いたい、イタイ。なにこれ? 車?
あっ……俺、跳ねられた。
ゴキッと嫌な音が響いた。温かい何かを感じる。思考が定まらない。
……なんだか、やけに、さ、む、い、な……。
……あれ? ここどこだ。
「佳祐! 佳祐!」
おかしいな、母さんの声がする。
「しっかり、しっかりしなさい」
「……ぁさ……ん」
うまく声がでないな。それになんだかふわふわする。
「けいすけ!」
…………。
「兄ちゃん、そこどいてよ」
……えっ?
「兄ちゃんだよ、兄ちゃん。俺たち今からブランコ使うんだから」
目の前に小学校低学年くらいの少年が二人いた。
「俺のこと?」
「そうだよ。さっきからずっとブランコに座ってボーッとしてるじゃん。使わないならゆずってよ」
「ゆずってよ」
少年達の言葉を聞いて確認すると、俺は確かにブランコに座っていた。
「うわっ! ごめんね。今退くから」
すぐさまブランコから立ち上がり、待っていた彼らに譲った。
「ありがと~」
二人ともお礼を言うと、早くもブランコを漕いで遊びだした。
やれやれ。ビックリしたな。それにしても、俺はあそこで何してたっけ?
必死に思い出そうとするが、思い出せない。
う~ん。ホント何してたんだろ。
ふと周りを見てみる。子供を連れた母親がたくさんいた。そう、ここは公園だ。
そうだ、そういえば旅行から帰ってきて腹が減ったから飯を食おうとしてたんだった。
ようやく目的を思い出した。たしか、この公園を抜けた先にあるうどん屋に行こうとしてたんだった。
目的を思い出し、さぁ行こうと決めたとき、何か違和感があることに気がついた。
なんか、足りない。
全体的に体が軽い。あるべきものがない。
……荷物がない!?
ついさっきまで持っていた荷物がない。辺りを探してみるが、見つからない。
もしかして盗まれたのかも。だとしたら、最悪だ。バイトで貯めたお金で買ったルイヴィトンの財布がボストンバックの中には入ってる。あれ、高いのに。
それに、お土産! せっかく千春の機嫌直すためにお守り買ってきたのに……。このまま帰ったら、なんか俺が意地になって怒ってるみたいだ。千春のやつ絶対許してくれない。
想像しただけでゾッとした。このままだとまた家に一緒にいるのに無視される。正直あれはキツい。前に無視されたのは千春が作った料理にダメ出しをしたときだ。
素直に美味しいかどうか言ってくれと言われたから、
『俺が作ったのより不味いから頑張れ。なんなら教えてやるぞ?』
と言ったら一週間無視された。あの時は泣きそうになった。
それにしても見つからない。しょうがない、警察に連絡するか。
ポケットに入ってる携帯電話を出して、連絡を入れようとする。
……ない。ない! なんでない!
携帯電話もなかった。服にある全部のポケットを探すが見つからない。
ボストンバック、お土産、携帯電話。荷物は全てなくなっていた。
……そういえば、今何時だ?
携帯電話がないので、公園にある時計を確認する。時計の針は午前八時を指していた。
時間おかしいだろ。こっちに戻ってきたの昼頃だぞ。もしかして、公園で疲れて寝たのか?
よくわからない現象に動揺する。
……もう、家に帰ろう。
いろいろなことが一気に起こり、頭の中で処理が行えない。ひとまず家に帰ることにした。
公園から一時間以上歩き、ようやく家に着いた。母さんの車がない。どこかに出かけたのか?
玄関のドアを開けようとするが、鍵がかかってた。
めんどくさいなと思いながら、玄関近くに置いてある植木鉢の一つを持ち上げ、家の鍵を取り、鍵を開けて家の中に入る。
「ただいま~」
返事がない。千春のやつまだ寝てるのか……。
靴を脱ぎ捨て、リビングに向かう。リビングに入ると、こたつの中に見知らぬ女性がいた。
……えっ? だれ?
近づいてよく見てみると、それは千春だった。髪の色は変わり、長さも長くなってる。髪を染めてエクステでもしたのか!?
「おい、千春」
まさか、これほど怒ってるとは思わなかった。まずい、グレやがった。完璧に受験を捨ててやがる。こんな髪じゃ絶対に受からない。
「お~い、起きろ」
反応がない。
「お~い、起きろ」
もう一度声をかけると反応があった。眠たそうにしながら起きる千春。だけど、俺の顔を見た瞬間、信じられないものでも見るかのような表情を浮かべた。
おいおい、さすがに帰ってきていきなりそんな顔されるのはキツいぞ。やっぱりまだ怒ってるのか……。
「おい、なんだよ。まだ怒ってるのか? 髪なんか染めて、お前学校どうするんだよ。俺が悪かったって。だから返事してくれよ、千春」
千春はしばらく黙ったままだった。
「おにい、おにいちゃ……おにいちゃ~ん」
しかし、いきなり泣き出した。
「え、えっ? なに? どうした、千春。なんかあったのか?」
突然のことに驚くが、ひとまず落ち着かせるために頭を撫でて慰める。
千春は俺の体をギュッと強く抱きしめた。さすがにちょっと恥ずかしい。
気まずさから視線を逸らすと、部屋の隅にある仏壇が見えた。
なに、あれ?
そこには、笑顔で映った俺の写真が飾られていた。
*3*
「だから、お兄ちゃんは三年前に事故で死んじゃったんだよ」
リビングの椅子に座り、目の前にいるお兄ちゃんに向かって私は教える。
「いや、でも俺は生きてるぞ?」
訳が分からないといった顔でお兄ちゃんは答えた。端から見たら何を言ってるのだろうという会話だが、私達にとっては大真面目だ。
「でも、私は三年前にお兄ちゃんの火葬をして、遺骨をお墓に入れたんだよ」
「うわ、なにそれ。目の前にいる本人に言うことじゃねえだろ」
「だってホントのことだし……」
「う~ん。ますます訳が分からんな」
今の状況が理解できないのか、お兄ちゃんは頭を抱えて悩みだした。
お兄ちゃんが再び私の前に現れて一時間。再開の感動から思わず泣いてしまった。それも号泣。
お兄ちゃんにもすごい慰めてもらって甘えてしまった。冷静になってみると、すっごく恥ずかしい。
ひとまず落ち着いた私は鼻水と涙にまみれた顔を洗面所で洗い、リビングに戻って自分の遺影を見て苦笑いをしていたお兄ちゃんに現状説明をした。
「もしかしたら幽霊なのかな? それだったら納得がいくし」
「いやいや。お前さっきおもいっきり俺に抱きついてたじゃん。触れてるから違うだろ」
「ちょっと、そのことはもういいでしょ。それに触れてるのは私の霊感が強いからかもしれないじゃん」
「お前漫画の読みすぎ。悪いがお前にそんな力はない」
ひどい。そんなに否定しなくてもいいのに。あくまで例えで言っただけなのに。それに、私そんなに漫画読まないし。
「じゃあなんだって言うの?」
私の問い掛けにお兄ちゃんはう~んと唸り、
「タイムスリップとか?」
私の予想よりよっぽど非科学的なことを言った。
「却下。お兄ちゃんくだらなすぎ。私の予想よりひどいじゃん」
「そうか? あながち外れてないと思うけどな」
子供のようにお兄ちゃんは無邪気に笑う。
やっぱり目の前にお兄ちゃんはいるんだと改めて実感して、私もつられて微笑んでしまう。
「そういえば母さんいないけど、どっか行ったのか?」
何気ないお兄ちゃんの問い掛けに私ははっとする。
……そうだ! お母さん! お兄ちゃんがここにいることがお母さんにもわかれば、お兄ちゃんの存在が確かに存在することが確定するはず。
私は自室に戻り、携帯電話を持ってきて電話を掛けた。宛先はお母さん。
車で移動中で着信に気がつかないのか、お母さんはなかなかでない。
早く、早くでてよ。
そう思うと同時に電話が繋がった。
『もしもし?』
『もしもし、お母さん?』
『どうしたの、千春? 何かあった?』
何かあったなんてものじゃない! お母さんも驚くことだよ。
そう伝えたいのをグッと我慢した。今にわかる。
『実はお母さんに紹介したい人がいるの』
『なに、誰なの?』
そこで私はお兄ちゃんに電話を渡した。
お兄ちゃんは、「代わるの?」と小声で尋ねたので、返事の代わりに電話を押しつけた。
『あ~えっと、母さん?』
緊張しているのか、お兄ちゃんは視線を辺りにさ迷わせている。その光景がおかしくって私は笑ってしまった。
『えっ……あ、はい』
お母さんの声が聞こえないため、どんな話しをしているのか聞こえない。こんなことならスピーカーにしておくんだった。
『いえ、違います』
『そうです……』
『はい、わかりました』
しばらくお兄ちゃんの返事を聞いていてあることに気がついた。
何か違う。会話に違和感を感じる。
……そうだ、敬語。お兄ちゃんの会話がずっと敬語なんだ。
なんで? これじゃあ他人の会話だ。
『ああ、そうですか。それじゃあ千春に代わります』
そう言ってお兄ちゃんは私に携帯を返した。通話はまだしている。
『お母さん?』
『なによ、紹介したい人って男友達のことだったのね』
お母さんの言葉に私は絶句する。
違う、違うよ。お母さん、何でわからないの?
『お母さん、わからないの?』
『わからないって、なにがよ?』
『今の電話の相手お兄ちゃんなんだよ……』
『……なに言ってるのよ、千春。私が佳祐の声を間違えるわけないわ。今の電話の声は佳祐とは全く違ったわよ』
『えっ!?』
『あんたやっぱりまだ無理してるのよ。この間あの子の命日だったし……。しばらくゆっくりしてなさい』
『ちょっと、まっ……』
私が答えるまえに通話は切れた。
私は携帯を握りしめたまま呆然とその場に立ち尽くした。
どういうこと? お母さんがお兄ちゃんのこと間違えるわけないし、冗談を言ってる雰囲気でもなかった。
それに、お兄ちゃんだってわかってなかったけど、存在は認識していた。
私はアイコンタクトでお兄ちゃんに意見を求めるが、お兄ちゃんも理解できてないのか、困ったとお手上げのジェスチャーを私に返すだけだった。
なら、一体目の前にいる“彼”は何なのだろうか?
*4*
『ちょっと、まっ……』
千春の静止の言葉が途中で途切れた、おそらく今ので通話も切れたのだろう。
今の会話からわかったことに千春は困惑しながら、俺にアイコンタクトをした。おそらく今の出来事の意見を求めてるのだろう。
残念ながら俺にも今起こってることはわからない。いや、認めたくない。
千春の変わりようを見たため、今自分がいる場所が少なくとも俺の知っている場所とは違うということを少しはわかってたつもりだった。
だから、死んだ家族からの電話なんて信じてもらえないかもしれないと、千春から受話器を渡された時、俺は少し緊張していた。
『あ~えっと、母さん?』
第一声にでた言葉は自分でもマヌケなものだと思う。結局出たのはいつもと変わらない言葉だった。
『あら、あなたは?』
『えっ!? いや、俺は……』
『聞いたことない声ね、千春の友達? それともあなた千春の彼氏?』
……聞いたことない声?
なんだよ、それ。ちゃんと聞いてくれよ。
昨日電話したばかりだろ? いや、ここでは三年前だっけ?
……どっちでもいいよ。息子の声を忘れるなよ。
『もしもし? もしかして言いたくないことだったかしら?』
電話ごしに聞こえる声の感じからわかってしまう。通話先の相手、母さんにとって、今の俺は自分の娘が受話器を渡して初めて会話をした“他人”なんだと。
ああ、母さんには俺のことがわからないんだな。
そう実感するとともに、なんだか体から力が抜けた。
『聞こえてないのかしら……もしもし?』
『えっ……あ、はい』
『あ、聞こえてるみたいね。あなた千春の彼氏?』
『いえ、違います』
『そう。だったら学校の友達?』
違うよ。俺はこいつの兄貴だよ。そう言いたかった。だけど、今の母さんにこんなことを言ってもしょうがない。ここでの俺は“他人”だ。なら、それに相応しい態度をとろう。母さんを困らせたくないから……。
『そうです……』
『そう。それじゃあその子と仲良くしてあげて』
『はい、わかりました』
『一応、私車を運転してるから、そろそろ千春に代わってもらってもいいかしら?』
『ああ、そうですか。それじゃあ千春に代わります』
こうして、母さんと俺の会話は終わり、俺という存在を正常に認識できてるのは千春だけだとわかった。まだ一人しか確認していないが、おそらく他の人も同じだろう。他の人に俺は“佳祐”として認識されないだろう。
いったい、なにが起こってるんだろうか? 俺には……わからない。
「一度着替えてくるわ」
空気の悪くなったリビングから逃げ出すように俺は自室へと向かった。
千春は止めなかった。
二階にある三つ並んだ部屋。その中の左の部屋に入る
旅行に行く前まで使ってた、俺の部屋だ。
部屋に入ると、ヒンヤリとした空気が肌に触れた。昔屋根裏部屋に入った時と同じ空気。
長い間人の温もりから離れ、放置されてきた空気だ。
クローゼットを開けると、中には綺麗に折り畳まれた服があった。
一番上に畳まれてある服を手に取る。……つい先日俺が着ていた服だ。
それは、ホコリをかぶっていてもう何年も人の手に触れられてないようだった。
ああ……理解したよ。今度こそ、ちゃんと。
俺は、死んだ。
服を覆うホコリを手で払い、今着ている服を脱いで新しいものに変える。
「ふぅ」
ため息を吐きだす。落ち込んでもしょうがない。とりあえず今俺のことを唯一認識できてる千春といろいろ相談しなきゃいけないな。
温もりのない自室を後にして俺はリビングに戻った。
*5*
「一度着替えてくるわ」
そういってお兄ちゃんはリビングを出ていった。私に心配させないためか、お母さんとの話についてはなにも言わなかった。
電話なんて……しなければよかった。
そんな考えが頭に浮かぶ。あのまま昔みたいに接していて、今起こってる現実から目を背けていれば、こんなに悩まないで済んだに違いない。
お母さんにはお兄ちゃんはわからなかった。でも、私には目の前にいるのが確かにお兄ちゃんだってわかる。
死んだ人が目の前に再び現れる。冷静に考えればそんなことはありえない。自分一人にしか存在が確認できてなければ、そんなものはただの妄想だと笑いとばせたかもしれない。
でも、いるのだ。確かに、ここに。自分だけじゃなく、他の人にもその存在は確認できている。
それならどうして“彼”のことをお兄ちゃんだと、私は認識できてお母さんはできなかったんだろう?
解けない謎はまた謎を呼び、より複雑なものになっていく。
たった一、二時間ほどの出来事なのに慣れないことに頭を使ったせいか、ものすごく疲れがきた。それにお腹も減ってきた。
ああ、そういえば今日はまだご飯食べてなかったなぁ。
壁にかけてある時計を見ると朝食を食べるには遅くて、昼食を食べるには少し早かった。
何か軽く食べようかと思ったが、冷蔵庫の中にはいま食材が何もなかったことを思いだす。
そうだ、お母さんが数日分の食費に一万円くれたんだった。
こたつの上に置いてある財布を手に取り中身を確認する。貰ったお札が一枚と元からあった小銭がいくらか入っていた。
食材を買いにいって家でご飯を作って食べようか、外で食べようか考えていると、着替えを終えたお兄ちゃんが戻ってきた。
「お待たせ。とりあえず着替えてきたけど、今からどうする?」
「どうしよう?」
「そういえば、お前飯食ったか?」
「まだだよ。でもお腹すいた」
「う~ん、冷蔵庫に何かあるかな?」
お兄ちゃんはそう言って冷蔵庫の中を見るが、当然中には何もない。
「ちょうど今外食にしようか食材を買ってきて家でご飯作ろうか悩んでたところなんだ」
「そっか、じゃあひとまず外でるか」
「いいよ」
二人一緒に外に出る。
玄関の鍵を閉じようと植木鉢を持ち上げたとき、
「そういえば鍵の置き場所変わってなかったんだな。三年経ってるなんて知らなかったから今になって驚いたよ」
とお兄ちゃんが笑いながら言った。
言われてみると確かに鍵の置き場所は私が中学生のときから変わっていない。
だけど、それがどうしたのだろう? そう思っていると私の疑問にお兄ちゃんは答えた。
「覚えてるか? まだ千春が中学生になったばかりのころ俺が鍵持ったまま遊びに行っちゃったことがあっただろ」
お兄ちゃんの話している出来事を記憶の底から拾い上げる。言われてみれば、そんなこともあったかもしれない。
「そのとき母さんはちょうど出かけてて、家には誰もいなくてさ。夜になって俺が帰ってきた時、お前玄関前で座って待ってたんだよ」
「……そうだっけ?」
そこまで鮮明に覚えてない。いい加減な記憶だ。
「そうだよ。それ見て俺はすごい焦ったよ。絶対怒ってると思ったからな。だけど、お前帰ってきた俺に何て言ったと思う?」
何て言ったんだろう? 全然わからないや。
「『お兄ちゃん暫くの間、私の買い物の荷物持ちね。異論は認めないから』って言ったんだよ。それから一ヶ月くらいの間ずっとお前の買い物の荷物持ちさせられたよ」
「へ~。そんなことあったんだ。お兄ちゃんよく覚えてるね」
「まあな。夜風を浴びて寒そうにしているお前を見て罪悪感でいっぱいだったからな」
そんなに気にするようなことでもないのに。今の私が言うのもなんだけれど、たぶんそんなに怒ってなかったと思う。それよりも一人でずっと待ってて寂しかったんだろうな、きっと。
「でもなんで急にそんな話をしたの?」
「う~ん。口に出すと照れくさいんだけどな……」
お兄ちゃんは視線を私から反らして照れながら言った。
「知らなかったとはいえ、今までずっと一人にさせてただろ? それに理由はよくわからないけど、一度死んだ俺がこうしてここにいる。だから、さ。またお前の荷物持ちをしてやろうと思ったんだよ。そんだけ……」
よほど照れくさいのか、最後の方は声がだいぶ小さくなり顔も真っ赤になっていた。そんな一生懸命なお兄ちゃんを見て私は苦笑する。
「お兄ちゃんってばクサすぎ。青春ドラマじゃあるまいし」
「ああ~もう。だから言いたくなかったんだよ」
ますます顔を赤くするお兄ちゃん。そっぽを向いて顔の赤さを隠していたが、自分でもおかしいと思ったのか、お兄ちゃんも笑いだした。
空にわたしとお兄ちゃん、二人の笑い声が響き渡る。
やがてお互い笑い疲れ、
「そろそろ行くか」
「うん。行こっか!」
*6*
私達は行き先も決めてない外出を開始した。
家を出てから数十分。俺と千春は駅近くにあるデパートの中のファーストフード店に来た。
昼時ということもあり、店の前には人の列が出来ている。千春には先に席を取っておいてもらい、俺は列に並んで順番が来るのを待ちながら、メニューを見て何を買おうか悩んでいた。
「席取れたよ」
席を確保した千春が戻ってきた。そして、俺と同じようにメニューを見始める。
少しずつ人の列が消化されはじめ、俺の番まで後二人となったところで買うものが決まった。千春の方を見ると、どうやら既に何を注文するのか決まってるようだった。
「私チーズバーガーのセットで飲み物は烏龍茶ね。あと、これ」
千春は注文するものを俺に伝えると財布を手渡した。
「ああ。そういえば俺金持ってなかったな」
いつもと同じ感覚でいたため、自分の手元にお金がないことを忘れていた。
「そうだよ。今のお兄ちゃんは一文無し」
「そうだよな~。でも俺の部屋に隠してある通帳が母さんに見つかってなかったら金はあるぞ」
クローゼットの中に母さんに見つからないように隠したバイト用の通帳。旅行に行った時に三万円ほど引き出したが、そのままの状態ならば、まだ五万ほど残っているはず。
「そうなの? それならよかった」
「なにが?」
「だってお母さん食費一万円しか置いていってないもん。元々私だけが使う予定だったから、お兄ちゃんがいるとお金もたないから……」
……悪意はないんだろうな、きっと。だけど聞く側からしたら、
『あ、お兄ちゃんが帰ってきたせいで私の数日分の食費が足りなくなる。どうしようかな?』
と受け取れなくもないな。
……駄目だな。中三の時の冷たい千春のイメージしかないから、今の千春が言うことが思ってもないことを言ってる気がしてしょうがない。
「お兄ちゃん、順番来たよ」
千春に言われて前を見ると前にいた人は、もう注文を終えており、俺の番が来ていた。
俺はレジの前に行き、二人分の注文をした。それから一分も経たない内に商品はきた。
「ほら、お前の分」
待っていた千春に商品を渡す。
「財布は?」
「席に着いたら渡すって。返さないとでも思ってるのかよ」
「いや、だって昔はよく私のもの取っては泣くまで返してくれなかったから」
「そんなことあったか?」
思い当たる節はあったが、敢えてとぼけてみる。
「あった。私が小学生の時はしょっちゅうやってた」
テーブルに商品を置き、席に座る。
「いや、そんな昔のことは覚えてないな」
注文したフライドポテトを数本手で掴んで食べる。
「それ嘘でしょ。家を出る前に鍵のこと言ってたもん。その時の事を覚えてて、この事を忘れてるわけない」
チーズバーガーを小動物のように少しずつ口にしながら千春が言う。
「いや、そんな全部は覚えてないから」
千春にばれないように平静を保とうとする。
「あ、鼻がピクピクしてる。嘘なんだ」
あ~ばれた。
「ばれたか。本当は覚えてるよ。ほら、財布」
持っていた財布を千春に返して俺は白状する。
「はい、どうも。それにしても、その癖治らないね」
千春の言う癖というのは俺が嘘をつく時、問い詰められると、鼻が動いてしまうものだ。今はだいぶ抑えられるようになったが、時折こうして抑えることができずに嘘がばれる。
「うっせえ。勝手に動くんだからしょうがねえだろ」
「それがなければ、もう少し上手く嘘つけるのにね」
「いいんだよ。俺は嘘をつかない男なんだ」
「なに言ってるんだか。や~い鼻ピクピク」
なんか変なあだ名をつけられた。しかも小学生レベルの。これでからかってるつもりか?
「なにが鼻ピクピクだよ。お前なんか小学四年生までおねしょしてたじゃねえか」
飲んでいた烏龍茶を吐き出しそうになり、千春はむせた。
「ちょっと、それは言わないでって」
「お前が鼻ピクピクって言わなければいいぞ」
「……はぁ。わかったわよ」
俺の提案に千春は半ば呆れ気味にため息を吐き、観念した。
勝った。これぞ兄の意地。歳が近くなっても妹は兄に勝てないんだよ。
「なにちょっと誇らしげにしてんのよ。しかもドヤ顔っぽくてむかつく」
「いや、別にお前を言い負かせたことを誇ってなんかないぞ。それにドヤ顔ってなにかわからないから」
「まあいいや。なんか馬鹿らしくなってきた」
千春は残った少しのポテトを食べた。俺はジンジャーエールを飲み、口の渇きを潤す。
その後はお互い黙々と食事を取った。
隣にあるゲームセンターからこっちに人が向かってきたのは食事を終え、二人でゴミを捨てに行き、これからどうしようかと考えていた時のことだった。
「ハル~」
誰かを呼ぶ声が聞こえて辺りを見ると、制服姿の女子高生が二人と男子が一人こっちに歩いてくる。三人の中の一人は見覚えがあるが残りの二人は見たことはない。おそらく千春の知り合いだろう。
「あっ明衣。それにゆーちゃんと柴田くん」
三人に気がついた千春が返事をする。
「ヤッホー」
「こんにちは」
「どうも」
三人それぞれが挨拶を交わす。
「みんな課外の帰り?」
「そうだよ~。もうせっかく冬休みになったのに、イヤになっちゃうよ」
「しょうがないよ。わたし達受験生なんだもん。ね、拓海くん」
「ああ。もうセンターまで一ヶ月ないからな」
「そっかぁ。やっぱりみんな忙しいよね」
「そうだよ。この就職組め。ハルも勉強しろよ~」
「いや、私勉強してないわけじゃないから」
「あれ? そうなの?」
俺は四人が話し合うのを少し離れた位置で聞いていた。センター試験とはずいぶん懐かしい単語が聞こえてきて、みんな頑張ってるなと内心感心していた。ちなみに俺は推薦で受かったので記念受験でしかセンター試験を受けてない。当時は友人に八つ当たりされたりしたものだ。
「ところでハル。さっきから気になってたけど、この人は?」
それまでの雑談から一転。急に話の矛先が俺の方に向いた。
「えっ? あ、あ~この人は」
突然の問いかけに千春は動揺していた。何故なら、この場には俺が死んだことを知っている人がいるため、俺を兄と言えないのだ。
「もしかして……」
「いや、違う。なにを考えてるのかはわかるけど、ちがうから」
明衣と呼ばれている少女が疑惑の視線を千春になげかけている。たぶん俺を千春の彼氏かなにかと勘違いしてるのだろう。そして千春も都合のいい言い訳が思い浮かばないで焦っていた。
「そ、そうだ。ゆーちゃんは見たことあるよね、こいつ」
ゆーちゃんと千春に呼ばれた女の子。正確には立花優里に千春は救いを求めた。彼女は親同士の仲が良かったため昔からよく家に遊びに来ていた。当然、俺とも面識がある。彼女が母さんと同じでなければ俺だと気がつくはずだ。
「えっと……」
「ほら、家に来たときによく見たでしょ?」
なにその扱い。俺は観葉植物か何かか?
「ごめんなさい、わかりません」
「そっかぁ……。ところでゆーちゃん。お兄ちゃんの顔覚えてる?」
「佳祐さんのことですか? 覚えてますけど」
「この顔見て似てると思わない?」
千春は俺の顔を掴むと優里ちゃんに近づけた。
「え~っと、たしかに少しは似てますけど」
「そう。ならいいの」
千春は掴んでいた俺の顔を離し、少しだけ落ち込んだ。俺は何故か優里ちゃんの横にいる男に睨まれた。
「……で、結局その人だれ?」
再び明衣と呼ばれている女の子からの質問がきた。千春は未だになんと答えればいいのか悩んでいる。
……しょうがないな。困っている妹に助け船を出すか。
俺は千春の友人の三人に向かって、
「こんにちは、千春の従兄弟の佐山壮介です」
と自己紹介をした。
*7*
「へ~。それじゃあ、壮介さんはこっちに遊びに来たついでにハルの面倒見ることになってるんですか?」
立ち話しも何なのでという明衣の提案で私達は飲み物を買って再び席に着いた。私とお兄ちゃんと明衣は四人席に座って、柴田くんとゆーちゃんは隣の二人用の席に座った。明衣は自称私の従兄弟の“佐山壮介”に興味があるのかさっきから質問攻めだ。ちなみに私はいつボロが出るか心配中。
「ついでって言うより、ホテル代を浮かすために面倒見ることになってるんだよ。さすがに数日とはいえ未成年の女の子一人にはできないからね」
「ちなみに壮介さんの歳はいくつ何ですか?」
「俺? 十九だよ」
「なんだ~。あたし達と一つしか変わらないじゃないですか。しかも未成年じゃないですか。なんだか接し方が歳が離れた感じだったからもっと離れてるかと思いましたよ」
「あ……あ~。そうだね」
ほら、さっそくボロが出始めた。そこは二十二と言うべきだよ。
……確かにお兄ちゃんとの関係をどう説明しようか思い浮かんでなかったけど、すぐにばれそうな設定なんて言ってもしょうがないのに。
かといって、「この人は死んだ私の兄です」なんて言ったら頭がおかしくなったのかもしれないと思われるし……。
しょうがない、ひとまず皆に不審に思われないようにフォローをしていこう。
「そういえば大学ってどう? やっぱり忙しいの?」
さりげなく話題を逸らすことでフォローをする。私のフォローに気がついたお兄ちゃんは話を合わせた。
「う~ん。その気になれば忙しくもできるし楽にもできるな」
「どういうことですか?」
受験生の明衣は大学に関する話題にさっそく乗ってきた。
「基本的に大学は自分の必要な講座にでて単位が取れれば問題ないから、必要最低限の講座しか取ってない人なんかはそうでない人に比べて自由な時間は多いね」
「それじゃあ、そういった時間で友達と遊んだりできますね」
「そうだね。ただその場合は友達も空いてないといけないから都合が合わないことも結構あるね」
「そうなんだ~。じゃあ遊んでばかりいられないですね」
大学生活の現実を聞き、期待していたものと違うと知った明衣はガックリとうなだれた。お兄ちゃんはそんな明衣を見て苦笑した。
「まあ、なにも友達と遊ぶことだけが全部じゃないから。空いた時間はバイトに使うことだってできるし」
「なるほど。言われてみれば、確かにそうですね」
「……あの。壮介さんはどこの大学に通ってるんですか?」
それまで隣で話を聞いていたゆーちゃんがお兄ちゃんに質問をした。気になるのか柴田くんも聞き耳を立てている。
「俺の大学? えっと……」
言っていいものだろうかとお兄ちゃんは瞳で私に訴える。私は、そんなの自分で考えろという意味を込めて無言の返事をする。
「国公立大学とだけは言っておくよ。あんまりレベルが高いところじゃないから恥ずかしくて言えないし」
「え~。いいじゃないですか。言ってくださいよ。国公立ってだけで既にレベル高いんですから。あたし達なんてみんな私立ですよ。その時点でレベル上ですって」
「……おい、上村。言っておくがこの場にいる中で私立受けるのお前だけだからな。おれと優里は国公立だぞ」
「え!? あ、あれ~。そだっけ? だって私立受けるって言ってたの聞いたよ、あたし」
「いや、それ滑り止めの話しだから」
「うそっ!? だってユウはそんな事言ってなかったよ」
明衣は心底驚いたような表情を浮かべ、嘘であって欲しいという望みと共にゆーちゃんに返事を求めた。しかし、ゆーちゃんは返事をするのが気まずいのかチラチラと明衣の顔を見ては視線をそらし、告げる。
「ごめんね、めいちゃん。『みんな私立受験するんだよね』ってあんまり嬉しそうに言ってたから、なんだか言いだしづらくて」
ゆーちゃんの返事を聞いた明衣は彼氏に振られたかのように呆然とした。
でも、よくよく考えたらもうちょっと経てば、どっちにしろ分かることなんだけどね。だって私立と国公立って受験の日程期間が少し離れてるみたいだし。
明衣ってば今日までそのことに気がつかないなんて。やっぱりちょっと天然が入ってるな。
空気の抜けた風船のようにしょんぼりしている明衣に私達は何て声をかけてあげればいいのかわからずにためらっていると、
「まあ、私立だから国公立より悪いなんてこともないし、あまり気にしなくてもいいんじゃないかな? 自分の行きたいところに行くだけなんだし」
お兄ちゃんが励ましの言葉を口にした。
「そ、そうですよね! いや~壮介さんは話が分かるな」
「その言い方だとおれたちは話が合わないって聞こえるんだが」
「あれ? 別にみんなに向かっていったつもりはないんだけどな~」
からかうように笑いながら明衣は言う。
「うぅ。めいちゃん、もう許して」
「ええ~どうしよっかな。ユウってばあたしのこと騙してたしな~」
「いや、それはお前が気づかなかっただけだ」
「別に嘘ついたわけでもないしね。明衣が勝手に勘違いして喜んでただけだもんね」
「そこ、余計な突っ込みをいれない。あたしは今ユウと話してるんだから」
明衣は私達の突っ込みを軽くあしらうと、口元に手を当てて何かを考え始めた。そして、何かを思いついたのか嫌な笑みを浮かべた。これは明衣が何かをおもしろいことを企んでいる時の笑みだ。こんな時は大抵ろくでもないことを明衣は言いだす。
私の予想通り明衣は本当にろくでもないことを口にした。
「じゃあ、あたしを騙した罰としてユウには好きな人にキスをしてもらいます」
明衣の発言にこの場にいる二名が固まったのを感じた。それが誰なのかは言うまでもない。
「いや、罰とかお前が勝手に言ってるだけだから。別にやらなくていいだろ」
「そ、そうだよね。わたし悪いことしてないもんね」
「いいじゃん。そこの彼氏彼女さん、あたしにキスを見せてよ。それともまだしてないとか?」
「それぐらいもうしたっつうの!」
と、そこまで言って自分が何を言ったのかに気がついたのか柴田くんは口をつぐんだ。恥ずかしさから頬がほんのり紅潮しているのがわかる。ゆーちゃんは言うまでもなく、柴田くん同様に顔を赤くしてうつむいていた。
二人の反応を見て、明衣は満足そうにしている。おそらく最初から今のような反応が見られれば満足だったんだろう。
嵌められたことに気づいた柴田くんが明衣に対して何か言おうとしたとき、私達のやりとりをそれまで見ていたお兄ちゃんが間に入ってきた。
「あ~。楽しく話すのはいいけどもう少し声のボリューム落とそうな。さっきから周りの人や店員がこっち見てるから」
お兄ちゃんに言われて私達は周りの様子を伺う。何人かの人が迷惑そうにこっちを見ていた。
「……アハハ」
こうなった一番の原因の明衣は現在の状況を理解してただ笑っていた。
「それじゃあ、またねハル。それに壮介さん」
「うん。またね」
「おれたちも失礼します」
「じゃあまた何かあったら連絡するね、ちはる」
「わかった。二人もまたね」
雑談を終えてデパートを出た私達はそこで別れた。空はもう青色から赤褐色に染まっていた。
「いつの間にかこんなに時間が経ってたんだ」
まだ昼を少し回ったくらいだと思ってたから私は驚いた。
「まあ、日が短くなってるから時間が経つのが早く感じるっていうのもあるんだろうけどな」
私の隣を並んで歩くお兄ちゃんが言う。
「そういえばお兄ちゃん、なんなのあれ?」
「あれって?」
「私の従兄弟っていう設定。ボロ出まくりだったじゃない」
「いや、まあ。だけど設定は悪くなかっただろ? そりゃボロ出てたけどさ」
「う~ん。ギリギリ及第点に届いてないかな」
「きびしい審査だな」
「身内ですから」
隣を歩くお兄ちゃんと私。こうして隣に立たれて、私はあることに気づいた。
「お兄ちゃんさ」
「……ん?」
「背、縮んだ?」
「バカ、縮むわけないだろうが。単にお前がでかくなっただけだよ」
昔はお兄ちゃんの胸元くらいが私の頭の位置だったのに、今ではお兄ちゃんの肩に私の頭がある。
「……えへへ」
「お前、なに急に笑ってるんだ?」
「いや、私も成長したんだなって実感してたらつい」
「まあ、確かに大きくなったよな」
お兄ちゃんは私の全身をじっと見た。そして今までの私の身長と比較する。しばらく昔の私との比較をしていたお兄ちゃんはやがて、何かに納得した。
「そっか、そうだよな」
「なに?」
「今のは独り言だ。気にすんな」
「ふ~ん。ならいいけど」
それからお兄ちゃんは何かを考えてるのか黙り込んでしまった。隣にいる私は会話がなくてつまらない。仕方なく周りの景色を見ながら歩いていると、電柱に貼ってあるポスターが目についた。
「あ、これ」
電柱に近づきポスターに書いてある内容を読む。
「千春、どうした?」
私を追ってお兄ちゃんが近づいてくる。
「ほら、これ見てよ」
私はポスターに書かれている内容をお兄ちゃんに見せた。
「なになに? クリスマス記念撮影コンテスト!! クリスマスに撮った写真をコンテストに応募してインターネットで投票。投票数が多ければ豪華景品あり。……なにこれ?」
「よくわからないけど、そういったイベントがイブとクリスマスの二日間にあるんだって」
「ふ~ん。意外とおもしろそうだな。それに場所も指定してあるな」
「うん。ポスターに書いてあるのだと、駅近くのクリスマスツリーの下みたい」
「あのやたらイルミネーションや飾りをくっつけてるおっきいツリーか」
「そうそう。ここからそんな遠くないし、せっかくだからちょっと見に行かない?」
「いいぞ。ついでに晩飯の材料を買ってくか」
「もちろん支払いは私のお金でね」
「正確には母さんの金だけどな」
私とお兄ちゃんは晩ご飯の献立をなににするのか話ながらツリーの元に向かった。
ポスターを見てから十数分程歩いたところで私達はツリーの元に着いた。見上げなければ全体が見えないほど高くそびえ立つクリスマスツリー。係の人が取り付けたイルミネーションや飾りに加えて、ツリーの下の葉の部分には一般人が付けたとわかる手製の飾りや、カップルの愛の誓いが書かれた板もくっついてたりした。七夕じゃないんだからと私は心の中で突っ込みを入れる。
「ここで写真撮るのか」
お兄ちゃんがツリーの周りをうろつきながら呟く。
「そうみたいだね。夜になればここのイルミネーションもライトアップされるし、相当綺麗な写真になると思うよ」
「……なあ、俺達もイブかクリスマスにここで写真撮らないか?」
「え~やだよ。恥ずかしいし」
「いいだろうが。どうせお前イブもクリスマスの両方とも暇だろ」
断言しなくても……まあ実際暇なんだけど。
「だいたいなんで急に撮ろうなんて思ったの?」
「だってこのコンテストおもしろそうだし。得票高ければ景品でるんだろ? だったらやったほうが楽しめていいだろ?」
「は~しょうがないな、お兄ちゃんは。いいよ、どっちかで写真撮ろ」
「さすが俺の妹」
そう言ってお兄ちゃんは私の頭を軽く叩く。
「ちょっと、頭叩かないでよ」
「痛かったか?」
お兄ちゃんは私の頭を叩くのを止めて髪の毛を優しく撫でた。
「……くすぐったい」
「そうか。じゃあ止める」
お兄ちゃんの手が頭から離れる。さっきまで頭にあったぬくもりは冷たい外気に触れて刹那も保たずに消えてしまった。
「じゃあ買い出しに行くか」
明るく笑いながらお兄ちゃんは先を歩き始めた。
そんなお兄ちゃんの後ろ姿を見て、さっきまでなんとも思わなかったのに、突然私の脳裏にある考えが浮かび上がった。
お兄ちゃん、もう居なくならないよね?
根拠のない不安を胸に抱き、私はお兄ちゃんの後に続いた。
The day when it faces it. end
「祈りを貴方に、手紙を君に」の一章のまとめです。
まとめて一気に読む人用です。よかったら使ってください。