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執事一家の次男に転生したので、全力でお姫様に尽くしたいと思います。  作者: 比津磁界


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第8話:【再現】口の中でとろける、至高のスフレパンケーキ

「二時間だけ時間をください」と言い残し、厨房へ消えたアル。

残されたリリアーヌ様は、図書室で一人、自分の「わがまま」と向き合うことになります。

図書室の大きな時計が、非情な音を立てて時を刻む。

アルに渡された最新の恋愛小説は、一ページも進んでいなかった。リリアーヌはソファに深く沈み込み、膝の上で本を抱きしめたまま、ぽつりと呟いた。


「……長いわ」


アルがいなくなってから、まだ三十分も経っていない。

それなのに、心にぽっかりと穴が開いたような、世界から色が消えてしまったような、そんな耐え難い孤独がリリアーヌを襲っていた。


(私、どうしちゃったのかしら……)


今朝の自分の振る舞いを思い出す。

アルが朝まで隣にいてくれなかったからといって、あんなに子供のように不機嫌になって。アルは私のことを想って、執事としての立場を守ってくれただけなのに。


(……わがままだわ。私は、アルを困らせてばかり。……嫌われちゃったら、どうしよう)


一度不安が芽生えると、それは猛烈な勢いで膨らんでいく。

彼は優秀な執事だ。私のような重たい主よりも、もっと扱いやすい方の側につきたいと思っても不思議ではない。

リリアーヌはぎゅっと目を閉じ、アルの温もりを必死に思い出そうとした。



一方、その頃。

王宮の厨房の一角では、アルフレッドが「戦場」に立っていた。


「……よし、卵白の状態は大丈夫そうだ」


目の前のボウルには、キメ細かく、ツノがピンと立った純白のメレンゲ。

異世界にも薄焼きのクレープに近いものや、しっかりしたホットケーキは存在する。しかし、空気を含ませて限界まで膨らませる「スフレパンケーキ」という概念はまだない。


(この世界の卵は濃厚だ。そしてこの『収納魔法』。時間を止めるだけでなく、内部の温度を一定に保つ機能を使えば、生地の温度管理も、焼き上げ後のしぼみ防止も完璧に行える!)


前世のカフェで見た光景を思い出す。

低温でじっくり、蓋をして蒸し焼きにする。ひっくり返す時の、あのプルプルとした震え。

アルは魔力を繊細に操り、火力を一定に保ちながら、フライパンの上に白い雲のような塊を置いていく。


(……待たせてる時間は、あと一時間。リリアーヌ様のあの寂しそうな顔を思い出すと、一分一秒でも早く届けたいが、これだけは妥協できない)


仕上げに、収納魔法から取り出した最高級の生クリームにホイップする。

甘い、幸せな香りが厨房中に立ち込めた。


約束の二時間まで、あと数分。

図書室の扉が静かに開いた。


「お待たせいたしました、リリアーヌ様」


現れたアルは、いつものように完璧な礼を捧げた。

リリアーヌはソファから飛び起き、アルの元へ駆け寄った。


「アル! ……遅いわ。一分くらい遅かった気がする」


「申し訳ございません。リリアーヌ様、至高の状態で召し上がっていただくため、お部屋へ戻りましょう。こちらでのお食事は、貴女様の高貴な名に傷がつきます」


「……ええ、そうね。早く行きましょう」


アルのエスコートで自室のテラス席へと戻る。準備を整えたアルが、ゆっくりと蓋を持ち上げた。


そこには、これまでリリアーヌが見たこともない、厚みが五センチはあろうかというスフレパンケーキが三段、重なっていた。


「……えっ? これ、パンケーキなの?」


「はい。私の世……いえ、私の秘蔵の技術で焼き上げた『スフレパンケーキ』でございます」


その塊は、アルが皿をテーブルに置く衝撃だけで、ぷるん、ぷるん、とはち切れんばかりに揺れた。上に乗ったバターが熱でゆっくりと溶け出し、純白のクリームの山を滑り落ちていく。


「さあ、冷めないうちに。」


「……ええ。」


リリアーヌは今朝の不機嫌をどこかへ放り投げ、期待に目を輝かせた。

ナイフを当てる。抵抗なく、まるで空気を切るように刃が沈んでいく。一口大に切られたそれは、フォークの上で今にも崩れそうなほどに柔らかい。


リリアーヌの口の中に、そのパンケーキが運ばれた。


「…………っ!?」


噛む必要さえなかった。

舌の上に触れた瞬間、しゅわっと泡のように消えて、濃厚な卵の風味と優しい甘さが脳を直接刺激する。


「消えたわ……。食べてるのに、お口の中でとろけて……幸せだけが残るの。なにこれ、すごすぎるわアル!」


「お気に召して光栄です。……リリアーヌ様、少しお疲れのようでしたので、甘いもので心を満たしていただきたかったのです」


リリアーヌは二口目を自ら運びながら、ふと動きを止めた。

アルの、優しく、慈しむような瞳。

二時間、私のためにこれを一生懸命作ってくれていたのだ。私が自分勝手に寂しがっている間も。


「……アル、ごめんなさい。今朝はわがままを言ったわ」


「いいえ。リリアーヌ様のわがままを叶えるのが、私の喜びですから」


「……本当? 本当に、困ってない?」


「困るどころか……。そんなふうに私を必要としてくださるリリアーヌ様が、あまりに愛おし……いえ、尊くて、こちらこそ理性が保てるか不安なほどです」


アルの本音が少し漏れたが、リリアーヌはそれを最高の愛の言葉として受け取った。

彼女の頬は、パンケーキに添えられたイチゴよりも赤く染まった。


「……じゃあ、もう一つ、わがままを言ってもいい?」


「何なりと」


「……アル。あと全部……『あーん』して、食べさせてくれる?」


お姫様の、甘すぎる「追撃」。

朝の不機嫌の「お詫び」という名目の、あまりにも破壊力の高い要求だった。


(ま、待て待て! 最後まで!? つまりあと十数回も至近距離で拝み倒せと!? 心臓が持たない…。)


アルは内側の絶叫を鉄面皮で抑え込み、最高の微笑みを浮かべて深く、深く頭を下げた。


「……仰せのままに。最後の一口まで、責任を持って奉仕させていただきます」


アルが丁寧に切り分け、たっぷりのクリームを添えたパンケーキ。

それを運ぶたびに、リリアーヌは幸せそうに目を細め、アルの顔をじっと見つめながら食していく。


テラスを吹き抜ける風が、甘い香りと共に二人の高鳴る鼓動を運んでいく。

不機嫌だった朝が嘘のように、そこには世界で一番甘い時間が流れていた。

第8話、お読みいただきありがとうございました!

最後の「あーん」の畳み掛け……リリアーヌ様、完全にアルを独占する術を心得ていらっしゃいますね。

アルにとっても、これはご褒美という名の拷問(幸せな意味で)だったに違いありません。


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