はじまり
2060年 4月5日
学校に行って、帰ってきて、また次の日学校へ行く。チャイムの音も、授業も、廊下ですれ違う顔ぶれも、昨日とほとんど変わらない。
そんな繰り返しの、何の変化もない毎日を過ごしていた。
「はあ~空からペンギンとか降ってこないかな〜」
周りは田んぼに囲まれ、暗くなってくると、カエルが足元を飛び回る、そんな帰り道を、自分でも意味がわからない言葉を、呟やきながら歩いていた。
道沿いの家から、テレビの音が聞こえてくる。
一瞬だけ聞こえたテレビの実況に、足が止まりそうになる。
きっとまたMMBの試合だ。
振り返る勇気もなかった、どうせ、画面の向こうの世界だと、自分に言い聞かせながら、そのまま、帰り道を歩く。
別に今の普通の人生が嫌なわけじゃなかった。十分に幸せな人生を送っている……
でも、何か物足りないんだ、もっと、体が沸騰するくらいワクワクする、そんな日常が――
モヤモヤした気持ちを胸に抱えながら、学校の帰り道の坂を下っていると、遠くで何か叫びながら、こっちの方向に走ってくる人が見える。
「おーい、いい所におったわ、ちょっと一緒に来てくれへん?」
「へ?」
急に現れた関西弁の女の子に、息を切らしながら話しかけられるが、わけが分からず、頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
「ええから、はよう」
大阪弁の女の子は急いでいるようで、返事を聞く前に手を取り、来た方向へと走り出す。
「ええ!あの、ちょっと」
抵抗しようとしたのに、足は思ったよりも軽く前にでた。
知らない人に手を引かれているはずなのに、不思議と怖くはなかった。それどころか、胸の奥で少しだけ沸き立っている自分がいる事に気づいた。
しばらく走ってたどり着いたのは、MMBの練習場だった。この辺で唯一、楽器の貸し出しもしてくれる、人気のある練習場だ。
見慣れたはずの建物なのに、その日は少し違って見えた。
胸の奥で、ずっと燻っていた何かが、はっきりと音を立てた気がした。
関西弁の女の子に引っ張られ、周りをキョロキョロ見渡しながら、練習場内に入っていく。
やがて、控室と書かれたプレートの部屋につき、中に入る。全体的に白く、大きめの机と、周りに椅子がいくつか置いてあるだけの部屋だった。
控室の中には、もう一人女の子が待っていた。
「またせたな、見つかったで!楓」
どうやら、控室にいた女の子は楓と言うらしい。可愛いというより綺麗な子と言う印象だ。
「どこ行ってたん?どうせ無理やり連れてきたんやろ」
「う、そんなことないて〜」
楓が呆れたような顔をしながら声を掛けると、関西弁の女の子は視線を泳がせながら答える。
二人の関係は分からないが、少なくとも昨日今日のなかではないことは、二人のやりとりを見てすぐにわかった。
「ごめんな、無理やり連れて来られたんやろ?」
「えっと、まあ」
楓に申し訳なさそうに声を掛けられ、曖昧気味に頷くと、「やっぱり」と言いたげな視線を赤夏へ向けた。
楓は一つため息をつき、そらの方向に向き直り、柔らかく微笑む。
「私の名前は京野楓、高校1年生や。よろしく」
無駄な力を一切感じないその動きに思わず見惚れ、反応が遅れてしまい、慌てて頭を下げる。
「あ、同じく高校1年生日向そらです!よろしくおねがいします!」
「同い年なんやし、敬語やなくてええよ」
「はい、じゃなくて……わかった楓ちゃん。と、えっと――」
自分を連れてきた子の名前を呼ぼうとし、彼女がまだ名乗っていなかったことに気づく。
相手も同じことに気が付いたのか、少しバツの悪そうな顔で口を開いた。
「そういや、自己紹介しとらんかったな。うちの名前は加賀美赤夏や!赤夏でええで、そら!」
「よろしく、赤夏」
加賀美赤夏――その名前を聞いた瞬間、どこかで聞いたことがあるような、そんな違和感を覚えた。
ただ、そんなことよりも急に連れてこられたそらには、聞きたいことがあった。
「あの、ところで……私、なんで連れてこられたの?」
「あ、そう言えば説明しとらんかったな」
説明を求めると、楓の「説明してなかったん?」と言わんばかりの鋭い視線が飛ぶ。
赤夏は「アハハ」と乾いた笑をこぼしながら、ようやく事情を説明した。
――どうやら、ルールを守らなかった大学生と喧嘩になり、MMBで決着を着けることになったらしい。
「うちは、許せんのや」
赤夏は先ほどまでの明るい表情を一転させ、真剣で怒りに満ちた顔つきになった。
(そんなにも、真剣な顔になれるって……何か……)
その感情の強さが、今のそらにはまぶしくて、少しだけうらやましく感じた。そんな胸の奥のざわつきに自分でも気づかないうちに声に出していた。
「私、MMBやった事無いけど、やりたい!」
「ほんまか!」
赤夏はぱっと笑顔を取り戻し、近くへ駆け寄ってくる。
「うん……やったことないから、力になれるかどうかは分からないけど……」
「そんなもん、やりながら覚えたらええねん。それに、そらはやれるって、うちの勘が言うとるからな!」
「勘か……」
「せや、うちを信じ!」
ただの勘でも、赤夏に言われたら、そうなのかもしれないと納得してしまうような何かがあった。
「そらは騎士と奏者どっちがやりたい?」
唐突に赤夏に聞かれ、そらは即答する。
「騎士!」
そらの中では決まっていたのだ、やることはないかも知れないと思いつつも、あの日見た騎士の姿が今も鮮明に思い出せるほどに、脳裏に焼きついていた。
その言葉で赤夏がニヤリと笑い、そらの肩をたたく。
「わかっとるやないか!やっぱりMMBちゅうたら騎士やろ!そうと決まれば、早速武器決めんといかんな」
「武器?」
日常生活では聞かないような言葉に、首を傾げる。
「赤夏は何使ってるの?」
「そらもちろん」
赤夏は拳を突き出す。
「拳やろ!」
「拳は赤夏みたいにあんまり考えない人には丁度ええから」
赤夏がかっこよく決めたところに、楓の鋭いツッコミが飛ぶ。
「考えとるわ!」
「やったら、敵と戦ってるとき何考えて戦っとるん?」
「拳を相手に当てる、それだけや!」
楓はあきれたような目線を赤夏に向け、ため息をつく。
「せっかはほっといて、そらちゃんは武器どうする?」
「えっと、そうだな……」
顎に手を置いて考える。
「私も、拳がいいかな。空手習ってたし」
昔ならっていた、空手を思いだし拳を前に突き出す。
じっと二人に見つめられ、途端に恥ずかしくなり頬を染めると、赤夏は少し煽るような目線を楓へ向ける。
「なんなん?その顔」
「なんやろな」
赤夏はうれしそうな顔をしていた。そんな赤夏を見て、楓は優しく微笑んでいた。
――その目だけが、まったく笑っていなかった。
そらは背筋が凍るような寒気を覚える。
もしかしたら一番怒らせてはいけない人なのかも知れない、そうそらが思っていると――
「よっしゃ、武器も決まったし、試合行くで!」
そんな事は知りもせず、赤夏は元気よく、拳を掲げ、フィールドへ向かって歩き出した。
白い光に包まれたフィールドの入口が、静かに開いていた。
その向こうに広がるのは、さっきまでテレビの中でしか見ていなかった世界――音と魔法と、刃が交差する場所。
――踏み込めば、もう戻れない。
そう分かっているはずなのに、そらの足は自然と前へ出ていた。
胸の奥で、ずっと燻っていた何かが、今度は確かに燃え上がる。
ここに立ちたいと願った自分を、もう否定したくなかった。




